《陽陽館前夕照 2011年9月18日》

瀬谷こけし


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 京都造形芸術大学の陽陽館は大学の立地する山の東側にあって、高度も少し高く、白川通りから50mぐらいあるだろうか。

 そんな立地なので夕方には時々、夕日が下から射してくることがある。これはやっぱり稀な光線状態なので、そんなときは研究室前の樹々も新鮮なとても珍しい姿を見せてくれる。

 この年は最初のお月見会をした年だった。9月12日、外苑前での講義の終わった翌日のことだ。世話をしてくれる方があって、はじめに清澄白河の古風なしゃれた店で昼食をとって、それからそのあたりの街を歩いて見学した。この清澄白河のあたりを歩いたのは初めてだったので、江戸の雰囲気がいろいろ新鮮で大いに楽しんだ。成田山にも行って、日蓮宗の強力な太鼓の弾奏に驚いたのもこの日だった。そして深川芭蕉庵近くでのお月見会。踊りも歌もあってとてもたのしい時間を過ごしたのだった。夜遅くまで清洲橋の上で遊んでいた。だがその夜の写真が見つからない。数枚は撮っていたはずなのだが。東北大震災、福島原発事故の年だ。そう覚えておけばお月見会がいつから始まったかもすぐ思い出せるだろう。11日には新宿でデモの後の集会に参加していた。

 2011年は大変な年だった。京都でも放射能の影響がどこかに出ていないか、植物に特に関心を寄せて観察していたものだった。しかしガイガーカウンターはなかなか手に入らなかった。政府がロシアから輸入したものを販売させず、倉庫に死蔵されているという話も聞いた。そして販売を許可するようになった時も、「校正」と称して、数値が一割二割低く出るように調整されているという話も聞いた。この時の民主党のやり方にもわたしは怒りが止まらなかった。自民党よりはましだったと思うものの、政府が情報遮断に奔走していたことは変わらない。後に計数機が手に入って、測定していると、京都でもそう低い値の日々だったわけではない。東風の時に東にセンサー部を向けると数値は上がった。

 なかったことにするわけにはゆかない。皆がある程度被曝している。京都で何よりもよく目についたのは、ぼんやりした運転をしている車が増えたことだ。子どもたちには外を歩くときにはマスクをしろと言ったが、街でもマスクをする人は多くなかった。おそらく精神や知能にも影響があったことだろう。スイスの気象台などから発表される放射能雲の流れの情報を知っている人、気にしている人は少なかっただろう。濃く流れてくる日にも学校では気にもせず外で体育の授業をしていた。そんな日々の中のことだ。





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