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「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ

プロフィール

ブログ名
「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ
ブログ紹介
世界という大きな書物の中に見出した
かげろうのような一瞬の思い、
ポエジーを、
少しずつまとめてみたいと思っています。
文字による学問の外
 (文書への信奉の外)
デカルトより、さらに兼好に近く
兼好より、さらに芭蕉に近く
愚なること、無学なること、誰にも劣らず。


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Twitterをはじめました。
http://twitter.com/mnnakajist
暇があったら探してみてください。
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中路正恒の名を詐称することでGoogle検索の上位を得ているクズみたいなブログ/掲示板があります。
美術館で学芸員もしている人間の仕業のようです(多分芸術文化学科の卒業生)。それらにあまりアクセスしないようにお願いします。
わたしの方では今後も警察と密接に連絡をとってゆきます。
わたしのサイトと間違ってメールなど出さないよう、くれぐれもご注意ください。わたしの公式サイトには、「瀬谷こけし」か「スキタイの獅子」の画像があります(どちらも著作権保有)。

この問題では放置しているライブドアーの罪も重い。だが本当に重大な問題は、こういう悪質サイトを氏名検索の上位に載せるGoogleではないでしょうか? 悪意を商売に利用しうるのです。そのGoogleの危険性をみなさんも十分考えて下さい。次の記事も参考にしてください。http://t.co/JslQzWyz



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金環蝕の日、研究室の前のヤマボウシの花が咲いていた

2012/05/21 20:43
瀬谷こけし
 朝は金環蝕でうきうきとしていた。午後からは会議。研究室の前のヤマボウシの花が咲いていた。今日はじめて気がついた。

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金環蝕@京都

2012/05/21 09:53
瀬谷こけし
 金環蝕の写真、とりあえず3枚。京都の自宅で撮影。
 ピンぼけだが、多分金環になっている。

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富士山が見えた

2012/05/19 05:30
瀬谷こけし
 朝の五時前、四ッ谷の宿泊先から外を見たら、富士山が見えた。当たり前のことなのかもしれないけれど。急いでカメラを持ち出して撮った。
 昨日から東京で哲学の講義。初日の授業がまずまずうまくいったので、昨夜はよく寝ることを心掛けた。スターバックスで閉店の9時まで、さる方の卒業論文を読んでいた。やっと読む時間が取れた。朝は部屋が乾燥していて喉が渇き、加湿器のセットをして、昨日の授業の学生レポートを読んでいた。九割り方読んだところ。いつもこれを読んで、翌日の授業の方向修正などをする。今回はドイツ浪漫派について少し触れようと思った。昨日はセバスチアン・バッハの「御身が間近におられるならば」(Bist du bei mir)から授業に入った。そこから知的誠実性の問題に進んだ。そして堀文子とニーチェについて短く触れて、そこまでを導入部として、その後はフーコーの「ディシブリン的権力」についての説明。これについて、とてもよく理解してくれる人が多くて、ほっとした。
 これから、レポートのあと一割を読まなくては。今日の授業は、シュトラウスの「献呈」(Zueignung)から入ることに決めた。事務局に歌詞のコピーを頼まなくては…。


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写真3枚踊草 5月12日

2012/05/17 21:25
瀬谷こけし
 写真ばかり。5月12日の。
 東京からアップしてみる。

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桐の花

2012/05/17 06:16
瀬谷こけし
 この桐の花はどうなったのだろう? これは5月12日の写真。

 以前思ったことだが、上を向いて立ち上がる桐の花は、神社などで祓えに使う鈴と、姿がよく似ている。鈴の祓えの発想の源には、立ち上がる桐の花があるのではないだろうか。
 今日から東京へ。その前にこの写真をアップしておく。
 明日から三日間、哲学の授業。


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 三枚目の毛虫の写真はおまけ。上手に撮れたので。
 この毛虫もどうなっているのだろう?
 「桐の花」と言えは北原白秋だが…。
 そういえば一昨日は外で百舌鳥が啼いていた。この季節になぜ? と思うのだが、例のない寒さに、とまどいつつ、冬を予感していたのだろうか。
 この風土は、これからどうなってゆくのだろうか?









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巻きつかれること

2012/05/15 11:07
瀬谷こけし
 この原っぱで真直ぐに立つ草として生れたことは、ツル草に巻きつかれる可能性ももつということだ。一度巻きつかれたら、普通は最後まで逃れられない。それでも生育して、花を咲かせ、種を地に残せるものは多いが。
 また、運良く、ツル草に巻きつかれることなく、育ち終える草もある。
 またその格闘の日々が始まった。


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 芭蕉の句を引いておく(もう何度目かだが):

   桟(かけはし)やいのちをからむつたかづら (『更級紀行』)


 他方には、いのちをからみつけてゆく「つたかづら」のすさまじさがあるということだ。








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マミヤRZ写真術(4) 近接撮影

2012/05/14 23:26
瀬谷こけし
 140mmマクロが手に入った。RZ使用のリハビリもどうやら終って、ひとに見せられるような写真が撮れるようになった。そこで10枚。
 67カメラで140mmというのはやや長焦点で、だからマクロレンズといっても少し引いて撮ったようなものしか撮れない。希望をいえば100mmぐらいのマクロレンズがあるといいのだが。一枚だけ110mmの標準レンズで撮ったものがある。この距離感はかなりいい。
 この140mmマクロは、フローティング・レンズによる収差補正がついているので、撮影ではすべて利用している。比較のために使わないのも撮っておいたらよかったのだが、今回は比較は出来ない。
 またこのレンズはどうしても硬めに写るので、もっと軟調ネガフィルムを使った方がよいかもしれない。次には試してみたい。今回の撮影はどれもプロビアを使っている。
 接写リングは、R1、R2、R1+R2のすべての組合せを試みている。それぞれ写真の下に注記する。


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140mm, R1, f/32, 1/15sec.
水枯れ。
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140mm, R1, f/32, 1/15sec.
R1を使ってもっとも近づいて撮っている。
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140mm, R1, f/32, 1/15sec.
同前。
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140mm, R1, f/32, 1/15sec.
このレンズの典型的な撮影スタイル。
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110mm, f/32, 1/30sec.
こんなヨモギの姿。

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140mm, R1+2, f/22, 1/8sec.
R1+R2で最近接撮影。
もう一絞り絞れるが、これより遅いシャッター速度はつらい。
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140mm, R1, f/22, 1/15sec.
よく見ると美しい姿をしている。
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140mm, f/32, 1/8sec.
この草はこんな時から踊っているようだ
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140mm, f/32, 1/8sec.
同前。
いっそ、「踊草」と名づけようか。
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140mm, R1, f/32, 1/8sec.
すでにツル草に絡まれているもの多数。


使いやすいのはR1までだった。
もっと開いて(ぼかして)撮ってもよいかもしれないが、フィルム代を考えるとあまり冒険は出来ない。
結局、接写リングの効能からも、もっと焦点距離の短いマクロレンズがほしいところだ。



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蕪村と芭蕉: 蕪村筆「芭蕉翁肖像」の芭蕉句抄

2012/05/13 13:33
瀬谷こけし
 与謝蕪村は京都金福寺蔵の「芭蕉翁肖像」の上方に、彼自らが選んだ芭蕉の句十五句を書き記している。多少とも金福寺に縁の有りそうな句を優先しているところもあろうが、奥の細道の句もあり、また深川芭蕉庵での句もあるので、まずは彼の好みの句を選んで記したと考えてよいだろう。その冒頭に置かれた句はこの句だ。

  こもを着て誰人います花の春 (614) (元禄三(1690)年)(*1)
 
 これは知る人ぞ知る、元禄三年の歳旦吟の句だ。よりにもよって歳旦吟に薦を着るひと、つまり乞食を呼び出しているので、嫌悪する者、疑問に思う者は、一門の中にも少なくなかっただろう。蕉門俳諧の聖典とも呼ぶべき『芭蕉七部集』の中にこの句が収められていないことを、まずは指摘しておきたい。
 この句は、芭蕉にとっては、前年暮れに去来宅で鉢叩きの来るのを待ったことからのつながりで詠まれたものであり、そこに更に西行の『撰集抄』のなかの多くの乞食(こつじき)についての話がつながる。そして、身近なところで、奥の細道の旅の敦賀で再会して以来、この日々に同行していた門人の路通にもつながる。路通は、薦を着て、墨染の衣を着て、そしておそらくは鉢叩きをしていた人物なのだ。奥の細道の旅も当初は路通が同行者と考えられていたとみられる(*2)。
 この句は、花咲く春に、薦を着て、乞食(こつじき)の姿、生業をして貧を生き抜く人のなかに、まことの求道者がいるのか、いないのか、いるなら誰か、を問うている。この問は当然芭蕉みずからへの問でもある。その句を蕪村は、他の新春歳旦の句ではなく、芭蕉の精神のありどころを端的に示す句として、芭蕉の句抄の先頭に置いたのである。芭蕉がそれを元禄三年の歳旦吟にしたように、である。このことから、蕪村が芭蕉の何を心においていたのか、はっきりと見えて来る。言い方はいろいろあるだろう。さしあたりわたしはそれを「貧の精神」と呼んでおこう。貧に徹するところにまことの花は見えるのだ、という思想である。むしろ市井のひとであった蕪村にとっては、この精神はただちに継ぐことは難しいにしても、おのれの仰ぐ真の芭蕉の姿はそこにあったに違いない。蕪村の『洛東芭蕉菴再興記』は周到かつ穏やかなものであり、そこにみずからが芭蕉の何を継ぎたいかの明確な言は何もない。だが他方で心の中では、「芭蕉去ってそのゝちいまだ年くれず」(814)と感じる蕪村であった(*3)。あるいは「行く雲をみつゝ居直る蛙哉」(164)の句の蛙のような位置に、みずからを感じていたのではないだろうか。芭蕉と蕪村を繋ぐ細くデリケートな糸を描き出すことは大きな仕事であるが、金福寺をおのれの拠り所にしようとするとき、蕪村の目の注ぎ方は、芭蕉そのひとの精神の姿に直接つながろうとしているように見えるのである。
 ちなみに蕪村が前掲の肖像画に附した芭蕉の十五句は次のものである。ここに紹介しておく。配列は一年の季節の順である(*4)。

>  こもを着て誰人い(ゐ)ます花の春 (614) 元禄三(1690)年
>  花にうき世我(わが)酒白く飯(めし)黒し (148) 天和二(1682)年
>  ふる池やかはす(づ)飛こむ水の音 (265) 貞享三(1686)年
>  ゆく春や鳥啼魚の目(めは)なみた (484) 元禄二年
>  おもしろふてやがてかなしきうふねかな (415) 貞享五年
>  いでや我よきぬのきたり蝉衣 (299) 貞享四年
>  子とも等よ昼かを(顔)さきぬ瓜むかん (800) 元禄六年
>  夏ころもいまだ虱をとり盡さす (250) 貞享二年
>  名月や池をめくりてよもすから  (268) 貞享三年
>  芭蕉野分して盥に雨をきく夜かな (137) 延宝年間
>  あかあかと日ハつれなくも秋のかせ (550) 元禄二年
>  いな妻や闇のかたゆく五位のこえ (898) 元禄七年
>  櫓聲波を打て腸(はらわた)氷る夜や泪 (138) 延宝年間
>  世にふるもさらに宗祇の時雨かな (157) 天和二年
>  年の暮線香買(かひ)に出はやな (278) 貞享三年

     ◇ ◇ ◇

 わたしが目を注ぎたいと思っていることも、この蕪村の視線と深く関わるものである。そしてとりわけ芭蕉の弟子の路通という人物が気にかかる。芭蕉の奥の細道の旅は、路通ではなく、曾良が同行者になったことで、乞食(こつじき)の旅ではなく、比較的裕福な、余裕のある旅になったように見える。路銀のことは曾良にまかせておけばよい。また、道行く先々で芭蕉と一座の連歌を巻くことを永代の誉れと考える人々に遇される。それには色々な手配があったことだろう。だが、旅の道々で、芭蕉は、江戸やみやこの風流とは違った新しい風流の発見に目を注いでいるように見えるのである。奥の細道を旅する芭蕉の目には、薦を着て乞食の旅をづける路通の姿が焼きついていたのではないだろうか。後に路通に、

>  草枕まことの華見しても来よ (615)(*5)

の句を贈る芭蕉にとっては、まことの旅をすることによってはじめてまことの花が見えるようになる、という論理は、彼の風流の理論の核心にあるものである。だが、旅とは何か? 花とは何か? 探究を進めよう。




======================
註(文中で「(*+数)で表記」
(1) 芭蕉の句の紹介は原則として中村俊定校注『芭蕉俳句集』1970年、岩波文庫による。
(2) この分析については、光田和伸『芭蕉めざめる』青草書房、2008年、第一章を参照されたい。
(3) 蕪村の句は原則、暉峻康隆、川島つゆ校注『蕪村集 一茶集』、1959年、岩波書店(日本古典文学大系58)によって示すことにする。
(4) この軸の画像は、拙ブログ『世界という大きな書物』の「羅漢槙」のページで見ることができる。http://25237720.at.webry.info/201204/article_33.html
(5) 拙ブログの「春のスケッチ」のページにこの句の簡単な解釈を記した。https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do




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三枚の写真 さみどりに燃えるもの

2012/05/12 20:50
瀬谷こけし
 ノクターンのト短調(op.37-1)になった。アファナシエフの。この曲は厳しい。いつ聴いても厳しい。
 今日は草の、出てまだ間がない若葉の、淡いみどり色に魅せられていた。こんな美しいものがあるのかと。--- 先端とか端とかではなくて、内側で、中間的なところ。
 ほんのりと火が灯ったように明るい。

 みどりいろの花がないのは、この時期の葉がこれほどに美しいからではないだろうか。

 さみどりの色。

 草自体は、この時期とても凛々しい。


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 この時期の草の若葉の、どこが明るいか、一度ご覧になったら、とお勧めします。
 (2012.5.13)




ショパン:ノクターン集
コロムビアミュージックエンタテインメント
2006-12-20
アファナシエフ(バレリー)
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5月10日 原っぱの草たちの(スケッチ)

2012/05/12 10:02
瀬谷こけし
 写真ばかり。


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曇天で、寒く…

2012/05/11 21:26
瀬谷こけし
 夕方近くになって外に出たが、5月なのに、セーターが要るほどだった。

予感
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鳥が飛ぶ

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この時期、
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水枯れする草がある。
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見えない地下で植物は水争いをしている。

そして、
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一瞬、燃えるような夕日。

この夕日に会えたことで、
顔がほころんだ。










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九ヶ月ぶりにマミヤRZ

2012/05/10 23:13
瀬谷こけし
 マミヤRZ67というカメラ、昔よく写真館で使われていたカメラだが、そんな性格が雑草たちを撮る場合にも出て来るような気がする。ポートレートを姿よく撮ってやりたいという気になるのだ。このカメラを持ち出したのは9ヶ月ぶりになる。以前はその性格がよく分かっていなかった。色々なシーンで、デジイチの方がずっと撮りやすいと思った。だが、このカメラの持ち味を活かす写真を撮ってゆきたい。

今日の原っぱ
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葛(クズ)のつるの獰猛さに今年は気づいてしまった。







Mamiya RZ67 PRO 2 ボディ
マミヤ

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黒田のさくら祭り--- 地域にどう関るか? 「来訪する詩的なもの」

2012/05/10 08:31
瀬谷こけし
 今年の4月28日、黒田で「さくらまつり」が開かれた、---というか、開かれたはずだ。こんな言い方をするのも、わたし自身は行ってないからで、そしてひとのブログで、開催されたことを知ったからだ。今年は黒田の桜も開花が遅かった。「黒田」というのは、京都市右京区京北黒田のことで、ここで毎年さくらまつりが開かれるのは、ここにちょっと有名な黒田百年桜があるからだ。今年わたしはやっと時間が取れて、そしてちょっと予感がして、4月26日に出かけていった。行くと、ちょうどその日が満開だった。その日の写真を拙ブログに載せてある。
http://25237720.at.webry.info/201204/article_34.html
 26日があいにくと曇りだったので、翌27日も出かけていった。その日の空は雲一つ無く、快晴だった。そしてその桜を見ていて、そしてこの日桜を見に来ていた何人かのひとと話をして、感じることがあった。この桜にはうっとりさせるものがあった。
http://25237720.at.webry.info/201204/article_36.html
http://25237720.at.webry.info/201204/article_39.html
 この百年桜は山桜の変種で、一本の木に中に一重と八重、それと旗弁がまじるものがあって、なかなかめずらしいものだ。それに、八重といわれていても実際は花弁十枚程度のものが多く、むしろ二重と呼びたくなるような桜だ。「八重」ほどに重たいものではなく、軽やかな印象が桜樹いっぱいに広がっている。その百年桜の前にある「おーらい黒田屋」で、明日「さくらまつり」をすると聞いて、ガリ版刷りのような案内をいただいた。石窯を使って、ピザを焼く企画もあるということも教えてくれた。この石窯は、以前本学(京都造形芸術大学)にいらした松原先生の科研費による研究の中で、この村に導入されたものだ。その窯を、年二回、この「さくらまつり」と「ふれあいまつり」で使って、本格的なピザを焼いているのだという。この石窯も、この村の地域的統合に役立てられているのだ。
 地域の問題、それはまず今日地域的統合(regionale Integration)をどうやって築いていくか、という問題ではないだろうか。宗教的信仰や政治的世界観がすでに地域的統合のために役立たなくなった今日、どのようにして地域的統合のシンボルを築いてゆくか、という問をドイツ、カッセル大学ののデトレフ・イプセン(Detlev Ipsen)氏は立て、それに対して「詩的な場所」という概念を提唱した(1)。その土地を他の地域から際立たせ、その土地のシンボルとなり、そして外部に対して放射するような魅力をもったそいういう「場所」による地域的統合の構築の勧めだ。黒田の百年桜も、まさしくこのような力を持った場所であり、存在であると思う。
 だがもうひとつわたしが思うのは、この特別な桜の開花は、時を定めて来訪するものだ、ということだ。特別な場所で特別な時にだけ現れる詩的なもの、この来訪的な「詩的なもの」を、わたしはイプセン氏の、いつでもそこにあるシンボルとは別の種類のシンボルとして、ひとと地域との関りの核に想定しておきたい。開花する百年桜は、まさに「詩的来訪者」なのだ。


(1) DEtlev Ipsen, Ort und Landschaft, VS Verlag für Sozialwissenshaften, 2006, pp.135-146.





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「私はうたはない」 Lumix GF3 習作

2012/05/09 02:12
瀬谷こけし

  私はうたはない
  短かかつた耀かしい日のことを
  寧ろ彼らが私のけふの日を歌う
   (伊東静雄『わがひとに与ふる哀歌』より)

 伊東静雄のこの詩をなぜか思い出していた。とても辛い詩で、そして一つの決断を語っている。現実主義というより、生活主義の決断を。詩中の「彼ら」とは耀かしかった日々のことだ。そういう人生の照らし方。

 論文を書きはじめると、常時参考にする必要のある本が二、三十冊になるので、身一つでは移動できなくなる。重くて駐車場から研究室まで持って運ぶことも出来ない。研究室のそばに車が止められないと、仕事にならない。

 今日は、授業の組立てに必要な連絡が大いに進んだ。飛騨の授業の翌日、エクスカーションで、野麦峠の飛騨側、信州側の旧道をそれぞれ一時間ほど歩き、午後三時ごろ野麦峠で解散。そこから信州側に帰る人は会田先生に松本まで送ってもらう。私の方は高山に戻る計画。飛騨側、信州側ともにガイドについてもらう。飛騨側はT先生に手配をお願いした。信州側は会田先生に手配をお願いする。『続ああ、野麦峠』が手に入って、読んでいたが、飛騨の高根村から、野麦峠を越えて信州(奈川)に嫁に行ったひとはかなりいたようだ。

LumixGF3 習作
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カメムシもいる
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山の木の白いのは風に翻った裏葉


 シノゴも67(マミヤのRZ)ももって原っぱに行ったが、シノゴで撮るべきものも67で撮るべきものも見つからなかった。結局すべてGF3で撮影。
 ここのところGF3を一脚に着けて撮るやり方を試している。アポ・ランター90mmを着けて近接で撮る場合など、安定にかなり役立っている。





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こんなに大きくなって 草原のたくさんの草々

2012/05/07 23:12
瀬谷こけし
 おもに原っぱの草々。ちょっと見ない間に、ずっと大きくなってしまっていた。ツル草は宿業のように絡みつき、直立つ草はそれぞれに背を伸ばして。無明なことは去年と同じ。それぞれに美しい。---そこを見てほしい。

こんな季節
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さまざまに絡むつる草たち
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さまざまな草たち
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背比べ

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何虫?
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少し別のところで、桐の花が咲きかけていた







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きみの名は?

2012/05/06 18:12
瀬谷こけし
 隣の空地に見たこともない虫がいた。触覚がながーぃ虫。それもカーブして円弧を描くように伸びている。ちょっと水牛の角を思い出した。長くて、重すぎることはないのだろうか?
 空地があれば、草が生えて、そこに花が咲けば、いろんな虫たちがやって来る。その虫を食べに、ほかの虫や、鳥や、その他もやって来るのだろう。

 その空地に、夕方には日が射すようになった。
 今日は連休最後の日。

きみの名は?
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隣の空地に見たことのない虫が
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きみ、何ていう名前なの?


夕方、日が出て
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何となくきれいで、
この一画をパンフォーカスで撮りたかったが、
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結局、
こんな風に撮った方が、
まとまりはいい。








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今日の雲 (五月五日)

2012/05/06 01:44
瀬谷こけし
 昨日も今日も家から一歩も出なかった。紀要の原稿書きに追われていたから、ということもある。また、出るべき時期を逸したということもあるかもしれない。
 また、この連休中は、家の外に、好適な勉強場所がなかなかない、ということもある。ほんとなら気晴らしをしながら勉強したり、物を書いたりするのが好きで、習い性になっているのだが。ともかく連休中は予め計画を決めてどこかへ行くのでなければ、ほとんど行くところがない。それで家にいた。
 そして夕方近く、やや遠くに雷が鳴る中、空を見ていた。不思議な色の空と雲。そんな写真少々。

今日の雲
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西の空
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北西の空

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鳥たちもざわめきながら飛んでいる
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今日の比叡山(おまけ)






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こんな緑もきれいだ (横高山の緑--- Lumix GF3)

2012/05/04 23:54
瀬谷こけし
 こんな緑もきれいだ。これも昨日の写真で、山は横高山。


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こんな緑を心の中にもっていられたら、きっといつでも爽やかさを思い出せるだろう。

 今日は、芭蕉の弟子の路通の作品をさがして、『芭蕉七部集』を見ていた。もっとも路通らしい句はこれだろうか。

  きゆる時は氷もきえてはしる也 (955)

という句。『阿羅野』巻之七、「述懐」の中の句。
 「艸庵を捨て出る時」と詞書があるが、なくてもよい。精神の走り行く素早さ、迅速さ、潔さが見えればいいのだ。
 路通のような弟子がいたらどうしようか、というのが考えることの一つだ。

 もう一句上げれば、

  蜘の巣の是も散行(ちりゆく)秋のいほ (939)

の句。上掲同書同巻「旅」の中の句。住むことの無常を蜘蛛の巣にまで見て取るところが秀逸で、みずから僧形乞食(こつじき)をしていたというからには、貧に生きてゆく実力はあったのだろう。だが同時に、乞食のいかがわしさにも染まっていたのかもしれない。それなしには乞食も成り立たないのではないか。芭蕉に、草枕まことの華見しても来よ、と言われるのである(『芭蕉俳句集』615)。
 『芭蕉七部集』に収められた他の句を見ても、上に引いた二句にしても、どこか仏教思想の教条を楯にしているようで、さらにあと一歩の研ぎ澄ましが足りない。感覚と人生の研ぎ澄ましが足りない。身を削ぐようなつきつめと、そして乞食のまことが必要だったように思う。






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蕎麦を食べに朽木に行った

2012/05/03 20:27
瀬谷こけし
 蕎麦を食べに朽木に行った。そして色々なものを見て来た。

朽木に出かけ、見てきたもの
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この仔牛、今年の5月1日の生まれ。おととい生まれたばかり。
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空色の小さな花、忘れな草。
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これは何?
ドクゼリかもしれないので要注意。
『野の花』(山と渓谷社)にはドクゼリについて
「小葉はセリよりも細長い」と書いてある。
この植物、葉を口に入れ噛んでみると、セリと同じ香ばしさがあった。
セリ科であるのは間違えなさそう。
今は「コシャク(サク)」ではないか、と考えているが…。
http://bit.ly/K6sz33
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村境の古いトンネルを抜けると、
突然琵琶湖が見えてきた。
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ヤマザクラ。これが今年の見納めか。
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帰路、大原を過ぎて、
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やっと日差しに遇った。
萌黄色に息づく山を見るのも、今年はこれが最後だろう。



「ドクゼリ」らしきものについて、知らなかったので今回は根茎を調べていない。
上掲の『野の花』の本には「セリに似たものでタケノコ状の根茎があるものは食べてはいけない」とある。
葉っぱの噛んだときの香りのことが本にはなかなか出ていないが、写真のものは、セリにそっくりのにおいで、香ばしかった。香りでセリと判断してしまわないように、ご注意を。



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【参考】セリとドクゼリの比較:
http://www.naro.affrc.go.jp/org/niah/disease_poisoning/plants/w-hemlock.html

 このサイトの説の通りなら、葉っぱずいぶん違うので、セリとドクゼリを間違える人がそんなにいそうではない。また、このドクゼリは噛むとセリのような香りがするのか、ということ。噛んでセリのような香がすれば、摘んで食べてしまう人もいるだろう。

 そしてそうなると私の問題は、私の写真の「セリ(ドクゼリ)」みたいな植物は何か、ということ。そしてこれは有毒かどうか? 
 近くの農家の人に尋ねたのだが、これは「セリ」ではなくて、採って食べることもない、ということだった。だが噛んだときの香りはセリそっくりだった。

(2012.05.07追加)

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私の写真は「コシャク」かもしれない。

http://25237720.at.webry.info/201103/article_18.html

ドクゼリか? という記述は削除します。
(2012.05.13)






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春の写真スケッチ

2012/05/02 23:48
瀬谷こけし
 これから、春が長いなと感じそうなこのごろ。春の長さを怨むという感情を『雪国の春』は語っていたが、そんな季節に入って来た気がする。京都白川通りのケヤキなどはもう春を謳歌するような繁りようで、手が着けられない。ともあれまずはハッセルで撮った写真数枚。特によい写真だというわけではない。いわば春の写真スケッチとして。


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4/27 黒田
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4/28 市原
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同前
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同前
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同前


 今日はむしろ芭蕉のこの句を紹介しておきたい。

   草枕まことの華見しても来よ (615)

弟子の路通がみちのくに赴くに際して贈った句だが、「まことの華見」とは何か? 難しい。また、「も」にこめられたものを読み切るのも難しい。「乞食」ばかりでなく、という意は分かるが。路通との微妙な距離。「貧」と「華」の絶妙のバランスポイントの上を芭蕉みずからの句は踏み進んでゆく。



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