《契沖を読む 00》

瀬谷こけし

 先日日本歌人の高岡哲二さんから『宇陀・室生寺 ふたたび』という本をいただいて読んでいたら、契沖について割かれているページがあった。室生もしくは室生山に契沖は大きな思いを懐いていたというのである。出典は僧義剛の『録契沖遺事』の由である。それは室生山の南にある巌窟があって「師(=契沖)は其の幽絶を愛した」というのである。彼はどうやらわが身以上にその幽絶の境に魅せられたに違いない。形骸を捨てるにふさわしい場所だと思い(以為堪捨形骸)、頭を石にうちつけ、地面に倒れ脳血が地にまみれたことがあったようだ。しかし命終にいたることはできなかった。契沖の頭の中にはサッタ太子とどこか通う捨身の理想があったのではないだろうか。「其の幽絶を愛す」という表現には幽絶の境の魅惑がありありと表現されているように見える。その幽絶の境を彼は室生山の南の巌窟に見出したのだ。人跡はなくとも鳥獣は自然のままにいたことだろう、どこかツァラトゥストラの洞窟に似ていなくもない。そこで彼は上る太陽にまみえることはなかったのだろうか。---なかったのかもしれない。

 実はわたしは院生のころ契沖の全集が出るのを知って、無理をして全巻を買ったのだが、これまで一度もまともに開いたことがなかった。万葉集を読むにも、その後の優れた注釈書だけで十分だと思っていたのだ。だが今や高岡さんから思わぬ縁をいただいて、万葉集をというよりむしろ契沖を読んでみたくなったのだ。たいしたものが書けるわけでもないと思うが、わたしの契沖を読むという試みにお付き合いくださる方があれば幸いである。


===2019.3.1 補====
『契沖全集』第16巻に従い「血」一字を補う。

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