《『ツァラトゥストラ』を読む(1) 第三部から》

瀬谷こけし

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 『ツァラトゥストラ』第三部のここのところを訳してみよう。箇所は『ツァラトゥストラ』第三部1「Wanderer(放浪者)」の第二段落から。ツァラトゥストラが自分を放浪者」であり「山に登る者」であると自己規定するところからである。
 テキストは以下:

> Ich bin ein Wanderer und ein Bergsteiger, sagte er zu seinem Herzen, ich liebe die Ebenen nicht und es scheint, ich kann nicht lange still sitzen.
> Und was mir nun auch noch als Schicksal und Erlebniss komme, - ein Wandern wird darin sein und ein Bergsteigen: man erlebt endlich nur noch sich selber.
> Die Zeit ist abgeflossen, wo mir noch Zufälle begegnen durften; und was könnte jetzt noch zu mir fallen, was nicht schon mein Eigen wäre!
> Es kehrt nur zurück, es kommt mir endlich heim - mein eigen Selbst, und was von ihm lange in der Fremde war und zerstreut unter alle Dinge und Zufälle.
(テキストはGutenbergプロジェクト提供のものを利用)

  拙訳:

> わたしは放浪者で登攀者なのだ、とかれは自分の心に言った、わたしは平地が好きではなく、また長いことじっと座っていることができないようだ、と。
> そして今後はわたしに運命として、体験として、なにごとが降りかかろうと、その内には放浪がありまた登攀があるだろう。ひとは結局は自分自身をさらに体験するだけなのだ。
> わたしの身に偶然がふりかかるという時は過ぎ去った。いまやさらに何がわたしにふりかかろうと、それはすでにわたしの固有のものでないようなものではありえないのだ!
> わたしの固有の自己、それが戻ってくるだけだ、それが結局わたしに帰郷してくるのだ。つまり自己から出て長く異郷にあって、そうしてあらゆる物事や偶然のもとに散らばっていたものが。

  解説:
 ここのところ、構文的にとても難しい。
第一段落の[sagte er zu seinem Herzen,]の所は、ここだけが過去時称で書かれていて、それを取り囲む現在時称で書かれている内容はすべてこの「彼は自分の心に語った」に従属し、その内容となっている。わざわざ接続法一式を用いていないが、そうした配慮なしにでも自然に読み取れるところだ。
そして簡単な文章だが、ここでは怠りなく[Wanderer][ Bergsteiger]の概念規定がなされている。[Wanderer](放浪者)とは「長いことじっと座っていることができない者」のことで、[ Bergsteiger]とは「平地が好きでない者」のことなのだ。

 第二段落の[was ... auch noch]は認容的な強調。「何が...来ようとも」([komme]は接続法一式)。[was...komme]は定動詞が語末に来ているので従属文であり、[was]は関係代名詞だと理解される。とすると[was...komme]は一個の[das]に相当すると考えられるが、そうすると次の[- ein Wandern wird darin sein und ein Bergsteigen]の[ein Wandern wird darin sein]の定動詞の位置の解釈が少し難しくなるが、そこのところは手前のダッシュ[-](Gedankenstrich)が思考の「長めの休止」(*1)を置くことで救っていると考えるのがよいだろう。上の引用の[darin]の[da]は上述の「一個の[das]」を受けている。
(*1) Dieter Berger, Kommma, Punkt und alle anderen Satzzeichen, Dudenverlag,1968, S.189 und f.

 第三段落は後半の[was]ではじまる二つの文の関係がむずかしい。だが二つ目の[was]は前の[was]の内容を限定しているように感じられる。第二の[was]は定動詞後置で、従属文の形式をとっており、もし前の[was...fallen]の文が[könnte]という接続法二式による不確定的な文でなかったならば、定関係代名詞[das]を使った指示の明確な文を用いていたのではないかと思われる。しかしこのような文法を説明している文法書を知らないので、今後も研究を進めたい。

 第四段落もやや読み解きがたいが、それは何を指しているのかわからない[es]が冒頭に立っているためだろう。しかしこの文の場合、[es]を主語にする二つの文が続いた後、ダッシュ[-]があって、[mein eigen Selbst](わたしの固有の自己)が登場し、これを[es]が先行して指示していたのだと理解することで基本的に疑問は解決する。あとはその後の[und was von ihm lange in der Fremde war und zerstreut unter alle Dinge und Zufälle]が[mein eigen Selbst]と同格の補足語であることを把握すれば問題は解決するはずだ。なお、文中の[ihm]は[Selbst]を受けていることも容易に把握できると思われる。

氷上英廣訳(岩波文庫)の紹介。
> わたしは漂泊の旅びとだ、登山者だ、とかれは自分の心に向かって言った。わたしは平地が好きでない。わたしは長いこと腰をおちつけてはいられないらしい。
> これからさきも、いろんな運命や体験がこの身をおとずれるだろう、---だが、それもきっと漂泊と登攀というかたちになるだろう。われわれは結局、自分自身を体験するだけなのだ。
> 偶然がわたしを見舞うという時期は、もう過ぎた。いまからわたしが出会うのは、なにもかもすでにわたし自身のものであったものばかりだ!
> ただ戻ってくるだけだ。ついにわが家(や)にもどってくるだけだ。---わたし自身の「おのれ」が。ながいこと異郷にあって、いろんな物事と偶然のなかに撒き散らされていたこの「おのれ」が。



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