テーマ:ルー・ザロメ

《羚羊すら行く道を失うところ…:ニーチェの1876年夏の詩》

 もう三年半という少し昔の話になるのだが、わたしがタウテンブルク(Tauntenburg、ドイツ・チューリンゲン州)にいって4泊した時、そこのある案内板に記されていた詩のことなのだ。その案内板によればニーチェは1876年夏に創ったこの詩をルー・フォン・ザロメ嬢に捧げたということなのだ。まずその詩を写真とともに紹介したい。…
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《ニーチェの英雄論 資料1》

 1882年8月のタウテンブルク文書の中で、ルー・フォン・ザロメはニーチェを「英雄主義者」と読み取り、その英雄主義と対立させて自分の生き方を示そうとしている。このルーの努力は決して半端なものではなく、また浅いものでもない。多少は有名な彼女のニーチェ論『作品の中のフリードリッヒ・ニーチェ』はいまなお最高度に優れたニーチ…
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《トリープシェンのルーとニーチェ》

トリープシェンの湖畔 (ルツェルン湖)  1882年5月のおそらくはじめごろ、ニーチェはおそらくルーと二人きりでトリープシェンに行っている。ルーはその時の記憶を著書の中で次のように書いている。 >> Wenn ich diese kurze Schilderung lese, dann sehe…
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《三浦瑠麗とルー・ザロメ》

モンテ・サクロから見たオルタ湖 北イタリア  (2016年3月9日)  ある記事の中で三浦瑠麗はこう言っている。 >間違っていても、無駄なことであっても、それが人間の姿だと思うんです。私は人間に興味があります。 http://bunshun.jp/articles/-/6817?page=2  話…
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《生への讃歌》

《生への讃歌》 https://youtu.be/FIOIUlDB5yU  ルー・ザロメの詩にニーチェが作曲したこの曲、この曲についてルーは「それを彼は、一八八二年の夏、彼が私といっしょにチューリンゲン州のドルンブルクに滞在していた間に、作曲したのだ」と言う(原佑訳『ニーチェ 人と作品』。一語引用者が訂正…
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《ニーチェ研究資料1882年(2)思想家として自立せよ》

ナウムブルクのドーム このときニーチェはナウムブルクにいた  ルー・ザロメがニーチェに傾倒しそうになっていたとき、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークはルーに、警告ともとれる次のようなメッセージを送っている。ルーは最終的にはこのマルヴィーダの勧める道に従ったように見える。「研究資料1882年(1)」で少しだけ紹介した…
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《タウテンブルクの牧師館案内板より》

 情報提供をしておきます。ただし日本語は拙訳の試訳です。間違えなどお気づきの点があったらお知らせください。 Aufenthalt im Sommer 1882 wohnte hier Lou von Salomé und seine Schwester Elisabeth Nietzsche. …
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《ライプツィッヒ・アウエルンシュトラーセ 26》

《Auenstraße 26》  8月25日、今日はニーチェの命日だった。ホテルで静かに本を読んでいればいいのだが、読んでいると、その後のニーチェのこともすこし辿っておきたくなった。折角ライプチヒにいるんだから。  今回の二度目のライプチヒ来訪では、ゲバントハウスやトマス教会に…
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《ニーチェが死んだ》

 8月23日、ワイマールのニーチェ・アルヒーフに行った。あまり色々なものはないところだという印象だった。ニーチェの死後の出来事にわたしはあまり興味がない。  展示室に『ニーチェ・クローニク』という本が置いてあった。最近の研究者ならだれでもが座右に置いている本ではないかと思うが、わたしは持っていない。見せ…
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《マルヴィーダがコモ湖への旅で考えたこと》

 1876年6月3日、イタリア北部のコモ湖で、朝8時から四時間の湖上遊覧を楽しんだ後、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークはその日の手紙で若い友人パウル・レーに次のような考えを語っている。この手紙からはマルヴィーダの、沈着冷静に世のすべて、ひとの活動のすべてに眼差しを注いでいる姿がとてもよく伝わってくる。この彼女の意…
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《ニーチェから賢治へ 資料2 ---ニーチェとルーの聖なる遊び:生への献身》

◇ところでニーチェが遺した彼の考案になる聖なる遊びは何だったのだろう? 文章においても、そうしたものを幾つか上げることができるが、彼が作曲した《生への讃歌》(Hymnus an das Leben)はその最上のものの一つとみなせる。それについて数年後彼はこう語っている。 > 同じくこの中間期〔1881年8月から…
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秋の日

 昨日は久しぶりの休日だった。たいしたことをしていない。「ふたばや」が休業日らしく閉まっていたために、予定が狂った。それで市原野に行った。---透明で穏やかな秋の日差し。どこかで「あと二日の南国のような日差しを彼らに与えて下さい」というリルケの言葉がひびく。ルー・ザロメとJ.H.マッケイ(「モルゲン」の作詞者)の間に交流があることを…
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《生への讃歌》 拙訳つき

 フリードリッヒ・ニーチェ作曲、ルー・ザロメ作詞の《生への讃歌》(Hymnus an das Leben)の、楽譜上の文字テキストを起したものと、その拙訳を紹介します。併せて参考に、ルー・ザロメの《生への祈り》(Lebensgebet)のドイツ語テキスト(『回想録』のもの)と、その市販訳本日本語訳と拙訳を紹介します。  誤りを含め…
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《友情への讃歌》(HYMNUS AN DIE FREUNDSCHAFT)

 ルー・ザロメ/ニーチェの《生への讃歌》ないしは《生への祈り》を「友情への讃歌」と解釈する人間がいる。それが誰かを正確には知らないが、そのタイトルの曲を演奏しているのはJOHN BELL YOUNGだ。よい演奏だと思う。  だがそれ以上に、このタイトル《友情への讃歌》(HYMNUS AN DIE FREUNDSCHAFT)という翻…
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《生への讃歌》4 『神をめぐる闘い』の中の《生の祈り》

 ルー・ザロメは1885年の著作『神をめぐる闘い』(Im Kampf um Gott …)の第五章の終わりの所で、<>(生の祈り)というタイトルの詩を紹介している。これは、彼女が晩年『回想録』の中で提示している同名の詩とかなり違っていて、むしろニーチェが作曲した<>(生への讃歌)の歌詞と非常に近いものだ。便宜…
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生への讃歌

 「生への讃歌」のテキストを紹介しておきます。意外とこのテキストは手に入れにくいものだと思います。原典はライプツィヒのフリッチュ社から発行された楽譜です。今は注釈も、日本語訳もつけずに、原典の紹介を旨とします。役立てていただければ幸いです。 なお全体を一度見直しましたが、まだ誤りがあるかもしれません。お気付きの方はご指摘いただけれ…
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