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「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ

プロフィール

ブログ名
「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ
ブログ紹介
世界という大きな書物の中に見出した
かげろうのような一瞬の思い、
ポエジーを、
少しずつまとめてみたいと思っています。
文字による学問の外
 (文書への信奉の外)
デカルトより、さらに兼好に近く
兼好より、さらに芭蕉に近く
愚なること、無学なること、誰にも劣らず。

=======
Twitterと Facebookをはじめました。
http://twitter.com/mnnakajist
http://www.facebook.com/index.php#!/masatsune.nakaji
これらは私からのメッセージです。わたしからのメッセージにはどれも「瀬谷こけし」のイメージがついています。
=========

私の「なりすまし」にご注意下さい。そのサイトは以下です。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/tad77/ (「h」省略)
ttp://ameblo.jp/designjimusho/ (「h」省略)。

間違ってメールなどを出さないようにご注意ください。
===
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《ライプツィッヒ−プラーグヴィッツ2016.8.24-25》

2017/01/21 07:50
瀬谷こけし

 ドイツを代表する文化都市ライプツィッヒだが、この旧市街中心の西側のプラークヴィッツ(Plagwitz)に行った日本人は多くないだろう。わたしはその前の8月12日に同市の旧市街で写真を撮っていたところ、自転車で通りかかった男性に「こんな再建築ばかりの街を撮っても面白くない。昔の姿の残っているところへ行ってみろ」と勧められ教えられた場所のひとつだ。その後またライプツィッヒに戻って、少し時間に余裕があったので行った。大きな化学工場もあり、戦争時代のことを強く思い出させる。プラークヴィッツの名が何に基づくのか知らないが「苦労・機知」というよりはチェコの首都プラハに基づく名称ではないかと思う。フランツ・カフカの苦しい生も連想させる。
 最後の方で紹介する壁面画は、どこか谷岡ヤスジのマンガに似ているが、波の方は北斎だろう。北斎の画の力はこんなところにまで及んでいる。
 プラークヴィッツへわたしはトラム(市内電車)で行ったが、鉄道駅もあるようだ。そのレストランでくつろいでいる人もいて、私もビールでも飲んでゆこうかと思ったが、トラムの発車時刻のこともあってそれはやめた。この町で誰とも話さなかったことが心残りだ。窓から手を振ってくれた女性がひとりいたが。



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《寒の水を汲みに》

2017/01/21 00:57
瀬谷こけし


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 寒水を汲みに花背峠に行った。汲むのはいつもの場所。寒水を汲むには大寒の今日が最良だと思ったからだ。それに前に汲み置いた水がなくなりかけていたから。コーヒーとそれに米磨ぎ用の一番水にはいつも汲み水を使っている。上に行くと雪がちらついていた。 帰り道は大原の里の駅に寄った。ニンジンや大根の根菜ばかりだったが、この時期では仕方がない。こういうものなのだろう。
 夕食にニンジンを調理した。歯ごたえも味もとてもよかった。黄ジンジンというのは初めて買って、初めて調理した。やっぱりこの時期のニンジンは美味しい。



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《今日で今年度の授業が終わった》

2017/01/19 04:41
瀬谷こけし


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 来週の15回目は期末テストにするので実際上の授業は今日で終わった。少しの解放感を味わっている。この解放感はジェノヴァの海の光景とどこか共通する。
 ジェノヴァはまだ歩き方がよくわからず、まだ数日ぐらい歩き回ってみたいところだが、そういえばこの海に船が渡る風景は、高校3年の夏、校舎の3階の教室で湘南の海を見ながら勉強していたときに見た風景とどこか似ている。海はわたしには外の世界に開かれる場所だった。そういえばプリーストリー(J. B. Priestley)の「10日間の船旅」(7日間だったかもしれない)という英語教材を勉強していて、とても深い感銘を受けたことも思い出す。こちらは、船旅の日々の何もない日常が懐かしくなるというテーマのエッセーだったが。そしてもう一つは実朝の「綱手かなしも」だ。江の島でも腰越でも、そんな小舟は何度も見た。それが「かなし」と見える見え方もわたしには遠いものではなかった。長く実朝の歌の世界に惹かれていた。
 ニーチェとの関連では、ポルトフィーノとジェノヴァとの「距離感」を確かめておきたいところだ。1883年だったと思うが、ポルトフィーノにとどまってなかなかジェノヴァに入らなかったことがある。それはどんな意味があるのか?
 イタリアにはいつでも行きたい。今も行きたい。ドイツには、少し計画をしてゆきたい気持ちになるが。


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《Heilichnuechternes Wasser(ヘルダーリンの「生の半ば」の中の)》

2017/01/18 04:20
瀬谷こけし


[nüchtern]の語源についてWebのDudenは次のように言っている。
http://www.duden.de/rechtschreibung/nuechtern

[mittelhochdeutsch nüehter(n), althochdeutsch nuohturn, nuohtarnīn < lateinisch nocturnus = nächtlich, ursprünglich = vor dem Frühgottesdienst noch nichts gegessen habend]。語源説明は「朝の神の奉仕の前のまだ何も食べていない状態の」ぐらいに訳せるだろか? だが、ヘルダーリンの「Hälfte des Lebens」
http://www.teeweg.de/de/varia/hoelder/haelfte.html

の中の[ins heilichnüchterne Wasser]の[nüchtern]の意味を考えようとすると、「酔いの中にも神聖な正気があるように」という神への願いを読み取るのがよいと思うし、そうなるとその神聖をもたらす神の名は夜の神バッコス=ニュクテリオス(ディオニュソス)であると取るべきで、
そうなると、ヘルダーリンのこの祈願の源にはオヴィディウスの『恋愛指南』(Ars Amatoria)の567-568行目(Nycteliumque patrem nocturnaque sacra precare, /Ne iubeant capiti vina nocere tuo.)があったと理解すべきではないだろうか(岩波文庫p.40)? 酒の酔いと接吻の酔いが変わっただけで、その酔いが正気を妨げないように、という祈願だ。

異論のある方はお知らせいただければ幸いです。


 ヘルダーリンの「生の半ばに」の原文は以下です。

HÄLFTE DES LEBENS

Mit gelben Birnen hänget
Und voll mit wilden Rosen
Das Land in den See,
Ihr holden Schwäne,
Und trunken von Küssen
Tunkt ihr das Haupt
Ins heilignüchterne Wasser.

Weh mir, wo nehm ich, wenn
Es Winter ist, die Blumen, und wo
Den Sonnenschein,
Und Schatten der Erde?
Die Mauern stehn
Sprachlos und kalt, im Winde
Klirren die Fahnen.


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《サンタ・マリア・マジョーレ教会の乞食》

2017/01/16 03:16
瀬谷こけし


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 拙詠一首:

> 寒波とてサンタ・マリア・マジョーレの宿なき乞食幾たり死にけむローマ


 もはや動き働くこともできず、物乞いでかろうじて生きていた、サンタ・マリア・マジョーレ教会近くでたむろしていた高齢の乞食たち。寒波はつらかろう。



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《秘蔵写真 バチカンの裏》

2017/01/14 02:11
瀬谷こけし


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 2016年3月13日の写真。バチカン市国の南西、城壁内で鶏などを飼っている場所の、城外。ヴァチカーノ通り沿いのバチカン側の草地。草地では小鳥もさえずり、城内から鶏の鳴き声が聞こえた。そこで放射線量を測ってみた。0,14μSv/h。驚くほど高い数値というわけではないが、ローマ市内の普通の観光地に比べれば倍以上だ。多分多くは福島産ではなく、チェルノブイリからの到来物。ローマでも貧しいアパートなどではこの倍以上の数値を示す。


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《スコット・ロスのレッスン》

2017/01/13 02:54
瀬谷こけし

 先にも紹介したスコット・ロスのレッスン動画。その36分35秒から37分30秒までところでロスの口をついて出たグレン・グールドのアルマンド(パルティータ第1番)の批判の件。

https://youtu.be/2OPBKP7c9Kg


 ここでロスは何がいいたいのだろうか? あそこで言う言葉の中に出てくるのは「バッハ」の名だけなので、彼の言っていることを聴いていると、「グールドの演奏はバッハではない」と言っているように聞こえるのだ。だがほんとうはロス自身何が言いたいのかわかってないまま語ってしまったのではないか? きのうからそこのところのことを何度も考えていた。そして今思っているのは、ロスが本当に言いたかったのは「グールドの、とりわけあのアルマンドの演奏はバロックではない」ということではなかったかということだ。というのも、舞曲の演奏ではない、と言う意味ではロスのアルマンドの演奏も舞曲としては弾いていないと言うべきだ。とすると何なのか? (ロスのパルティータもユーチューブで聴ける。音の響きはCDよりだいぶ落ちる)

 ロスには、演奏(解釈と研究)から導かれたきちんとしたバロック像があるようだ。グールドの演奏を否定するのもおそらくはそのバロック像に基づいてのことだ。---そのバロック像はどのようなものか? ロスの音響の作り方なだがそれは、豊富な残響の中に新しい弾音を次々に入れて生じるトーンクラスター(音の雲)のようの音響のを常に緻密・敏感・繊細・荘厳にコントロールすることではないかと思う。それこそ文化様式のバロックそのものではないだろうか? イタリア協奏曲の第三楽章はロスの演奏の性格がとてもよく表れているものだと思う。ヴィジョンとリアルの混在の芸術様式とバロックを規定すれば、ロスのバッハはそれの典型となるものでないだろうか。

 ロスのスカルラッティも驚嘆すべきものだ。トーンクラスターのコントロールはバッハ演奏と共通するが、ロスのスカルラッティには「時の関節を外す」ような忌々しさを予感させる反復がある。これはバッハには存在しないものだ。昨日ロスのスカルラッティ全曲のCD34枚がアマゾンから届いて、今日はその4枚を聴いていたのだが。去年の4月23日にロスのスカルラッティを初めて聴いて以来ロスのそれにすっかり魅せられている。(「時の関節が外れた」( The time is out of joint.)という言い方は『ハムレット』)




バッハ:チェンバロ名演集
ワーナーミュージック・ジャパン
2015-04-08
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《バロックとは何か?》

2017/01/11 02:13
瀬谷こけし


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ジェノヴァ・フェラーリ広場近く


 去年のいろいろな旅行(カターニア、ジェノヴァ、東ドイツ各地)から浮かんできた疑問の一つは「バロックとは何か」という問題だった。---それにはドゥルーズが一つの解答を出しているのは知っているが、ちゃんと取り組んだことはない。まずは装飾のひとつの様式と捉えるところからこの謎に取り組んでゆきたい。
 それには、今日届いて聴いていたスコット・ロスの音の響かせ方がヒントを、明るみを示してくれているように思う。ロスの弾くバッハは、精巧で豊饒な音の響きで、ひとつの音響のバロック聖堂をつくりあげているように聞こえる。それはグールドの演奏とはまったく違うものだ。その壮麗さは比類がない。イタリア協奏曲にせよ、パルティータの一番にせよ。グールドが劣るというのではないが、グールドのバッハはバロックではないとわたしも言いたい。---しばらくロスとともにバロックを探究する旅に出かけよう。




バッハ:パルティータ(全6曲)
ダブリューイーエー・ジャパン
1996-05-10
ロス(スコット)

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《音楽たっぷり ロス vs. グールド》

2017/01/08 18:28
瀬谷こけし

 スコット・ロスのレッスン風景。これがバロックだと教える。そしてメロディー。


https://youtu.be/2OPBKP7c9Kg




 36分35秒から37分30秒までところでロスは、グレン・グールドのアルマンド(「パルティータ一番」、BWV 825)の演奏に対して「自分はまったく理解できない」と言う。ここは圧巻。(ロスの言葉を)聴いていて息をのむ。---ここをグールドはスタッカートに切って走る。ごく短くしか歌わずに。ロスは、それはアルマンドではないと言おうとしているようだ。






バッハ:パルティータ(全曲)
SMJ
2012-10-24
グールド(グレン)

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《今年の松飾》

2017/01/08 01:31
瀬谷こけし


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 拙詠一首:

> 真夜すぎて松の飾りをはづしたり今年の松も美しかりき


(普通の時刻で言えば8日の午前零時を一時間ほど過ぎてから松飾をはずしたという趣。一本の松の枝を玄関の扉にくくりつけただけのものだったが、それに妻が半紙を巻き、朱の腕輪を巻き付け美しく作りなしてくれていた)
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《水族館》

2017/01/07 02:24
瀬谷こけし


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 大晦日の日に孫たちと水族館に行ってきた。こういうところはとりわけ子どもたち、つまり感覚な柔軟なうちに連れて行ったらよい場所だと思う。彼ら水棲生物たちには人間には教えられないものがあると思う。小さな、あるいは幼い子どもたちなら、見てそれで感じることのできるものがあると思う。そして子どもなら学ぶことのできるものが。幼い子の真剣なまなざしがそれを教えてくれる。


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《八甲田山雪中行軍遭難事件》

2017/01/05 05:04
瀬谷こけし

 あの210名中199名が死亡したという陸軍第8師団青森歩兵第5連隊の雪中遭難事件である。こういうものを見ると、この行軍訓練を計画し、実行した人々の中にクマ狩りをする猟師が一人でもいれば、だれひとり死なずにすんだだろうと思う。死んだ兵士の背嚢を燃やして暖を取ったという? なぜ木を切って燃やすことをしないのだ? 雪山での火のつけ方を知らずに雪山に入るのは死にに行くようなものだ。一人前のクマ狩り猟師なら、だれでも付近の木を切って、火を熾し、嵐の中であれ一晩中でも暖をとれるようにすることはできる。

 また兵士たちの装備をみると、特務曹長以上は長軍靴とカンジキを支給されているが、下士卒は靴も短靴で、これでは積もった雪の中は歩けない。腰の高さの雪を漕いで進んだと言うがこれは途方もない体力を使う。肝心の一般兵にカンジキを与えなかったことは、訓練計画立案者の浅慮と言う外はない。

 訓練計画の立案の時になぜ雪山歩きの専門家であるクマ狩り猟師を加えなかったのか?そして各部隊の中に一人ずつ一級の猟師を入れることをしなかったのか? こういうあまりに素人っぽい訓練計画を立てる軍隊はそれ自体がすでに物事を甘く考えることしかできない集団だったと言うべきだろう。兵士の命を消耗品のように粗末にしている。別働隊の弘前第31連隊の方は、隊長の福島大尉が勉強熱心で自身雪中の行軍に精通しており、また地元の案内人を7名つけ、そのアドバイスに従って無理をせず、だれひとり命を落とすことなく青森に到着する。士官の賢明さの違いが出た、と言うべきだろう。

[閲覧注意]
https://youtu.be/Dhms0L-HU6w




弘前31連隊との対比については:
https://youtu.be/WSzLaNr_es0

を参照。
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《謹賀新年 2017年》

2017/01/04 17:11
瀬谷こけし


遅ればせながらみなさまに新年の賀を申し上げます


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《『朗読者(The Reader)』》

2017/01/04 03:41
瀬谷こけし


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 例えば旧東ドイツ(DDR)では、私よりも若い世代にも英語が全く理解できない人がいる。例えば40代の人にも。もちろん大変上手な人も少なくない。そしてイエナでシラーのガルテンハウスを案内してくれた70代前半ぐらいの男性は、とても教養の豊かな、顕職についていた人に見えたが、彼は私に英語で案内する努力をしてくれたが、必ずしも英語がスラスラ出てくれるわけではなかった。私にはむしろドイツ語で案内してもらった方が分かりやすかった。このことなのだ。今の旧東ドイツでは、英語ができないことが文化人として文盲に近い恥ずかしいことなのだ。逆に、英語ができると、少し自慢げになる。
 この映画(The Rreader)の女主人公ハンナは、きわめて凛々しく、収容所の看守として法律や就業規則、そして収容所の存立から生ずる問題の解消のために要求される行為を正しく実行してきたということを、裁判の場で正義感をもって正しく主張する(どこかハンナ・アーレントを感じさせる)。だが、たった一つのことが世に晒されることを何よりも恥じた。彼女はヨーロッパの文化伝統にこよなく愛を抱き、多くを吸収したいと思っていた。だが、それが何のせいかは映画では説明されないが、彼女は字の読み書きができなかった。---なんとつらいことだろう。文盲と言う穴が、暗闇が、隠れた井戸が、そこここに存在していた。---だから電車の車掌の仕事は完璧にこなすが、管理職に昇進させられることになると、職そのものを放棄するほかなかった。そして転居し、身を隠す。
 読み書きができないこと、それはどれほど痛いことか。それを晒されることはどれほど耐え難いことか。その恥を受けるよりは、冤罪で罪に服する方がましなのだ。主人公もその彼女の羞恥心を尊重する決断をする。
 ハンナ役のケイト・ウィンスレットの凛々しさは特筆ものだが、私にはブルーノ・ガンツ(Bruno Ganz)のロール教授の役の渋さにも強く惹かれる。法に従うだけで、良心に適った行為ができるわけではない。







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《新年を迎える前に》

2017/01/01 03:24
瀬谷こけし


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(in Leipzig-Plagwitz)


 2016年を回顧しておきたい。この年はわたしにとって近年でもっとも豊かな年だった。それは主に2月3月の四週間にわたるイタリア旅行、そして8月の三週間のドイツ旅行によってもたらされたものだ。このどちらの旅も、1882年のニーチェの生と思想の探究のために欠かすべからざるものとして行ったものだが、そこから得たものは実に大きなものだった。それはニーチェ研究の視野で言えば、ルー・フォン・ザロメとニーチェとの関係の細かな真実がほぼ掴めるようになったことだ。例えばこれまで日本の研究者で、1882年夏のタウテンブルクでの彼らの共同研究で、ルーの宿泊していた牧師館とニーチェの泊まっていたハーネマンの農場とがどのくらい離れていたかを知っている人がひとりでもいただろうか? ニーチェ/ルー関係について言及している研究者でそれを知って語っているひとの姿がわたしにはひとりも浮かんでこない。---そしてこのニーチェ/ルー関係こそ、ニーチェの主著と言うべき『ツアラトゥストラはこう語った』を生み出した坩堝なのである。あまりにもブッキッシュな知識でこれまでひとはニーチェを論じてきたとわたしは思う。

 ニーチェ研究の場を離れたところでもこれらの旅行がもたらしてくれたものは多い。シチリアについての多くの関心もこの旅行から生まれた。それまではヴィスコンティの『揺れる大地』や、バッハに擬せられるフルート曲の「シチリアーノ」ぐらいしか、それにあえて加えればギリシア世界の中でのシラクーサやエンペドクレスのエトナ山のほかには知ることがなかった。それが、カターニアでの経験がわたしにシチリアへの関心を大きく開いてくれた(マフィアをも含めて)。カラバッジョへの関心もメッシーナの美術館での経験から広がっていったと言える。

そしてローマをはじめとした各地でのマリア敬慕とフランチェスコ敬慕のありさまにはヨーロッパ世界のいわゆるキリスト教信仰のより深いところにあるほんとうの複合的な実体を推知させた。ローマ世界からドイツ文化を見るというこの視野は、とても多産的なものだと思う。わたしがゲーテに広い共感を持つようになったのも彼の「ローマ悲歌」に表れるローマ精神への共感を共有しているという思いからだった。ローマを経由してゲーテを発見した、と言うのが、わたしの場合正しいと言えるだろう。

 そしてゲーテによって、ドイツ精神をわたしは学び始めている。それは現代のベルリン問題にまでつながる。現代のロック歌手、ウド・リンデンベルクの再発見もいわばゲーテのおかげだ。

 そして夏のドイツ旅行は、ワイマール、ライプツィッヒ、ナウムブルク、タウテンブルク、ドルンブルク、イエーナ、そしてベルリンなどの旧東ドイツ(DDR)各地の独特な精神世界の深さや伝統を驚きをもって感じさせてくれるものだった。各地で話し相手になってくれた人すべてから多くのことを学ばせてもらった。

 来る2017年は、さらに追加的な勉強をした上で、しかるべき論文をいくつか纏めてゆきたい。




====== 補足2017.1.2 (写真説明を兼ねて)======

 ライプチヒ市内ではあるがプラークヴィッツは移民の多い町に見えた。そしてレイシズムこそが問題だと住民自らが訴える。旧市街で写真を撮っているときに話しかけてくれたおじさんの勧めに従って、プラークヴィッツに行ったおかげでドイツの、そしてライプチヒの別の面が見えてきた。ベルリンでも、そして弘前でもそうだが、私の足は導かれたように貧しい町に向かっている。



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《西洞院通りの豆腐売り》

2016/12/29 00:44
瀬谷こけし

今日初雪
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 今日は今年の授業の最終日だった。もう一歩物足りなさが残ったが、そこは来年一月の授業で補えるだろう。つまり、ブルーノ・ガンツ(Bruno Ganz)朗読のヘルダーリン(Hölderlin)の「Vom Abgrund nämlich」を「r」音の聞き取りの練習のために学生に聞かせて、相当に学生の聞き取り力向上のためのヒントを与えることができたと思っているが、本当は後でドイツ語のテキストを配布した上でもう一度聞き取りをさせたいところだった。CDで喉彦振動音で「r」を発音しているところは、ほとんど全部私もその場で再現して、聞き取りに資したつもりだが、喉彦振動させない「r」字の確認練習ができなかった。例えばGanzは「Erde」の「r」はそういう発音をしない等々。他にももっとよい対応ができたはずだと思うところが残った。
 そんな幾つかの足りなさの残った日だったが、ちょっと嬉しいこともあった。それは西洞院通りを歩いていて、自転車で小さめのリヤカーを引いてゴム球式の昔ながらのラッパを鳴らしながらの豆腐売りを見かけたことだ。子供のころにはよく聞いていたこの音。「トープー、トプー、トプー」というあの鳴らし方はその時はしていなくて、「お報せ」の「プー、プー」という音だけだったが、ほんとうは「トプー、トプー」もやりたがっている雰囲気だった。年齢も60歳を過ぎているひとだったと思うが、変わらず元気にこの昔ながらの移動販売を続けているところが、何かとてもうれしい気持ちにさせてくれた。こういうところはさすが京都と思う。



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《短波》

2016/12/27 22:45
瀬谷こけし


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 長く使っていたオーディオ用アンプのボリュームのところで入るノイズが取り除きにくくなっていて、アンプを買い替えることにした。買ったのはパイオニアの安価でシンプルなもの。もともとダイレクトでしか聴かないので、いろいろなコントローラーは不用だ。ニ三日前からそれを使って聴いているが、却ってこういうアンプでしか聴けない音もあるのだなと少しずつ慣れてきた。それで今日はグールドの「運命」を聴いた。---これはしかし音のエッジが立ちすぎて、機械的な音というか、メカニカルな修正が多すぎるような気がして、相性はよくなかった。---それでシュトックハウゼンの『短波』をかけてみたくなった。この『短波』だけは、いい加減な音で聴きたくないので、ここ10年以上、大津の「シュテルンクランク」のスタジオ以外では聴いたことがない。
 それでかけてみたのだが、音量をやや小さくしていたせいもあるかもしれないが、そして聴く方も全身全霊を挙げて聴くという集中をせずに聴いていたせいもあるが、かなりあっさりした音楽に聞こえた。あの、エクスタシーを越えて、さらに何度も何度も超えてゆくような演奏は、とても掴めなかった。それで思い出したのは、「こういう音楽は普通のところででは聞けないようにした方がいいですね」と言ったひとの言葉だ。スマホやMP3などの装置では聞けないようにする、そんなことでもあり、またいわゆる有名ブランドの装置のことでもある。
 エッジの鋭さはそれでいいのだが、それを取り巻くいろいろな波長・波形(音高・音色)の音をすべてその自然さで再現するような音響性能は、このアンプにはない。---いや、部屋を掃除すればさらにはるかによくなるのは間違いないのだが。ともあれ後日、このアンプを使ったシステムで、もう一度全身全霊を挙げて聴くことをしてみたい。
 そしてさらに思ったのだが、来年は福島県田村市の「あぶくま洞」でのシュトックハウゼンの演奏会を実現してみよう、ということだ。シュトックハウゼンの直観音楽の。この演奏で一番難しいのは、演奏者を選び出すことだ。その演奏者の一人として、上述の感想を言ってくれた人を誘ってみよう、と思った。核になる三人が決まれば、あとはもう少し楽に選べる。
 来年度は、いろいろと少し楽になるので、このプランを実現すべく、努力をしてみよう。
 (この読者の中に参加を希望する方があったらお声がけください)


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《マーロン・ブランドのこのリズム音は?》

2016/12/24 03:12
瀬谷こけし


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 一昨夜はベルトルッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』を観ていたが、即興性へのベルトルッチの迫り方は思いがけないおもしろさ、深さを生み出していると思う。私にとっては学生時代の映画だが。クロソウスキーの神の死の無神論の思想(サド論「Le Philosophe Scélérat」)がこんなところにも影響を与えていることが十分に確認できた。それはそれとして、私が「あれっ?」と思った一番の場面は、マーロンがホテルの管理人室に入って、壁にもたれて、後ろの壁を指でたたくあのリズムだ(チャプター10)。---これはシュトックハウゼンの作品「セイロン」(『来るべき時代のために』)のリズムではないだろうか? もろんセイロンそのものではないが。---こんな風に言っても、この読者の中にシュトックハウゼンの「セイロン」を聴いたことのある人はごく少数だろう。だが当時のヨーロッパの文化事情で見れば、マーロンがそれを聴いたことがあって、そのリズムが体に入っていたことは十分にあるのではないだろうか? だが問題はある。この映画は1972年制作なのだが、「セイロン」の最初のレコード発表(クリサリス・レーベル)は1976年なのだ(わたしたちのグループはこの発表前のレコードを都ホテルで彼からもらったのだが)。
 そしてwikipediaを見てみると「Ceylon was first performed by the Stockhausen Group at the Metz Festival on 22 November 1973」と初演日が出てくる。1973年11月22日初演というこの情報が間違いないとすれば、マーロンがその演奏を聴いてから『ラストタゴ』を撮ったということはないはずだ。
 ところで、シュトックハウゼンがセイロンに旅をしてこの作曲の元になる音楽を聴いたのは1970年7月の二週間のことだ。この「セイロン」の曲は彼の直観音楽にはめずらしく、正確なリズム譜がある。そのリズム譜は、この旅行中あるいはそれからあまり間をおかずに書いたのではないだろうか? そしてそのリズムを何かの演奏の中で使ったことはないのだろうか? そしてそれをマーロン・ブランドは耳にして覚えたしまったということは? このころのシュトックハウゼンは、直観音楽の演奏のためにパリのグループ(ディアゴ・マッソン主催)と密接に接触していた。---こう見ると、マーロンがパリでシュトックハウゼンのグループの「セイロン」の披露を耳にしたことがあってもおかしくないのではないだろうか?
 わたしはこのころのマーロン・ブランドの行動や交友圏をよく知らない。これ以上はそちらを詰めなければわからないだろう。そういえばシュトックハウゼンはJ・L・ゴダールの『中国女』(1967年)にも音楽を提供していた。フランス映画界とシュトックハウゼンは相当に近い距離にあり、共有するものも少なくなかったと思う。とりあえず今はここまでとする。



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《不幸なこと:ゲーテ 1825年4月20日》

2016/12/21 02:06
瀬谷こけし


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 ゲーテはこう言う。
>「»Das Unglück ist«, sagte Goethe, »im Staat, daß niemand leben und genießen, sondern jeder regieren, und in der Kunst, daß niemand sich des Hervorgebrachten freuen, sondern jeder seinerseits selbst wieder produzieren will.」(『Gespräche mit Goethe (German Edition)』(Johann Peter Eckermann 著より1825年4月25日の条)

 試みにゲーテの言葉の部分だけ訳すと、
「不幸なこと、それは国家の場合にはだれもが生きて楽しむことをせず、支配しようとすることだ。芸術の場合には、だれも作品を楽しむことをせず、自分でも再び作ってみようとすることだ。」

 これは『ファウスト』の第二部を自分に書かせてくれと言ってきた若い学生のことに触れてゲーテが語った言葉だ。まず自分の人生を十分に生き楽しみ、また作り上げられ、高い完成度を持った芸術作品を喜ぶことができないとすれば、それは実に不幸なことだと言うべきだろう。




Gesprache mit Goethe (German Edition)
Ideenbrucke Verlag
2016-08-23
Johann Peter Eckermann

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《『短歌研究』勉強帖 2016年11月号》

2016/12/19 20:27
瀬谷こけし


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 11月号の勉強を終えてしまおう。11月号巻頭の「12ヶ月の歌」は永田和宏が高安国世の歌四首を取り上げている。そしてその読解を補足するように四首の歌を引いている。まずは掲載順にそれら八首の歌を引用紹介しよう。取り上げた(とわたしに見える)歌を「>」で、補足に引いたと思われる歌を「>>」で示す。以下である。

>>我が心すなほになればいつしかも又思ひゐる遠き人の上 @
>このままに歩き行きたき思ひかな朝なかぞらに消ゆる雲見つ A
>二人ゐて何にさびしき湖(うみ)の奥にかいつぶり鳴くと言ひ出づるはや B
>黄葉より何ありとしも思わねど曲がりゆく道に誘われて行く C
>>夕映のひろごりに似て色づきし欅は立つを 夜の心にも D
>>充ちあふれる黄の葉 自転車の青年のとらえがたき寂しさ E
>>何ものの瞬きならん透明の彼方はららかに降りつぐ黄の葉 F
>朝ぐもり深きににじむ遠き木むら黄色は浮びくれない沈む G

 この二首目を永田は「無意味の意味が強く心を引き付ける」と評する。中空に淡くかかっていた雲が見る間に消えてゆくさま。定家の「横雲の空」のように、雲の動きに思いの行く先の形を見ようとする思いは共通していよう。きわめてドラマティックな定家の横雲とこの上なく淡い高安の消えてゆく雲とは対照的なほどに異なった感受性の形を示している。このなかなかに捉えどころのない思いを辿ることが高安の歌を鑑賞することなのだろう。『虚像の鳩』はそうではなかったのだが。
 
 三首目のかいつぶりの歌も同じように淡い。些細といえば些細な出来事だが、一方がそれを捉えて口に出すことが、逆にここは二人だけの空間であるということを示し、その意味を互いに確認させるのだ。永田は「世界の中に二人だけ取り残されたようなさびしささ、そしてその幸福感がしみじみと感じられる一首である」と言う。蓋し適切な鑑賞だろう。

 四首目のわずかに誘われる思いがして歩み進むという歌は、なべてのひとの行動の決定が、実はこのような微かな誘いに従ってなされることなのだと気づかされる。永田は「そこはなとない浮遊感」」と捉えるが、評のポイントは「浮遊感」よりその「そこはかとない」些細さ、とぼしさ、であろう。高安もまた「乏しい時代(dürftige Zeit)の詩人」だったと気づかせてくれる歌だ。

 八首目の「朝ぐもり」の歌も高安の歌の姿勢をよく示す一首で、朝霞から浮かぶ葉群と沈むそれとの色の違いに気づき、その色分けを詠んでいる。「沈むくれない」は樹高の低さよりは色の沈みを表し、盛りを過ぎ、黒ずんだ色合いを想像させる。「くれない」を「ゐ」ではなく「い」と表記したのは、「為」の略字として生まれ、その丸さからも照り返しを予感させる生気にみちた「ゐ」の字を避けたためだろう。

 このように見て来ると、高安が、些細な事の意味、微かな事の意味にこころを向けて歌を詠みつづけた歌人だと見えて来る。それはアララギの伝統のひとつだと言われそうだが、わたしにはそれ以上に西洋の詩と思想に影響されているように見える。それは、高安の作がヘルダーリンやリルケの作に似ているということではなく、むしろ逆に彼らとは全く違うところに自分の場所を見出した詩人に見えるのである。些細なことを詠むという歌のスタイルを高安は打ち立てたと言えるだろう。これはしかしわたしが目差すような神々の遊びの歌とは違う。わたしが高安のように歌うことはないだろう。


 他の作品を見よう。今号には「巻頭作品」として島田修三「深き夢より」、梅内美華子「ドラゴンブルー」各三十首の作が掲載されている。それを見てみよう。
 島田作品は、日常身辺詠というべきものではあるが、作者の高い文化性を感じさせて嫌味がない。高い文化性とは例えばこの歌だ。

>カストロがヌエヴァ・ヨークに赴く(ゆ)かむ日を想へり夕べ柴犬撫でつつ

「ヌエヴァ・ヨーク」がスペイン語かどうかをわたしは知らない。しかしそれがキューバの言葉で、「ニュー・ヨーク」を指す語だというぐらいは見当がつく。このただの一語の使用で、作者が、英語べったりの文化環境の外へのまなざしを、日常のこととして持っていることが分かり、ひとつ安心感が持てるのである。
 作者の文化性はまた次のような歌の関心の持ちようにも感じられる。

>縁石とアスファルトの間に身を寄せてゑのころは挿頭(かざ)すいとけなき穂を
>かはほりと声に出せば懐かしく東京の夕べを飛びかひし影
>この夏を蠅見ず蠅のいとし子ら人なき楽土に翔け去りぬべし
>吹きだまる夏の枯葉に蟻は群れ虫の世過ぎをいそしむかなや

文化性とはこうした草木虫魚のひとつひとつが、それぞれおのれの生にまじめに取り組んでいることをよく知り、そのさまの発見を日常の楽しみにしている姿に、とてもよく見ることができる。文化性の豊かでない歌人のまなざしには人間の営みしか見えてこない。いやいや、人間のというより日本人の、と言った方が正しそうだ。文化性とは自分の生の幸いを草木虫魚鳥獣人天の広い生命の視野の中で感じ取る生き方のことだ、と言え杳。次の歌など。

>幸ひは負はず借らずに子三人なんだかいいねえ卓袱台をかこみ
>ああ俺はすつかり白髪になつちまひ金正恩(キムジョンウン)の黒髪まぶしも

歌い方で言えば、島田の歌は(岡本太郎の写真のように)一首にひとつの焦点がきちんと存在している。姿の正しい歌と言えるだろう。

梅内美華子の「ドラゴンブルー」三十首の中に共感できる歌をわたしは一首も見出すことができなかった。一応四首を紹介する。

>あしびきの孤老の山は石灰と時間を人間に削らせてをり
>洞穴にゆつくり育つ石のありこの世の果てに残らんとして
>隧道に生死を思ひ人のゆく ひとりひとりの宇宙への道
>冷たくなろ、冷たくなろと落ちてくる鍾乳洞の水は死者なり

わたしはこれらの作に非短歌的なもの、酷薄な、歌うこととは正反対のものを感じてしまう。例えば二首目の歌は鍾乳洞の営みを詠んだものだが、はたして石筍などの生成の内に「この世の果てに残らんと」する意志を読み取ることに何の意味があるのだろう。何の歌があるのだろう。梅内の作には歌と相反する意志が充ちているように思う。


今号には「巻頭作品」に次いで、「特別作品」として八名各二十首の歌が掲載されている。掲載順に、松川洋子「いろはにほへと」、小原起久子「茫漠の街」、大山敏夫「勇気をふるふ」、森本平「狂泉のほとりにて」、森井マスミ「あめはくたせり」、中沢直人「ロートマイルド」、花山周子「秋にしたいことを思う」、森富男「福祉への道」である。

 目に止まった作を作者別に記そう。
 松川作品
>天使よりつばさをきれいに揃へてゐる雀の子ろに“おはやう”をする
>魚(うを)を食べると海に牛を食べると草原(さうげん)になるわたしの体
(雀の翼の揃った美しさへの着目に共感する)

 小原作品
>来ることを信じてバスを待ちながら佇ちいる影がつくづく独り
>花見んと群れにし人もちりぬるを人にしられず散る山桜
(老年独歩のひとり感覚とったところか)

 森本作品
>忘却と保身と嘘と奇麗事 父よあなたこそ日本人ならめ
>取り残されて無様な雲の座して死を待つよりほかに何があるのか
(正しい音律と言うべきか)

 森井作品
>病む大地渇く大地に雨降れどモウノメマセヌと首ふるばかり
>土を耕さない若者がいつからか嬉嬉と興ずるハロウィンなるもの
>日本がまだあるうちにひっそりと死んでゆきたし秋茗荷食む
(「日本」が消えてなくなる日の到来が非現実でなく感じられるようになってきた)

 花山作品
>目覚めれば額に秋が射していた水上バスに今朝は乗りたし
(最近の隅田川の一光景を季節感と共によく捉えていないか)

 11月号の勉強は以上としたい。


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