テーマ:俳句

《京にても》

 芭蕉元禄三年の句に、 > 京にても京なつかしやほとゝぎす (643、岩波文庫) がある。六月二十日づけの小春宛書簡に出る句だという。あるパンフレットの中でふとこの句を目にして、つづく文章をみていると、何かいいようもない違和感が生まれてきたのだ。もともとわたしには芭蕉が京をそれほど好んでいると…
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《徳山詳直前理事長を悼む》

黄の花を野に咲くままにまゐらせん  徳山詳直前理事長(瓜生山学園)が10月20日10時30分に逝去されたという報が届きました。通夜と葬儀は身内だけで執り行われたそうです。12月12日に学園葬の予定ということです。満身創痍の話しをして下さったのが直接お話しした最後の機会になりました。冥福をお祈りいたし…
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《杉すすき》

 この後の月をずいぶんと待っていた。久高島での十五夜の後、どんな風に時が流れるのかと。近々久高で知り合った若い友が京都に来る。そしてともに直観音楽に挑む。他に宮沢賢治学会でも若い人の成功を数々眼にすることが出来た。カガミさん、ラモジョマさん、大島さん、等々。これはとても嬉しい。  そして十三夜。  目下養生を旨として日を送ってい…
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《ヘルマン・ヘッセの「春」》

さわやかな風に会ふべき五月晴れ (拙句)  こういう詩を読むと、ヘルマン・ヘッセの言う「春」とは五月ぐらいのことなのかと思う。日本でいえば奥飛騨とか、寒く、春のおそいところの。  花よりも、彼は明るい若葉に魅せられていたのではないだろうか?  ちょっと訳してみた。 Frü…
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《芹生の花に夏を迎える》

 もう花見をするのはおそいと、たいていのみやこびとは思っていることだろう。だがわたしには「花はさかりに、月はくまなきをのみみるものかは」という徒然草の美学はとても自然なもので、むしろ盛りに出かけることの方がわたしには稀だ。だが、芹生の山ざくらは、見逃したくないもののひとつで、遅くなりすぎないうちに出かけて見たくなる。黒田村の百年桜よ…
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伊豆大島 -- お月見と句会

 今年の中秋の名月、お月見会は縁あって伊豆大島で催行しました。私にとっては40年ぶりの大島。高校のバドミントン部の連中と行ったのはいつのことだったか。荒れた火山岩の広がる山懐に感嘆したものです。  今年は京都造形芸大の学生、卒業生の仲間と出かけました。宮澤賢治がここに農芸学校を創設しようとする伊藤七雄さんに招かれて、アドバイスをし…
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《君あしたに去ぬ》 

拙句: >  師の死にてやがて秋吹く夜寒風 >  雑草の伐られて惜しむ人わずか  ここで「師」は橋本繁蔵さんのこと。彼のことを師と呼ぶ人が何人いるだろうか。  その技も、栄光も、民のものだった。  超人的な技だったと、わたしは判断しているが。  はや、秋になった。 …
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《涅槃会》

 如月望(もち)の日は、釈迦涅槃の日と伝えられる。悲しくもめでたい日。インドの暦で第二月の満月の日だったという。  京都でも、もともとは旧暦でやっていたはずだが、近頃では、一月遅れの3月15日に執り行う寺が多いと聞く。満月の日かどうか。心には大きな違いがあると思う。  そこで一句:   涅槃会は旧暦でやれ京暦 …
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お月見に 北海道・二風谷に行った

 いろいろなつながりがあって、お月見の会を、9月30日、北海道・二風谷で開けることになり、29日、京都を発って北海道に行った。そして戻ったのは10月1日。台風17号が近づく日と重なった。  それで、中秋の名月は真夜中に至るまで、厚い雲の後ろに隠れていたが…。  拙句:   二風谷に善きひとと会う月見かな  ほんとうに…
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特に目につく色もない新春 赤い実

 1月9日の今日は祝日のようだが、今日も大学に仕事を出しに行った。休日・祝日よりも締切の方が重たい。今日はどうやら成人の日だったようだ。  写真は大学構内で撮ったもの。   ○ 新春の特に目に立つ色もなし といった心境か。気をめぐらせれば、南天なのか、小さな赤い実だけが、目につく。 カメラはLumix GF3。 …
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新春の隣地の草木

 一月八日、新春の隣地の草木。時々明るく暖かな陽射しがあるが、まだまだ春とは言いたくないところ。新年にはなっても、こころはまだ新春にはならない。ここの草木にとっても同じことだろう。  元日に詠んだ句:    ○ 草の芽も出たさほどほど冬正月 生れた時から正月は冬で、慣れてしまったとはいえ、春正月とはずいぶん気分が違…
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冬時雨 一句

 拙句冬時雨:    冬時雨われに蓑貸せ狐の子 (十二月十六日)  言うまでもなく芭蕉の猿蓑に近いところのこだまの一つだが、京都の御所のそば、みぞれか氷雨のなか、日の射すところがあった。
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後々の月 (今日の一句)

 拙句:   国際通り果まで行けと後々の月  11月11日、月は十五夜のように大きかった。旧暦8月15日、9月13日と名月を友と月見をして過ごし、今夜はひとりで沖縄の国際通りを歩いていてた。この月に誘われるように。この月も名月としてしまおう。名付けて後々の月。この三日間、バスの中ばかりでほとんど歩いていなかった。それは体…
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百舌鳥と夜寒

 拙句:   百舌鳥の声けたたましくて夜寒  百舌鳥の声を聞くと冬が近くなったと感じる。今年最初に聞いたのは9月19日だった。その日の気候は覚えていない。晴れていたのは確かだと思うが。仲秋の名月を深川芭蕉庵の近くで楽しんだ一週間後だ。深川ではむしろ暑いぐらいの日差しがあったが。  今日も寒い。寒くなる予感がする。夜…
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蔓草のさだめ 500mmm写真

 今や使う人も少ないであろう35mmフィルムカメラ。わたしも普段はもう少し大きい中版カメラを使っているので、35mmカメラは久しぶりだった。フィルムカメラが好きなのは、色合いが華美でなく、なめらかなところだ。中版カメラなら、色合いも粒状性も解像力も満足出来る。だが使っていたのはもっぱらリバーサルフィルムだった。  ネガフィルムを使…
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この月を見るひと 7月17日

 この月をみるひとがあるのだろうか。    拙句、   ひとの見ぬ月光(つきかげ)屋根を貫くや  一日、台風の近づきを感じさせる風が吹いていた。北から西に、雲が動いていた。今も東からの風が開け放った窓から入ってくる。  きっとこの夜の月を見る人は少ない。だが月に祈る気持ちは、今日も、またこれからも重ねら…
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薄穂の「の」の字

  薄穂の身のなる果ののの字かな (拙句・風羅坊) 今日は野原の中に入った。驚いたのは乾いていること。倒れた、去年のススキがカラカラに乾いていた。踏むとバリバリといった渇き切った音をたてて折れる。こんなに乾燥しているとは知らなかった。先日、渇いて立ち枯れている蓬を発見して驚いたが、実際、水に渇えている草がかなりあるのだろう…
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この猿、何を欲しがっているのだろうか?

 この猿の表情が気になったので、15日に引き続き再録。その何かものほしげな表情。何を欲しがっている?  多分、「人間のような安楽な生活」。 そんな風に思えた。 それがうらやましい、と。 寒くもなく、食べ物もある生活。   雪寒や猿も家居を欲しげ也
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日の光のしばしかぼそく

拙句:   日の光(かげ)のしばしかぼそくあてやかに  わかってもらえるだろうか。この時期の日の光のか細さ。繊細の繊。弱々しいのだが、細やかで、ニュアンスが豊かで、あてやかでさえある。そしてほんの少しの間しか差していない。見上げてはいないが太陽が前に薄い白い雲をおいているに違いない。そんな日差し。  写真三枚。さいわい…
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除夜の鐘

京都にいても、高山の妻の実家に帰っても、大晦日の夜は家の近くの寺に鐘撞きに行く。 昨夜は京都の寺で。 よい音を出したいと思った。強い音、激しい音、鋭い音などではなく。穏やかに、しかもよい響きの音が、と。 それが出せた。 軽い「うなり」が三回ほど出ていた。 その後とてもよい音色になった。  よい納めができた。  …
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木枯しの身を

琵琶湖はわたしにとって、(松尾)芭蕉を感じるためのもっとも身近な場所だ。木枯しの、しかし生暖かい木枯しの吹いた今日、滋賀に行った。  拙句:   木枯しの身を嘆かする秋の有れ  「嘆かする」という言い方は伊東静雄の「遍照さする」に倣った。普通なら「嘆かせる」でいいところだが。あえて「嘆かしむ」とする必要もないだろう。竹…
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更級抄 ---姨捨山---

     姨捨山 わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山に照る月を見て                   『古今和歌集』     戯作 (姨が大岩から身を投げたという説を知る)   姨の身や鎮めもあへぬ岩の肌        **********   身を捨る罪(とが)ありけるやいざ月よ …
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信州奈川の朝の色

 拙詠一句   清らさや風霧水と土の色 先日案内してもらった奈川上野の空気は素晴らしかった。久しぶりに胸いっぱいに空気を吸いたくなった。そんな奈川の様々な植物たち。もちろん野菜も含むのだが。また思いがけず宵待草も咲いていた。高度1100mぐらいという。平地よりだいぶ寒い土地のはずだ。だが、空気も霧も水もすばら…
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師走の句

  拙句。やや気が早いが。 銭を乞う尼来て京の師走尽  わが家には年末になるとどこから来るのかわからないが、老尼が来て物乞いをする。気がつけば必ずなにがしかの銭を包むが。たまに京にいながら、それに遇わない年があると、元気なのか、気にかかる。京にはまだこんな風習が残っている。ごく短い祝言のようなものを唱えてくれる。これ…
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秋の一日 膳所・義仲寺へ

 芭蕉が亡くなったのは元禄七年、旧暦の十月十二日。日も穏やかな一日の午後四時頃のこと。場所は大阪南御堂の前の貸座敷。その夜船で伏見まで送られ、翌日には膳所の義仲寺に運ばれ、夜中に埋葬される。今日、その義仲寺に行ってきた。塚に参る。  境内にはいろいろな石碑があった。芭蕉の木さえ幾本か育てられていた。義仲の墓ももちろんここにあり、そ…
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拙句 枯野の夢に

  飛びゆかむ夢の枯野のその空のなか (鳥になって、というのは山中智恵子的な解決法だが。わたしの場合、きっと猛禽類だろう。きっとガルーダがそれだ。猟師としての登場は、ひとつ可能な解決法だが、わたしの場合まだできない。芭蕉が死の床で見た夢の思いが、わかりすぎるほどわかる。わたしはその芭蕉の夢を継いでゆきたい) …
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