《宮沢賢治は成仏したか?》

瀬谷こけし

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 これはもっと昔に問うべき問いだったと思うが、「化城喩品」(『法華経』巻7)を基準に考えると賢治は成仏していないと言うべきだと思う。それはそうと、先日行った比叡山のかなり大規模な展望駐車場に「草木国土悉皆成仏」と彫られた石碑があった。しかもそれは天台座主の字を刻んだものと言う。---これにはちょっとがっかりしたが、まあ宗教なのだから仕方がない、というのがわたしの感想だった。哲学ならば、もっと先へ思考を進めなければ何にもならない。こういう思想では鎌倉新仏教にも到達しないはずだ。つまり問題は何者がいつ成仏するのかという問題にまともに向き合っていないからだ。「草木」ならどの花が、どの樹木が、いつ成仏しているのか、その実例を一つでも示して見せろ、ということだ。これは臨済が上堂の時、「お前は仏か、そうでないなら仏は何処にいる? 見せろ見せろ」と迫ったのと同じ問題だ。「化城喩品」はもっとしっかりしたことを語っている。仏がひとり生まれる(=仏になる)時、世界全体が成仏すると言ってなかったか? 日本人は菩薩菩薩と言ってありがたがって「仏」のことを考えなかった。この精神は、今も同じように続いているだろう。この精神こそ、仏教の伝来以降も日本人の精神を千年以上にわたって堕落させてきた、「事なかれ主義」ではないだろうか?
 (2018年10月11日にFBに書いた小文の再録です。後日より詳細な論議をしてゆくつもりです)


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