《ヒバリの回り討ち》

瀬谷こけし

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 山中智恵子の歌集『黒翁』に雲雀を食べるということが何度か歌われているので、その民俗的な基盤はなにかということをすこし探しているのだが、当面川口孫治郎の『飛騨の鳥』ぐらいしか探すものをもっていない。しかし川口の本にも雲雀食の話は出てこない。だがヒバリに関しても面白い話はいくつか出てくる。ひとつは「コマドリの囀り方を骨にして、ヤマガラやメジロやウグヒスなどの啼き方を加減して肉にしたような啼き方」をやっているヒバリの話だ。それは幼くして親と別れ急斜面の杉林の中で育てられたヒバリの例だ。山崎勝安の話として紹介している。
 また東農には昔「ヒバリの回り討ち」という捕り方があったという(付知町米屋旅館三尾主人の話として)。回り討ちとは「先づヒバリの所在を認めて、之を中心として睨みながら遠巻きに其周囲を大環を描くやう廻はり、漸次にその環を縮めて、以てヒバリ即ち中心と射手との距離、即ち回はりの半径が、易々と雲雀を射取るに十分なるに至って、最後の宣告を下すのである」と記されている。「射とる」と書かれているのはどうやら弓で射てとるものと見える。そして、話は生きて捕るわけではないので、獲られたヒバリは食用にされたのだろう。
 であれば、丹念に探せば雲雀食の民俗も見つかることだろう。

 川口はこの後少し続けていて、ヒバリは眼力と保護色で、「鈍き眼をもつてゐる人々からは、安全に保障されてゐるのであるが、其代り所謂回り討ちのような遣り方に遭ふと、大切の武器が却つて身に累して自滅せねばならぬ破目に陥るのである」と付け加える。ヒバリは「最も著しく人の眼に注目する」小鳥で、そのため自縄自縛に陥ってしまうという解釈だ。

 山中智恵子の『黒翁』のなかで気になった雲雀食にかかわる歌は以下の三首。いずれも「流星の瀧」の段。

> 春の日は雲雀のパテにオニオンのスープのあらばさくら散るとも
> 恋はうらなき 揚雲雀そらに料理(れう)るとききてはかなかりし
> わが淚湖のほとりに来り揚雲雀一身(いつしん)ここに殺のよろこび

二首目は雲雀が「料理する」ということだろう。

 これは「食」や「殺」に直接かかわる歌ではないが、ひばりの歌もう一首紹介しておく。
> ひばり落つる野を失ひてわれもまた恋の奈落になだれゆかむか
   『黒翁』 「泣く土偶」


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