《「山の端」と「山際」 万葉集巻七 1122番の歌》

瀬谷こけし
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 面倒だが纏めてしまおう。万葉集巻七、1122番の歌、
>山際尓 渡秋沙乃 行将居 其河瀬尓 浪立勿湯目
であるが、この歌を折口信夫は(口訳万葉集)
>山の端に渡る秋沙の、行きてゐむ其川の瀬に、波立つな。ゆめ 
と訓んでいる。秋沙は鴨の仲間の「アイサ」のこととして問題ないのだが、問題は「山の端に」と訓でいるところだ。「山ぎはすれすれに飛んでゆく」という鑑賞も問題なく、一首の想いを「何卒波が立つて、鳥を苦しめてやってくれるな」と解釈するところも問題ないのであるが、折口は「山際」と「山の端」の違いを理解していなかったのだろうか? 他方最近の訓みは佐竹昭広も中西進も「やまのま」/「山の際(ま)」と訓んでいて、これにもあまり納得が行かない。と言うのも、というのもこのとき秋沙はもう着水も近い姿勢で山際を飛んでいたのだろうと思えるからだ。ここは「山際(ぎは)に」と訓むべきではないだろうか?
 語義の基本として、「~の端」は「~の一部をなす端っこ」の意味で、「山の端」と言えば山の端っこでなければならないと考える。他方、「~際」は「~」とは違うものの「~」に極めて近いところの意味で、例えば「教室の窓際の席」と言えば、窓の一部をなすところではなく、むしろ教室の一部をなす場所の「窓」にきわめて近いところを意味すると考えられる。
 しかしこの語義の違いを契沖もよく理解していなかったようで、『万葉代匠記』ではあやふやなことを書いている。その初稿版では「山のはに 山きはにともよむべし」としており、その精選本においても、「ヤマノハニ」の他に「ヤマノマニ」とも訓む古訓を紹介し「山閒ヲ山際トカケル所アルハ、山ノアヒタノ意ナリ。今ハ天際雲際ナト云如ク、和語ニテハヤマノキハノ意ナリ」などと言いつつ、「哥ニヨムハ然ラス。ソレモ山ノハナリ」と「山の端」説(折口も同じ説だ)を主張し、例として源氏若菜上の「山キハヨリ指出ル日ノハナヤカナルニ云々」を挙げている。しかし契沖はまさにここで考察を進めるべきだったのだ。「山際より指出る日」というのは、「山の極めて近くの空の部分より出る日」の意味で、「山の端っこから出る月」では全くないのだ。先にわたしが語義の基本として説明したとおりだ。
 それでは、佐竹/中西が契沖/折口の「山の端説」を退け、「やまのま」と訓むのはなぜなのだろうか? 折口以降に有力な説が立てられたのだろうか? 思い浮かぶのは澤瀉久孝の『万葉集注釈』だが、それは第一巻しか私の手許にないので今は論究できない。だが契沖も紹介している「山のあいだ」のようなぼんやりしたところを飛んでいたとしたら、あまり歌にならなそうに思うのだが、そいういことでもないのだろうか? 
ともあれこの歌、わたしは「やまきわに」と訓んでおきたい。


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