テーマ:哲学

「森の聖者」 "Einsiedler", "Zweisiedler"(ツァラ・ゼミ14)

新年度の「ツァラトゥストラ・ゼミ」が始まってもう数回目になる。ここで前々から書いておきたいと思っていた序説2の「森の聖者」のことを記しておく。ちなみに表題の中の”Zweisiedler”の言葉は『ツァラトゥストラ』第4部に出てくる。 はじめに問題にする部分の日本語訳を、いつもの通り岩波文庫、氷上英廣訳で紹介しておく。 …
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西村浩太郎先生の『パンセ』

先日ある小論(「鶴見和子 山姥を生きる ---晩期三歌集読解」2009.2.26脱稿)を書いていのだが、そこでわたしの解釈の背景を示しておこうと考えて、注でパスカルの『パンセ』の一文を引いた。有名な、「この無限の諸空間の永遠の沈黙はわたしを恐れさせる」という句である。原文は"Le silence éternel de …
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言霊?

本名でないと言霊は出ないって? そんなの言霊じゃない! (ノート)
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哲学者は猟師に似ている

哲学者は猟師に似ている。果てまで追いつめて殺す。仕留める。 何を殺すのか? 業の尽きた有情だ。思想もまた有情なのだ。そしてまた精神も。 そしてその時相手を成仏させてやることも忘れてはならない。「送り」によって、あるいはむしろ「食べる」ことによって。 解体や腑分けもしてやらねばならない。そして人はその肉を食べる。 これ…
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なめとこ山の死の贈与

     はじめに  宮沢賢治の『なめとこ山の熊』について論じてみたい。この作品についてわたしは、昨年(2002年)、「『なめとこ山』の山の神」という論文を書き、そこで、熊の生態やわが国の狩猟文化をふまえた観点から、熊の自死の意味と熊たちによる猟師小十郎のいわゆる「送り」について論じた(1)。しかしそこではなお贈与の概念が曖昧…
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折口信夫・釈迢空の「國」歌  (「風土と日本文化研究会」第十六回研究会発表資料)

折口信夫・釈迢空の「國」歌   (「風土と日本文化研究会」第十六回研究会、2006年11月18日京都造形芸術大学、発表資料) を公開します。 これは、 2006年9月3日、奈良県桜井市の談山神社で行なわれた「折口信夫博士生誕120年記念講演会」で『釈迢空の短歌と思想』というタイトルで講演をした際に使用したものを多少補足した…
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鶴見和子歌集『花道』 二十四首を読む

    はじめに   歌集『花道』は鶴見和子三つ目の歌集である。先の歌集『回生』にわたしはまことに目を見張らされた。そのしっかりと自分の感覚と肉体に着地している歌は、歌の新しい技法とともに、新鮮でまた感動的だった。わたしは自分のこころのおもむくままにそれについて短い鑑賞文を書いた「鶴見和子歌集『回生』」。  だがその…
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萬世橋を見てきた

九月十日のこと、二日目の授業が終わって少し余裕ができたので、夜隅田川の方に行った。隅田川大橋を渡って清洲橋へ、今度は清洲橋を渡ってこちら側の遊歩道をもどり、永代橋まで。そこから日本橋のホテルに戻り、そこでwebで「万世橋」を調べると、秋葉原の電気街の南の方にあるということ。そこなら行けそうだと思って行ってみる。秋葉原の電気街の方…
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内山節さんに特別講義をしてもらった

九月十一日、東京のサテライトキャンパスで内山節さんに特別講義をしてもらった。「哲学」の授業だ。ものすごく楽しかった。  授業をしてもらったのは午後の三、四時間目。はじめに『「里」という思想』をベースに講義をしてもらって、その後をディスカッションの時間にする。快く引き受けていただいた。  その楽しさ、面白さは簡単には説明できな…
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ドゥルーズの手紙

むかしドゥルーズにもらった手紙を紹介しておこう。 文面をタイプしておけば以下である。 ====== Gilles Deleuze 10/12/88 cher monsieur, je suis …
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神の定義2

先にわたしの「神の定義」の試みを示した。フランス語で。まずそれを日本語にして示しておこう。 神とは、わたしが、内面的に感知されるものである距離のパトスを肯定することの可能性の名前である。   ---中路正恒--- ちなみにフランス語の方は以下である。 Dieu est le nom de la possibilit&…
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鶴見和子歌集 『回生』

 ある方から鶴見和子の歌集『回生』(藤原書店)を送っていただいた。入院して歌を作りはじめたということは新聞などで紹介されていて知っていたが、実際に目にしたことはなかった。  手にとって読んでみると、素晴らしい。その一端を紹介してみよう。こんな歌たちだ。 一、我もまた動物となりてたからかに唸りを発す これのみが自由 二、…
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「超人」の教えは「大いなる軽蔑」を含む (ツァラ・ゼミ13)

京都造形芸術大学(通学部)の「総合演習・ツァラトゥストラを読む」の授業が昨日で終わった。演習で学生たちと議論を交わしていると、どんな風な語りをすれば話が通じやすくなるか、問題が共有されるようになるかということが少しずつわかってきて、わたしにとってもおおいに勉強になる。もちろん、『ツァラトゥストラはこう言った』の中でニーチェが何を言っ…
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山田晶先生からいただいた一通の手紙

 山田晶先生から一度お手紙をいただいたことがある。一九九七年のことだ。拙著『ニーチェから宮沢賢治へ』をお届けさせていただいた、そのご返事としてである。わたしはそのお手紙にずっと励まされてきた。以下その文面を紹介させていただきたい(上はそのコピーである)。  実は、この拙著、山田先生にお見せするのがいちばん怖かった。わた…
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野の道---西村アパート

  そして畑中の道を旅人は歩きぬ*  そんな詩行が島崎藤村の詩の中にあったとおもう。こんな情景が自然に浮かぶようになったのは一乗寺向畑町(京都市左京区)というところに長く下宿していたせいだ。大学に合格して、藤沢(神奈川県)の家から、京都に日帰りで行って、大学の学生課で斡旋してくれているところを見て、自分で決めてきた下宿だ。…
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わたしは人間を愛しているのです (ツァラ・ゼミ 10)

わたしは人間を愛しているのです (ツァラトゥストラ・ゼミナール10)  <承前>  http://25237720.at.webry.info/200805/article_3.html  (『ツァラトゥストラはこう言った』序説2)  カッコを付け直してみると分かることがある。それはここで老人(Greis)が…
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カッコを付け直してみる (ツァラ・ゼミ 9)

先に「ツァラ・ゼミ 5」 http://25237720.at.webry.info/200711/article_14.html で語ったことだが、ここで議論をもう少し分かりやすくしておこう。 『ツァラトゥストラはこう言った(上)』(岩波文庫、2006年7月5日、第63刷)の中で、氷上英廣氏は次のような訳を示している。 …
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Ein Buch fuer Alle und Keinen (ツァラ・ゼミ8)

ツァラ・ゼミを再開する。こういう仕事もついでの時間がないとできないのだが、さいわい京都造形芸術大学で「ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』を読む」という授業をさせてもらえることになったので、これを機会に『ツァラトゥストラ』の読解を進めさせてもらう。授業は日本語訳を出発点にして読み進めてゆくのだが、それでも当然内容をきちんと検討…
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「神は人間がつくった」という主張は不毛だ

「神は人間がつくった」という主張は不毛だ。 「誰が、何を、何のために(=何を狙って)神と名づけたのか」と問わなければならない。 これが多元論的な神の問い方だ。 (デリダも「神は……の名だ」と主張しているのである) 「誰が」というのは「どういうタイプの人間が」、ということだ。 この問い方を学べ!! たとえば…
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Dieu est ... (神の定義)

Dieu est le nom de la possibilité pour moi d'affirmer ...(神の定義) 神の定義を試みてみよう。まずはフランス語で。 Dieu est le nom de la possibilité pour moi d'affirmer le pat…
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神、距離のパトスを肯定可能にするもの ニーチェ対デリダ(追加)

(承前) デリダはなぜ「秘密」を必須の要件とするのか。語れば伝達される何事かが存在するのでなければ、「秘密を守る」ことに何の意味もないだろう。 「秘密を守る」ということがデリダにとって何か意味をもつのか? 語れば伝達される何事かが存在する場面で、デリダは「私が秘密を守ることの可能性」を考えているのか? それとも創世記のアブラ…
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ニーチェ・コントラ・デリダ(秘密と距離) ニーチェ対デリダ3

(承前) デリダの天才、それは次のような神概念の提出にあります。 「神とは、内部では見えるが、外部では見えないような秘密を、私が守ることが出来るという可能性に付けられた名である」 (『死を与える』p.220) 言い換えると、「鉾走」ができることの根拠の名ですね。 これはまったく天才的な神概念の転換だ……。 今日明…
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「隠れたところでわたしを見る神」の死 ニーチェ対デリダ番外

「隠れたところで見ておられる神」、そのような「神」の死亡宣告がニーチェの「神の死」である、ということをわたしはだいぶ前から主張してきた。この点はしかしながらあのドゥルーズさえ主張していないことだったのだ。わたしがこの論点について書物で最初に語ったのは1996年のことだったから(「まなざしの行方」『新たの文明の創造』朝倉書店)、デリダ…
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隠れたところでわたしを見る神 ニーチェ対デリダ2

(承前) デリダはこう言っている。マタイ伝6-6の「隠れたところで見ておられる父は……」(共同訳)を註釈して語っているところにおいてである。(ちなみに邦訳『死を与える』ちくま文庫p.186の「in absconditio」は「in abscondito」の誤り。また、"abscondito"は対格ではなく奪格なので、それを「隠れた…
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距離のパトス ニーチェ対デリダ1

(承前) われわれはここでひとつニーチェを紹介しておかなければならない。「距離のパトス」(Pathos der Distanz)。この概念である。われわれは「距離」の感情をもって関係し合うのである。そして「絶対的な隔たり」(デリダの「まったき他者」"tout autre")とはいつも錯覚であり、妄想であり、あるいは便宜であり、実用…
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Tout autre n'est pas tout autre すべての他者がまったき他者なわけでは

Tout autre n'est pas tout autre.  すべての他者がまったき他者なわけではない (他幾つかの解が可能)。 この定式をジャック・デリダ(Jacques Derrida)とその追従者たちに提示したい。 デリダが提示した"tout autre est tout autre"(すべての他者は/まったき他者…
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「きみたち」(lasst !):ニーチェの代名詞の技法 (ツァラ・ゼミ 7)

 今日(2008/1/11)の授業で初めて気がついたことがある。思想としてさほど重要なことではないのだが。テクニックとして、技法として、やはり見逃せない。  それは"nun lasst uns ihn auch sehen!"の"lasst"だ。  氷上英廣さんはそこをこう訳している:「さあ、実際にやって見せてくれ!」だ。この訳…
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三上寛の祖父語り 思考とテクスト 『津軽学』 3号

 『津軽学』3号には三上寛のエッセイが載っている。「『想い続け』て津軽。」という変わったタイトルだ。「ふるさと」について語ったものだが、わたしはとりわけその祖父についての語りに感嘆した。はじめにちょっと長いが、そこのところを引用しよう。「自分と向き合う」とはどういうことかについての思索の流れで語られたことだ。 > ただ…
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ニーチェ論の余白に

子供たちに時には美味しいものを食べさせてやりたい。わたしにはこれが非常に大きな喜びだ。そして肉は美味しい。旧石器時代の男たちもそういう喜びを感じながら獣を捕え、倒していたのだろう。  そのことを肯定できない人は、自分がこの世に生きていることも肯定できないだろう。 他者とは誰か、ひとはこの問いに抽象的にではなく答えなければなら…
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