《アレッサンドロ・スカルラッティの「Folia」》

瀬谷こけし

 「Folia]はポルトガル語で「大喜び」の意味だそうだ。作曲者のアレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)はドメニコの父。この曲の最後の方の振動的な連打を聞くと、この音楽語法はドメニコの音楽に中核となって受け継がれているように感じる。あの同音連打の眩暈のするような音響空間! 神的なものに接続したゆえに生まれる歓喜なのだろう。それは同時に狂気でもあるようなもの。


Alessandro Scarlatti - Folia - antichi organi
https://youtu.be/d_bIfqIKgbU




 これは「Folia」と名付けられたものではないが「霰走り」とでも呼びたいような共通の音楽語法が感じられる。あるいは父アレッサンドロの方が子ドメニコ以上に伸び伸びと危ないところに走って行っていたのではないだろうか。「チェンバロのためのトッカータ」。
Alessandro Scarlatti Toccatas for Cembalo
https://youtu.be/PvQUesVmZvQ







スカルラッティ:ソナタ選集
ワーナーミュージック・ジャパン
2000-06-21
ロス(スコット)

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《夕暮の階調/上高野》


瀬谷こけし

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 散歩にというよりはケチャップやマヨネーズや酢を買いに出かけたのだが、細い橋を渡る途中、瓢箪崩山のひとところの葉群れのオレンジ色にふとコンデジカメラを取り出して撮ろうとしたがどうにもうまくゆかない。感度を最高にすると解像力がめちゃくちゃ悪くなるし、露出のコントロールも正常に働かない。結局使える写真は一枚も撮れなかった。感度を一段下げれるようになってやっと何とか動くようになったが、光の乏しいところではコンデジでは苦戦する。
 帰路、東の空の一部がにぎやかになって、それからあっという間に月が出てきた。と言ってもカメラはなかなか月にピントを合わせてくれない。仕方がない。今年もあとわずかになった。



《ニーチェの「墓の歌」》

瀬谷こけし

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 ニーチェのこんな表現はどうだろう。『ツァラトゥストラはこう言った』第二部の「墓の歌」(Das Grablied)の中のものだ。

> …meine Feinde! Machtet ihr doch mein Ewiges kurz, wie ein Ton zerbricht in kalter Nacht! Kaum als Aufblinken göttlicher Augen kam es mir nur, --- als Augenblick!
(Zar II, Das Grablied, KSA)

上掲文中の人称代名詞 [ihr] は前文の [meine Feinde] を受け、[es] は [mein Ewiges] を受ける。
 そこのところ、幾つかの日本語訳を紹介しよう。

> わたしの敵たちよ! 〔中略〕あなたがたはわたしの永遠なもののいのちを縮めてしまった。それは、夜寒が急に来て、いままで聞こえていた楽の音が絶えたようだった! それは神的な眼がちらとわたしのほうにむかってひらめいたというだけだった。文字どおり---瞬間だった! ①
(氷上英廣、岩波文庫)

> わたしの敵たちよ! けだし、きみたちは、寒い夜なかに物音が砕けるように、わたしの永遠的なものを束の間のものたらしめたではないか! この永遠的なものがわたしに来るや、ただわずかに、神々しい両目のまたたきとしてにすぎなかったのだ! ②
(吉沢伝三郎、ちくま学芸文庫)

> わたしの敵たちよ、〔中略〕おまえたちはわたしの所有した永遠的なものを短くしてしまったのだ。まるで一つの楽音が寒い夜空にくだけて消えるように。それは、神々しい目のつかのまの輝きよりも短く、ただ瞬間として、わたしの所有であったのだ。 ③
(手塚富雄、中公クラシックス)

 大意は以上の訳から汲み取れるだろう。できるだけ逐語的に記すなら、[mein Ewiges](わたしの永遠のもの)を [meine Feinde](わたしの敵たち)が [kurz](短く)してしまった。あたかも [ein Ton](ひとつの音)が [in kalter Nacht](寒い夜のなかで) [zerbricht](壊れる)ように、というのだ。そしてその [mein Ewiges = es] (わたしの永遠のもの)は [kaum](かろうじて)わたしのところに [nur](ただ) [göttlicher Augen](神的な眼の)[Aufblinken](閃光) としてやってきた(だけ)というところなのだ、--- つまり[Augenblick](瞬瞥-瞬間)として! というところだろうか。

 この文章はニーチェの中でも際立ってデリケートな文章ではないだろうか。難解な表現に満ちている。まずは (1)「[mein Ewiges](わたしの永遠のもの)」である。これをどのように捉えたらよいのだろうか。次いで、そして最も神秘的な表現が(2)「 [ein Ton](ひとつの音)が [in kalter Nacht](寒い夜のなかで) [zerbricht](壊れる)」というところである。夜中に水が氷結してグラスが割れるとうならわかりやすいが、そういう暗喩の表現ではないだろう。そして最後の(3) 「[Augenblick](瞬瞥-瞬間)として!」も簡単にはゆかない。誰の [Augen] であり [Blick] であるのか。単に「瞬間」と訳して済ましていられるものではないだろう。

 これらの問題を考えていてわたしは山中智恵子の次の歌に思い当った。

> 瞬息のこころそそぐとたまひてしからくれなゐや眼閉ぢ思はむ
      『虚空日月』

もみじの景色のなかあたかも永遠なる天から一瞬わたしにそそがれた心、その貴さ、それを歌った歌と見える。
順々に見てゆこう。

 そもそもまず [meine Feinde] をどう訳すかという問題だが、ここはむしろ、わたしに仇なす者たち、わたしに敵対してくる者たち、という捉え方の方が適切なのではないだろうか。彼らがわたしの[Ewiges](永遠のもの)を [kurz](短く)してしまったのだから。短くした能動的行為者はわたしではなく、彼らなのだから。ここは「わたしを敵とする者たち」と訳す方がニーチェの思考の流れにふさわしい。そして(1)「わたしの永遠のもの」についてであるが、これについては、とりあえず安易に何と考えるわけにもゆかない。わたしはそれをニーチェの「最も魅惑的な夢」と考えたいのだが、それについては後で述べる。

 最大の問題は(2)の「一つの音」(ein Ton)でありそれが「壊れる」(zerbricht)という表現である。これは「わたしの永遠のものが短くされる」という経験の比喩として導入されている表現である。ここは吉沢のように「物音が砕ける」②と訳しても何ら明確なイメージを与えてくれない。また手塚のように「一つの楽音が寒い夜空にくだけて消える」③と「夜空」を持ち出して、さらに [zerbricht] を「消える」にずらしても、「永遠のもの」を「楽音」と言い直しただけで、その壊れ方について何のイメージも与えてくれない。それを言うのならニーチェは動詞に[zerbrechen]ではなく[schwinden]なり[verschwinden]なりを使っていただろう。ここは[wie ein Ton zerbricht in kalter Nacht!]と直喩を使って表現されているのだから、喩の方に、明確なイメージが委ねられていると取らねばならない。問題は「ひとつの音」の方である。それは(敵対者たちに)短くされるのであるから、壊されるまでツァラトゥストラの頭の中で鳴っていた音に違いない。氷上が「いままで聞こえていた楽の音が絶えたようだった!」①と訳すのはこの点で適切である。そして[in kalter Nacht] である。ここでは [Nacht](夜)が無冠詞で使われている。「ある寒い夜」に壊れるのではない。もちろんあの寒い夜に壊れたのでもない。「寒い夜のなかで」壊れるのである。ここは氷上①の「夜寒が急に来て、--[中略]--聞こえていた楽の音が絶えた」ということとも違う。あえて言うなら「ひとつの音が寒い夜の中で(何かが来て)壊れた」のである。壊したものが何かはわからないが、それは急に来た夜寒ではない。それが何かを言うことができない出来事によって、寒い夜のなか、ひとつの音が壊れるのである。こう訳せるだろうか。「いままで頭のなかで聞こえていたひとつの音が、寒い夜のなか、壊れ消えるように!」と。

 「ひとつの音」とは何か。それはニーチェの思考においては、[der entzückendester Traum meines Lebens](わたしの人生の最も魅惑的な夢)(ルー・フォン・ザロメの日記、1882年8月14日)と言うべきものではないだろうか。その夢は半年ほどで壊れるのである。おそらく1882年11月のライプチッヒで。これこそがニーチェの頭のなかで聞こえていた「ひとつの音」であり、短くされてしまった「わたしの永遠のもの」なのではないだろうか。

 (3)の神的な眼の閃光としてわたしのところのやってきたものもまた、「最も魅惑的な夢」と別のものではないだろう。しかしここでは神的なものにはディオニュソスという名がふさわしいであろう。ルーを通じて束の間ニーチェは神的な者の眼の輝きが見えるようになる。山中智恵子は、自分に、「からくれなゐのもみぢ」を通じて「こころをそそぎ与え」てくれた者の名をいわない。それは瞬息の出来事なのである。ほっと息をつくひと時の出来事なのである。ニーチェが[als Augenblick!] (瞬瞥・瞬間として)と記す時、この[Augen]、この[Blick]が誰のものであるか曖昧にしておいてはいけない。それは「ディオニュソス」の眼であり「ディオニュソス」の瞥見なのである。ディオニュソスについては改めて説明しなければならないが、ここでニーチェはディオニュソスと呼ぶべき神的な者の一瞥に会ったという出来事を語っているのである。

 最後に、上掲の箇所を再掲しその拙訳を示しておこう。 

> …meine Feinde! Machtet ihr doch mein Ewiges kurz, wie ein Ton zerbricht in kalter Nacht! Kaum als Aufblinken göttlicher Augen kam es mir nur, --- als Augenblick!
(Zar II, Das Grablied, KSA)

> わたしの敵対者たちよ! わたしの永遠のものをお前たちが短くしてしまった。あたかも、いままで聞こえていたひとつの音が、寒い夜のなかで壊れて、消えるように。そしてそのわたしの永遠のものは、かろうじて、わたしのところにただ神的な眼の閃光としてやってきただけなのだ、--- つまり瞬瞥-瞬間として! 
(拙訳)



《霧立つ比叡山麓の村20181220》

瀬谷こけし

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 木曜日はいつも一番ほっとする日だ。水曜日は夜8時まで授業があって疲れて家に帰るが、その後でまた授業報告もしなければならないので、いつも寝るのが朝4時ぐらいになる。昨夜は報告の前に少し録画していたテレビドラマを見ていたりしたので、寝たのはもう朝の6時をまわっていた。それで安心して眠って、目が覚めた時何時だかわからなくなってしまっていた。それでも確かめたら12時前だったので、そう寝すぎたわけでもない。それから朝昼兼食を食べて、支払いの為に銀行周りに出る前に一通だけ葉書を出すために近くのポストに行った。そして帰路はたいていほんの少しだけ散歩をする。できるだけカメラを持って出るようにしているが、つい先日艶に美しいなと思った枯葉に近い紅葉の群れもすでに時季が過ぎていて、あの美しさはもうなかった。代わって今日は「霧立つ比叡山麓の村」の趣の景色。こんな景色は金剛山麓なら金剛山麓なりにしばしば味わえる趣なのだろうと思うが、こんな景色の味わえるところに住んでいることは幸せなことの一つなのだろうと思う。この写真が午後3時手前のものなのに少し驚く。

《上田閑照先生にお会いしてきた》

瀬谷こけし
https://youtu.be/U14BU33v0wY
Panikguru Udo Lindenberg - Alles klar auf der Andrea Doria (feat. Panikorchester)



 友人と宇治の方にお訪ねしてお目にかかってきた。先生は広い部屋で『八宗綱要』などを広げて読んでおられた。長くご無沙汰してきた。わたしは問われるままにお答えしていた。わたしが京都造形芸術大学を定年で退職をしたということをお伝えしたら、もうそんな歳かと驚かれていた。そしてご自分がすでに92歳であるということを少し考えておられるようだった。70歳だと思ったらもう80歳で、80歳だと思ったらもう90歳になっていた、と、時の過ぎ去ることのなかにある不思議をそんな風に語っておられた。ご自分自身はほとんど変わることもないのに年齢は瞬く間に増えていって、ともかく今92歳であることは事実なのだと。
 わたしはここ4年ほど、1882年を中心にニーチェの足跡をたどっていることをお話しした。とりわけルー・ザロメとの関係と、『ツァラトゥストラはこう言った』の執筆の場所に焦点を当てて。ジルス・マリーアで経験した雷が、『ツァラトゥストラ』のなかに響いていると感じられると言った時、先生にも感じられるところがあるように見えた。スイスの高地での雷や稲妻の特別なとどろき。「超人」と「稲妻」とのイメージの深い関わり。わたしが『ツァラトゥストラ』理解のために跡をたどっていることがしっかりと意味あることだと理解して下さったように感じた。一昨年ナウムブルクから絵葉書をお送りして以来生にお目にかかる機会も、文書をやりとりすることもなかった。だが先生にこのように理解していただけるのはとてもうれしいことだった。そして先生の学問の方法からわたしが最近やっと身につけることができてきたやり方を語り、それに敷衍して説明され、それが大事なことだと語ってくださった。哲学の仕事の要点がそこにあると。テキストの最重要点の押さえとそれへのまっすぐな応答として自分の思考の根底をそれにぶつけて形成してゆくという行為のことだ。わたしはやっとそれを身につけることができ、そして通信教育の授業でも学生にその作業をさせることを要として指導してきたということをお伝えした。わたしは上田先生のお仕事から自分の仕事のやりかたを学びえたのだ。
 そしてもう一つ、具体的に『善悪の彼岸』56番でニーチェが記している〈circulus vitiosus deus〉を「悪循環の神」などと訳すことは誤りで、ここはまずラテン語文法的に正しく「悪循環・神」と置いた上で、「悪循環が神である」と読むか「悪循環即神」と読むかどちらかを考えなければならないということが今年の日本宗教学会でわたしが発表したことの要点の一つだが、これが、以前大学院生の時、演習での発表で、わたしが正確に解釈せずに使っていたこの表現を、この表現は世に普通訳されている「悪循環の神」ではなく「悪循環・神」と読むところから始めねばならない指摘して下さったのが先生だった。やっとその先生のご指導を生かして思考を進めることができたのだ。その発表要旨をお見せしたところ、10センチ近くある読書用虫メガネを使って、部分を真剣に読んで下さり、その要旨を受け取ってくださった。
 どんなにうれしいことだっただろう。

 あまりお疲れになられてもいけないと思って、四五十分で失礼したが、ほんとうにありがたい時間をいただくことができた。

(上掲のUdo Lindenberg の歌は、3年前のイタリア旅行で訪れ迷ったジェノヴァの「Andrea Doria通り」の縁で。先生にお会いした後同行した友人とある喫茶店でそんな話をしていた)



《今日は赤比叡》

瀬谷こけし

赤比叡
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こちらは瓢箪崩山
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 今日は晩秋の好く晴れた日で、夕方は赤比叡が見えた。思い浮かんでいたのは伊東静雄の「晴れた日に」。
 夕方は赤山(禅院)の方まで少し散歩に出た。修学院離宮のそばを歩きながら、後水尾天皇の名が出てくるまで3分もかかった。ここ十年、記憶力は衰えてゆくばかりだ。


《紫式部の歌のなまおぼおぼしきことと朝顔》

瀬谷こけし

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 『紫式部集』に「方たがへにわたりたる人の、なまおぼおぼしきことありて、帰りにける早朝、朝顔の花をやるとて」との詞書をつけた次の一首がある。

> おぼつかなそれかあらぬか明け暗(ぐれ)の空おぼれする朝顔の花  (4)

「明け暗(ぐれ)」を「明け暮(く)れ」とあてるのは誤りで、これは南波浩のように「夜明け前のうす暗いころ」と解するのが間違いなく正しい。そう解さなければ「空おぼれ」する「時」が定まらなくなってしまう。「おぼつかな」は「その真意がわかりません」と問いただす趣だろう。たしかになにごとかはあった。「それ」である。ここの「それ」は、対称(あなた。お前)を指すと考えてしまうと、話が大雑把になりすぎて歌を遣る意味すらなくなってしまう。しかし「空おぼれする」とはどういう意味だろう? 「空とぼけをする」と解する向きが多いかもしれないが、「空」は「ぼっとして上の空になっている」と取って、「朝顔」を(「相手の(とぼけた)朝の顔」ととるのではなく)詠み手みずからの姿の比喩とることはできないだろうか。
 詞書の方であるが、「わたりたる人」と特に敬語もつけずに語っているのは、そうする必要があるともみえないからだろう。そして「なまおぼおぼしきこと」である。「おぼおぼし」は「朧朧し」であり、これは何事かをまさしく朧化して語っているのであるが、その前に(接頭語のように)つく「なま」の方には何かしら表現の著しさがつく。「なまに」は「なまな、半端な、未熟な、不十分な、生身の」などのニュアンスがあるが、ここは「半端でまたなまなましいこと」、「なまなましいがはっきりと言えないこと」であろうが、そのエッセンスは「本気がどこにあるのかわからない(なまみの)こと」というところにあるだろう。ここにも、作者紫式部のものごとをはっきりと認識しようとする性格が見て取れるであろう。
 この歌の「おぼつかなそれかあらぬか」には『伊勢物語』六十九段の斎宮の歌の「おもほえず夢か現(うつつ)かねてかさめてか」と共通するところがある。式部の歌のAか非Aかがはっきりわからないという思考の形式は斎宮の歌の問いの形式を包摂するが、斎宮の歌は「夢/現」の中間状態、「ねて/さめて」の中間状態を暗示的に示唆する。他方で式部の歌は「それかそれでない」かを明確に問い詰めるという形式を持ちつつ、肝心の「そこ」のところがはっきりとわからないという曖昧さの中に宙吊りにされた状態に思考が置かれてそのためにぼっとなってしまっているという状態を示す。ここでは思考停止状態から欲望への流れが生じているのである。朝顔につけた歌は単に相手を詰問しているわけではなく、欲望が流路を探してみずからを提示しているのである。詞書の「朝顔の花をやる」とはその意味であり、歌は朝顔であるみずからの姿を示しているのである。
 まずはこのくらいのことをわたしの読解としておこう。


*本稿は中野幸一「『源氏物語』の歌、紫式部の歌」、『日本歌人』2018年12月号(通巻747号)所収、にヒントを得て書かれたものです。

《しづの源氏語り 浮舟の物語に行ってきた》

瀬谷こけし

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 素晴らしい会で、聞くほどに源氏物語の要点がずんずんわかるようになってきた。そしてなぜ?と残る疑問も。疑問の第一は、源氏物語はなぜ物の怪を必要とするのか、だ。物の怪(もののけ)に関しては真実ではなく、禁忌を語らぬために使われている(許容される説明手段として採用されている)だけだという印象がぬぐえない。「手習」の浮舟の入水の物語がその代表だ。もう一つは、薫の「法の師とたづぬる道をしるべにて思はぬ山に踏み惑ふかな」(「夢浮橋」)という問いかけの歌に、きちんと返歌で返せない浮舟はわたしには魅力が乏しいように見える、ということ。後者の点は、紫式部が歌人としては第一級の場に達していないということを裏打ちすることではないかと思う。
 それにしても友家しづさんが、源氏物語の語り手として物語の隅々にまで心を行き届かせて読解されているということに、まことに感心した。源氏物語の語りの最高度に素晴らしいパフォーマンスであったと感じた。


《船形山にひかり降る》

瀬谷こけし

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船形山
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位山
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 小屋名の八幡神社(高山市)の後ろの方から山に入ってゆく道があった。大型の工事車両が何台か通っていた。この道は美女峠とは別の、もっと東側の、山越えの道になっているのではないかと思って、車で上って行った。するとほどなく美女高原という所に出た。ここは高山から見て美女峠の裏側のちょっとした観光地で、前にも来たことがあった。ボートの乗れる池もある。
 そこから東に向かって走る道があり、「飛騨農園街道」と名付けられていて、看板もあった。その道を行くことにした。しばらく農園らしいところが続いたが、それもすぐになくなって、山中の立派な舗装路というような道になる。それを走っていた。このあたりも美女峠と同じ時期に隆起したものなのだろう。いくつかカーブを曲がったところで左手に空が開け、山々が見えるところに出た。そして山々に、雲の薄くなったところから淡い光の束が降り注いでいた。激しい光ではないが穏やかで神聖感のある風景だった。山々は飛騨の山。この景色は縄文時代から変わらない景色。光降る山の一つが船形山だということはすぐに分かった。その右手には位山。船形山は縄文の昔から光降る山ではなかったか? 堂ノ上遺跡はその山の手前の麓にあった。
 そしてもう一つ気になったのは、船形山・位山の間の奥の方に見える山。後で地図で調べようとその山の方向だけ測っておいた。

 道はさらに行くと、乗鞍青年の家に行く途中の、(生井の下隣の)岩井の集落に出て、この道はさらに丹生川につながっている。

《帰路 近江富士》

瀬谷こけし

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 高山から京都に戻った。高速は彦根で下りて、そこから彦根城の前を通って湖周に出て、湖周道路で琵琶湖大橋まで行く。この道は開けた空の下を通り滋賀県らしい景色を味わえるのでかなり好みの道だ。近江富士ともよばれる三上山をよく知っている人なら遠くからでもそれとわかると思うのだが、一枚目の写真の電柱の支持線の後ろにごく小さく見える山がその三上山であることを、気にもせず、わからない人も多いのではないかと思う。だがちょっとアップしてみれば、この山の形に見覚えのある人も少なくはないはずだ。これが三上山だ。三上山が好きで、その近くに住んでいたことがあるので、見えそうなところに来ればどうしても探してしまう。もちろん琵琶湖ホテルからも見えるし、堅田の浮御堂からも見える。まあ近江八幡市に入ればかなり大きくなるので、たいていの人がそれと気づくものだ。滋賀県でもっとも形の美しい山ではないだろうか?
 夕方も近くなると、多分独特の湿気のせいで、さまざまな美しい光が味わえるのも琵琶湖をもつ県の他にはない魅力だ。こんなに光や景色の美しい県はなかなかないだろうと思う。また最近は「愛菜館」という野菜を中心に地元の産物を売っている市場に寄るのも楽しみの一つだ。新鮮なものがわりと安く手に入る。広くゆったりした店の構えや雰囲気もお気に入りだ。京都からではなかなか買い出しに来るわけにもゆかない。そこの駐車場からも美しい夕方の光が楽しめることが多い。

Nietzsche in Tautenburg mit Lou

瀬谷こけし

Nietzsche in Tautenburg mit Lou
-- am 25. August 1882 --
(ein poetischer Text)

Masatsune Nakaji



Vollzogen!
( was in monte sacro geträumt war... ).
Aber plötzlich kamen ihm heftige Kopfschmerzen.
Sorgend kommt sie um ihn herum wie eine Braut,
--- aber erfolglos.
Er kehrte allein nach seinem Logis.
Die Glocke läutete zwölf mit ungeheure geschwindigkeit.
Er notiert: Zu bett. Heftiger
Anfall. Ich verachte
Das Leben.


《大洞石---環境連動研究》

瀬谷こけし

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 今日は勉強会があってこれらの石が「大洞石」であることなどを勉強してきた(写真は二木酒造の入口の)。勉強会の後、「まちの博物館」の向かいにできた「まちの体験交流館」を下見してくる。「もんなし会(高山)」を毎年6月ごろの恒例の会にしたい。その主旨を考えていた。ドゥルーズをベースに「環境連動研究」を主旨にした会にしたい。1772年に高山ががらっと変わったということを今日の勉強会で福井重治さんから学んだが、その環境変動においてこそリズムが生まれるという事。飛騨と他の環境が、例えば1772年の高山と2018年の東チモールが環境連動する刺激を与えあいうるものにする場をつくること。京都の他に花巻や弘前や福島からも毎回ゲストを呼んでこれるような会にしたい。等々。
 夕方からはまた四人で飲み会。いつも刺激を受けることこの上ない。

《ニーチェの「神への永遠の鎮魂曲」(FW.125)への反歌》

瀬谷こけし

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 „Der tolle Mensch."というタイトルの“Die fröliche Wissenshaft“の第125番のアフォリズムの、とりわけ最後のラテン語《Requiem aeternam deo》への反歌である。その最後の箇所だけ、ドイツ語と日本語拙訳で紹介しておきたい。

>Man erzählt noch, dass der tolle Mensch des selbigen Tages in verschiedene Kirchen eingedrungen sei und darin sein Requiem aeternam deo angestimmt habe. Hinausgeführt und zur Rede gesetzt, habe er immer nur diess entgegnet: "Was sind denn diese Kirchen noch, wenn sie nicht die Grüfte und Grabmäler Gottes sind?" –

>さらにこんなことが語られている。このおかしな人間はその同じ日に、いくつもの教会の中に入り込み、そこで神のための永遠の鎮魂曲を歌いはじめたそうだ。外へ連れ出され詰問されると、彼はいつもただこう答えたそうだ:「これらの教会はいったい何なのだろう、神の墓や墓碑でないならば?」と。

 この箇所の原文も拙訳も前に紹介したとおりだ。反歌は次のもの:


> 安らかに眠れと神に歌ひたり永遠(とは)の眠りを安らけくこそ


 短くコメントを付けておきたいのだがこのラテン語《Requiem aeternam deo》を管見訳者はみな「神の永遠鎮魂(弥撒)曲」のように訳している。しかしこの「神の」という訳は一体何なのだろう? わたしの訳は上に示したように「神のための永遠の鎮魂曲」である。問題はこの[deo]という与格(dative)/奪格形(ablative)(ドイツ語では3格形に対応)である。この与格/奪格形を属格形(genitive)のように「神の」と訳すことにはどのような根拠があるのだろうか? わたしにはよく理解することができない。ちなみにそれに先立つ[requiem]は対格(accusative)(ドイツ語では4格に対応)であり次の形容詞[aeternam]も同じく対格に置かれ、ここは「永遠の安らぎを」としか読めない。とすればここの三語は全体として「神に永遠の安らぎを」と読むのが([deo]という与格の読み取りとして)当然と見える。言うまでもなく、この《Requiem aeternam deo》という表現において特異であり、重要なのは神へのレクイエムであり、「永遠に死んだ神」に対して「安らかな眠り」を祈祷しているというところなのである。神は永遠の眠りについた。その眠りが安らかなことを、ニーチェの描くこの男は祈っているのである。神に永遠の安らかなねむりを、と。
(蛇足ながらラテン語の[requiem]は女性名詞であるが、ドイツ語では中性名詞であり、そこはニーチェも地の文のドイツ語を生かして[sein Requiem]と中性名詞として扱っている)






ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)
筑摩書房
フリードリッヒ ニーチェ

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《清水寺の犀門》

瀬谷こけし

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 京都清水寺の坂井輝久学芸員のご説明によると、江戸時代の旅行案内書には清水寺の「西門」(さいもん)のことを「犀門」と記したものがあるということだ。それで西門の修復工事の時にどこに「犀」があるのか丹念に探したそうだ。その結果見つかったのが北外側のこの動物彫刻。実際の動物の「犀」は大正年間になるまで日本の国内に運ばれてきたことはないのだそうだ。だがこの西門を装飾する動物像は、言うならば鹿と猪の間の子のようにみえないだろうか?
 わたしはずっと『スッタニパータ』に中に記されるお釈迦様の「ただ独り犀のように進め」という教えを尊重してきた。だがそのイメージの犀はもちろん鼻の先に一本の角(あるいは鋭い円錐形の突起)を生やしたあの実在の動物の犀だ。釈尊自身もその動物の犀をイメージしていたことだろう。あの前面に切り裂く「角」を生やして進んでゆく犀。ところが日本人は長いこと釈尊のいう「犀」を何やら(食用家畜にもなりそうな)軟弱な動物としてイメージしてきたのだろうか? そうだとすれば何とも情けないことだ。

 しかし、わたしが清水寺の西門に「犀」のイメージを見るとしたら、それは、建物の北面に懸る鹿猪風の彫像ではなく、切り裂く「角」を後ろの三重塔の尖塔の形で生やした西門全体の姿だ。石段の西下からみれば西門はそんな風に見える。これならば釈尊の言う「ただ独り犀のごとくに歩め」という教えの動物の犀のイメージシンボルにならないだろうか? ---清水寺の設計者に、どこかにそういうイメージがあったことを祈りたいと思うところだ。



=== 追記 2018.11.12 =====
『スッタニパータ』の「犀の角」の章の話、あれは「犀の角」ではなく「犀」と訳さなけれればならないと語っているサイトを見つけた。つまり「剣の角」=「犀」という意味だという説明である。その意味はやはり「切り裂いてただ独り進め」ということなのだろう。そのサイトのページはここ。
http://thierrybuddhist.hatenablog.com/.../2015/08/21/050000



《ニーチェの『喜ばしい知の技』125番の紹介》

瀬谷こけし

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 "Der tolle Mensch."というタイトルの"Die fröliche Wissenshaft"の第125番のアフォリズムを紹介したい。と言ってもここで紹介するのは、上記アフォリズムのグーテンベルク・プロジェクトによって公開されているドイツ語原典の全文と、その後半部分の拙訳である。部分訳にとどめるのはそこが先日同志社大学のドイツ語(応用4)の小テストに出題した部分だからである。タイトルの„Der tolle Mensch.“であるが、[toll]という形容詞を最近は日常的に「すごーい」という意味で肯定的に使うことが多いのだが、ニーチェの時代にはもちろん「すごーい」という意味は基本にあるがむしろ「気違いじみた」とか「狂気の」とかいう意味の方が中心であったように見える。わたしはここでは「おかしな」と訳することにした。「変な」でもいいと思うのだが、いずれにせよ差別と排除の対象になるような存在を指しているだろう。「気違いじみた」などという厳めしい言葉を使わなくても「変な人間」として排除の対象になる人間を指し示すことはできるだろう。当面それで充分である。
 ここでは「神を殺した」という非常に特殊な事件、変な出来事が問題にされている。そしてその出来事あるいは行為の非常に特殊な諸事情が、これまた少なからず変わった文章で書かれている。実際幾つかの箇所に特別な注意を払って読むことが重要で、例えば殺された神が[das heiligste und Möchtigste]と中性名詞で語られていることからはニーチェがそれを主体である「者」としてではなく「モノ」として捉えているということを読み取らなければならないだろう。ニーチェはこの「われわれが神を殺した」という事件を、そのドイツ語による表現力の全力を尽くして書き留めているのである。また例えば[Stürzen wir nicht fortwährend?]の表現などは「無辺際の落下なのか?」というぐらいに、一人称の経験に引き付けて訳すべきところであると思う。山中智恵子の歌:

> 無辺際の落下にあればためらはず神と垂直にわが身を投げむ (『空間格子』「わが瞠しこと」)

などをニーチェのよき友の語りとして役立てるべきではないかと思う。いずれにせよニーチェの言葉の細部にこだわった読み抜きが必要であり、そこからの解読が必要であると思う。
 ここにわたしが日本語訳として示すものは、まだ十分なものではない。近々わたしの関心のある問題からする読解を示すつもりである。ここはまだそのための情報提供として理解しておいていただきたい。

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Die fröliche Wissenshaft 125, Der tolle Mensch.

Der tolle Mensch. – Habt ihr nicht von jenem tollen Menschen gehört, der am hellen Vormittage eine Laterne anzündete, auf den Markt lief und unaufhörlich schrie: "ich suche Gott! Ich suche Gott!" – Da dort gerade Viele von Denen zusammen standen, welche nicht an Gott glaubten, so erregte er ein grosses Gelächter. Ist er denn verloren gegangen? sagte der Eine. Hat er sich verlaufen wie ein Kind? sagte der Andere. Oder hält er sich versteckt? Fürchtet er sich vor uns? Ist er zu Schiff gegangen? ausgewandert? – so schrieen und lachten sie durcheinander. Der tolle Mensch sprang mitten unter sie und durchbohrte sie mit seinen Blicken. "Wohin ist Gott? rief er, ich will es euch sagen! Wir haben ihn getödtet, – ihr und ich! Wir Alle sind seine Mörder! Aber wie haben wir diess gemacht? Wie vermochten wir das Meer auszutrinken? Wer gab uns den Schwamm, um den ganzen Horizont wegzuwischen? Was thaten wir, als wir diese Erde von ihrer Sonne losketteten? Wohin bewegt sie sich nun? Wohin bewegen wir uns? Fort von allen Sonnen? Stürzen wir nicht fortwährend? Und rückwärts, seitwärts, vorwärts, nach allen Seiten? Giebt es noch ein Oben und ein Unten? Irren wir nicht wie durch ein unendliches Nichts? Haucht uns nicht der leere Raum an? Ist es nicht kälter geworden? Kommt nicht immerfort die Nacht und mehr Nacht? Müssen nicht Laternen am Vormittage angezündet werden? Hören wir noch Nichts von dem Lärm der Todtengräber, welche Gott begraben? Riechen wir noch Nichts von der göttlichen Verwesung? – auch Götter verwesen! Gott ist todt! Gott bleibt todt! Und wir haben ihn getödtet! Wie trösten wir uns, die Mörder aller Mörder? Das Heiligste und Mächtigste, was die Welt bisher besass, es ist unter unseren Messern verblutet, – wer wischt diess Blut von uns ab? Mit welchem Wasser könnten wir uns reinigen? Welche Sühnfeiern, welche heiligen Spiele werden wir erfinden müssen? Ist nicht die Grösse dieser That zu gross für uns? Müssen wir nicht selber zu Göttern werden, um nur ihrer würdig zu erscheinen? Es gab nie eine grössere That, – und wer nur immer nach uns geboren wird, gehört um dieser That willen in eine höhere Geschichte, als alle Geschichte bisher war!" – Hier schwieg der tolle Mensch und sah wieder seine Zuhörer an: auch sie schwiegen und blickten befremdet auf ihn. Endlich warf er seine Laterne auf den Boden, dass sie in Stücke sprang und erlosch. "Ich komme zu früh, sagte er dann, ich bin noch nicht an der Zeit. Diess ungeheure Ereigniss ist noch unterwegs und wandert, – es ist noch nicht bis zu den Ohren der Menschen gedrungen. Blitz und Donner brauchen Zeit, das Licht der Gestirne braucht Zeit, Thaten brauchen Zeit, auch nachdem sie gethan sind, um gesehen und gehört zu werden. Diese That ist ihnen immer noch ferner, als die fernsten Gestirne, – und doch haben sie dieselbe gethan!" – Man erzählt noch, dass der tolle Mensch des selbigen Tages in verschiedene Kirchen eingedrungen sei und darin sein Requiem aeternam deo angestimmt habe. Hinausgeführt und zur Rede gesetzt, habe er immer nur diess entgegnet: "Was sind denn diese Kirchen noch, wenn sie nicht die Grüfte und Grabmäler Gottes sind?" –

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『喜ばしい知の技』125、「おかしな人間」
Die fröliche Wissenshaft 125, Der tolle Mensch. 日本語訳(拙訳)


われわれにはまだ神を埋める墓堀人たちの騒ぎが何も聞こえていないのか? われわれは神が腐敗する臭いを何も嗅ぎ取っていないのか? --- 神々も腐るのだ! 神は死んだ! 神は死んだままだ! しかもわれわれが神を殺したのだ! われわれはどうやって自分を慰める、殺し屋の中の殺し屋であるわれわれは? 世界がこれまでに所有した最も神聖で最も強力なもの、それがわれわれのナイフの下で血を流して死んでいるのだ、---だれがわれわれからこの血を拭き取ってくれる? どのような水でわれわれは自分を清めることができるだろう? どんな償いの祝典を、どんな神聖な遊びをわれわれは考えださなければならないのだろうか? この行為の偉大さはわれわれには大きすぎるのではないだろうか? この行為にふさわしく思えるためにはわれわれ自身が神々にならなければならないのではないだろうか? これ以上大きな行為はかつて一度も存在したことがない。---そしてわれわれの後に生まれて来るものは、この行為の然らしむるところによって、かつて存在したあらゆる歴史よりも高いひとつの歴史に属することになるのだ。 --- ここでこのおかしな人間は沈黙し、再び聴衆たちを見つめた。聴衆たちの方も沈黙し、怪訝そうに彼を見やった。ついに彼はランタンを地面に投げつけ、ランタンは粉々に砕けて消えた。「おれは来るのが早すぎた」、と彼は言った、「まだ来るべき時ではなかったのだ。この途方もない出来事はまだ途上にあって移動しているのだ。---それはまだ人間たちの耳にまで突き抜けてきていないのだ。稲妻と雷鳴は時を必要とし、星々の光も時を必要とする。もろもろの行為も、事が行われた後でもさらに、目に見え音に聞こえるようになるためには、時を必要とするのだ。この行為は彼らにとっては最も遠い星よりもさらに遠いものなのだ。---しかしにもかかわらず彼らはまさにそれをしたのだ。」---さらにこんなことが語られている。このおかしな人間はその同じ日に、いくつもの教会の中に入り込み、そこで神への永遠の鎮魂曲を歌いはじめたそうだ。外へ連れ出され詰問されると、彼はいつもただこう答えたそうだ:「これらの教会はいったい何なのだろう、神の墓や墓碑でないならば?」と。

《第45回創画展2018を見に行った》

瀬谷こけし

 さる方から招待状をいただいていて第45回創画展2018を見に行った。今回は会場が日図に変更されていて、スペースが狭く、また観客も多く、ゆっくりと見ることが難しかったが、さっと見るにはよい会場だったかもしれない。全体に絵画性の水準は上がっており、よい傾向だと思うが、惹きつけられてじっと見ているような絵は少なかった。画想として一番惹かれたのは村岡幸信の『誘い』という作品だった。これはわたしの「果無山」そのもののような画で、この一番後ろに見える高い山の後ろにもまた山が連なり、新たな別の天地が広がっているという感覚だ。月山に登ったときもそんな印象がつづいていた。絵の色合いは写真よりもう少し薄くておだやかでとてもいいのだが、絵葉書からのコピーなのでとりあえずは仕方がない(フォトショップで修正して相当よくなりました)。
http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/essais/jhatenasi.htm
 次いで取り上げるべきは奥村美佳の『かくれ里』だろうか。二回目の創画会賞作で、いろいろな技法をつぎ込んで面白いと言えば面白い。箔押しのところと黒との対比やモザイクピラミッドのような右手の木々、そして左下のカラフルな箱型のものは、この作家の将来を示しているとしてよしとしておこう。一番気になったのは画面中央左手の乾いたまま濃い色が残ってしまった跡ようなもの。いずれもう少し丁寧に修正するのだろうか?
 松本祐子の『夏廻る』は色合いはとても魅力的だが、輪郭線がとても粗い気がして、抵抗感が先立った。
 吉川弘の『幻映』は、湖面に真っ黒な雲が映ったのだろうか? 何か黒いものを幻視したようだ。ただ草地にはその空の黒いものの反映はない。ここにはむしろ時代の反映が感じられる。
 いつもは気になった作を細かくチェックするのだが、今回は会場の雰囲気のせいでそれをする気にならなかった。一つ二つだけ挙げれば喜多祥泰『ヒラクヤマ』、桑原理早『変容の跡』、そして最も欲しくなった作は加藤丈史『共鳴』だった。これなら飾れる場所は多い。残念ながら絵葉書がなかったので紹介できない。

いずれも第45回創画展2018 絵葉書による
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《無明紅葉》

瀬谷こけし

 こんな山の中に庵のような別荘をもって住むのはどうだろう、としばし考えていた。水:川に汲みに行けばいい。暖房:囲炉裏かストーブで何とかなる。食べ物:原付の一台があればなんとかなる。それに近くに小さな畑をつくることもできる。電気:あきらめればいい。太陽光パネルで携帯ぐらいは充電できるようにするか。
 この尾根道の東側にそんな気持ちで作ったのか、しばらく暮らせるような小屋があったのを知っている。しかしそれも壊れたままだ。

 気が付いたのは、どんな奥山だったとしても、必ず人に気づかれ、そして賊に襲われることもありうるということだ。山中の一人住まいでは抵抗のしようもない。財というほどのものが一銭もなくても襲われることはあるだろう。---やはり山棲みは難しい。

 そんなことを考えていた。

 山中智恵子の歌に「無明紅葉放下千歳」という下の句を持つ歌がある。無明なる紅葉も放下を知り千歳を重ねる、という趣旨だろう。紅葉はまさに放下の姿。このことを天台本覚思想の徒は知っているか?


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(本稿は2018年11月2日にFBに掲載したものの再録です)


《鷺ノ森神社》

瀬谷こけし

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 台風21号以降行ってなかったので、鷺ノ森神社に入ってみることにした。こころの落ち着く場所だということもあるが。犬の散歩に来ている人が数人。他に散歩のひとや通行の人が三人四人。あわただしい感じはない。
 神前は舞殿のまわりも箒の跡もはっきりときれいに清掃されていた。幾柱か立つ彰功碑はどれも苔むしていて、悪い感じではないが、かつての日の誰かの功を今に大事にするという気持ちも読み取れなかった。
 平らに掃かれた砂の地面の上を歩いていると、土がゆるんで少しもぐるところがあった。何かと思ってその前後を踏んで探すと、つながっている。隠れた水の通り道があるのかと思って少し離れると、少し離れたところに土の盛り上がったところがあった。---これはモグラだ。京都に来てモグラの這跡を見たのはこれが初めてだった。
 境内はよく清掃されていた。隅の方には大風で折れた枝や散った葉が積まれているところがあった。