テーマ:シラー

《ニーチェとシラー:「英雄」をめぐって》

 ニーチェがシラーの『群盗』について記している1859年8月24日のノートを紹介しよう。太陽の没落に英雄の死を重ねて見る見方で、これは周知のように『ツァラトゥストラ』の序説の冒頭に提示されるテーマである。そしてさらにこれはルー・ザロメのニーチェ理解の本質をなす洞察でもある(1882年8月21日のパウル・レー宛のルーの日記)。プフ…
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《「現在のならず者どものアテーネ」》

グラウビュンデン州の山 (サン・モリッツ近く)  あるドラマの中にこんなセリフが出てくる: >---何しろ、いいかね、おれはいつも言ってるんだが、まともな男(ein honetter Mann)を作るには、どんなやなぎの切株を材料にしたっていいけれど、悪漢(ein Spitzbube)をこさえるには、知…
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《ブラームスのDem dunkeln Schoss der heilgen Erde》

 この曲がシューマン最晩年の『早朝の歌』作品133-1の旋律にかかわりながら作られていること。この曲に込められたブラームスの祈願の本質は何なのだろう。「種撒く人」の主題になぞらえているが。わたしにはあるストーリーが浮かんでくる。  歌詞は以下だ。 Dem dunkeln Schoß der heilgen Erd…
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《「歓喜」について シラーの頌歌の》(2)

 シラーの「歓喜への頌歌」の第3節を若干のコメントとともに訳してみよう。第1節、第2節はトピックが人間的なものの範囲の中に収まるので、それほど顰蹙を買うこともなく引用したり利用したりできるが、しかしこの先はシラーは自然について、動物的な自然について語ってゆくので、それを引用したり利用したり翻訳したりするのに少なからぬ覚悟がいるか…
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《「歓喜」について シラーの頌歌の》(1)

 今まで読んだことがなかったのだが、『歓喜への頌歌』のなかでフィリードリッヒ・シラーは「歓喜」についていったいどんなことを考えているのかが気になって、読みはじめてみた。この歓喜への頌歌には、作詞年で言うと1785年版と1803年版がある。この詩はフランス革命時にラ・マルセイユーズのメロディーに乗せて歌われたと言わ…
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《ジェノヴァの桜》

 去年、オルタの帰りにジェノヴァに寄った時の桜。フェラーリ広場から海の方へ古い町を少し散歩しているときに見つけた花。3月11日。  シラーの『フィエスコの叛乱』を読んでいると、提督アンドレアス・ドリア公爵の甥のジャネッティーノの乱脈ぶりは、まるで今の日本の政権のありさまを見ているようだ…
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