テーマ:ヘルダーリン

《ヘルダーリンの「春」1828年5月》

 (現代語綴の)原文と拙訳、そして参照訳。(手塚富雄さんのヘルダーリンの翻訳には学ぶところが多い)  誤訳等がありましたらお知らせいただければ幸いです。[wenn]と[dann]の同時性にこそこの時ヘルダーリンが掴み取った充実が示されているように思います。  Der Frühling (Hölderlin) …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

《流れ Stroeme:『ツァラトゥストラ』第四部を読む》

 『ツァラトゥストラはこう言った』第四部19「酔歌」-4に次の言葉がある。氷上英廣訳で「もうわたしは死んだのだ。終わったのだ。…[中略]…ああ! ああ! 露がおりる。時が来た--- (Ach! Ach! der Thau fällt, die Stunde kommt—)」と言われているところにすぐ続くところである。 …
トラックバック:0
コメント:1

続きを読むread more

《小橋 京都古知谷》

 こんな詩を思い出した。 > Und über einen Bach gehen wohlgebaute Stege.  ヘルダーリン(Hölderlin)の「春」(Der Frühling)という詩の終結行だが、この詩は大学一年の時から好きだった詩だ。1828年5月の作だと今ではわかる。主語(woh…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

《小道》

 天上の争い、流れはおのれの流路を探さなければならない、等。これは大変重要な認識ではないか?  ヘルダーリンの『ムネーモジュネー』第二稿から、第4行目から8行目までを紹介する。 Hölderlin: MNEMOSYNE Zweite Fassung   Wenn nemlich ü…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

《夜の神の水 (Heilignuechternes Wasser)》

  先日日本歌人京都の忘年歌会が今熊野の澤正で開かれた。食事も歌会もともに魅力的な会だったが、その歌会でわたしが出した歌は次のものだった。 > くちづけに熱き頭(かうべ)を冷やさんと夜の神(ニュクチュルヌス)なる水を呑みたり この歌は多少問題にされたが、それはルビのように使われた「ニュクチュルヌス」のことだった。わか…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

《Mit gelben Birnen ...》

 写真はラインの滝の上流でボーデン湖の下流にあるウンター湖とその近くの梨畑。梨を見ても白鳥をみても、ヘルダーリンの「生の半ば」をまっ先に思い出し、それ以外の詩歌が浮かばないというのはこの詩がとても強い詩だからだろう。ラインの滝をみて、さらにボーデン湖を見に行ったのはこのヘルダーリンの詩の背景を見ておきたかった…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

《ヘルダーリンとシューマン》

 ロベルト・シューマンの曲と同名の《早朝の歌》という曲の第一曲で、ハインツ・ホリガーはシューマンの《早朝の歌》(op.133)の第一曲にヘルダーリンの最晩年(1843年)の「春」の詩を重ねて歌わせ、ひとつの驚くべき音楽世界を作っている。シューマンのその曲はあたかも日の出の時の荘厳さを音楽にしたような曲だが、しかし…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

《スカルラッティ》

 スカルラッティはいつでも知性を取り戻させてくれる。そんな音楽家は他にない。「いやらしく知性を掻き立てる」と評する人もいるかもしれないが。ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』や晩年のシューマンの幽明の境の世界に限界的な想像力で入り込んでいると、時にスカルラッティがとてもありがたくなる。もっともわたしが知っているのはスコット・ロスの…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

《シューマン》

 音の響きを確かめたくて、そしてできるならシューマンのこころを探りたくて、何十年ぶりかにピアノを開けた。郡山で子どもたちのために買ったピアノだが、子どもたちも触らなくなって久しい。  弾きたかったのは《早朝の歌》Op.133。シューマン自身が出版した最後の曲だという。そして、わたしの感じでは、早朝の霧の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

《生への讃歌》

《生への讃歌》 https://youtu.be/FIOIUlDB5yU  ルー・ザロメの詩にニーチェが作曲したこの曲、この曲についてルーは「それを彼は、一八八二年の夏、彼が私といっしょにチューリンゲン州のドルンブルクに滞在していた間に、作曲したのだ」と言う(原佑訳『ニーチェ 人と作品』。一語引用者が訂正…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

《『ツァラトゥストラ』の真理の水 これは何なのだろう?》

 ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』の中に「真理の水」という言葉が(私の知る限り)二度出てくる。いずれも第一部の「三段の変化」と「純潔」の中でだ。その後者の方を紹介したい。 > 認識に生きる者が、真理の水のなかにはいるのをいとうのは、真理が汚らわしいときではなく、真理が浅いときである。  認識…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

《ヘルダーリン1802年12月2日の手紙》

   ヘルダーリンの1802年12月2日付のべーレンドルフ宛の手紙の最後の部分をみてみよう。ここでヘルダーリンはすぐに返信をくれと切望しているのだが、それはプシュケあるいは「われわれの思想の発生」についての非常にデリケートな事情を明らかにしてくれているように思う。  まずはそこのところ、原文の紹介から。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

《ヘルダーリンの「生の半ば」》

 わたしが30歳ぐらいのことだったと思う。生協の食堂で上田閑照先生をみつけて、少し話したことがある。わたしは最近ヘルダーリンの「Hälfte des Lebens」を読んで考えていると言ったつもりだったのだが、わたしは「Hälfte」の発音に自信がなく、よく通じないようだったので、ヘルダーリン…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

《K's電気へ》

 午後意を決してK's電気へ歩いて行った。こんな時期道を歩いている人などほとんどでいない。何ということもないのだが、ほんのちょっとのことで行倒れになる可能性だってある。ただの当たり前の午後なのだが。K's電気ではイヤホンを買った。1000円以内で、1,2mはあって、ウェストポーチに入れて持ち運べるもの。ち…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

《女青(かはねぐさ)》

 久しぶりに原っぱに行った。はじめは何も目に入らなかったが、そのうち、今までもったことのない視覚が生まれてきた。三脚をつけて撮っていたのがよかったのかもしれない。D7100にシグマの標準系ズーム(17-70mm)で三脚をつけて撮るひとも多くないと思うが、撮れたのは三脚なしでは撮れない写真ばかりだ。撮りながら浮かんで来たのが山中智恵子…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

詩人

 「パンと葡萄酒」の中でヘルダーリンが語る詩人像は、わたしにはこれこそまことの詩人と思えるものだ。そこのところ、川村二郎の訳で紹介するとこうだ。 >  ……何をなし何をいうべきか >惨めな時代に何のための詩人か 私は知らない。 >しかし詩人は ハインゼのいう如く 酒神の聖なる祭司 >聖なる夜に 国から国へのさ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

秋草抄 その三

これからヘルダーリンに取り掛かる。 その前に《秋草抄 その三》を。 繊(ほそ)み ひそかな息づかい 塊(かたまり)感 ============ 追加 ============ ヘルダーリンの次のような詩行: Und die Pflanze …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

今しも夜が明ける

 朝の一時、窓から陽の光が入りはじめる時がある。今日は8時前だった。このごろは、比叡山の上から陽が射して来るので、山の上に乗る雲の厚さによって、その時は違うが、今日も陽が射して来た。  室内はこの時に一気に温度が上がる。あまり上がらないようにと、カーテンを広げる。クーラーを点ける時もある。  今日は、見ると雲や光のさまが特別だっ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

試訳 ヘルダーリン:「短さ」(Die Kuerze) 1798年

  短さ 「なぜお前はかくも短いのだ? お前は、以前のように、   もはや歌うことを愛さないのか? お前はしかし、青年として、     歌っていた、希望の日々に、       歌が終ると、決して思わなかった!」 わたしに歌があるのは、わたしの幸福だ。--- お前は夕焼けの中で、   喜んで全身に夕日を浴びたい…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『ヘルダーリン詩集』川村二郎訳、岩波文庫

書評というよりは、本と詩人の紹介になるのだろう。ともかく以下がそれだ。   *   *   * そんなに厚い本ではないのだが、大事な詩はほとんど収められている。ヘルダーリン(Hölderlin,1770-1843)の詩はギリシアの、ムーサイ(ミューズの神たち)に愛された詩人の本来の姿を伝える。詩人であるとはもと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ヘルダーリンの「パンと葡萄酒」 “Brot und Wein” von Hoelderlin

ヘルダーリンの詩の朗読CDが手に入った。朗読はBruno Ganz。正確な韻律で読んでいるものと思う。 エレギー、とかオーデとか。 自分の思っていた読み方とずいぶん違うので、驚くと同時に、ヘルダーリンの詩が普通の詩人の詩とまったく別物なのだということがわかる。 ほとんど呪詛に聞こえるのだ。多くのドイツ人にとってもそうなのだと思…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more