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「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ

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「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ
ブログ紹介
世界という大きな書物の中に見出した
かげろうのような一瞬の思い、
ポエジーを、
少しずつまとめてみたいと思っています。
文字による学問の外
 (文書への信奉の外)
デカルトより、さらに兼好に近く
兼好より、さらに芭蕉に近く
愚なること、無学なること、誰にも劣らず。

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Twitterと Facebookをはじめました。
http://twitter.com/mnnakajist
http://www.facebook.com/index.php#!/masatsune.nakaji
これらは私からのメッセージです。わたしからのメッセージにはどれも「瀬谷こけし」のイメージがついています。
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私の「なりすまし」にご注意下さい。そのサイトは以下です。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/tad77/ (「h」省略)
ttp://ameblo.jp/designjimusho/ (「h」省略)。

蠅のような存在です。間違ってメールなどを出さないようにご注意ください。
===
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《ピザを焼いてみた》

2017/02/24 21:14
瀬谷こけし

ナウムブルクのフラムクーヘン
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 去年8月(16日)ドイツのナウムブルク(ザーレ)のレストランで食べたピザ風のものがとてもおいしかったので、ちょっと練習にとピザを焼いてみた。ピザを焼くのはまったくの初めて。ナウムブルクの「フラムクーヘン」(Flammkuchen)というそのピザ風のものは、ごくごく薄い生地とトマトの酸味と食感、それチーズの酸味のマッチングが絶妙だったのだが、写真を見てみるとバジリコも加えてあるようだ。スーパーで薄い生地を見つけたので、思いついたのだった。チーズは何が合うのかよくわからないので「タレッジョ」にしてみた。トマトを乗せて、それに塩とオリーブオイルを加える。味付けをしたオリーブの実も加えてみた。
 ご覧の通り、焼きが足りなかったが、一応はおいしく食べれた。ただトマトの酸味は全然足りない。チーズもミルクっぽくないものの方がよさそうだ。しかし何といっても、スーパーなどの近いところでドイツのピザ用食材を揃えるのは、そもそも難しい。一応は食べれたが、あのフラムクーヘンの絶妙な味とはくらべものにならない。「フラムクーヘン」、これは炎のような色合いから名づけたものだろうか。ナウムブルクの特産料理なのか、それともザクセン=アンハルト州あたりには広がっているものなのだろうか。薄い生地のピザ風の料理を少し探究してみよう。



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《『ツァラトゥストラ』の国家論(1) 「民族論」》

2017/02/23 18:32
瀬谷こけし


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オルタのモンテ・サクロで


    はじめに

 ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』第一部には重要な国家論がある。「新しい偶像」のアフォリズムがそれだ。その深さ、鋭さは、今日でもまだ未来の彼方に輝き続けているように見える。例えばベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』(Imagined Communities)やドゥルーズ&ガタリの『アンチ・エディプ』(L’Anti-Œdipe)はそれに本質的な示唆を受けて考察を進めた仕事だと思われるが、しかし彼らの仕事によっても『ツァラトゥストラ』の思考の深さは汲みつくされていないと思う。それについて論じるのは今日でも危険な行為であるように見える。ニーチェの超人論もここから論じられるべきだと思う。論じることは、今なお難しい。しかしわたしは、この『ツァラトゥストラ』の国家論を世界の知性は理解すべきだと思う。---とはいえわたしもここではそれをきちんと論じるのではなく、要点の幾つかを提示するにとどめるだろう。いわば「万人のために」。---こういう問題を、1882年8月のタウテンブルクで、ニーチェとルー・フォン・ザロメは議論していたのだ。

    1.「民族」について

 彼は、国家と民族を区別すべきことをその議論のはじめに据える。

> いまもまだどこかに民族と畜群が残っているだろう。しかし、われわれのところにはない。わが兄弟たちよ。ここにあるのは国家である。 (『ツァラトゥストラはこう言った』I-11「新しい偶像」、氷上英廣訳、岩波文庫。以下同じ)
> Irgendwo giebt es noch Völker und Heerden, doch nicht bei uns, meine Brüder: da giebt es Staaten.  (『Also sprach Zarathustra (German Edition)』Kindle。以下同じ)

 われわれは民族ではなく、国家の中にいる、という認識であり、自覚である。ごれが議論の出発点である。
 それでは「民族」とは何なのだろう。『ツァラトゥストラ』はこう言う。

> 民族の特徴を、わたしはあなたがたに教えよう。民族は、どの民族でも、善と悪について、独自のことばを語っている。隣の民族にはそれが理解できない。民族はみずからのことばを、みずからの風習と掟のなかでつくりだしたのである。
> Dieses Zeichen gebe ich euch: jedes Volk spricht seine Zunge des Guten und Bösen: die versteht der Nachbar nicht. Seine Sprache erfand es sich in Sitten und Rechten.

 氷上は「Zunge」を「ことば」と訳している。けだし適訳だろう。「Zunge」は「舌」であり(英語の「tongue」に相当する語であり)、「seine Zunge」は独自の発音や話しぶりをも含む「ことば」で、それぞれの民族は(おのれの)「善と悪について独自のことばを語る」のである。ここには行動規範についての厳命があり、それは、その民族にとっては、逆らうことの許されないものなのだろう。それ(=ことば、舌)を隣の民族は、たとい翻訳はできたとしても、理解はできない。善悪の表を共有できないのである。この断絶性をしっかりと理解しなければならない。
 この文章で次に出てくる「ことば」は、「Zunge」ではなく「Sprache」であり、民族はみずからのことばを「風習と掟のなかで(in Sitten und Rechten)」つくりだしたのである、と言われる。「風習(Sitten)」は特定の土地での生活の中から生まれてきた諸慣例であり、「掟(Rechten)」は多少とも法律に近い権威を持った規則になるだろう。その「権威」がどこから生まれたのかと問いたい向きもあるかもしれないが、ここでは「風習」と「掟」は無冠詞複数のまま「と(und)」で結合され、「〜のなかで(in)」の示す場所の限定の中で結び付けられているので、その問いはあえて問うべきではないであろう。また「つくりだす(erfinden)」と言われていることからも、その権威が、国家にも国家の神にも基づくものではなく、むしろその民族の創造者と、そして生命そのもの以上のものに基づくことはないのである。

> かつてもろもろの民族を創造し、その頭上にひとつの信仰、ひとつの愛をかかげたのは、創造者たちであった。このようにして、かれらは生命に奉仕したのだ。
> Schaffende waren es, die schufen die Völker und hängten einen Glauben und eine Liebe über sie hin: also dienten sie dem Leben.

 国家は「ことば」や「舌」ではなく、それらの創造者でもないように、国家は民族でもなく、民族の創造者でもない(1)。

    ◇   ◇

 しかし、ここでおそらく、それでは国家はどのようにして世界に登場したのか、という問いを問いたい向きもあることだろう。それについて『ツァラトゥストラ』は何も答えを提出していないようにも見えるかもしれない。その答えはきわめて斬新なものに思えるが、それを聞き取るためにはきわめて敏感な耳を必要とするであろう。それについては少し後に語ることにして、ここではまず民族にとって国家はどのようなものと見えるか、という問題についての『ツァラトゥストラ』の洞察に耳を傾けておきたい。ドゥルーズにとっても、ピエール・クラストルにとっても、洞察の核心はこの『ツァラトゥストラ』の言葉にあるだろう。

> 民族がまだ存在しているところでは、民族は国家などというものを理解しない。民族は国家を災禍のしるしと見、風習と掟に対する罪として憎む。
> Wo es noch Volk giebt, da versteht es den Staat nicht und hasst ihn als bösen Blick und Sünde an Sitten und Rechten.

 「bösen Blick」はなかなか訳しにくいところだろうが、通例の日本語では「邪視」(英語では「evil eye」)と訳される語だ。ドゥルーズはここから「悪夢」という概念を見出したと思われるが、「風習と掟」を一つの地域的な技に解消しようとする国家が悪夢と見えようが邪視と見えようが、さほど変わりはない。いずれにせよ国家とは、民族にとってはまったく理解のできない邪なまなざしであり、禍事(まがごと)の予兆と見えるものなのだ。それは不要なもの、余計なものを生かし、その代償としてみなに緩慢な死を与える存在なのだ。国家につての『ツァラトゥストラ』の洞察ほど恐ろしく、そして国家というシステムの終焉後を考えさせる国家論はない。わたしもまたそこに希望をいだくのだが。



(1) 国家の中で「ことば」や「舌」は、「方言」としてその価値を切り下げられるだろう。




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《『ツァラトゥストラ』の真理の水 これは何なのだろう?》

2017/02/20 01:16
瀬谷こけし


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 ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』の中に「真理の水」という言葉が(私の知る限り)二度出てくる。いずれも第一部の「三段の変化」と「純潔」の中でだ。その後者の方を紹介したい。

> 認識に生きる者が、真理の水のなかにはいるのをいとうのは、真理が汚らわしいときではなく、真理が浅いときである。

 認識をこととする者にも当然価値評価があって、彼も浅い真理を探究し認識したいとは思はないということだ。---これはこれで当然のこととしてよくわかることだが、しかしそもそも「真理の水」とは何なのだろう? 「水」はどんな風に「真理」とかかわるのだろう? 
 こんな疑問をもつのも、ヘルダーリンの「生の半ばに」(Hälfte des Lebens)という詩に、「お前ら〔白鳥たち〕は頭をくぐらせる/貴くも冷やかな水の中に」(川村次郎訳、岩波文庫、〔〕内は引用者の補足)という詩行があるからである。このヘルダーリンの白鳥たちが頭をくぐらせる水はどのような水かという問題にぜひともこだわりたいからだ。前にも言ったが、ヘルダーリンはここで「Tunkt ihr das Haupt / Ins heilichnüchterne Wasser」と記しているのだ。この白鳥たちが頭を浸す水も「真理の水」と言えるような性質を持っているのだろうか? ここにある覚醒や正気の水のその神聖な冷ややかさの正体は何なのだろう? それはニーチェが「真理の水」と言うときに感じていたものと共通するものではないのだろうか?

 ここでは問題を提起しておくだけにとどめよう。最後に上記の『ツァラトゥストラ』のドイツ語の原文を紹介しておく。

> Nicht, wenn die Wahrheit schmutzig ist, sondern wenn sie seicht ist, steigt der Erkennnende ungern in ihr Wasser.

「真理の水」は「ihr Wasser」であり、「ihr」が「真理」を受けるのは疑問の余地もないが、しかしこうして「ihr Wasser」と「ihr」を所有冠詞として使う使い方には、読み込むべきところがあるだろう。真理が持ち場としている場所をニーチェは「水」と名指しているのだろうか? そういういわば(ニュートラルで)「冷ややかな場所」なのだと。とすればヘルダーリンの白鳥が頭を浸す水と、共通性を感じておくことができるだろう。




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《ポンヌフの恋人---その感覚の命》

2017/02/18 01:01
瀬谷こけし

 何年ぐらい前になるだろうか、この映画が一番好きな映画だったことがある。レオス・カラックス監督にも主演女優のジュリエット・ビノシュにも惹かれていた。そのBR版が出ているのを知って、手に入れて、見ていたのだが…。
 どのシーンが一番ショッキングかと言うと、ミシェルがジュリアンの住まいを見つけ出し、そのドアののぞき窓に銃口を当てて、彼にピストルを撃つところ。---後で「撃った」とういのはミシェルの錯覚だということになるが、気持ちの上では撃とうとして引き金を引いた。---その行為で、彼女にとってはジュリアンのことが忘れられるようになる。
 しかしその経緯でもっともよいと思うのは、地下鉄の通路で流れてくるチェロの音をちょっと耳にするだけで、それがジュリアンの演奏だと理解し、追いかけてゆき、そしてその住まいまで突き止めてしまうところ。フレーズをひとつ聞いただけでそれが彼の演奏だとわかる。それは当然のことだが、そうした当然の感覚が映画の中できちんと生きていることだ。主人公たちがその感覚を共有して行動していること。---こんな映画は少ない。
 情報の断片だけでその全体を理解してしまうこと。それは、手術をすれば治る可能性があるということを告げようとするメッセージを、アレックスが彼女の目に触れさせるまいと地下道のポスターすべてに火をつけて燃やしてしまっても、ラジオから流れるほんの少しのメッセージで彼女はそれを理解してしまい、その翌日にはアレックスを捨てて、自分の目の回復に向けた行動に進む彼女の決然とした行動にも同じ鋭さがある。切っ先をつねに鋭く保っているのだ。そして、何かを得るために何を代価として支払えばよいかの計算も鋭い。例えば辛うじて見える右目で最後にレンブラントを見て目に焼き付けておきたいという願望とその代償。そこに生の片鱗があるという認識も現実的できびしいものだ。
 今回BRで見直してみて、ビノシュも(最後のクリスマスのシーンを除けば)それほど美しく撮られてはいない。あのにこっとしたスマイルも一回だけだろうか。---わたしも映画を撮りたいという気持ちがまた湧いてきてしまった。







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《1883年2月13日---『ツァラトゥストラ』の誕生》

2017/02/14 23:13
瀬谷こけし


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写真はジェノヴァから東の半島を遠望。この半島の東端がおそらくポルト・フィーノで、半島の東側付け根の湾がラパッロ)

 ニーチェとルー(フォン・ザロメ)がタウテンブルクに滞在していた1882年8月13日から6か月が経っていた。この日二ーチェは『ツアラトゥストラはこう語った』第一部を完成させた。書き始めたのは2月3日だったという。10日間で書き上げたのだ。書き上げたのはイタリアのラパッロ(Rapallo)だった。
 去年の8月、彼らがタウテンブルクに滞在していた時期に、わたしはタウテンブルクで4泊したのだったが、その日からニーチェがたどった凄まじい6か月の苦悩をわたしは十分たどれているわけではない。しかしわたしにも6か月は流れた。
 第一部の最終節「贈り与える徳」は多分この13日に書かれた。この日までニーチェにどれほど克服しなければならないものがあったかは、その間の手紙を読めばいくらかはつかめる。もっともその後のライプツィッヒでの出来事がどのようなものであったかはほとんどわからないのではあるが。ともあれ、「贈り与える徳」を書いたとき、ニーチェは何かを克服していた。「老いた女と若い女」も一見(ルーとの関係を)克服して書かれたもののように見えるが、実際は何も克服していないだろう。ただ、レーやエリザベトの語りから解釈していた虚偽に満ちたルーの像の、その虚偽の部分はすっきりとそぎ落とされて、軽蔑すべからざるルーの真の像は間違いなくはっきりと掴めるようになっていたのだ。紛らわしい情報の山の中からルーの首尾一貫性を読み取ろうとして、真のルーの像に達したニーチェの精神力には実に感心すべきものがある。
 その克服の後に書けるようになったのがこの『ツァラトゥストラ』だったのだ。



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《ヘルダーリン1802年12月2日の手紙》

2017/02/09 11:30
瀬谷こけし


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 ヘルダーリンの1802年12月2日付のべーレンドルフ宛の手紙の最後の部分をみてみよう。ここでヘルダーリンはすぐに返信をくれと切望しているのだが、それはプシュケあるいは「われわれの思想の発生」についての非常にデリケートな事情を明らかにしてくれているように思う。
 まずはそこのところ、原文の紹介から。

≫ Schriebe doch nur mir bald. Ich brauche Deine reinen Töne. Die Psyche unter Freunden, das Entstehen des Gedankens im Gespräch und Brief ist Künstlern nötig. Sonst haben wir keinen für uns selbst, sondern er gehöret dem heiligen Bilde, das wir bilden. Lebe recht wohl!
Dein H.

 実を言えばこの文章の「Sonst」から始まる一文の意味が、わたしには今一歩よくつかみきれないのだ。この文中の「keinen」は「keinen Gedanken」のこととしか捉えようはなく、またその後の「er」も「Gedanken」を受けているとしか理解しようがない(男性名詞は他にはFreundしかない)。しかしそうなると、「sondern」の手前までは、《「友たちの間で分かちもたれる魂(Psyche)」や「対話や手紙の中での思想(Gedanke)の発生(Entstehen)」、---それは芸術家たちに必要なものなのだが、---それの他にはわたしたちはわたしたち自身のために何(の思想)ももっていないのだ》という文意になる。上記の「魂の共有」と「思想の発生」は、同じ事態のことを表現を変えて言っていると考えられ(「ist」と単数として受けている)、これこそが(芸術家にとって)極めて大事なことであり、この手紙のやり取りでもわたしが君に求めているものなのだ、ということである。ここまでのことは大変よくわかる。

 問題は「sondern」以下である。ここまでのことを極めて大事なこととして理解するとき、「sondern」以下の文はどういう意味をもつことになるだろう? 「sondern」は前文の否定語「keinen」に対比される。《われわれは「こうして発生した思想」をわれわれのものとしてもっているが、それ以外には(どんな思想も)ももっていない》と先に確認された。しかしここでヘルダーリンが「er(それ)」を使うとき、この「er」は厳密に「こうして発生したわれわれの思想」を受けていると取らねばならない。そして《こうして発生したわれわれの思想は神聖な像に属するのだ》と言われる。そしてさらに敷衍して「この神聖な像」は《われわれのかたちづくった》ものだと説かれる。「sondern」以後をまとめると《こうして発生したわれわれの思想は、まさにわれわれのかたちづくる神聖な像に属するのものなのだ》と訳せるだろう。神聖な像はこのようにしてわれわれによって形作られるのだというのである。対話において生まれる「魂」や「思想」がストレートに「神聖な像」の形成に結び付く。神聖な像の神聖さは、対話の中で生まれる泡立ちの泡の神聖さのように思える。---対話は、神聖を生み出す竈なのだと、ヘルダーリンの主張を語ってよいだろうか? 「生み出す竈(Entstehungsherd)」という語は、ニーチェの使う用語であるが。

 ともあれこの最後の部分、「er」の捉え方で混乱を導きやすいが、このように理解してヘルダーリンの考えと相違することはないだろう。そして、まったく外連味のない書き方をする彼の文章の性格とも相反することのない解釈となるだろう。

 最後にここのところの浅井健二郎の「ドイツの人々」(『ベンヤミン・コレクション3』ちくま文庫)の訳を紹介しておく。

≫ どうかすぐに便りをくれるように。君のうちから湧き出る純粋な響きを、ぼくは必要としている。友人同士のあいだに魂(プシュケ)が通うこと、会話や手紙のなかで思想が生まれ出ること、そういったものが芸術家には必要なのだ。それ以外にぼくたちは、自分自身のためのいかなる思想ももってはいない。そしてぼくたちの思想は、ぼくたちがかたちづくる神聖な像に捧げられるのだ。それじゃあ、お元気で! 君のH

 「捧げられる」という語にやや違和感を感じるところあるかもしれないが、ヘルダーリンが考えまた実践したことは、このようにまさに献身といえるような純粋な行為であっただろう。




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《ヘルダーリンの「生の半ば」》

2017/02/08 03:18
瀬谷こけし


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 わたしが30歳ぐらいのことだったと思う。生協の食堂で上田閑照先生をみつけて、少し話したことがある。わたしは最近ヘルダーリンの「Hälfte des Lebens」を読んで考えていると言ったつもりだったのだが、わたしは「Hälfte」の発音に自信がなく、よく通じないようだったので、ヘルダーリンの「命の半ば」を読んで考えていると言いなおしたのだった。
 先生は、人生の半ばを過ぎると、後は衰えてゆくばかりだ、という感慨を語られた。主に体力的なことを言っておられたようだが、また気力の衰えのようなことも含めて言ってらっしゃるように感じた。先生はわたしより二回り年上なので、そのころ55歳ぐらいだったことになる。それからのお仕事ぶりを拝見すれば、衰えどころか、さらに明晰に西田哲学の、あるいは禅の、本質を語ってゆかれるところにさしかかっていらしたはずだ。いわば命の半ば、命の頂点に到達されていたように思う。
 今わたしは再びヘルダーリンの「Hälfte des Lebens(生の半ば)」について少し論じたいと思っている。それはその詩の中の「heilichnüchternes Wasser」にこだわりたいからだ。この「heilichnüchternes Wasser」の中には「聖なる夜」というべきものがあって、それはアポロン的なものとディオニュソス的なものの両方を含むものではないか、と思うからだ。そしてそれはニーチェが「アポロン的なもの」「ディオニュソス的なもの」と概念化するとき取り逃がしていたものではないかと思えるからだ。あるいは言い換えれば、ヘルダーリンの言う詩人=バッコスの司祭とは、聖なる夜の覚醒的な本質を保ち続ける者のことではないかと思えるからだ。それはニーチェの語る「Rausch(陶酔)」とは微妙に違う。大変デリケートな概念化が要求されるが、それをやってゆきたい。




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《K's電気へ》

2017/02/08 02:10

瀬谷こけし


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 午後意を決してK's電気へ歩いて行った。こんな時期道を歩いている人などほとんどでいない。何ということもないのだが、ほんのちょっとのことで行倒れになる可能性だってある。ただの当たり前の午後なのだが。K's電気ではイヤホンを買った。1000円以内で、1,2mはあって、ウェストポーチに入れて持ち運べるもの。ちょうどこの条件に合うものがあった。

 それとハズキメガネがあって、試しているうちに、やっぱり使いやすそうで買ってしまった。大型のブルーライト対策のしてあるものは置きがなく、注文に一週間かかるということなので、あきらめて、普通の大型のものを買った。

 帰りも歩いて帰った。体力的にこれがいっぱいだった。あとはスープを飲んでパンを食べてバッファリンを飲んで寝ているだけ。これで体力の限界。咽喉の風邪から熱が出ているようだが、薬屋による気にもならなかった。あと、ヘルダーリンの1802年のベーレンドルフ宛の手紙。ベンヤミンが「ドイツの人々」で取り上げている手紙だが、それのドイツ語テキストをキンドルから作って、プリントした。プリントにしておくとずいぶん使いやすい。最後のところが読み切れない。けれんみのある書き方をする人ではないのだが、ここはやはりまっすぐな書き方というわけではないと思う。「自分たちの思想」の誕生する契機を、実に的確に捉えた文章だと思う。いずれ紹介したい。



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《高山は冬》

2017/02/06 20:44
瀬谷こけし


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 昨日の夜から高山は時々雨が降るようになり、だいぶ暖かだった。それでも、ボイラーの火力が低いので、湯量の乏しいまま家でシャワーを浴びて、そのせいか今日は風邪気味だった。午後にバッファリンを飲んでからはまずまず調子が回復してきたが。---ともかく今日は暖かかった。道路もシャーベット状だったものがジュクジュクシャーベットになっていた。家の前の雪も昨日のこちんこちんの凍結状態からはだいぶ柔らかになっており、鶴嘴の先がさほど難なく、路面にまで届いていた。そんな路面の雪かきを隣のおばさんがやってくれていて、わたしは仕事をすべく図書館に行っていたのだが、風邪のために調子が悪く、結局ほとんど仕事も進まなかった。早々に家に戻ってバッファリンを飲んで寝ていたということだ。ともあれ春の気配のある一日だった。咽喉の方は朝イソジンを濃くして嗽して、いがらっぽいのがまずまず治ってきたが、舌の方はまだまだで味覚がめちゃくちゃだった。
 思うのだが、わたしは高山は断然冬がいいと思う。冬に来てはじめて生活に緊張が感じられる。毎日どうしてもしないといけない仕事がある。家の前の道路の雪踏みや雪掻きだし、屋根の雪の配慮だし、水道の凍結の管理などだ。家の前の融雪水路の水を流れさせておく配慮も必要だ。そして町中を歩くのでさえ、滑りやすい雪道を歩く細心の注意が必要だ。それをしないと簡単に転んでしまう。だから急いで歩くこともできない。そんなことを町のみんなが知っている。建物について、徒然草に「夏を旨として建つべし」と言われているので、吉島家などその夏の暑気よけのいろいろな工夫を説明してくれるが、実を言えば冬の屋根に積もる一メートルを越す重たい圧雪にも堂々と耐えられる構造ができていて、その上での話だ。飛騨の家は雪に強い。その前提があっての話を勘違いしては話にならない。そして実際積雪は怖い。今日図書館への往復にあるいて見回ったところ平均して30から40センチの積雪。多い家は50センチぐらいだった。一昨年よりはこれで20センチほど少ない。---もっとも寒中であればもっと積もっていただろうと思うのだが、そのころは高山に行くこともできなかった。そして雪の原の中で降るままに雪を載せた家こそ飛騨の家、飛騨の建物だとわたしは感じる。このたくましさがわたしが飛騨で味わう一番大きな感動なのだ。豪雪地帯であればもっと別の工夫がいるだろう。飛騨は豪雪地帯ではないが、それなりに雪は降る。飛騨の人々の強さを感じるのは冬が一番だ。そしてまた飛騨の人々の繊細さを感じるのも冬が一番だ。その格子窓の繊細さは、極寒の冬の夜にこそ感じ取れるものだ。こんな風でわたしは飛騨も高山も冬が一番好きだ。
 今日は一日暖かだった。細切れに雨が降り、軽く雪が降り、時々は陽がのぞいていた。だが明後日からはまた零下6、7度まで下がるという。水道管のヒーターを忘れないようにしないと。


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《左鎌の額》

2017/02/06 02:46

瀬谷こけし


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 昨日2月4日、美並の星川神社に行った。円空を見にだが、この地域の気の濃厚さには並々ならぬものがある。絵馬の額が並べてあったが、左鎌を掛けた随分念の入ったものだ。「鎌」というと、これまで風よけ、風害避けの祈願のものしか知らなかった。しかしここの鎌絵馬は、それとはまた別の祈願が入っていそうだ。久々に民俗の深みを見せられた気がした。民俗学には、きちんとやれば、まだ生命がある。特に左鎌なのもなぜだろう? この世の外の春をいささか連想させられた。木地師の寺も目に付いた。濃厚な地域だ。ここで円空は得度した。


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《炭坑節》

2017/01/31 23:18
瀬谷こけし

 何年前か、芭蕉庵(深川)の近くでお月見会をした時、あの時はIさんがリーダーで、炭坑節を歌ってくれた。それに合わせて、みなで適当な踊りで体を動かしていたと思う。隅田川の河川敷でのことだ。お月見の歌というと、やっぱりあの炭坑節がもっとも景気がいい歌だと思う。そこには祭があった。そしてその源というべき三池炭坑の景気のよさがあった。だが、井上陽水が「お祭りはふた昔」と歌う時、生きた祭りはもう20年も昔のことに、死に亡びてすでに十数年も経過したことになっていただろう。陽水はお祭りの死亡宣告を出したのだ。そこには早すぎるとはいえ、的確な診断があった。そうわたしは思う。---もう10年以上も前になるだろうか、北島三郎の「まつり」がよく流れていることがあった。これは何とも気持ちの悪い歌で、一体どこの何の祭りかも分からないまま、取り敢えずは日本中の何処でも間に合うような祭として歌われているものだった。祭はそれを支える集団の景気がなければ、何の意味も無いだろう。よその土地の景気を借りて来るならいい。どこの土地にも属さない祭に何の意味があるだろう? ありはしない。どんな集団の祝いでもない祭りに何の意味があろう? ありはしない。その誰のものでもない死んだ祭りを(より正確に言うなら生きたこともない祭りを)ミイラのように祭り上げていて、北島三郎の「まつり」はだからきわめて気持ち悪かった。死んだものを生きたもののように見せかけて歌う、その気持ち悪さ。マイケル・ジャクソンの「スリラー」に出て来るリアリティーのあるゾンビとはまったく違うものだった。
 お祭りはふた昔。景気がなければ祭は生まれない。一昨年の久高島の満月祭も、さびしい祭りだった。歌も踊りもない。しかしそれは清らかだった。死んだものを生きているかのように利用することはなかったのだから。
 月見に景気をつけるならば、「炭坑節」が一番よいだろう。かつて現実にあった景気ならば、「ここ」に借りて来ることもできるのだから。



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《清洲橋の見えるところで》

2017/01/31 13:46
瀬谷こけし


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  1月29日、清洲橋の見えるところで食事をした。清洲橋は京都造形関係で最初にお月見会をしたところ。その最初の仕合せが今も続いている。
 夜の清洲橋でした「チヨコレート遊び」やそのひとりが歌ってくれた「オーバー・ザ・レイボー」も。どこかで『ポン・ヌフの恋人たち』を思い出しながら。隅田川はどこかセーヌ川に似ている。



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《フランス風序曲は》

2017/01/26 00:05
 期末テストではあったが、今日が2016年度の最後の授業。学生の試験の出来がいまいちだったのが、つらい。自分の教え方のせいだが、この痛みは容易には消えない。結局グールドの『フランス風序曲』を聴くまで解決の道がまったく見えなかった。その「エコー」の、痛みにまさる速い加速のスピード。これだけが解決法だ。この曲に関してはスコット・ロスよりもグールドの方がよいと思う。バロックの建築的な構築性ではなく、生と魂の実存的な走りが。バッハ自身にもこの実存的疾走性があったのだと思う。これこそが解決だという予感があったのだと思う。


https://youtu.be/mZqCdCzRlHc







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《ドイツ語の歌》

2017/01/23 18:15
瀬谷こけし

 最近のわたしのお気に入りのアルバムはウド・リンデンベルクの『UNPLUGGED』なのだが、この中には「人生(Das Leben)」のような非常に重要な思想を歌うもがもあり、これについては歌詞を調べて自分で訳して誤解が少ないように努力をした。だがそのほかの曲については歌詞を調べて訳するような努力をしていない。中にはきちんと理解したいと思う曲も多い。福島原発事故を歌った「No Future」とか、なぜ戦争が現に存在しているのかを問う「Wozu sind Kriege da」とか、もうお前を愛していないと否定的な内容を歌う「Ich liebe dich überhaupt nicht mehr」がなぜ大人気なのかなど、その話の内容をきちんと理解したいと思うものがあるのだが、まだ歌詞を調べようともしていない。もっともこのライブ・アルバムには歌詞がついていないので、調べようとするとちょっと手間がかかる、ということもある。ともあれ調べることもせず何度も聞いている。そして、ある時耳にある短い文句が残って、それを頭の中でむすびつけて、そういうことなのかと納得したりしている。「戦争」については、「まだ子供だから」ということが彼の出した結論なのかと考えたり、「福島原発事故」に関しては、「歌うしかない」というのが彼の結論なのかと考えたりしている。だがこうした理解は、実に怪しい。いわばわたしが勝手に妄想しているというレベルの納得で、公の場で紹介できるような理解ではない。しかしわたしは、そのような妄想レベルの納得を結構楽しんでいるのだ。外国語の歌の楽しみ方には、そのような妄想的なところがあるのではないか? あってもよいのではないか? もちろん歌詞を調べ訳してみるなどの努力をしてひとに一応は紹介できるようなレベルの理解とははっきりと違うものだとわきまえているつもりだが。---そういえばムスタキの「私の孤独」とか「ジョゼフ」とかも、きちんとした理解ができないまま、好んでいた曲だった。---そういうものたちも、妄想なら妄想なりにわたしに詩想や、場合によったら思想も、与えてくれていると思う。






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《ライプツィッヒ−プラークヴィッツ2016.8.24-25》

2017/01/21 07:50
瀬谷こけし

 ドイツを代表する文化都市ライプツィッヒだが、この旧市街中心の西側のプラークヴィッツ(Plagwitz)に行った日本人は多くないだろう。わたしはその前の8月12日に同市の旧市街で写真を撮っていたが、そこで自転車で通りかかった男性に「こんな再建築ばかりの街を撮っても面白くない。昔の姿の残っているところへ行ってみろ」と勧められ教えられた場所のひとつだ。その後またライプツィッヒに戻って、少し時間に余裕があったので行った。大きな化学工場もあり、戦争時代のことを強く思い出させる。プラークヴィッツの名が何に基づくのか知らないが「苦労・機知」というよりはチェコの首都プラハに基づく名称ではないかと思う。フランツ・カフカの苦しい生も連想させる。
 最後の方で紹介する壁面画は、どこか谷岡ヤスジのマンガに似ているが、波の方は北斎だろう。北斎の画の力はこんなところにまで及んでいる。
 プラークヴィッツへわたしはトラム(市内電車)で行ったが、鉄道駅もあるようだ。そのレストランでくつろいでいる人もいて、私もビールでも飲んでゆこうかと思ったが、トラムの発車時刻のこともあってそれはやめた。この町で誰とも話さなかったことが心残りだ。窓から手を振ってくれた女性がひとりいたが。



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《寒の水を汲みに》

2017/01/21 00:57
瀬谷こけし


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 寒水を汲みに花背峠に行った。汲むのはいつもの場所。寒水を汲むには大寒の今日が最良だと思ったからだ。それに前に汲み置いた水がなくなりかけていたから。コーヒーとそれに米磨ぎ用の一番水にはいつも汲み水を使っている。上に行くと雪がちらついていた。 帰り道は大原の里の駅に寄った。ニンジンや大根の根菜ばかりだったが、この時期では仕方がない。こういうものなのだろう。
 夕食にニンジンを調理した。歯ごたえも味もとてもよかった。黄ジンジンというのは初めて買って、初めて調理した。やっぱりこの時期のニンジンは美味しい。



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《今日で今年度の授業が終わった》

2017/01/19 04:41
瀬谷こけし


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 来週の15回目は期末テストにするので実際上の授業は今日で終わった。少しの解放感を味わっている。この解放感はジェノヴァの海の光景とどこか共通する。
 ジェノヴァはまだ歩き方がよくわからず、まだ数日ぐらい歩き回ってみたいところだが、そういえばこの海に船が渡る風景は、高校3年の夏、校舎の3階の教室で湘南の海を見ながら勉強していたときに見た風景とどこか似ている。海はわたしには外の世界に開かれる場所だった。そういえばプリーストリー(J. B. Priestley)の「10日間の船旅」(7日間だったかもしれない)という英語教材を勉強していて、とても深い感銘を受けたことも思い出す。こちらは、船旅の日々の何もない日常が懐かしくなるというテーマのエッセーだったが。そしてもう一つは実朝の「綱手かなしも」だ。江の島でも腰越でも、そんな小舟は何度も見た。それが「かなし」と見える見え方もわたしには遠いものではなかった。長く実朝の歌の世界に惹かれていた。
 ニーチェとの関連では、ポルトフィーノとジェノヴァとの「距離感」を確かめておきたいところだ。1883年だったと思うが、ポルトフィーノにとどまってなかなかジェノヴァに入らなかったことがある。それはどんな意味があるのか?
 イタリアにはいつでも行きたい。今も行きたい。ドイツには、少し計画をしてゆきたい気持ちになるが。


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《Heilichnuechternes Wasser(ヘルダーリンの「生の半ば」の中の)》

2017/01/18 04:20
瀬谷こけし


[nüchtern]の語源についてWebのDudenは次のように言っている。
http://www.duden.de/rechtschreibung/nuechtern

[mittelhochdeutsch nüehter(n), althochdeutsch nuohturn, nuohtarnīn < lateinisch nocturnus = nächtlich, ursprünglich = vor dem Frühgottesdienst noch nichts gegessen habend]。語源説明は「朝の神の奉仕の前のまだ何も食べていない状態の」ぐらいに訳せるだろか? だが、ヘルダーリンの「Hälfte des Lebens」
http://www.teeweg.de/de/varia/hoelder/haelfte.html

の中の[ins heilichnüchterne Wasser]の[nüchtern]の意味を考えようとすると、「酔いの中にも神聖な正気があるように」という神への願いを読み取るのがよいと思うし、そうなるとその神聖をもたらす神の名は夜の神バッコス=ニュクテリオス(ディオニュソス)であると取るべきで、
そうなると、ヘルダーリンのこの祈願の源にはオヴィディウスの『恋愛指南』(Ars Amatoria)の567-568行目(Nycteliumque patrem nocturnaque sacra precare, /Ne iubeant capiti vina nocere tuo.)があったと理解すべきではないだろうか(岩波文庫p.40)? 酒の酔いと接吻の酔いが変わっただけで、その酔いが正気を妨げないように、という祈願だ。

異論のある方はお知らせいただければ幸いです。


 ヘルダーリンの「生の半ばに」の原文は以下です。

HÄLFTE DES LEBENS

Mit gelben Birnen hänget
Und voll mit wilden Rosen
Das Land in den See,
Ihr holden Schwäne,
Und trunken von Küssen
Tunkt ihr das Haupt
Ins heilignüchterne Wasser.

Weh mir, wo nehm ich, wenn
Es Winter ist, die Blumen, und wo
Den Sonnenschein,
Und Schatten der Erde?
Die Mauern stehn
Sprachlos und kalt, im Winde
Klirren die Fahnen.


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《サンタ・マリア・マジョーレ教会の乞食》

2017/01/16 03:16
瀬谷こけし


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 拙詠一首:

> 寒波とてサンタ・マリア・マジョーレの宿なき乞食幾たり死にけむローマ


 もはや動き働くこともできず、物乞いでかろうじて生きていた、サンタ・マリア・マジョーレ教会近くでたむろしていた高齢の乞食たち。寒波はつらかろう。



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《秘蔵写真 バチカンの裏》

2017/01/14 02:11
瀬谷こけし


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 2016年3月13日の写真。バチカン市国の南西、城壁内で鶏などを飼っている場所の、城外。ヴァチカーノ通り沿いのバチカン側の草地。草地では小鳥もさえずり、城内から鶏の鳴き声が聞こえた。そこで放射線量を測ってみた。0,14μSv/h。驚くほど高い数値というわけではないが、ローマ市内の普通の観光地に比べれば倍以上だ。多分多くは福島産ではなく、チェルノブイリからの到来物。ローマでも貧しいアパートなどではこの倍以上の数値を示す。


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