《近江神宮で吟行歌会》

瀬谷こけし

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 今日は毎年恒例の日本歌人京都歌会主催の吟行歌会に参加してきた。場所は近江神宮勧学館。毎年奈良歌会からも参加してくれる。近くの部屋でかるたとりの読み上げ講習会が開かれていて、めずらしい音の雰囲気の中での歌会だった。議論もなかなか楽しい歌会だった。
 わたしの出詠歌は(前にここでもちょっと示した)次のもの。

> 土面(つちづら)の少しみだれるところありこの山道を行きしひとあり

この折口(迢空)の『海やまのあひだ』のきわめて有名な歌から取った下句を含めてどう評されるかを知りたかったからだ。折口の歌を知らない人も、アスファルトとは違う山道を歩く感覚を読み取ってくれるひとがあり、また、本歌を当然知った上で、これは「本歌取りとは違う」と言ってくれたり、自分の山歩きの経験から評してくれた人もいた。とてもありがたいことだった。
 わたしが言いたかったことは、折口はひとりでする通る人もまれなところの山歩きを知らないのではないか、ということだったが、それはそういうところを歩く時は、この道を近々通った人がいるかどうか、近々通った獣はいるか、ということにいつも敏感であるようにしている。「人」の方は、いざという時に声を上げれば聞きつけてもらえる可能性があるかどうかを心得ておきたいからで、「獣」の方は危険を予知しておきたいからだ。比叡山山系でも、用心は必要で、その日もわたしは腰にクマスプレーは着けて上っていた。実際イノシシが地面を掘った跡は道の端の何カ所かには読み取れた。人間の方はもっと跡が軽いのが普通で、微細に、よくよく見ておかないとわからない。そんな風にして、道の(石や枝でない、跡の着く)土の部分に一、二センチの新しい踏み跡とみられるものを発見した。歌はその時の認知の経験を、そしてその時の少しほっとした気持ちを詠んだものだった。
 こうした、山の独り歩きの心得が折口の歌には欠けているように思う。これは民俗学者とは少し違った性向を示していないだろうか? ---もう周知のことであるかもしれないが。
 折口の歌は次のものだ。

> 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり
   釈迢空『海やまのあひだ』「大正十三年」

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