《小さな耳と繊細な耳 『ツァラトゥストラ』を読む》

瀬谷こけし

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 ニーチェの思考の中の「小さな耳」については、ドゥルーズが取り上げたこともあったからなのか、かなり知られている。それは『ディオニュソス頌歌』(Dionysos-Dithyramben) のなかの「アリアドネの嘆き」(Klage der Ariadne) の
 

 Sei klug, Ariadne!...
 Du hast kleine Ohren, du hast meine Ohren:
 steck ein kluges Wort hinein! –


に言われていることだ。ここを簡単に訳しておくと「賢くなれ、アリアドネ! /お前は小さい耳をもっている。おまえはわたしの耳をもっているのだ。/賢い言葉をひとつその耳の中に入れておけ!」というところだ。
 しかし『ツァラトゥストラはこう言った』第四部の「酔歌」(Das Nachtwandler-Lied) 4にはそれと少し違った、しかしより深い言葉が見いだせる。そこをまず氷上英廣訳で紹介しておく。
 

> ---時は近づいた。おお、人間よ、「ましな人間」よ、しかと聞け! このことばは良い耳のためのもの、あなたの耳のためのものだ、---深い真夜中は何を語るか?(岩波文庫)。
  
ツァラトゥストラは良い耳のもちぬしであろうと想定される「ましな人間」たちのひとりひとりに対して、深い真夜中が語ることをしっかりと聞けと命じているのである。だがここのところ原典はこうである。
 

 --- die Stunde naht: oh Mensch, du höherer Mensch, gieb Acht! Diese Rede ist für feine Ohren, für deine Ohren --- was spricht die tiefe Mitternacht?  (KSA, Bd. 4)
 

 拙訳を示しておくと、
 

> ---時が近づいている。おお、人間よ、お前ましな人間よ、注意して聴け! この語りは繊細な耳のためのもの、お前の耳のためのものだ、--- 深い真夜中は何を語る?
 

ここで「深い真夜中の語ること」(was die tiefe Mitternacht spricht)と「このことば」(diese Rede)(拙訳では「この語り」)は同一のことを指していると考えられる。真夜中が何かを語る、何事かを語る。そしてそれをツァラトゥストラは、その響きの通り、ましな人間たちに語る。ましな人間は自分の耳で真夜中の語ることを聞き得るのか? ただ繊細な耳(feine Ohren)だけが、真夜中の語りを聴き取りうるのだ。ツァラトゥストラのように。そんな耳をましな人間たちは備えているのだろうか? アリアドネのもつ「小さな耳」(kleine Ohren)はディオニュソスの耳であると言われている。また聴くべきものもいくらかは違う。『ツァラトゥストラ』において問題なのはまさしく真夜中そのものが語ることなのだ。それは秘密に満ち、危険に満ち、そして暖かさに満ちている。その真夜中がする語りは、永遠回帰の思想のもっとも深い選別の働く場所でもある。つまり、聴き取れない耳は、暗い(昏い)ところにとどめ置かれる。最大の危険もここにある。それゆえにこそ「注意をはらえ!(gieb Acht!)」、と言われている。それは「用心せよ」でもあるのだ。