テーマ:ニーチェ・なう

《ニーチェ巨石》

Ein mächtiger pyramidal aufgethürmter Block  この巨石の方が、ニーチェが永遠回帰の思想を感得したきっかけの岩塊に近いと思う。この巨石の位置は、二枚目の写真で写る滝との関係で把握できるだろう。 (写真15枚) Tür…
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《ピラミッド型の岩塊と近くの草原》

 世に言われるシルヴァープラーナ湖岸に立つニーチェ石ではなく、そこから300mほど離れた草原の奥にある力強いピラミッド型の岩塊(Block)と、その近くの草原の写真。永遠回帰の思想がニーチェを訪れたのは(ニーチェ石ではなく)、むしろこちらの岩塊の近くの方だったのではないだろうか?  こちらの岩…
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《シュレイから遠からぬ二つの三角岩》

 ほんとはこの二つの三角岩、ピラミッド型の岩について論を書かなければならなかったのだが、ついつい遅れてしまった。ニーチェが永遠回帰の思想を感得したところということで『この人を見よ』の中で言われている岩のことだ。通例は一枚目の写真の、湖岸(シルヴァープラーナ)の形の整った岩のことだとされているが、実は二枚目の…
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《ナウムブルクにてわが瞠しこと 2016.8.14》

 《ナウムブルクにてわが瞠しこと 2016.8.14》  ナウムブルクにニーチェは父の死後すぐに母に連れられて引越しをするが、今ニーチェ・ハウスと呼ばれている家に住むようになったのは彼が14歳の時のようだ。そして1889年1月トリノで倒れてからも幾つか病院を転院した後、母の看護の下この家で過ごし、その後妹の世話の下ワイマールに…
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《ワイマールにてわが瞠しこと》

 たまたま入った教会では目を瞠ることが二つあった。一つはそのキリストの磔刑像の設置の仕方。糸で吊られ、中空の見上げるところにそのキリスト像はあった。地に着かない場所に。  そしてもう一つはオルガンの演奏。きっと名のある方の演奏に違いないが、単なる練習ではなく、神との対話をもとめて、オルガンを奏し、歌を歌っているように思えた。心…
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《日本歌人2018年2月号草稿》

○沖縄に雪はふらぬとうるまにも雪はふらねど殺されにけり ○さみなしの米軍軍属に殺されてうるま乙女は姦淫の具 ○同盟のむなしきことを怒るとてうるまの無念地に刻むべし ○こと知らぬひとの行き交ふ雑踏に鳩の足もつことばを放つ ○みづうみに風立ちぬとて水茎の水は烈しく水際を打つ ○オー、オーと男…
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《「歓喜」について シラーの頌歌の》(3)

 シラーの「歓喜への頌歌」の第4節について考えてみよう。まずはドイツ語の原文(グーテンベルクプロジェクトの1803年版テキスト)と手塚富雄訳1959年を紹介したい。 Schiller An die Freude. 4. Freude heißt die starke Feder In der e…
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《「歓喜」について シラーの頌歌の》(2)

 シラーの「歓喜への頌歌」の第3節を若干のコメントとともに訳してみよう。第1節、第2節はトピックが人間的なものの範囲の中に収まるので、それほど顰蹙を買うこともなく引用したり利用したりできるが、しかしこの先はシラーは自然について、動物的な自然について語ってゆくので、それを引用したり利用したり翻訳したりするのに少なからぬ覚悟がいるか…
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《長楽寺清兵衛》

 もともと江戸時代のことについての知識の極めて乏しい私だが、とりわけ任侠の世界についての知識が乏しい。関心を持ちながらやりさしにしている仕事の一つが、「渡り抗夫」の問題だ。抗夫には渡り抗夫と地抗夫の違いがあって、それは師弟関係の系譜によって歴然と異なっているということを、ある渡りの抗夫から聞いて、廓然と一つの分野が目の前に開かれ…
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【小説】ALWE通り

ALWE通り  わたしはALWE通りを探していた。たぶんバーゼルの街で。だが、このALWEというつづりは、これが通りの名前とは思えない。それは何の略だったのだろうか? しばらく考えていた。そしてわかった。これは「Alle Lust Will Ewigkeit」の略に違いないのだ。そんな通りはどこにあるのか?…
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《ルツェルン湖の白鳥》

 トリープシェンのワグナー博物館を見にルツェルンに行ったのは8月13日(日本時間)のことだった。この博物館はぜひとも行っておくべきところだった。一つには展示されている絵画によってコジマの人物像がよくわかること。同じく絵画によって『トリスタン』や『ジーックフリート』の作品世界がよくわかること。それらによって私にはワ…
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《コルヴァッチ山 2》

 8月7日、コルヴァッチ(Corvatsch)山ロープウェイの中間駅で下りて、こうしてピラミッド石を一つ発見したのだが、それからどうしようかというのが次の問題だった。と言うのも、次にしたかったことは最初に尋ねた女性たちの教えに従って(多分別の)ピラミッド石を探すことだったからだ。だからロープウェイの谷駅まで戻らなければならない。…
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《コルヴァッチ山》

 8月7日の話。わたしがコルヴァッチ山に行ったのはそもそもニーチェのピラミッド石を探してのことだった。ニーチェ・クローニクの1881年のところに掲載されているピラミッド石を地元の人に見てもらって、この石を探しているんだがどう行ったらいいんだろうと尋ねた二人目の人がコルヴァッチ山ロープウェイの谷駅の係りの人だったこ…
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《ニーチェとピラミッド型の石塊》

《ニーチェとピラミッド型の石塊》  問題は割合簡単で、出発点になるのは『この人を見よ』の中の『ツァラトゥストラ』の誕生にかかわる次の説明だ。まずはその原文を紹介する。 > Ich ging an jenem Tage am See von Silvapl…
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《ニーチェの新しい思想たちと安らぎ---シルス・マリーア》

シールス・マリーアのニーチェの部屋 滞在中にニーチェが使っていた部屋がシルス・マリーアの「ニーチェハウス」に保存されている。  1881年8月14日付のケーゼリッツ(Köselitz)宛の手紙でニーチェはこんなことを言っている。発信場所はシルス・マリーアだ。 >それについて私は何も口外しないでおきたい…
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《20170808 シルスの岬の先端へ》

シルス岬西側の「ニーチェ思想石」 at シルス・マリーア  朝食後シルス・マリーアの半島の先端近くにあるという「ニーチェ思想の石」(Nietzsche Gedankenstein)に行った。前日の晩に宿のおねえさんが「Nietzsche Stein」を知らないかと尋ねたところ、教えてくれたものだ。「Niet…
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《2017.8.7コルヴァッチの岩雪崩》

一度目の岩雪崩 13時43分撮影 二度目の岩雪崩の走り 14時15分撮影  8月7日はほぼ一日中コルヴァッチの山中にいて実にいろいろな経験をしたが、わたしにとって最も驚いたのは、岩雪崩を見たことだった。それも雪崩の下の方にいて、もしこれが途中で止まらなければ、雪崩の流線の外に出るべく必死に動かなければなら…
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《ジェノヴァの天気とタウテンブルクの空気》

タウテンブルクの野の草 2016年8月17日  1882年1月19日の手紙の中でニーチェは先の月々(つまり1881年11月12月あたり)のジェノヴァの天気を三つの言葉で称賛している(新鮮で、純粋で、穏やか)の三語である。この三語で天気ないしは空気のよさを言い表すやり方は1882年8月24日の[KSB, 6, Nr.…
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《スイスへ、シルス・マリーアへ》

トリープシェンのワグナーとコジマの家 いつでも自由に使用できるようにと この家の二部屋をワグナーはニーチェに提供していた 写真と解説:ナウムブルクのニーチェハウス  ほんとはどうやりくりしても海外旅行など無理なところだった。だから今年はほんとはもうあきらめていた。ところがいろいろと思いがけないことが重なって、野田…
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《拙詠一首:皇子フォーゲルフライ》

メッシーナの港  前にも紹介したことがあるかもしれない。  拙詠一首: > 海峡を白い鴎が群れて飛ぶ皇子(プリンツ)フォーゲルフライのあれが友たち  去年の三月初めにシチリアのメッシーナで見た光景を詠んだものだ。シチリアではニーチェの『プリンツ・フォーゲルフライの歌』にまとめられた数編の詩を読…
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《この夏》

 今年の夏はシルス・マリーア(スイス)に行こうと思っている。ニーチェが『ツァラトゥストラ』第二部を書いたところに、同じ時期に行っておきたいからだ。シルスに一週間ほど泊まりたいと思っている。今年の春はラパッロ(イタリア)を逃してしまった。そこは10日ほどで『ツァラトゥストラ』第一部を書いたところ。去年8月のタウテ…
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《生への讃歌》

《生への讃歌》 https://youtu.be/FIOIUlDB5yU  ルー・ザロメの詩にニーチェが作曲したこの曲、この曲についてルーは「それを彼は、一八八二年の夏、彼が私といっしょにチューリンゲン州のドルンブルクに滞在していた間に、作曲したのだ」と言う(原佑訳『ニーチェ 人と作品』。一語引用者が訂正…
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《プリンツ・フォーゲルフライ 日本歌人3月京都歌会》

 今日(3月18日)は午後から京都歌会があった。突っ込んだ議論が交わされ、とても有意義な会だった。普段は出詠歌を歌会の後で変更することはないのだが、今回は変更することにした。変更後はこうだ、 >海峡に鴎が数羽群れて飛ぶ皇子(プリンツ)フォーゲルフライのこれが友たち  「プリンツ・フォーゲルフライの…
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《『ツァラトゥストラ』の超人論(1) 大地と没落機械》

   はじめに: 「国家の外」という問題  先にわれわれは『ツァラトゥストラ』の「国家=新しい偶像」論を一通り見た。そこでも国家の「外」というものが考えられていたのだった。その「外」は「大地」に拠りどころを持ちつつ、大地の上のどこかの座(Sitz)において、空を仰ぎ、そこに虹を見出し、そして超人への促し…
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《『ツァラトゥストラ』の国家論(3) 「国家の終わるところで」》

北イタリアのオルタのモンテ・サクロのフランチェスコ門    3.「国家の終わるところで始まること」  国家は終わる。そう『ツァラトゥストラ』は記す。しかしそれがどんな終わり方をするかは「新しい偶像」のアフォリズムの中では記されない。まずはこの国家という新しい偶像、この冷ややかな怪獣の放つ悪臭から逃れ身を守るこ…
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《『ツァラトゥストラ』の国家論(2) 「国家論」》

   2.「国家」について  ニーチェの『ツァラトゥストラ』の国家論は大層特異なものに見える。その特異さは、何よりも、国家の消滅したその先のところから国家を捉え直しているところにあるように見える。かつてニーチェは哲学者を性格づけて「国家以上の理想をもっているもの」と語っていた(『反時代的考察』)。『ツァ…
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《『ツァラトゥストラ』の国家論(1) 「民族論」》

オルタのモンテ・サクロで     はじめに  ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』第一部には重要な国家論がある。「新しい偶像」のアフォリズムがそれだ。その深さ、鋭さは、今日でもまだ未来の彼方に輝き続けているように見える。例えばベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』(Imagined Communi…
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《『ツァラトゥストラ』の真理の水 これは何なのだろう?》

 ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』の中に「真理の水」という言葉が(私の知る限り)二度出てくる。いずれも第一部の「三段の変化」と「純潔」の中でだ。その後者の方を紹介したい。 > 認識に生きる者が、真理の水のなかにはいるのをいとうのは、真理が汚らわしいときではなく、真理が浅いときである。  認識…
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《1883年2月13日---『ツァラトゥストラ』の誕生》

写真はジェノヴァから東の半島を遠望。この半島の東端がおそらくポルト・フィーノで、半島の東側付け根の湾がラパッロ)  ニーチェとルー(フォン・ザロメ)がタウテンブルクに滞在していた1882年8月13日から6か月が経っていた。この日二ーチェは『ツアラトゥストラはこう語った』第一部を完成させた。書き始めたのは2月3日だっ…
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