《『ツァラトゥストラ』の中の「わたしの最も孤独な放浪」について》

瀬谷こけし
20190916iPH7643朝日村mi.JPG
 標記のタイトルで日本宗教学会 第78回学術大会の会場(9月15日10:40から、第2部会)で「発表の要旨」として配布したテキストをここに再掲します。ご意見などいただければ幸いです。



『ツァラトゥストラ』の中の「わたしの最も孤独な放浪」について
中路正恒 京都造形芸術大学
日本宗教学会 第78回学術大会発表要旨  2019年9月15日 於帝京科学大学

1.ここではニーチェの著作に20回現れる[einsamst](最も孤独な)の語を含むテキストの考察を通して彼が「わたしの最も孤独な」ことをどう考えていたかを考察したい。初めにテキストの点検から。「最も孤独な」は形容詞の最上級であるが、彼のテキストでその比較の対象が明確である例は少なく、「きわめて孤独な者に」①「きわめて寂しい自然の中へ」②などこの語の日常的な了解の中で用いられている例も比較的多い。⑤⑦⑰⑱もそれに含めることができるだろう。
2.しかしまたこの語を定冠詞をつけ名詞化して使う例も多く、その場合もニーチェが「孤独」の概念を明確化しているケースは乏しい。①⑧⑫⑬⑭⑮⑯⑳である。『Za』の極めて重要な「幻影と謎」の中で「最も孤独な者の幻影」と出てくる場合もこれに含めておく。
3.ニーチェが「最も孤独な」という状態をどう把握しているかについて最も明瞭な概念を提供してくれるのが『曙光』91番③のテキストである。そこで立てられるのは、「全知全能であってしかも自分の意図がおのれの被造物によって理解されることを少しも配慮しない神」(Ein Gott, der allwissend und allmächtig ist und der nicht einmal dafür sorgt, dass seine Absicht von seinen Geschöpfen verstanden wird)とは何だろう、それは善意の神なのだろうかという問いである。その神をニーチェは善意の神であって、ただおのれを明瞭に表現(ausdrücken)できず、救済に関わる真理を被造物に伝えられず、徒に悩ませ苦しめる存在と見るのであるそのような神をニーチェは「あの最も孤独な者」(jener Einsamste)と呼ぶのである。
4.さらに『曙光』423番④では岩礁の立つ海辺の風景が観察され、「岩塊の帯や小さな岩礁は、最も寂しい孤独なところを探し求めているように海の中につき進んでゆく。それらもみな語ることができない。突然途方もない沈黙がわれわれを襲う。それは美しくわれわれを戦慄させる。そしてわたしの心は胸がいっぱいに膨らむ。---」(Die kleinen Klippen und Felsenbänder, welche ins Meer hineinlaufen, wie um den Ort zu finden, wo es am einsamsten ist, sie können alle nicht reden. Diese ungeheure Stummheit, die uns plötzlich überfällt, ist schön und grausenhaft, das Herz schwillt dabei. –)と語られる。語られているのは巨大な沈黙であり、そこにおのれみずからを越えて安らう(über sich selber ruhend)ものの存在が確認され、人間もみずからを越えて崇高に達すべきではないかという教えが与えられる。最も孤独であることが崇高として評価され、それは「語れぬこと」即ち「沈黙」を必須の構成要素にしている。言表の空間が破れ、発話することのできない「x」が、発話できないことを必須の要素として崇高な安らぎにあるというのである。
5.『FW』341⑥と『Za』III-1⑫においては「最も孤独な」という形容詞の最上級が所有冠詞(mein, dein)を冠して用いられ、比較の対象がみずからの経験の中に求められていることが示される。最高の孤独がみずからの諸体験の連関で語られているのである。⑥においては「お前の最も孤独な孤独」の中にデーモンが忍び込んできて私はいっさい間を取ることのできない形で一つの教えを聞く。「この人生、お前が今生きていて、これまで生きてきた人生を、お前はもう一度、そしてさらには無数回にわたって生きねばならない。そしてそこには新しいことは一つとしてなく…」(Dieses Leben, wie du es jetzt lebst und gelebt hast, wirst du noch einmal und noch unzählige Male leben müssen; und es wird nichts Neues daran sein, sondern...)と。この教えは自分が別の時空で別の過去(と未来)をもった生を生きる可能性を遮断するが、今後の生についての私の決定の自由は手つかずに残されている。その真理性の承認からニーチェはひとつの宗教的な倫理学的教説を導き出す。それは「お前はこのことを今一度、またさらに無数回繰り返すことを欲するか」(willst du diess noch einmal und noch unzählige Male?)という問いを自分のあらゆる行動に際して問いこの問いへの最終永遠の答えを確認し封印すること(diese letzte ewige Bestätigung und Besiegelung)のみを求めよ、という教えである。「封印」はそれが自分の行為であることを蜜蝋によって永遠に封印することであり、P.クロソウスキーが「sanction」と仏訳するように神聖化することであり、それ以外の報いを何一つ求めない宣言でもある。それは言表することの彼方で行う「最も孤独な」行為であると言える。この倫理学説が宗教的なのは「この生の永遠の循環」というデーモンの宇宙説を真理と認める所にひとつの賭けが存在しているからである。
6.『Za』III-1「放浪者」⑫においてZaが「ああ、わたしはわたしの最も孤独な放浪を始めたのだ!」(Ach, ich begann meine einsamste Wanderung!)と言う時、彼は前項で述べた永遠回帰の倫理学に従ってその不退転の道、確認し封印した道を歩き始めたのだと考えられる。ちなみに放浪者(Wanderer)は「長いこと腰をおちつけていられない(nicht lange still sitzen können)」者を意味し、「登山者」(Bergsteiger)は「平地が好きでない(die Ebenen nicht lieben)」者を意味する。そして彼の最も孤独な放浪はわたし自身を見おろし、わたしの星々をも見おろす「わたしの最後の頂上」に立つことをめざし、そのためにまずこれまで下りたことのないほど深く、苦痛の最も暗い満ち潮のなかに、降りてゆく。彼が見るのは固い褥の上で夢をみながら身をくねらせる海である。彼は海に対して「お前を悪しき数々の夢のから救済してやりたい」と思うが、自分の手にそのための十分な強さがないこと自覚して嘆く。
7.さらに『Za』 III-2 幻影と謎⑬においてZaは船乗りたちに謎を解いてみろとばかりに自分の見た謎、「最も孤独な者の幻影」(das Gesicht des Einsamsten)を語る。幻影は二つの部分からなる。第一の部分ではこびとがZaに「お前は自分自身を高く投げ上げた、だが投げ上げられた石はすべて落ちるのだ」と語り、その後沈黙する。その沈黙がZaを圧迫する。だがやがてZaは「勇気」(Muth)を発見する。勇気は「これが人生であったのか? よし! もう一度」(War _das_ das Leben? Wohlan! Noch Ein Mal!)と語る。この定式的表現の要点は「5」で述べた『FW』 341⑥の永遠回帰の倫理学説と同じものであり、このことを今一度、さらには何度でも繰り返し欲する「確認と封印」を表現し、それが一度の肯定 (Wohlan!) によって墜落や破滅の恐怖にも打ち勝つ力をもつ思想であることを示している。
8.幻影の第二の部分⑭においてもそれが「最も孤独な者の幻影」であることが再度語られるが、そのはじめに時間論が語られる。「この瞬間という門から一本の長い永遠の小道が後ろ向きに走っている。われわれの後ろにひとつの永遠が横たわっている」(Von diesem Thorwege Augenblick läuft eine lange ewige Gasse _rückwärts_ : hinter uns liegt eine Ewigkeit)と言われ、この現在の瞬間が過去に向かって永遠の時とつながっているという考えが確認される。つまり現在という瞬間が厳密な点ではなく、つねに多少とも広がりをもった時の流れとして動いている限りにおいて、この流れる時を過去に向かって無限につながるものとして思考することができるという思想である。しかしすぐ次には「およそ走りうる一切の事物は、すでに一度、この道を走ったはずではなかろうか?」(Muss nicht, was laufen _kann_ von allen Dingen, schon einmal diese Gasse gelaufen sein?)という命題が示される。しかしこの命題は、先の命題とはちがって、どのような経験によって裏付けられるかが示されないまま、問いとして提示されるにとどまる。しかしこのような疑問形による疑問の提示を無効にするように、近くで犬の吠え声が聞こえてくる。満月が屋根の上に昇っている。と突然場面が変わりZaは荒々しい岩礁の間に立っている。そこにひとりの人間が横たわっている。そばで犬が吠え、叫ぶ。それはひとりの若い牧人で、倒れ身をよじりながら顔をゆがめ、その口からは一匹の黒い重たい蛇が垂れ下がっている。眠っているところを蛇が這って喉に入り込み、そこにしっかり噛みついたのだ(Da kroch ihm die Schlange in den Schlund—da biss sie sich fest.)とZaは見る。Zaは蛇を引き抜こうとするが抜けない。「噛みつけ、頭を噛み切れ」とZAは全力で叫ぶ。---牧人はしっかりと噛み、噛み切った蛇の頭を吐き捨てる。そして起き上がった彼はもはや人間ではなかった(nicht mehr Mensch)と言われる。そしてその彼が笑った。「かつて地上の誰も彼が笑ったように人間が笑ったことは一度もなかった」(Niemals noch auf Erden lachte je ein Mensch, wie _er_ lachte!)と描写される。
9.『Za』では他に第二部「救済」⑨⑩のなかに、『そうあった』という過去を意志の最も孤独な苦しみとして語るところがある。意志は遡って欲することができない。意志が時を破れないこと、時の欲望を打ち砕けないこと、---これが意志の最も孤独な苦しみである」(Nicht zurück kann der Wille wollen; dass er die Zeit nicht brechen kann und der Zeit Begierde,—das ist des Willens einsamste Trübsal.)と言われる。この「そうあった」という意志の苦難、転がすことのできない躓き石に対して、Zaはその「そうあった」を「そうわたしは欲した!」(so wollte ich es!)と言えるように意志を創り変える必要性を説く。そのために意志は「創造する意志」(der Schaffende Wille)となって自らを越えなければならない。
10.考察
Zaの「最も孤独な放浪」はいつ終わるのだろうか。形式的に見れば、それは第四部の終り、獅子の到来を見る時である。第一部冒頭の「三つの変身」において、最も孤独な砂漠の中で第二の変身が起こり駱駝が獅子に変身するという変身が完成すると言われているからである。だが思考の肯定的な本質は、第三部末の「七つの封印」において語り終えられているのではないか。しかし「最も孤独な孤独」は永遠回帰の体験において体験されるように見える。そして永遠回帰の体験は、喉を重たい蛇に領有されて、声を失い、言葉を失い、言表の空間の彼方に消え、絶え間のない落下を経験し(Stürzen wir nicht fortwährend? | FW 125])、そこでわたしを誰からも存在を認められない無として把握し、あるいは最も孤独な海として、生成の全体として把握し、そこには神のまなざしも届かぬことを確認し、それゆえ神が死んでいることを確認し、われわれが生成する万物とともに果てのない無のなかをさまよっている(Irren wir nicht wie durch ein unendliches Nichts | ibid)と把握するときに最も深まるのではないだろうか。永遠回帰の体験、つまり生成の全体をわたしとして把握する体験は神の死を確認する行為あるいは神を殺す行為と重なる。そうであれば牧人のする重たい蛇の頭を噛み捨てることは、万物を永遠回帰するものとして把握する思考を廃棄することである。そして笑うのであるが、そのような笑いはこれまでこの世の誰一人として笑ったことのない笑いである、とニーチェは言う。このような笑いであればこそ、その「lachen」を「哄笑」とか「高笑」とか訳すことは慎まなくえてはならない。そのわらいをわれわれはそもそも聞いたことがなく、ましてどよめくように笑うこととはまったく違っている。それがはたして高い笑いであるか低い笑いであるか、われわれは知らないのである。それを知っているかのように訳すことはニーチェの本意から外れる。
 ニーチェが「einsamst」という最上級を最も多く使うのは『Za』においてであるが、それはこの「最も孤独な」という最上級が比較としては意味を持たず、むしろ絶対の無を指し示すのに好適であるがためである。最も孤独な存在は、主体である個々人がであるが、それは何者にも見られぬゆえに無である主体である個々人を指し示し、その無なる主体の全体である生成者の海を指し示すためである。放浪(wandern)は「さまよい」(irren)と等しく、放浪者は迷動者と等しい。ただ牧人の新しい笑いをわがものとした者だけが生を活気づけることができるだろう。
 (了)

[einsamst] テキスト一覧Nietzsche-Kindle
①MM 142、②WS 219「不定住」、③M 91「神の誠実」、④M 423「大沈黙」、⑤M 481「二人のドイツ人」、⑥FW 341「最大の重し」、⑦Za I-1「三変身」、⑧Za II-10「墓歌」、⑨Za II-19「救済」、⑩Za II-19 「救済」、⑪Za III-1「放浪者」、⑫Za III-1「放浪者」、⑬Za III-2「幻影と謎」、⑭Za III-2「幻影と謎」、⑮Za III-4「日の出前」、⑯Za IV-5「魔術師」、⑰JGB 212、⑱NW「抗議所」、⑲EH「Za4」、⑳DD「アリアドネの嘆き」

[einsamst] 原典少々Nietzsche-Kindle
①MM 142 
Bald übt der Heilige jenen Trotz gegen sich selbst, der ein naher Verwandter der Herrschsucht ist und auch dem Einsamsten noch das Gefühl der Macht gibt;
②WS 219 不定住
Nicht seßhaft. – Man wohnt gerne in der kleinen Stadt; aber von Zeit zu Zeit treibt gerade sie uns in die einsamste unenthüllteste Natur:
③M 91 神の誠実
Einem derartig schließenden und bedrängten Gläubigen wäre wahrlich zu verzeihen, wenn ihm das Mitleiden mit dem leidenden Gott näher läge als das Mitleiden mit den »Nächsten«, – denn es sind nicht mehr seine Nächsten, wenn jener Einsamste, Uranfänglichste auch der Leidendste, Trostbedürftigste von allen ist.
④M 423 大沈黙
Die kleinen Klippen und Felsenbänder, welche ins Meer hineinlaufen, wie um den Ort zu finden, wo es am einsamsten ist, sie können alle nicht reden.
⑥FW 341 最大の重し
Das größte Schwergewicht. – Wie, wenn dir eines Tages oder Nachts ein Dämon in deine einsamste Einsamkeit nachschliche und dir sagte: »Dieses Leben, wie du es jetzt lebst und gelebt hast, wirst du noch einmal und noch unzählige Male leben müssen; und es wird nichts Neues daran sein, sondern jeder Schmerz und jede Lust und jeder Gedanke und Seufzer und alles unsäglich Kleine und Große deines Lebens muß dir wiederkommen, und alles in derselben Reihe und Folge – und ebenso diese Spinne und dieses Mondlicht zwischen den Bäumen, und ebenso dieser Augenblick und ich selber.
⑦Za I-1 三変身
Aber in der einsamsten Wüste geschieht die zweite Verwandlung: zum Löwen wird hier der Geist, Freiheit will er sich erbeuten und Herr sein in seiner eignen Wüste.
⑩Za II-19 救済
Nicht zurück kann der Wille wollen; daß er die Zeit nicht brechen kann und der Zeit Begierde – das ist des Willens einsamste Trübsal.
⑪Za III-1 放浪者
Und noch eins weiß ich: ich stehe jetzt vor meinem letzten Gipfel und vor dem, was mir am längsten aufgespart war. Ach, meinen härtesten Weg muß ich hinan! Ach, ich begann meine einsamste Wanderung!
⑭Za III-2 幻影と謎
So ratet mir doch das Rätsel, das ich damals schaute, so deutet mir doch das Gesicht des Einsamsten! Denn ein Gesicht war's und ein Vorhersehn: – was sah ich damals im Gleichnisse? Und wer ist, der einst noch kommen muß?
⑳DD アリアドネの嘆き
Gib Liebe mir – wer wärmt mich noch? wer liebt mich noch? gib heiße Hände, gib erzens-Kohlenbecken, gib mir, der Einsamsten, die Eis, ach!

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント