《ニーチェの「哄笑」は誤訳である》

瀬谷こけし
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 ニーチェを読むにあたってわたしが最も大きな恩を受けているのは氷上英廣の仕事、とりわけ『ツァラトゥストラはこう言った』の日本語訳である。だがしかし彼が同書の第三部の扉で、「あなたがたのなかの誰が、崇高になって、しかも同時に哄笑することができるだろう?」と訳すとき、ここにはやはりついてゆけないものを感じるのである。ちなみにそこのところのドイツ語は;

>Wer von euch kann zugleich lachen und erhoben sein?

である。この「lachen」を「哄笑する」と訳すことに違和感を禁じ得ないのである。ここは「笑う」とするのが最良ではないだろうか?

 その理由はひとつには日本語の「哄笑」とドイツ語の「lachen」とは大きな隔たりがあると思うからである。ちなみに手近にある『広辞苑』第5版を見てみると「大口をあけて声高く笑うこと。大笑。おおわらい」と出ている。わたしはこの説明にもやや疑問を感じるのだがそれで『字通』の「哄」を開いてみると、1.大声、相和する声、多くの声。2.たぶらかす」と出ている。つまり、哄笑には多声であることが欠かせない要素なのではないだろうか。哄笑とは大勢が一時にどっと笑うことを意味するのであろう。『平家物語』の那須与一の条に「陸には源氏ゑびらをたたひてどよめきけり」と言われるようなどよめきに似た集団的な行為。『漢字源』を開いて「哄」を見てみると1.どっと大声をたてる。どよめく。2.わいわいはやしたてる、」と出ている。ここでツァラトゥストラが言おうとしているのは「笑い、同時に高められていること」ではないのか。多数でどっと笑うというようなことではなく。

 以上がその第一の理由である。第二の理由はニーチェの説く笑いの最も高度な次元の問題である。しかしそこに進む前に、まず『ツァラトゥストラ』第三部の扉に引かれたテキストを全文紹介しておきたい。

> „Ihr seht nach Oben, wenn ihr nach Erhebung verlangt. Und ich sehe hinab, weil ich erhoben bin.
> Wer von euch kann zugleich lachen und erhoben sein?
> Wer auf den höchsten Bergen steigt, der lacht über alle Trauer-Spiele und Trauer-Ernste.“
(君たちは高められることを求めるときに上を見る。だがわたしは下を見下ろす、なぜならわたしはすでに高められているからだ。/君たちのなかの誰が笑い同時に高められてあることができるだろう?/最も高い山に登る者はすべての悲嘆の劇と悲嘆の厳粛を越えて笑うのである。|拙訳)

 第三部がまさにこの笑いを主題にすることがこの扉のエピグラフに示されている。そしてそこに示される最高の笑いがいわゆる「牧人の笑い」であるが、まずその笑いをどう訳すべきかの要になるところを短く示そう。

> Nicht mehr Hirt, nicht mehr Mensch, --- ein Verwanderter, ein Umleuchteter, welcher _l_ a_ c_ h_ t_ e_ ! Niemals noch auf Erden lachte je ein Mensch, wie _e_ r_ lachte!
(Zar, III-2,“Von Gesicht und Räthsel" 2, KSA)

ここのところの氷上訳は:

> もはや牧人ではなかった。もはや人間ではなかった、一人の変容した者、光につつまれた者であった。そして哄笑した。これまでこの地上で、彼が哄笑したように、これほど哄笑した人間はなかった! (岩波文庫『ツァラトゥストラはこう言った(下)』「幻影と謎2」p.24。)

氷上はここで[lachen](lachte)を「哄笑した」と訳すのであるが、この訳はニーチェが表現したことと本質的にずれている。というのも、ニーチェは単純に「笑った」(lachte)と書いているのである。そしてその笑いについて、「これまで大地の上で人間が、彼が笑ったように笑ったことはいまだ一度もなかった」と説明を加えているのである。それは哄笑ではなく、高らかな笑いでもない。これまで人間が耳にしたことのない笑いであった、とニーチェは記すのである。哄笑にせよ高らかな笑いにせよ、人々の耳にしたことのある笑いであり、いわば言葉によって妥当に指示されうる笑いにすぎないのである。ニーチェの記す変身した牧人の笑いは、ひとびとの経験を絶した笑いであり、この世で誰かが笑うのを誰も聞いたことのない笑いなのである。しかしそれが笑いであることは間違いがないのである。われわれとしてはそれを爆発的な笑いであったろうと推測するのであるが。以下上記引用個所の拙訳を示しておく。

> もはや牧人ではなかった。人間ではなかった。---ひとりの変身した者であり、ひとりの光につつまれた者であった。その者が笑った! これまで大地の上で人間が、彼が笑ったように笑ったことはいまだ一度もなかった! (拙訳)





ツァラトゥストラは こう言った 下 (岩波文庫)
ツァラトゥストラは こう言った 下 (岩波文庫)







この記事へのコメント

書物
2019年08月15日 00:20
PCで読むとめちゃくちゃなデザインだがスマホならまだマシ。
大きな書物
2019年08月15日 12:33
PCでもまずまず普通に読めるように工夫しました。ただドイツ語の単語の正しい改行送りはできないようです。