《ここも世界の空の下…》

瀬谷こけし

 これは深尾須磨子作詞の郡山女子大学校歌の最も美しいところだが、この後に「この福島に人類の光ひかり光をかざす」という歌詞をつけて歌えないものだろうか(校歌の「この学び舎」を「この福島」に換えて)? 昨日ふとみつけて読んでいた「『東北地域学』補助プリント--東北地域学への案内--」という冊子、これは京都造形芸術大学通信教育部で開講していた「東北地域学」の補助プリントとして、その要となる五冊の本(1.芭蕉『おくのほそ道』、2.柳田国男『雪国の春』、3.岡本太郎『岡本太郎の東北』、4.梅原猛『日本の深層』、5.赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』)の読み方を記したものだったのだが、その「あとがき」を私が書いた日付が2011年3月10日だったのだ。いわばヤマトによるエミシ蔑視の思想とその逆転への道筋、といった趣旨で「東北地域学」を構想していたのだが、それが、その「あとがき」を書いた翌日に、この構想自体が、福島原発事故によってはじけてしまったのだ。---しかし、この構想はまたやり直さなければならないのではないだろうか? まさに福島に人類の光をかざさなければならないのではないだろうか? そのためには上記の歌と、木村弓(もしくはナターシャ・グジー)の歌で「いつも何度でも」の歌と、シュトックハウゼンの直観音楽演奏と、そして1969年4月9日演奏の『短波』のCD演奏、これを基軸としてかかげることができないだろうか。そんな企画を福島県田村市のあぶくま洞の中で実行することはできないだろうか? 
 そんなことを思いついたのだった。

(本稿は2019年2月7日にFBに掲載したものを一部変更したものです)


https://youtu.be/9O4SMw_8Om0




https://youtu.be/d4Kijkkz4f0





https://youtu.be/uQ_vGr9U3QY





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