《速水御舟「洛北修学院村」の二つの山》

瀬谷こけし

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 昔関心があって、というよりその秋の紅葉の美しさに感嘆して、修学院離宮の裏の小山の名称を調べたことがあるが、その調べた地図には東山と出ていた。その地図が何であったかは今は詳らかにしない。この山のことを離宮では「おちゃやま」とか「ほんざん」とか呼んでいるらしいことを、3月2日に離宮で案内をしている人から聞いたが、それをあとで確認することはしていない。案内のパンフレットには名前が出ていない。「上離宮背後の山」と書かれているばかりだ。この山のことをここでは東山と呼んでおくことにしよう。
 そして速水御舟だが、彼はその「洛北修学院村」の中で画の上部に二つの山を描いている。手前の山が中央に立ちその左後ろに明らかに比叡山とわかる山が描かれている。この叡山の手前の山はやはり離宮裏山の東山なのだろうか? これまでわたしはそれを疑うことなく、この二山のことを考えていた。だがそうだとすると、この二山がちょうどこのような位置関係に立つ場所というのはどこなのだろう? 結論的に言えば、比叡山と東山がこのような位置関係に見えるのは、両山の山容および頂点の位置関係を考えれば、鷺ノ森神社の北入り口の付近としか考えられない。当時その付近に個人の住居が何もなかったとしても、この神社北入り口から半径30mの範囲に入るとみてまず間違いない。それでほとんどこの問題は解決したことになるのだが、御舟の画をよく見ていると、少し不安が残るのだ。それは、描かれた「東山」の頂がすこし窪んでいて、もしかしたら二つの頂のある山の頂が近づいて、東山に見えているだけなのではないか、という危惧だ。つまり、現実には東山の南東側には南北に稜線の延びたクレフシ山型の山があるが、その山を前に比叡山を後ろに見る地点というのは存在しないのか、御舟はむしろその二山を描いたのではないか、という疑問だ。その山はおそらく葉山と呼ばれていた山ではないかと思うが、それは曼殊院の裏山であり、また関西セミナーハウスの裏山にもなっている山だ。ここではその山を葉山と呼んでおく。
 5日の日に、その可能性を点検すべく、少し動きまわったのだが、今のところの結論を言えば、麓に梅田雲浜の𦾔蹟の石碑の立つ高さ20mほどの小山の稜線からは、葉山と叡山が御舟の描いた二山とよく似た関係に見えるのではないかということだ。--これはまだ推測で、わたし自身まだその稜線に足を踏み入れていない。武田の農園の南西に隣接する小山のことだ。その稜線の西側には今もお堂や石の十三重塔が建っていて(一燈寺葉山観音)、その下の南手には林丘寺宮墓地があって、宝篋印塔や無縫塔が並んでいる。
 このあたりも寺は多く、寺域の中から見れば他にも比叡葉山の二山が御舟の画のごとくに前後ろに見えるところがあるかもしれないが、それらは調べるにしてももっと詰めてからということになるだろう。まずはとりあえずの報告だ。


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