《羚羊すら行く道を失うところ…:ニーチェの1876年夏の詩》

瀬谷こけし

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 もう三年半という少し昔の話になるのだが、わたしがタウテンブルク(Tauntenburg、ドイツ・チューリンゲン州)にいって4泊した時、そこのある案内板に記されていた詩のことなのだ。その案内板によればニーチェは1876年夏に創ったこの詩をルー・フォン・ザロメ嬢に捧げたということなのだ。まずその詩を写真とともに紹介したい。

Sommer 1876

>Nicht mehr zurück? Und nicht hinan?
>Auch für die Gemse keine Bahn?

>So wart‘ ich hier und fasse fest,
>Was Aug‘ und Hand mich fassen lässt:

>Fünf Fuß breit Erde, Morgenroth,
>Und unter mir – Welt, Mensch und Tod.

>Meiner Lieben Lou. – Sommer 1882

 訳してみると:

1876年夏

>もはや戻れないのか? そして登ってゆくことも?
>羚羊にとってさえ進む道はないのか?

>そこでわたしはここで待ちしっかりと掴む、
>目と手がわたしに掴ませてくれるものを:

>五歩ばかりの広さの大地、朝焼け、
>そしてわたしの下には---世界、人間、そして死が。

>わたしの愛するルーに 1882年夏
(拙訳)

 この詩で興味深いのは羚羊(Gemse)を引き合いに出しているところだ。かなり知られていることだと思うが、羚羊は人間には素手ではとても不可能なほどの絶壁でも、道をみつけて登ってゆく生きものだ。ここでニーチェは絶壁の途上の小さな平にたどり着いたものの、もはや下に戻ることもできず、上に登ることもできない状態を語っている。そしてそこでこの状況を目と手でもって細心に捉え、掴むことのできるものを見出してしっかりと掴み、把握しようと心を決め実行するのである。わかる人は分かるだろう。できることは他にない。
 この詩をルーにプレゼントするとき、それはニーチェが今置かれている状況を彼女に示すということが一つにはあるだろう。たやすい安定した場所にいるわけではないのだ。だがもう一つ、この詩をルーに捧げることには、お前もこの場所に来て、羚羊ならば見出せるかもしれない道を協働で見つけ、一緒に登ってゆこうという誘いがあるだろう。伊東静雄の「冷たい場所で」をさらにひとまわり明晰にしたような詩だと言えるだろう。

 やや細かい話だが、この詩の1876年のテキストをわたしはまだ発見できていない。しかし1882年夏のノートには、この詩のタイトルと強調の有無、コロン/感嘆符の違いの点でわずかに違った詩を見出すことができる([1 = N V 9a. N VI 1a.]、I[105];KSA, Bd.10, S.35)。それを紹介しよう。

I m G e b i r g e.
>  (1876.)

>Nicht mehr zurück? Und nicht hinan?
>Auch für die Gemse keine Bahn?
> **
>So wart‘ ich hier und f a s s e fest,
>Was Aug‘ und Hand mich fassen läßt!
> **
>Fünf Fuß breit Erde, Morgenroth,
>Und u n t e r mir – Welt, Mensch und -- Tod.

 このテキストには杉田弘子の訳があるので紹介しておく(白水社版全集第II期第5巻)。

山にて(1876)

>もはやひきかえせぬ? そして登ることもできぬ?
>カモシカにも道はない?
>    **
>それでは私はここで待つ、そしてしっかりつかまえるのだ、
>目と手がわたしにとらえさせるものを!
>    **
>五尺の大地、曙の光
>私のには--世界、人間そして—死。

 この訳はどうだろう。わたしにはよく理解できない。「fassen」は「つかまえる」というより「つかむ」ではないか?




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