《上賀茂柊野の桂の花》 上賀茂というか、地名では西賀茂になる公園の辺り。ここに若い桂の木が並んで植えられている。今の頃は枝先が赤く、萌えそめている。 ちゃんと三脚で構えて撮ればいいのだが、小さいだけに手持ちで撮るのは難しい。こういうものはGF3が撮りやすい。レンズはOlympusの50mmマクロ。 河原の大きな柳も新緑を広げていた。 雄… トラックバック:0 コメント:0 2013年03月28日 続きを読むread more
きれいな夕空、そしてniftyという店 夕空が、素晴らしかった。下から照らされて、雲は黄金色に輝き、そして透明な空。今日は大文字焼の日。京都ではいろいろ行事がある。盆の送りの日として。しかし、誰がこの日々、亡くなったひとと過しただろう。思い出したり、お経を上げたり、墓参りをしたり、ということではなく。 すでに終ってしまったものがあると思う。 ほんとうに生きている… トラックバック:0 コメント:0 2012年08月16日 続きを読むread more
雲 雲を見るのが好きになっても、どうしようもないのかもしれない。全天を覆うどんよりとした雲でなければ、形があって、動きが分かる雲であれば、それなりに面白いところはある。そして雲に見とれていれば、いつまでも見飽きない。けれど、それがどんな雲のどんな姿か、ひとに伝えるのは難しい。写真に撮ればそれなりに伝わるが、かといってこの形と色合いのこ… トラックバック:0 コメント:0 2012年08月14日 続きを読むread more
もう少しで、夏? (Lumix GF3) もう少しで、夏? ナラ枯れ対策のビニールや 赤松に夕日が射して 赤々と…。 それにこんな雲が出てくると 赤松と夕日はよく似合う。 けれど、 夏を感じさせるのは まず夏の雲 (写真は6月29日) Panasonic ルミックス デジタル一眼カメラ/レンズキ… トラックバック:0 コメント:0 2012年06月30日 続きを読むread more
昨日の貴船川 (Lumix GF3 習作) 大雨が降ると行きたくなるところ。貴船川。雨の中、まだ撮り方がよく分からない。もう少し感度を上げて撮った方がよかったかもしれない。面倒臭がらず、三脚か一脚につけて撮った方がよかったかもしれない。期待していたのにカメラブレで使えなくなった写真が何枚か。ストロボを使ったためにしようもない写真になったもの何枚か。ここでは最後の二枚が、ちょ… トラックバック:0 コメント:0 2012年06月20日 続きを読むread more
台風が来る (Lumix GF3) 飛騨から帰って、はじめて原っぱに行った。台風の前に見ておかねばと思って。 草たちは意外と元気だった。水分がふんだんに恵まれて、よろこんでいるようだった。また虫たちがたくさん着いていた。ちょっとした驚き。見たことのない虫もいた。何をしているのか…。 ちょっと見ない間に、背も伸びて、密林のようになってしまった。けれどあの踊り草… トラックバック:0 コメント:0 2012年06月19日 続きを読むread more
夕べの時間 明暗の差が乏しく、 ますます乏しくなってゆく時間。 草木も、穏やかになって、そろそろ眠りにつこうとする時間。 この黄色の花がなぜか宵待草にみえた。 この位置から見た、 まわりの白い絮も緑も含んだこの形で。 そして他の目に映ったくさぐさ。 嫩葉。 この紫の葉の色。 … トラックバック:0 コメント:0 2012年06月04日 続きを読むread more
大学構内お散歩 来る時、西の山の方で煙が上がっているようだったので、ちょっと気になって見に行った。焚火なのだろうか? そして太陽の方も。 あとはそのついでで、洛心荘の近くを写真スケッチ。この石が以外と存在感がある。 トラックバック:0 コメント:0 2012年06月03日 続きを読むread more
六月一日の原っぱ 一切衆生、悉有仏性 修羅の巷。虫たちにとっても、草たちにとっても。 例えば「一切衆生悉有仏性」といわれる。 その「仏性」とは何かと聞かれると、誰もが仏になる素質と答える。 けれどさらに「仏」とは何かと聞かれると、結局はドグ… トラックバック:0 コメント:0 2012年06月01日 続きを読むread more
小さな青い花 今日は日の入り前の空の雲がすごかったが、運転していたので撮影できなかった。そのすごさというのは、段々雲や、縦筋や、光の境目や、飛び飛びウロコや、低いところの縁乱れや、地震雲っポイのや、いろいろ、多様でびっくりした。まあ、写真がないから勝手なことが言えるのだが。 ともかくそれで昨日の写真。家の玄関前。この小さな青い花は、何かハー… トラックバック:0 コメント:0 2012年05月30日 続きを読むread more
家の前 家の玄関前の花。写真三枚。 青い花から この青い花が、 扇風機の羽根のような形で、 放射状の、 風車の羽根とは違うことに気がついて、 なぜかと不思議に思った。 なぜなのだろう。この形。 (Contax Planar 50mmで撮影) 一枚残った花弁。 これはポピー? (Olympus OM-Z… トラックバック:0 コメント:0 2012年05月29日 続きを読むread more
楓がもう種をふくらませていた 日曜日で、スクーリングとかがなくても仕事はあって、大学へ行くと、構内の色々な所で楓があのプロペラ式の種をふくらませていた。もう? と驚くが、例年のことを観察しているわけではない。何か生き急いでいる気がするが、例年のことなのかもしれない。 そういえば今年はもうこんな季節から、自宅の近くで、百舌鳥の啼き声をよく聞く。これも何故だか… トラックバック:0 コメント:0 2012年05月27日 続きを読むread more
金環蝕の日、研究室の前のヤマボウシの花が咲いていた 朝は金環蝕でうきうきとしていた。午後からは会議。研究室の前のヤマボウシの花が咲いていた。今日はじめて気がついた。 トラックバック:0 コメント:0 2012年05月21日 続きを読むread more
桐の花 この桐の花はどうなったのだろう? これは5月12日の写真。 以前思ったことだが、上を向いて立ち上がる桐の花は、神社などで祓えに使う鈴と、姿がよく似ている。鈴の祓えの発想の源には、立ち上がる桐の花があるのではないだろうか。 今日から東京へ。その前にこの写真をアップしておく。 明日から三日間、哲学の授業。 … トラックバック:0 コメント:0 2012年05月17日 続きを読むread more
三枚の写真 さみどりに燃えるもの ノクターンのト短調(op.37-1)になった。アファナシエフの。この曲は厳しい。いつ聴いても厳しい。 今日は草の、出てまだ間がない若葉の、淡いみどり色に魅せられていた。こんな美しいものがあるのかと。--- 先端とか端とかではなくて、内側で、中間的なところ。 ほんのりと火が灯ったように明るい。 みどりいろの花がないの… トラックバック:0 コメント:0 2012年05月12日 続きを読むread more
曇天で、寒く… 夕方近くになって外に出たが、5月なのに、セーターが要るほどだった。 予感 鳥が飛ぶ この時期、 水枯れする草がある。 見えない地下で植物は水争いをしている。 そして、 一瞬、燃えるような夕日。 この夕日に会えたことで、 顔がほころんだ。 トラックバック:0 コメント:0 2012年05月11日 続きを読むread more
「私はうたはない」 Lumix GF3 習作 私はうたはない 短かかつた耀かしい日のことを 寧ろ彼らが私のけふの日を歌う (伊東静雄『わがひとに与ふる哀歌』より) 伊東静雄のこの詩をなぜか思い出していた。とても辛い詩で、そして一つの決断を語っている。現実主義というより、生活主義の決断を。詩中の「彼ら」とは耀かしかった日々のことだ。そういう人生… トラックバック:1 コメント:0 2012年05月09日 続きを読むread more
こんなに大きくなって 草原のたくさんの草々 おもに原っぱの草々。ちょっと見ない間に、ずっと大きくなってしまっていた。ツル草は宿業のように絡みつき、直立つ草はそれぞれに背を伸ばして。無明なことは去年と同じ。それぞれに美しい。---そこを見てほしい。 こんな季節 さまざまに絡むつる草たち さまざまな草たち … トラックバック:0 コメント:0 2012年05月07日 続きを読むread more
きみの名は? 隣の空地に見たこともない虫がいた。触覚がながーぃ虫。それもカーブして円弧を描くように伸びている。ちょっと水牛の角を思い出した。長くて、重すぎることはないのだろうか? 空地があれば、草が生えて、そこに花が咲けば、いろんな虫たちがやって来る。その虫を食べに、ほかの虫や、鳥や、その他もやって来るのだろう。 その空地に、夕方に… トラックバック:0 コメント:0 2012年05月06日 続きを読むread more
今日の雲 (五月五日) 昨日も今日も家から一歩も出なかった。紀要の原稿書きに追われていたから、ということもある。また、出るべき時期を逸したということもあるかもしれない。 また、この連休中は、家の外に、好適な勉強場所がなかなかない、ということもある。ほんとなら気晴らしをしながら勉強したり、物を書いたりするのが好きで、習い性になっているのだが。ともかく連… トラックバック:0 コメント:0 2012年05月06日 続きを読むread more
こんな緑もきれいだ (横高山の緑--- Lumix GF3) こんな緑もきれいだ。これも昨日の写真で、山は横高山。 こんな緑を心の中にもっていられたら、きっといつでも爽やかさを思い出せるだろう。 今日は、芭蕉の弟子の路通の作品をさがして、『芭蕉七部集』を見ていた。もっとも路通らしい句はこれだろうか。 きゆる時は氷もきえてはしる也 (955)… トラックバック:0 コメント:0 2012年05月04日 続きを読むread more
蕎麦を食べに朽木に行った 蕎麦を食べに朽木に行った。そして色々なものを見て来た。 朽木に出かけ、見てきたもの この仔牛、今年の5月1日の生まれ。おととい生まれたばかり。 空色の小さな花、忘れな草。 これは何? ドクゼリかもしれないので要注意。 『野の花』(山と渓谷社)にはドクゼリについて 「小葉はセリよりも細長い」と書いてある。 この植… トラックバック:0 コメント:0 2012年05月03日 続きを読むread more
五月! 原っぱの草たちが伸びていた。背の高さ30cmぐらい。 藤の花を今年はじめて見つけた。 あの芹生の奥の花の山は若葉がとても美しい。けれど残っている桜の花はわずか。 だが芹生の里には、まだ桜が咲いている。そのまっ白の花におどろく。これはどこから生れて来た花か、と。 … トラックバック:0 コメント:0 2012年05月01日 続きを読むread more
4月28日 7時から、今年就職した娘二人が初任給で家族皆に夕食をご馳走してくれるということだった。その前の少しの時間にまた原っぱの草たちを見てきた。 原っぱはまだ枯草が目立つ。だが新しい草たちもしっかりと生育をはじめている。ツル草は去年の枯草に絡みついて上に登り、有利な場所を占めていったりする。だがこの時期、異種の植物同士の絡み合いのよう… トラックバック:0 コメント:0 2012年04月30日 続きを読むread more
樹々のみどりの美しい季節 けれどもっとも目を覚まされたのは、山の新緑の樹々の美しさ。この美しさはほんの二三日しか続かない。嫩葉のういういしさ。やわらかさ。 山がそんな樹々にみたされる。 (LumixFG3+PlanarT*50mm) トラックバック:0 コメント:0 2012年04月24日 続きを読むread more
空地の草の花々 昨日は目の覚めるような景色を幾つも見た。そのはじめがこの空地の花々の多様さ。まずクリーニング店に行って、その足で市原に向かったので、いつも通らない道を通った。目覚ましく生き生きとした空地があって、車を停めた。そしてデジイチで撮った写真。二枚。三枚目は市原の原っぱで。陽射しと、草原に、ともにまぶしいものがある。もう、笠をかぶって撮り… トラックバック:0 コメント:0 2012年04月24日 続きを読むread more
夜のお散歩 久しぶりに夜の散歩をした。10年ぶりぐらいか。車での散歩。自分の普段の生活が、考え方や感じ方が、どれだけ狭い範囲のことで組み立てられているかを自覚できる。 狭い都会の中でも行ったことのない場所、通ったことのない道が幾らもある。迷い、戻り、また迷い等々、フェデリコ・フェリーニの『トビー・ダミット』の夜の下街を迷って走りまわるあの… トラックバック:0 コメント:0 2012年04月22日 続きを読むread more
半木(なからぎ)の桜 京都の植物園の西の加茂川に面したところに桜並木がある。半木(なからぎ)の道、と呼ぶそうだ。花びらの小柄でちりちりした桜だが、枝垂れで、独特なものらしい。その南の端のところに、ちょっと休憩のつもりで行ったが、見に来ている人がずいぶんいて、驚いた。 修学院のあたりのケヤキは、もうたっぷり葉をつけていた。そして比叡山の山腹にもちらほ… トラックバック:0 コメント:0 2012年04月20日 続きを読むread more