テーマ:飛騨

天生峠は緑の悦楽

政井みねの墓、専勝寺(旧河合村) 案内板に、 明治21年2月3日出生 明治42年11月21日死去 と記されている。 みねの墓前の花。何かを慰めてくれる。 寺の向山。 信州奈川渡ダムのほとりの、ここまで戻った。 天生峠(河合村側) 天生峠(白川村側) 同前  東山魁夷の…
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今日は素晴らしいことがたくさんあった(飛騨高山)

 今日は素晴らしいことがたくさんあった。素晴らしいことというのは、思いもかけない出会いを含むものだが。  まずは飛騨のみどり。この時期毎年飛騨に行っているのだが、今年は山が例年と違った。まず郡上の明宝あたりで、例年ならさいているヤマボウシの花が、まったく見られなかったこと。そして飛騨に入ると、その緑…
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飛騨のせせらぎ街道

 20日の日は国府の老人介護施設に入っている義叔父の見舞いに行った。施設は清潔で明るく、山の紅葉も見え、流れる宮川も見え、よい環境のところだった。義叔父はいろいろなことを忘れていたが、義母や妻と話しているうちに少しずつ記憶が戻って来ていた。ずっと木工をやってきた人だった。温厚で、考えてから物を言う性格は変わらない。  暗くなら…
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飛騨清見

 義母の体調がよくないと聞いて、土日、妻と高山に行って来た。さいわい、そんなにわるい感じでもなかった。三人で宮の方の温泉に行った。臥龍温泉というところ。外の露天のところには源泉掛け流しのところがあって、その温泉の力をもらってきた。少し元気になった気がする。  土曜日はずっと雨。日曜日はかなり晴れて、時々時雨。飛騨のあたりでも京都と…
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上宝村

そして五月八日は同じく飛騨の(今は高山市内の)上宝村へ。県道76号線をはじめて通った。車で国府から大坂峠を登って飛騨天文台の麓の蔵柱のあたりへ。 このあたりも田植えの時期になっている。八十歳代と見えるおじいさんが、鍬などを手に田仕事をしている。田起し、代掻き、土手づくりなど。ひとりふたりではない。何人も。機械を使ってない田があるの…
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飛騨せせらぎ街道 清見

連休最後の五月七日、飛騨高山に行った。ちょっと見たいところがあったのだが、もうこのころなら渋滞も収まっていると思って。まず見に行きたかったのは清見の楢谷のあたり。 普段は通り過ぎるだけになってしまっているのだが。 東海北陸自動車道を使って、いつもの通り長良川のサービスエリアで一休みする。そのSAのから林の向こう長良川が見えること…
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たくさんの熊棚 飛騨

昨日高山からの帰り道、少し寄り道をした。清見の、せせらぎ街道、麦島の近くのところで、今まで通ったことのない道を発見して、試しに入ってみた。入るとかなり長く先まで続いている。多分これが昔の竜馬峰越えというやつではないかと思った。以前読んだものの本に、坂本峠もきついが、竜馬峰越えはもっときつい、という話が記されていた。ぜひ一度行きたいも…
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飛騨らしい風景(2011年2月8日)

 普段なら熊狩りに連れていってもらっている時期なのだが、事情があってことしは取りやめ。来年からも多分もう行かない。2月7日でちょうど10年間、熊狩りに連れていってもらったことになる。山に入れなかった年は何回かあるが、あの誰もいない雪山の中のシンとした風景は、この世の別天地だった。  それで、熊狩りに行かないのなら大学で仕事がある。…
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これはスゴイ 飛騨のツワモノたち

山スキーではない、山スノボというものがあるようだ。 この映像、さすが飛騨のツワモノたちと感心する。 撮影者の方もスゴイ。 一瞬、ミスをすれば木に激突のはずだ。 http://manjitou.com/?p=3228 場所はどこだろう? 樹木相など、毎年橋本繁蔵さんに熊狩りに連れていってもらっている旧丹生川村…
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2003年2月5日の足跡(岐阜県高山市旧丹生川村折敷地)

 この日、橋本繁蔵さんに連絡が取れなくて、雪道歩きの練習に折敷地のあたりに来た。今はすでにダムになっているあたりでないかと思う。その時も工事用の車両は作業をしていた。だがまだ本体工事ははじまっていない。  そこで見つけた足跡の写真一枚。スノーモービルの跡の上に、キツネの足跡。それを横断するように自在に飛び跳ねているウサギの足跡、な…
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雪坊主

 飛騨・旧丹生川村山中。風のせいでこんなものが出来るのだ。 撮影: 2005年2月11日
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金胆(きんい)

 金胆(きんい)と呼ばれるものがある。熊の胆の中でも、飴色をしていて、細かく砕くときらきらと金色に輝くつぶつぶになる。そのキラキラの輝きは、照明を工夫しないと撮れないので撮らなかったが、先日「姨捨山」からの帰りに、高山でその金胆を買って持って使っているお姉さんに見せてもらった。光が当たるようにして見ると、ほんとに金の粒のようにキラキ…
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信州が少しうらやましい

 信州が少しうらやましい。それは平野から楽々とアルプスが望めるから。飛騨からだと、松倉山のあたりからしか、日本アルプスが一望にできない。それが少しうらやましい。  写真は松本城とそこからの西の山のながめ。気宇が、大きくなる気がする。だが飛騨も負けてはいられない。平地が少ない分山地が多いということだ。木と山の技でなら飛騨も負けない。…
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細道

 わたしが通ったことのあるいちばんの細道は、もう記憶でだけ語るのだが、白出(しらだし)新道だった。飛騨側から奥穂高に直登する道だ。白出沢から入る。  いまはもうどうなっているかわからない。当時のことももう記憶だけだ。30年ほど前に一度往復した経験しかない。この新道が出来たのでもう雪渓を歩かなくてもすむ、と聞いていた。  道は崖を…
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なも、いくをほとけ

中村生雄さんとの思い出というと、飛騨の供犠論研究会の時のことが一番大きい。奥飛騨の佳留萱山荘で一泊したが、わたしが薦めたこの旅館のことを、「よすぎるほどよかった」と言ってくれた。わたしも泊ったのはその時一回きりなのだが。  温泉はしばしば行く。  先日、九月十四日にも、旅の汗を流しに入浴だけさせてもらってきた。  温泉の中…
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先日義父の一周忌の法要をした

先日義父の一周忌の法要をした。 義父が亡くなって、 わたしは大きな支えを失った。 生活のことでもそうだし、 また飛騨学のことでもそうだ。 義父に対して、わたしは 安心してものをたずね、 そして間違えのない答えを得ることができた。 飛騨のこと、飛騨の山中での生活のこと。 雪山の中で、どうして枯れた木を見分けら…
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  あやしげな鎮魂 (追い出しの思想)

 狩猟文化の研究をして、熊狩りをする猟師のいる村々を訪ねていると、その村に住んでいた人々が、ダムを新設するために追い出されるということを幾度か経験する。青森県西津軽郡の砂子瀬・河原平(目屋ダム・津軽ダム)、岩手県花巻市湯口村豊沢(豊沢ダム)、岐阜県揖斐川上流の徳山村(徳山ダム)、岐阜県丹生川村五味原(丹生川ダム)などだ。最近では…
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最高の一日 2009年2月15日飛騨山中

今年も、2月15日、猟期の最後の日に、橋本繁蔵さんに熊狩りに連れていってもらった。 橋本さんと行く冬の飛騨の山中は、人生最高の楽しみのひとつだ。 彼の技を間近にみせてもらえる。 そしてわたしもその技のいくらかを覚えてゆく。 熊穴を探る橋本繁蔵さん この木には新しい爪痕がある 同じく熊穴…
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飛騨の熊・嶽・霧氷の河

この話をしておこう。 飛騨には嶽(ダケ)がある。乗鞍嶽、笠ヶ嶽。 飛騨の熊はいざという時には嶽の方に入っていくはずだ。 そこまで人間は入ってゆくことができない。 乗鞍に熊を追って、霧氷の流れる河を体験した、と橋本繁藏さんは言っていた。 その流れにちょっとでも触れたら、何百メートルも飛ばされてしまう。 熊でもぶっ飛ばされて…
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円空、飛騨、そして義父

円空がそばにいる時、 それが円空だと気づく人は稀だ。 義父は円空のような人だった。 学はなかったかもしれないが、 何でも出来た。 そして正しい言葉を語った。 人の悪口を絶対に言わないひとだった、と義母はいう。 円空は飛騨の人。 飛騨の人の典型だったと思う。 ちょっと恥ずかしがって 美濃に生れたのかもし…
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義父・高義作の円空

義父は亡くなったが、義父の作った円空は残った。 高義作円空。 高義円空。 わたしにとって これは円空作の円空とかわらない。 少し表情が違うとは思うが。 誰かがこの円空を円空作円空と替えてくれるといっても わたしは取替えたいとは思わない。 少なくとも今は取替えたいと思わない。 きっと、いつまでも取替え…
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猟期が終わった

 2月15日。今年も猟期が終わった。  今年は大学の方の仕事が長引いて、13日にやっと飛騨に行けた。午後から雨だった。  その日は実家に泊めてもらうことにして、夜、橋本(繁藏、猟師))さんのところに電話した。折敷地の小屋の方でつながった。明日は山に入れない。明日の夜に凍みつけば山に入れるかもしれないが。様子を見るしかない、という…
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飛騨が終わる

飛騨が終わる。そんな予感がする。よそ者の単なる感傷に過ぎないのかもしれないが。冬に雪のない飛騨、そんなものは飛騨でない気がする。  白川村の尾神に育った義父の話を聞きたかった。だが結局それをしなかった。なぜしなかったのか? よく考えると、彼の人生を民俗誌にしたくなかったからだ。そんな気がする。ひとつの民俗誌のようなものには。彼はい…
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一月二十九日 義父が亡くなった

一月二十九日 義父が亡くなった。 妻の養父である。 妻と結婚して以来ずっと護ってくれた。 浄土寺、向島、郡山、菩提寺、……とわたしたちの住まいは変わり、 実家への行き方もそれぞれで変り、そしてまた時代とともに変わったが、 (高山線の列車で、41号線をバイクで、そして車で。高速を関ヶ原で下りたり、小牧で下りたり。昭和六十年、…
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飛騨2003年2月5日13時05分

パソコンの中を整理していたら出てきた映像。 なつかしくなった。 飛騨、2003年2月5日。それはわかる。 場所は多分夏厩(なつまい)。豆腐屋さんの前の国道の壁面。 その豆腐屋さんがやっている宿に泊った翌日の景色だ。 記憶に間違えがなければ、この後橋本繁藏さんのところに電話をして、熊狩りにつれていってもらえないだろう…
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飛騨の熊猟から人間と自然の関係を見る(中村科研報告書『東アジアの……』)

中村科研の報告書に私が書いたものは、大胆なのでなかなかいい。 「首狩に必要とされる技術は集団強盗のそれと大差がない」などは、首狩の文化的、精神的意義を(大いに)語る文化人類学者が決して言わない話でしょう。 優れた技術を要求しないものごとにわたしはあまり関心をもたないのです。そこが赤坂憲雄さんと違うところです。 柳田…
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