テーマ:山中智恵子

山中智恵子の歌二首 風売る老婆・風研ぐ少女

 再掲しておこう。   わがゆめの髪むすぼほれほうほうといくさのはてに風売る老婆   たたかひを過ぎて古鏡にあらはるる風研ぐ少女風売る老婆       山中智恵子『みずかありなむ』「鳥住」  一首目の歌は長く長くひらがながつづいた後に「風売る老婆」が姿を現わす。「風」とは何か? どうすれば「風」を売ることができるのか…
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今日は満月 去年この夜、更級で

京都東山の月 (2011.10.11)  今日は満月。外に出ると雲一つない山の端の空に皓皓とあるいはむしろ煌煌と照っていた。これは二日前に信州諏訪湖の近く、原村で見た月だ。あれからまた力を得て輝いている。  去年はこの晩秋の満月を更級で見たのだった。確かに更級の月は、月見をするに絶好の場所だ。その東の山の上にかかる月…
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この時季、さみどりに萌えて明るませるもの

 この時季、いっせいに薄い色の若葉を出す草がある。その草たちが告げることがある。 > わたしたちは希望を失っていない と、こう伝え直すことができるだろうか。  この草の若葉のさみどり色によって、明るませられるものがある。ほんとに、淡く、薄いメッセージなのだが、ここには確かにそれがある。 (写真14枚、カメラ:ニコ…
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鴨川河原で 写真14枚

 久しぶりに鴨川。前回の写真以来。日差しが思わしくなく、それで空の明るい鴨川河原に行ったのだが。  こちらは、色鮮やかだった。目を洗われる気がする。  (最後に山中智恵子の水際の歌一首)   …
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睡蓮湖 八甲田の思い出

 一昨年、2009年9月19日、岩木山お山参詣の後で、藤村(克裕)さんらと十和田湖から八甲田へ行った。  写真を整理していて、その時の写真が出て来たのだが、八甲田高原の睡蓮沼の写真に気がついた。睡蓮沼と呼ぶのは、ここにスイレン科のエゾヒツジグサが自生しているからだという。美しい場所、美しい景色があるのだと思う。この場所は最初、長野…
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山中智恵子と塚本邦雄

最近気づいたこと。山中智恵子の、   ただよひてその掌(て)に死ねといひしかば虚空日月(こくううじつげつ)夢邃(ふか)きかも         『虚空日月』「虚空日月」 と、塚本邦雄の、   馬を洗はば馬のたましひ冱(さ)ゆるまで 人恋はば人あやむるこころ         『感幻楽』 が、大変よく似た所を歌…
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四月七日の雲と桜

 この日は雲のことを気にしながら走っていた。同志社からの帰り道だ。なぜ? ということをたいていの人はわからない。それでいい。特に何ごともなかったようだし。この日上空を放射能雲が駆け抜けたはずだ。雨と重ならなかった幸運をともあれ喜ぶ。特に異様な雲も目につかなかった。そして桜が少し目に入った。街路樹に桜というのもありなのか、と意外の感。…
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岬にはむらさきふかき神います

  岬にはむらさきふかき神います扇一揆の雪のあけぼの            山中智恵子『虚空日月』  山中智恵子の歌一首を紹介しておきます。 (琵琶湖、竹生島にて撮影)
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歌一首:オリオンに追われて病める

日本歌人十一月京都歌会の拙詠一首:   オリオンに追はれて病めるきみなればわたしの夢に空よりきたる 山中智恵子の『風騒思女集』の中の一首の、われときみを逆にしただけで、私の作品とは言い難いが、だがこうした趣向でも一つの繋がりが開かれ、智恵子の歌の矢をさらに継いで行くことができる。 「空よりきたる」は『梁塵秘抄』の…
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夢の先には歌、歌の先にはなにがある?

ロベルト・シューマンの《トロイメライ》。その曲が告げているのは、人生とは夢を思い描いて、そして失って行く、その営みのことだけだというメッセージのように思う。こんな理解でいいのだろうか? つづめて言えば「人生は夢のあとさき」ということだ。 山中智恵子の『風騒思女集』の中に示されている、おそらくこれまでだれ一人として考えた…
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横雲の模様をつけて陽は沈む 若草山から

 車で、若草山に行った 秋の美しさに充たされ、時を忘れる。最上の美しい時間。ふと、「この夕暮れにおまえは死ね」という言葉が聞えてくる。それは秋のことばだったのか? 向うの低い山の端に近づいて、太陽は木星のような横縞の模様を身につけた。 そして山の端に隠れてゆく。歌一首:横雲の模様をつけて陽は沈む…
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山中智恵子を偲ぶ会でもらったもの

 もう二年ぐらい前になるのだろうか。「山中智恵子先生を偲ぶ会」に出た。山中さんの地元の、鈴鹿市鼓が浦のホテルで催されたものだが、山中さんの教え子のおばさんたちが主催したもののようだった。とても楽しい会だったのだが。その時に手書きのものを貰った。主催者の側のひとりひとりが、山中智恵子の思い出を綴ったもので、参加者のひとりひとりがそれぞ…
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天心秋をひたす面影

  在らざらむこの夜ののちを言はなくに天心秋をひたす面影                山中智恵子「虚空日月 二の抄」 ここで歌い当てられている「面影」とは誰の面影なのか? 父親なのか、師の前川佐美雄氏なのか、他の人なのか。そんなことが不意に気になる。  面影が、面輪がはっきりと目間(まなかい)に浮かぶこと、そ…
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吹く風に 山中智恵子の一首

吹く風にひとを愛(かな)しといふ勿れ睚(まなじり)浄くふかく棲まへば            『虚空日月』「逍遥遊」  (はたから余計なことを言われたくないということだ)
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佯狂の問題 ---中村生雄に

佯狂の問題。山中智恵子の日本思想史における最大の仕事は、佯狂の問題を正しい位置で、つまり最もクリティカルな場所で示して見せたことではないか。つまり斎宮の佯狂である。これを、一体誰が制御することが出来るだろう? ---誰もいない、ということを山中智恵子は示した。折口の問題、「みこともち」の問題をさらに一歩先へ進めた。その極点まで。 …
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一揆

 一揆は起すものではなく、結ぶものだ。 これが一番大事な点だ。 その証歌一首。 飛鳥飛花一揆をむすぶ水の上にひとたびを今ゆきわかれなむ    山中智恵子「虚空日月二の抄」初出形 歌集に収められた形において、この「飛鳥飛花」は「飛花飛鳥」に改められた。 だがわたしは、「飛鳥飛花(ひちょうひか)」の方が美…
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萌黄 むなしからぬを

昨日「萌黄」を撮りに行った。植物の萌黄の美しさを。 その萌黄の美しさを代表する写真としては、これ一枚でいいか? ほんとは「萌黄」がどんな色なのか知らない。 わたしにわかっているのは春にも植物が赤く「もえる」ということ。 それは「萌える」という字をあててよいだろうということ。 そういうことだ。 前に津軽で、西目屋村…
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山中智恵子忌

山中智恵子作歌 三首 水くぐる青き扇をわがことば創りたまへるかの夜へ献(おく)る   山中智恵子 『みずかありなむ』 青き扇水くぐりゆきわが脳(なづき)に入りゆくと視き夢の夢かも       『青扇』「頌 アンドロギュノス」 星は医師と誰か言ひけむ こはれゆく銀河を仰ぎとどめむものを       『青扇』…
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なめとこ山の死の贈与

     はじめに  宮沢賢治の『なめとこ山の熊』について論じてみたい。この作品についてわたしは、昨年(2002年)、「『なめとこ山』の山の神」という論文を書き、そこで、熊の生態やわが国の狩猟文化をふまえた観点から、熊の自死の意味と熊たちによる猟師小十郎のいわゆる「送り」について論じた(1)。しかしそこではなお贈与の概念が曖昧…
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2006年3月10日未明の夢

忘れないうちに書きつけておきたい。 2006年3月10日の未明のことだった。わたしはめずらしく夢を見た。歌会か何かのようだった。山中智恵子さんが忙しそうに立ち働いていた*。山中さんは三十代に見えた。若々しかった。 その席にわたしの友人たちもいた。だがまったく歌に縁のない男たちだ。高校のバドミントン部の仲間たち。大貫とか渡辺とか三…
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わたしには三人の師と……

わたしには三人の師と、一人の先生があった。 三人の師とは、邂逅した順で、山中智恵子と、カールハインツ・シュトックハウゼンと、ジル・ドゥルーズだ。 山中さんはわたしの詩に、「清新な抒情に感動しました」と言ってくれた。 シュトックハウゼンは、私たちの音楽を聴いて「音楽家」と呼んでくれた。 ドゥルーズは、わたしのテクスト(トビー・…
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「隠れたところでわたしを見る神」の死 ニーチェ対デリダ番外

「隠れたところで見ておられる神」、そのような「神」の死亡宣告がニーチェの「神の死」である、ということをわたしはだいぶ前から主張してきた。この点はしかしながらあのドゥルーズさえ主張していないことだったのだ。わたしがこの論点について書物で最初に語ったのは1996年のことだったから(「まなざしの行方」『新たの文明の創造』朝倉書店)、デリダ…
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情けない話 「関西土蜘蛛族」

先日東京で、ある新聞の文芸面書評欄担当者と話していたとき聞いたことだ。 東京では山中智恵子は関西土蜘蛛族の女酋長と呼ばれているのだという。 「関西土蜘蛛族」という言い方が妙に気になった。 いろいろ思うことはあったが、要するに東京では短歌というのは近代短歌でしかないということだ。短歌のなかに、歌の、和歌の歴史はまったく存在しない…
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昨日原田禹雄さんから封書が届いていた

 昨日、いつものように疲れて家に帰ると、原田禹雄さんから封書が届いていた。 中に山中智恵子さんが原田氏宛に出した「最後のハガキ」が入っていた。平成十七年十二月二十九日八時から十二時の消印がある。 原田さんは「これを捨てるのもそうしないのも、あなたの御随意です」と記してくれている。  山中さんの字(手)を見るのは久しぶりだ。…
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山中智恵子論<9>、<10>をUPしました

今年の1月から『日本歌人』誌に連載していた拙論、「山中智恵子論」が10月号をもって完了しました。 それで、本日11月になったことで、わたしのホームページにUPしました。 「山中智恵子論<9> ノヴァリス・巫女・をなり神」 http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/ChiekoYn/Yamanak…
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原田禹雄さんから歌をいただいた

原田禹雄さんから次の歌をいただいた(10月3日)。「お礼に」ということだった。 ここで紹介しておきたい。     とりとめも        なき夢はてて          悲しみは  夜半にめさめし     身にしむるなり 悲しみ。その慟哭がうらやましい。 わたしには、 山中(智恵子)さんは、姨…
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神の死 夏神楽 そしてその先

夏神楽終りぬ天(あま)つ日のめぐり思ひつめたるうつせみの空    山中智恵子『虚空日月』「虚空日月二の抄」  昭和四十九年刊のこの歌集。この歌は、神の死ということを歌っているのだが、 没後の本年刊行の、 星は医師と誰か言ひけむ こはれゆく銀河を仰ぎとどめむものを    『青扇』「宇宙昏し」 の歌、「こはれ…
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山中智恵子『青扇』より

星は医師と誰か言ひけむ こはれゆく銀河を仰ぎとどめむものを              山中智恵子『青扇』  紹介しておきます。
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KAへのReメール 山中智恵子論の連載について

随分とご無沙汰しております。この度はメールを有難うございました。縁あって「山中智恵子論」を連載させていただいておりましたが、実際始まってみると毎回が諸説の批判の連続でした。先日最終第十回の原稿を出したところですが、結局第一回で出した問いに解答できないまま終わることになってしまいました。これをやると折口にたぶらかされた山中智恵子、結局…
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