《Niel通り84番パリ》

瀬谷こけし

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 このときわたしは彼が引っ越しをしたということを知らなかった。知っていたら朝から訪ねていただろう。この旅行の最大の目的は彼にわたしもかなりのページを書かせてもらった『人間の美術』第7巻(学研)をお渡しすることだった。健康上の理由で第8大学を辞めたことは風の便りに知っていたが、引っ越しのことまでは知らなかったのだ。そして旧宅のあるところを訪ねたのだが、そこのコンシエルジュが引越しのことと、そして新しい住所を教えてくれたのだった。---そういうことは滅多にないことだと、友人のジャン・ピエール・Bさんから後から聞いた。ともあれ新しいアドレスを教わって、そこへ急いだ。Bizerte通りに着いたときは、もう夜の7時も近かった。そしてNiel通り84番へ。

 10階建てぐらいのそのアパートの男性のコンシエルジュは、戸を開けて応対はしてくれた。そして彼の奥さんに電話を繋いでくれた。拙いフランス語で一生懸命に、彼にこの本を直接お渡ししたくて日本から来たのだと語ったが、彼はもう床についていると言った。それでも是非にとお願いしたところ上がってきなさいと言ってくれた。わたしはその奥さんの言葉をコンシエルジュに伝えた。しかしその男性は、少し余分に警戒心を持っていて、自分一人で、そしてわたしの持ってきた本を受け取って、彼と奥さんのいる部屋に行った。---戻ってきてその男が伝えたのは、彼の方から明日朝ホテルに電話する、ということだった。---今晩無理して会うことはないという結論は、むしろそのコンシエルジュの男の提言ではなかっただろうか。しかし致し方ない。その、10階建てぐらいの大きなアパートの見る限りすべての部屋はG.D.と記されていた。ほとんどすべての部屋を彼一人で借りていたのだ。それだけの本をもち、必要としていたということだ。

 わたしは翌朝早く発たねばならなかった。だから彼の電話は受取れなかった。

 その後シュトックハウゼンの直観音楽について日本語とフランス語で書いた「Le dispositif caosmique de transformation」という小論を彼にお送りしたのだったかどうか。ともあれ彼のファニー夫人は、わたしに特別な配慮をしてくれて、彼の逝去を知って書いた詩と、その小論と手紙を、奥様にお送りしたのだが、奥様及び一族の方々からの会葬のお礼状に、「心打たれました、あなたの手紙とテキスト、かくも美しく」と記してくれていた。

 わたしがそのシュトックハウゼン論をフランス語で書きながら彼にお送りしなかったのは、それが彼の高名な著書『ミルプラトー』の中の「リトルネロ」の章の内容を十分に理解して書いたものではなかったからなのだ(その小論はシュトックハウゼン出版のホームページではトップページに載せてくれたこともあったものだったが)。

 今やわたしは、「リトルネロ」を消化した上で、シュトックハウゼンの直観音楽についてものを書かねばならない時だ。カールハインツ・シュトックハウゼンとジル・ドゥルーズと、この二人の期待にこたえなければならない。


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