《供犠Opferと餌Köder 『ツァラトゥストラ』第四部「蜜の供え物」より》

瀬谷こけし
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 『ツァラトゥストラ』第四部冒頭の「蜜の供え物」(Das Honig-Opfer)からはじめの方の[opfer]を含むところを適当な長さで引いてみよう。テキストはProjekt Gutenbergのものを使う。

> —„So wird es sein, oh Zarathustra, antworteten die Thiere und drängten sich an ihn; willst du aber nicht heute auf einen hohen Berg steigen? Die Luft ist rein, und man sieht heute mehr von der Welt als jemals.“—„Ja, meine Thiere, antwortete er, ihr rathet trefflich und mir nach dem Herzen: ich will heute auf einen hohen Berg steigen! Aber sorgt, dass dort Honig mir zur Hand sei, gelber, weisser, guter, eisfrischer Waben-Goldhonig. Denn wisset, ich will droben das Honig-Opfer bringen.“—
Als Zarathustra aber oben auf der Höhe war, sandte er die Thiere heim, die ihn geleitet(*1) hatten, und fand, dass er nunmehr allein sei:—da lachte er aus ganzem Herzen, sah sich um und sprach also:

Dass ich von Opfern sprach und Honig-Opfern, eine List war’s nur meiner Rede und, wahrlich, eine nützliche Thorheit! Hier oben darf ich schon freier reden, als vor Einsiedler-Höhlen und Einsiedler-Hausthieren.
Was opfern! Ich verschwende, was mir geschenkt wird, ich Verschwender mit tausend Händen: wie dürfte ich Das noch—Opfern heissen!
Und als ich nach Honig begehrte, begehrte ich nur nach Köder und süssem Seime und Schleime, nach dem auch Brummbären und wunderliche mürrische böse Vögel die Zunge lecken:
—nach dem besten Köder, wie er Jägern und Fischfängern noththut. Denn wenn die Welt wie ein dunkler Thierwald ist und aller wilden Jäger Lustgarten, so dünkt sie mich noch mehr und lieber ein abgründliches reiches Meer,
—ein Meer voll bunter Fische und Krebse, nach dem es auch Götter gelüsten möchte, dass sie an ihm zu Fischern würden und zu Netz-Auswerfern: so reich ist die Welt an Wunderlichem, grossem und kleinem!

 動物たちから「今日は高い山に登らないか、空気が純粋(rein)で、今日は以前より世界の多くのものが見える」とさそわれ、ツァラトゥストラ(以後Zaと略記)は「お前たちはピッタリの、わたしのこころにかなう忠告をしてくれた」とよろこび、それに同意するが、さらに「高山の上で使えるように、黄色く、白く、良質の、ひんやりと新鮮な、なまの黄金の蜂蜜を用意してくれ」と動物たちに注文をつける。「というのも、知っておいてくれ、わたしは山上で蜂蜜供犠(das Honig-Opfer)を捧げようと思っているのだから」とZaは動物たちに説明する。だが山上で彼はお供をしてきた動物たちを帰してしまう。それからが一人になったZaが語ったことになる。
 まずこうである。
Dass ich von Opfern sprach und Honig-Opfern, eine List war’s nur meiner Rede und, wahrlich, eine nützliche Thorheit!
ここのところ氷上英廣はこう訳す。
>わたしが供え物、それも「蜜の供え物」などと言ったのは、口先のたくらみにすぎなかったのだ。だが、それも思わぬ役にたった! (氷上英廣訳、岩波文庫)
氷上は[Opfer/Opfern]を「供え物」と訳す。[Opfer]は中性名詞で、単複同形。ここで[Opfern]の形は共に[von]に従い無冠詞複数3格形である。[Opfer/Ppfern]に「供犠」の語をあてて試みに訳すと「わたしが供犠と、蜂蜜供犠と言ったのは、単に語りの上でのたくらみに過ぎなかったのだが、そんな愚かなたくらみも、実際、役に立ったのだ!」というぐらいになるだろうか、その有益さは、ひとりで山上にいれば(洞窟の前などより)よりのびのびと語れる(freier reden)、ということだったのだろう。
次の、
Was opfern! Ich verschwende, was mir geschenkt wird, ich Verschwender mit tausend Händen: wie dürfte ich Das noch—Opfern heissen!
も注意深く読まなければならない。試みに訳せば「何を供犠に捧げるというのか! わたしは、自分に贈られるものを浪費するのだ。このわたし、千の手をもつ浪費家は。どうしてわたしが供犠という行為に、---その上それを供犠を捧げるなどと呼ぶことに堪えられるだろうか!」というぐらいになるだろうか(*2)。Zaは神々に犠牲を捧げるという気持ちで「蜂蜜の供犠」を供えるわけではないのである。それでは何のために? 一言で言えばそれは餌(Köder)として、釣りの餌、狩りの餌として供えるというのである。彼の動物たちに蜂蜜を集めさせた時にも、ほんとうは獣や鳥をおびきよせ、舌なめずりをする「餌」として用意させただけだったのである。そしてそのように餌を供えることによって見えてくる世界を、猟師にとっての世界と対比してニーチェは次のように述べる。
> Denn wenn die Welt wie ein dunkler Thierwald ist und aller wilden Jäger Lustgarten, so dünkt sie mich noch mehr und lieber ein abgründliches reiches Meer,...
(というのも、世界が暗い動物の森で、すべての野生的な猟師たちの快楽の庭であるならば、わたしにとっては世界はむしろはるかに深い深淵をなす豊かな海であると思えるのだ。|拙訳)

世界は、神々も釣りをしたり網を投げたりしたくなるような、色とりどりの魚や蝦や蟹の類のたっぷりといる海であり、そのように世界は大小の驚くべきものに満ちているのだ(so reich ist die Welt an Wunderlichem, grossem und kleinem)とZaは見る。第四部は海の深淵からそのような驚くべき者たちを釣り上げるZaの深海漁の章になるだろう。



==========

*1) この[geleitet]は[leiten](導く)の過去分詞と考えるより[geleiten](お供をする)の過去分詞と考えた方が通りが自然になるだろう。
*2) この文の[wie]以下だが、読解には注意が必要である。まず大書される[Das]は指示代名詞で、先行する[was opfern](何かを供犠に捧げる)という行為を指す。[noch]の手前までを訳せば「どうしてわたしが供犠を捧げる行為に堪えることが出来ようか」という意味になる。そしてそこにさらに付加を示す[noch]が加わり、さらにダッシュに続いて付加される当のものが示される。それが[Opfern heissen]である。ここまで来れば[wie dürfte ich Das noch Opfern heissen!]という、[noch]の後に不定詞とその目的語の補語をともなって完成した文の形が見えてくる。ここで[heissen]は他動詞で[Das]をAkkusativ(4格)の目的語とし、[Opfern]をその4格目的語の述語補足語(Prädikatsakkusativ)としていると考えなければならないが、その4格の述語補足語は名詞の場合それもまた4格名詞になるということに注意しておかなければならない。ということはここで[Opfern]は4格だということなのである。しかし名詞[Opfer]は単複同形であり、[Opfern]という形をとるのは複数3格の場合のみである。とすればこの[Opfern]は[Opfer]の複数形ではないということである。とすればどう考えればいいのか? 答えはこの[Opfern]は動詞[opfern]を名詞化して大書したものと考えるべきだということである。だからこの[Opfern]は十分に動詞的な意味を込めて理解しなければならない。手塚富雄は「どうしてそのことを---供え物をするなどと呼ぶことができよう」(2002年、中央公論社)と訳すときこの細かな意味の違いを大変的確に捉えているように見える。

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