《同志社最終授業 今出川》

瀬谷こけし

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 同志社での授業が終わった。来年度からはもうわたしの授業はない。水曜日は受け持ちが5コマ目、6コマ目なので終わると夜になる。どうやって帰るかを考えながら、構内の美しい夜景を楽しんで、出町柳まで歩いて帰ろうかとも思ったが、コーヒー豆を買っておく必要があって、それには宝ヶ池のコンビニがよいので、地下鉄で帰ることにした。ベンチで一枚だけ夜景を撮った。それから駅に向かうとあのラーメン屋が目に入り、寄って食べて帰ろうと思ったが、やはり行列なのであきらめた。そして駅の近くの壱番屋でカレーを食べて帰ることにした。これも最後だからのちょっとした贅沢。
 こともなく食事を済ませ、こともなく地下鉄で国際会館まで行き、いつものとおり宝ヶ池通りを歩いて帰った。と突然、昨日も田辺校地の帰りの駐車場で、第九の第三楽章の旋律が浮かんできたのだが、それがまた浮かんできて、その音楽の慰めに気づいていた。ベートーヴェンも終わりの近づきをひしひしと感じながらこの曲を作っていたに違いない。先週の今日(水曜日)は帰路この同じ道を歩いていると『ドイツレクイエム』(ブラームス)の「Ich will euch wiedersehen..」の曲と歌詞が浮かんできたのだった。曲中でどういう意味合いで使われていたかはまったく思い出せないが、先週のわたしの意識の中では「euch」は学生たちで、これまで教えてかかわったすべての学生たちのこと、とりわけドイツ語を教えることでかかわった学生たちだ。また会いたいと。それだけ充実した満たされた授業だったのだ。できるならば繰り返したいと思うような。
 さすがに今出川での授業はここ数年だけのことなので、田辺で教えた経験の方が重さも思い出すことも多い。今出川では、「ドイツ語応用」を担当することが多くなって、その中では素晴らしい力をもった学生いつも少なからずいた。田辺でもヘッセの『樹木』を講読して、実際の大樹を見に学生たちを木津川に連れて行ったこともあるので、そのころも「応用」の授業はもたせてもらっていたのだ。
 今日も「応用」の最終授業で、先週の期末試験の採点結果の報告と、テストの詩(ヘルダーリンの「春」1828年5月)の解説をした。今年の学生の読解力は著しく下がっている。もう少し頑張れば自力で読めるようになるだろうという学生が三十人中の数名(内一名はあとほんの少しで自力で読めるようになる)。これは間違いなく文法の授業をしなくなったためだ。文章を文法的に詰めて読むという練習がなく、その前提となる知識すらなく、思い込みで自分のファンタジーの世界を作り上げてしまうのだ。70分の試験時間に全精力を傾けて読んで、まったく原詩とは縁もゆかりもないような言葉の連なりを作り上げてしまうのだ。その無駄になった精力を救えないのか? 詩は自分の感覚でそれぞれに理解して読んだらいいという人がいるが、これは大変な誤解で、誤読はそれぞれに様々に無数にでもできるが、正しい読みはほとんどただ一つしかないのだ。詩人は、自分の詩想が誤解なく伝わるように細心に心を尽くし技を尽くして言葉を織りあげる者なのだ。詩人の施した細心の配慮を礼儀を知らぬものが土足で踏み散らすようなことは詩の読解でもなんでもない。コンマの位置一つにも細心の注意を払わなければ詩は読めない。そのためには正規の文法を踏まえておくことが欠かせない。外国語について文法規則の習得をおろそかにする教育は人文学を殺し、過去の人類の宝を殺すものでしかないだろう。そういう教育にたいしては過去の宝を尊重する教育の豊かさを実践的に示し続けてゆきたい。



《同志社田辺での最終講義が終わった》

瀬谷こけし

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 最後の数年はほとんど今出川での授業で、最後の今年だけ田辺でも一コマ授業をもたせてもらった。27年、自宅も滋賀県から京都市に変わり、通勤の経路もいろいろと変わった。最近は第二京阪の側道で行くことが多くなったが、その前は24号線を主にしていた。滋賀県のころは京滋バイパスで往き、帰りは信楽越が多かった。27年は長い。心は残る。いちど家人を連れてきて、ここで授業をしていたのだと伝えておきたい。
 今日の最終授業は、今年の田辺での授業で一番楽しい授業になった。使った材料はFerdinand von SchirachのHörspiel ≪Der Fall Collini≫(『コリーニ事件』)。ラジオドラマのようなものだ。その冒頭部分のCDを聞かせ、そのトランスクリプションを作ってその一部を空けて下線にしておいてそこを埋めよという問題だ。はじめは何もわからずため息ばかりだった学生たちが、何度も聞かせ、ヒントも与えなどしてゆくと、18カ所の空白の内10カ所以上が正しく埋まるようになっていった。そしてドラマの運びもよく掴めるようになっていった。教科書だと、[Darf ich …?] とかも[antworten]とかも学習しないので使えないし事実上学ばせることもできない。そうした悩みも今日の授業では解消することができた。学生たちもみな素晴らしかったと思う。そして彼らには、今日がわたしの最後の授業になるということは伝えなかった。明日の今出川での授業が、わたしの同志社での最後の授業になる。田辺での授業はいつも知真館だった。

《ヘルダーリンの「春」1828年5月》

瀬谷こけし

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 (現代語綴の)原文と拙訳、そして参照訳。(手塚富雄さんのヘルダーリンの翻訳には学ぶところが多い)
 誤訳等がありましたらお知らせいただければ幸いです。[wenn]と[dann]の同時性にこそこの時ヘルダーリンが掴み取った充実が示されているように思います。


 Der Frühling (Hölderlin)

Wie selig ists, zu sehn, wenn Stunden wieder tagen,
Wo sich vergnügt der Mensch umsieht in den Gefilden,
Wenn Menschen sich um das Befinden fragen,
Wenn Menschen sich zum frohen Leben bilden.

Wie sich der Himmel wölbt, und auseinander dehnet,
So ist die Freude dann an Ebnen und im Freien,
Wenn sich das Herz nach neuem Leben sehnet,
Die Vögel singen, zum Gesange schreien.

Der Mensch, der oft sein Inneres gefraget,
Spricht von dem Leben dann, aus dem die Rede gehet,
Wenn nicht der Gram an einer Seele naget,
Und froh der Mann vor seinen Gütern stehet.

Wenn eine Wohnung prangt, in hoher Luft gebauet,
So hat der Mensch das Feld geräumiger und Wege
Sind weit hinaus, daß Einer um sich schauet,
Und über einen Bach gehen wohlgebaute Stege.
 

  (拙訳)

なんという喜びだろう、人が満たされて広野を見まわる時が
ふたたび明けてくるのを見ることは。
その時人々はたがいの様子をたずね、
よろこばしい生へとたがいを形づくってゆく。

天空はアーチをつくり、のびのびと広がっている、
そのように歓びはそのとき平原にそして屋外に生まれる。
その時心(ハート)は新しい生へとあこがれ、
鳥たちはうたい、唱和をもとめて叫ぶ。

しばしばおのれの内なる問題を問うていた人間は、
そのとき生についてひとと話し、そこから話がすすむ。
その時悲嘆はたましいを齧ることなく、
そして快くおのれの築いてきた財の前に立つ。

空のなか高くに築かれた住居が光に輝くとき、
人はそのように輝く野をより広々ともち、そして幾本もの道が
遠くへ開けてゆく、---そうしておのれの周りをうち眺める者があり、
小川の上には立派につくられた橋が何本もとおっている。


===(参考)==========
手塚富雄訳(『ヘルダーリン全集』河出書房新社、S.47,第4版)

 

なんという喜びだろう、人が楽しさを湛えて
広野を見まわす季節の来たことを見るのは。
そのとき人々はたがいの身についてたずねあい
よろこばしい生へといそしむのだ。

天空がひろやかな穹窿をつくるときには
野に 戸外に 喜びはうまれる、
心があたらしい生をあこがれ
鳥がうたい、うたいながら叫ぶときには。

いくどかおのれの心に問いをかけてきた者も、
生について語りはじめ ことばは湧くのだ、
憂苦が心を噛まず、おのれの土地の前に
かれがよろこばしく立つときは。

ひとつの家が空高く築かれてかがやくとき、
人に野はひろがり 道は
遠く走って あたりを眺めやるひとりの者がある、
そして小川にはよくつくられた橋がかかっている。


ヘルダーリン全集〈第2〉詩 (1967年)
ヘルダーリン全集〈第2〉詩 (1967年)

《大原へ》

瀬谷こけし

《大原へ その一》
 大原に行った。いつものようにまずは「里の駅」に玉子や野菜を買うために。「里の駅」では品物の配列法を変更していて、これでは人が多い時には奥にとても入りにくくなるので、またすぐに変更することになると予想する。そして買い物をバイクの後ろのケースに入れて、それからカメラバックだけをもって近くを歩く。あるけばおのずから撮りたい「景」が見えてくる。見えてきたものが撮れるかどうかはまた別問題だが。今日はSonyのNEX-7というAPS-Cサイズのカメラを持って行った。35mmフルサイズだと、デジタルカメラのメリット(小型化)が減ってしまうと思って、つい最近までフルサイズのカメラを一台も持たなかったのだが、ミラーレス一眼の時代になると、それによって新しくできるようになったことを確かめたくなる。まず第一に喜ばしいのは、昔のフィルムカメラに使っていたレンズが、アダプターを介して使えるようになったことだ。それによって随分表現の幅が広がるというか、映像の美学のニュアンスが大いに豊かになった。それで今日持って行ったのは、昔コンタックスに使っていたゾナー2,8/135mmのレンズ。これがだいたい昔の200mmレンズに相当し、また近接撮影もかなり有利になる。
 もうひとつ、前回α7Rを持って行った時は、1/8000秒までの高速シャッターが使えたが、NEX-7だとそれが1/4000までだ。それで今回はこの1/4000秒写真術を試してみることにした(1/8000秒で撮った前回は、色の出に不自然を感じるところがあったのだ)。それで撮った写真、まず10枚。結果は上々。

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《大原へ そのニ》
 道具も状況も前と同じ。言い忘れたのは、18-55mmの標準ズームも使っているということ。調べればどれがどちらのレンズで撮ったかはすぐわかる。続いて後半10枚。時々陽光が漏れ差すようになった。

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《机の上雑景》

瀬谷こけし

 7年前ほどにできた中古のカメラを手に入れた。そのテスト撮影をしていたのだが、そこに写るわたしの机の上(onとover)の景色は雑景と呼ぶほかはない。しかし見ていると、これらものものがないとわたしの生活は成り立って行かない。必要不可欠なものたちが写っている。7年前のカメラだからもう部品も切れようとしているところだろう。写真やカメラというものの7年前の水準にわたしの理解がやっと達したということだ。すさまじく変わった。すさまじく高水準になった。このメカニズムがあればこそ撮れるあるシーンを撮りたいと思ったのだ。考えて見れば今まで常用していたカメラにもその装備は(例えば1/8000秒のシャッター)ついてはいたのだ。だがその瞬息によってしか、その瞬息の切っ先においてしかとらえられないシーンをいままでわたしは撮ろうと思ったことがなかったのだ。ことしはきっとわたしの写真生活にも新しい世界が始まる。


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