テーマ:ニーチェ

《魚を釣ると魚を捕る angelnとfangen 『ツァラトゥストラ』を読む》

 問題にしたいのは些事かもしれない。ごくごく小さな問題かもしれない。しかしこのようなごくごく些細なことに重大な問題が隠れているかもしれない。少なくとも、ドイツ語を読まない読者の誤解を招く可能性はなくはないのだ。いまここで直接に問題にしようとしているのは『ツァラトゥストラ』第四部、「蜜の供え物」の中の次の一文だ。 >&…
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《アルプ・シュレイの近くに 『ツァラトゥストラ』第四部「求めてなった乞食」》

 『ツァラトゥストラはこう言った』第四部に「求めてなった乞食」(Der freiwillige Bettler)という章がある。その中に、これまで誰も注意したことのある人を知らないが、次の文章がある。まず氷上英廣の日本語訳で示そう。 >しかし、それにもかまわず山道を行き、登ったり、くだったり、時には緑の…
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《『ツァラトゥストラ』の中の「最も孤独な放浪」について 発表要旨》

 標記のものの400×400のものをアップロードします。後日日本宗教学会のHPで「発表要旨」として公開されるものの原稿です。ニーチェの問題に深い関心のある方にいち早くご覧いただけるようにとの配慮です。ご意見などいただければ幸いです。 ============ 《『ツァラトゥストラ』の中の「最も孤独な放浪」について…
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《『ツァラトゥストラ』の中の「わたしの最も孤独な放浪」について》

 標記のタイトルで日本宗教学会 第78回学術大会の会場(9月15日10:40から、第2部会)で「発表の要旨」として配布したテキストをここに再掲します。ご意見などいただければ幸いです。 『ツァラトゥストラ』の中の「わたしの最も孤独な放浪」について 中路正恒 京都造形芸術大学 日本宗教学会 第78回学術大会発表要旨…
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《ニーチェの「哄笑」は誤訳である》

 ニーチェを読むにあたってわたしが最も大きな恩を受けているのは氷上英廣の仕事、とりわけ『ツァラトゥストラはこう言った』の日本語訳である。だがしかし彼が同書の第三部の扉で、「あなたがたのなかの誰が、崇高になって、しかも同時に哄笑することができるだろう?」と訳すとき、ここにはやはりついてゆけないものを感じるのである。ちなみにそこ…
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《神の死の体験: 『ツァラトゥストラ』を読む(4)》

 『ツァラトゥストラはこう言った』第三部の「幻影と謎」の中にこういう表現がある。 >おお、ツァラトゥストラよ! 知恵の石よ、石弩(いしゆみ)の石よ、人びとの仰ぐ星の破壊者よ! あなたは、あなた自身をかくも高く投げた、---しかし投げられた石はすべて---落ちる! (氷上英廣訳、岩波文庫;一部変更、以下同) > “…
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《ツァラトゥストラとこびとの対決 『ツァラトゥストラ』を読む(3)》

 『ツァラトゥストラ』第三部2の「幻影と謎」の章は、ニーチェがもっとも強い決意をもって書いた一章だと思うが、言語と文章力の限界を超える試みがなされているように思う。いままで語られたことのないことが語られているのだ。だがこの章の読みかたをよく分かっていないひとがまだ多くいるように思う。ハイデガーもまだ十分ではないが(N…
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《ニーチェの英雄論 資料1》

 1882年8月のタウテンブルク文書の中で、ルー・フォン・ザロメはニーチェを「英雄主義者」と読み取り、その英雄主義と対立させて自分の生き方を示そうとしている。このルーの努力は決して半端なものではなく、また浅いものでもない。多少は有名な彼女のニーチェ論『作品の中のフリードリッヒ・ニーチェ』はいまなお最高度に優れたニーチ…
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《上田閑照先生にお会いしてきた》

https://youtu.be/U14BU33v0wY Panikguru Udo Lindenberg - Alles klar auf der Andrea Doria (feat. Panikorchester)  友人と宇治の方にお訪ねしてお目にかかってきた。先生は広い部屋で『八宗綱要』などを広げて読んでお…
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F・ニーチェの〈circulus vitiosus deus〉という思想  研究発表資料(4)

 標記の発表で配布した資料を4つに分けて公開します。配布した資料には下線等の強調を付してありますが、ここでは強調の手間を省いています。必要を感じた場合には追々付してゆくかもしれません。ニーチェ研究、クロソウスキー研究、あるいは宗教哲学研究の役に立てていただければ幸いです。 F・ニーチェの〈circulus vitios…
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F・ニーチェの〈circulus vitiosus deus〉という思想  研究発表資料(3)

 標記の発表で配布した資料を4つに分けて公開します。配布した資料には下線等の強調を付してありますが、ここでは強調の手間を省いています。必要を感じた場合には追々付してゆくかもしれません。ニーチェ研究、クロソウスキー研究、あるいは宗教哲学研究の役に立てていただければ幸いです。 F・ニーチェの〈circulus vitios…
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F・ニーチェの〈circulus vitiosus deus〉という思想  研究発表資料(2)

 標記の発表で配布した資料を4つに分けて公開します。配布した資料には下線等の強調を付してありますが、ここでは強調の手間を省いています。必要を感じた場合には追々付してゆくかもしれません。ニーチェ研究、クロソウスキー研究、あるいは宗教哲学研究の役に立てていただければ幸いです。 F・ニーチェの〈circulus vitios…
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F・ニーチェの〈circulus vitiosus deus〉という思想  研究発表資料(1)

 標記の発表で配布した資料を4つに分けて公開します。配布した資料には下線等の強調を付してありますが、ここでは強調の手間を省いています。必要を感じた場合には追々付してゆくかもしれません。ニーチェ研究、クロソウスキー研究、あるいは宗教哲学研究の役に立てていただければ幸いです。 F・ニーチェの〈circulus vitios…
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《F・ニーチェの〈circulus vitiosus deus〉という思想 発表要点》

 9月8日の日本宗教学会 第77回学術大会での発表の前書きと要点(一部修正済み)を公開しておきます。 はじめに ニーチェの『善悪の彼岸』56番の読解を通じて「circulus vitiosus deus」という表現が示すであろう永遠回帰の思想の深い地点について考察したい。考察は以下の要点に従って進められる。 要点: …
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《 とクロソウスキー: ニーチェ解釈資料》

1.テキスト  はじめに、ピエール・クロソウスキーがニーチェのの表現をどのように理解しているかが間違いなく理解できるように、論文「永遠回帰の体験」(『ニーチェと悪循環』所収)のその箇所を長めに引用する。なおイタリックは原著者によるものであり、下線による強調はすべて引用者によるものである。 > Les hautes t…
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《「現在のならず者どものアテーネ」》

グラウビュンデン州の山 (サン・モリッツ近く)  あるドラマの中にこんなセリフが出てくる: >---何しろ、いいかね、おれはいつも言ってるんだが、まともな男(ein honetter Mann)を作るには、どんなやなぎの切株を材料にしたっていいけれど、悪漢(ein Spitzbube)をこさえるには、知…
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《一日中》

7月9日の高野川 別の流路ができていたことにこれまで気づかなかった  一日中ひとつのクラスの期末のドイツ語の採点と評価をしていた。簡単に採点できる問題にしたつもりだったのだが、後半に自由度の高い問題を出したところ、ありうるいろいろな状況を想定して採点していると、予想もしなかった答えも正解にしなければならなくなってと…
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《「テネシーワルツ」「いつも何度でも」など》

  近々出版される予定のある本のゲラ刷りを読ませてもらっていた。読み終わると、なぜか、どこからか、「テネシーワルツ」の歌が聞こえてきた。その本に出てくる人が、多くアメリカの香りのする方々だったからかもしれない。そして、それが大事な人との別れの歌だからに違いない。---「テネシーワルツ」をわたしは一度もまともに聴いたことがなかった…
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《血と箴言の中には…(Zar. I-7)》

タウテンブルクにて (in Tautenburg)  血と箴言の中には何があるのだろう? 知っている人も多いと思うが、『ツァラトゥストラ』の中でニーチェは「みずからの血でもって書くこと」を勧めていた。「すべての書かれたものの中でわたしが愛するのはひとが自分の血でもって書いたものだけだ」とツァラトゥストラは言う。「み…
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《ニーチェの「南国で」という詩》

 はじめ『メッシーナ牧歌』に収められ、やや後に『プリンツ・フォーゲルフライの歌』に収められたこの「南国にて」という詩、これをわたしは一昨年シチリア旅行中に読んでいたのだが、ニーチェもこの詩を多分シチリアのメッシーナで作っている。この詩の最初の聯のなかの自分を客として招いた一羽の鳥は間違いなくワーグナーを指している…
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《1853年夏 ニルムスドルフの月夜の晩》

 「1844年から1858年の自伝」の中でニーチェはニルムスドルフ(Niemsdorf)に滞在していたある晩のことを特別に記している。それは1853年の夏休みのことと推定されている。ニルムスドルフは現在のチューリンゲン州の村だが、そこはナウムブルクとワイマールを結んだ線を挟んで、イエーナと対称になるあたりに位置す…
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《セガンティーニのWINDIGER TAG》

 去年スイスのシルス・マリーアに滞在していたとき、時間を見つけてサン・モリッツのセガンティーニ美術館に行った。そこで展示していた作品の中でも、この一枚はニーチェが逗留していたころのシルス・マリーア付近の様子をとてもよく示しているように思った。タイトルは「風の強い日/アルペンの中の昼」というもの。1891年の作だと…
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《ナウムブルクのマリーア・マグダレーナ教会》

《ナウムブルクのマリーア・マグダレーナ教会》 Marien-Magdalenen-Kirche in Naumburg (Saale)  ニーチェは父の死後ナウムブルクに移ってからも何回か引越しをしているようだ。1858年に書いた「自伝I」の中には、1856年におばあさんが亡くなった後、ハールザイ…
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《アルキュオーネの清明の天》

わたしの近詠: > 翡翠のアルキュオーネの時節とてニースの町の清明の天(そら)  冬の南仏ニース。ここでニーチェは『ツァラトゥストラ』第三部を書いた。翡翠(アルキュオーネ)が子を孵す冬至のころのこの地の透明な空と光からニーチェがどれほどの恩恵を受けたか、と思う。痛々しいほどに透き通った光。
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《トリープシェンのルーとニーチェ》

トリープシェンの湖畔 (ルツェルン湖)  1882年5月のおそらくはじめごろ、ニーチェはおそらくルーと二人きりでトリープシェンに行っている。ルーはその時の記憶を著書の中で次のように書いている。 >> Wenn ich diese kurze Schilderung lese, dann sehe…
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《三浦瑠麗とルー・ザロメ》

モンテ・サクロから見たオルタ湖 北イタリア  (2016年3月9日)  ある記事の中で三浦瑠麗はこう言っている。 >間違っていても、無駄なことであっても、それが人間の姿だと思うんです。私は人間に興味があります。 http://bunshun.jp/articles/-/6817?page=2  話…
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