《二つのピエタ像 -ミケランジェロとケーテ・コルヴィッツ》

瀬谷こけし

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 わたしは子を失った嘆きや怨みを天に訴えかけるピエタ(Pietà)のマリア像を好まない。ミケランジェロのピエタ像(ヴァチカーノ、Vaticano)は、そうした気配が微塵もない。それだけ深く、純粋に見える。その像はヨブ記のヨブのように次のように語っているように見える。
> Dominus dedit Dominus abstulit sit nomen Domini benedictum. (Iob I-21)
(主は与え、主は奪った。主のみ名はほむべきかな)
その姿は美しい。

 だがケーテ・コルヴィッツ(Köthe Kollwitz)のピエタ像(ベルリン・ノイエヴァッヘ、NeueWache)のマリアはそのどちらとも違う。嘆きを天に訴えることもせず、また主の善意思に思いを委ねることもしない。嘆きと悲しみのすべてを自分一人のうちに引き受けるのだ。

 わたしはケーテのそれの方をより好んでいる。


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