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「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ

プロフィール

ブログ名
「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ
ブログ紹介
世界という大きな書物の中に見出した
かげろうのような一瞬の思い、
ポエジーを、
少しずつまとめてみたいと思っています。
文字による学問の外
 (文書への信奉の外)
デカルトより、さらに兼好に近く
兼好より、さらに芭蕉に近く
愚なること、無学なること、誰にも劣らず。

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Twitterと Facebookをはじめました。
http://twitter.com/mnnakajist
http://www.facebook.com/index.php#!/masatsune.nakaji
これらは私からのメッセージです。わたしからのメッセージにはどれも「瀬谷こけし」のイメージがついています。
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私の「なりすまし」にご注意下さい。そのサイトは以下です。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/tad77/ (「h」省略)
ttp://ameblo.jp/designjimusho/ (「h」省略)。

蠅のような存在です。間違ってメールなどを出さないようにご注意ください。
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《ドイツ語の授業 ヘルマン・ヘッセ 三回目》

2017/04/27 00:59
瀬谷こけし

今日は同志社のドイツ語の授業、今年度三回目。「応用」の方の授業は、早速二回目の読解になった。テキストとして読んでいるヘルマン・ヘッセの「樹々」というエッセーに次のような言葉があった。

>Wer mit ihnen(=Bäumen) zu sprechen, wer ihnen zuzuhören weiß, der erfährt die Wahrheit.

「樹々と語り合うことのできるひと、樹々の語りに耳を傾けることのできるひと、そういうひとはほんとうのことを学び知ることができるのだ」
とういぐらいに訳せるだろうか。樹々は「生きることの根本的な掟」(das Urgesetz des Lebens)を説いてくれるのだとヘッセは言う。

 わたしも数年前に、樹々ではなく空き地の雑草たちだが、三年間通い続けて、彼らからそんなこと、「生きることの根本的な掟」を学び取らせてもらったことがある、と感じている。そうして一度写真の個展を開き、そして『むろのつ』21号に、「地域学のすすめ---草木虫魚悉皆成仏」を書かせてもらったのだった。

 「生の根本法則」、それは仏教的に表現すれば無明ということではないのか? おのおのの生がおのれの内には神があって、(その神の与える)おのれの課題は神聖だと信じること、このことこそ無明なのではないか? ここでヘッセは「神」を無冠詞で使っている、とはいえ(*)。文脈を考えればこの「神」は、「わたしの神」(mein Gott)と呼ぶべきものなのだ。「わたしの神を信じるエゴイズム」これこそ無明な生そのものなのだ。

 仏教は、無明の自覚こそ、覚醒への第一歩だと言い、そしてまたヘッセも、その方向に思考を進めてゆくのではあろうが。


 ともあれここでヘッセはそれを真実(die Wahrheit)と呼んでいる。樹々にも人にも共通する生の無明という根本法則を。





注*
そこのところの原文を紹介しておく。
>Ich vertraue, daß Gott in mir ist. Ich vertraue, meine Aufgabe heilich ist. Aus diesem Vertrauen lebe ich.
(Hermann Hesse, Bäume, Insel Taschenbuch 455, S. 11)




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《アンデルシェフスキのシューマン《早朝の歌》終曲讃》

2017/04/23 21:28
瀬谷こけし

《アンデルシェフスキのシューマン《早朝の歌》終曲讃》

 アンデルシェフスキの演奏は多種多様な流れのリズムをつかみ取って複合させ、また移行させていっている。霧の流れのリズム、木の葉の細かく震えるリズム、太陽が東の空に近づいてくるリズム、水面のさざ波のリズム、そして木々の梢から雫の引いてゆくリズム、などである。この多様なリズムの把握が、例えばポリーニの演奏とまったく違うところだ。ポリーニの演奏の分析はあえてここではすまい。アンデルシェフスキの演奏は、革命的に新しい。そしてシューマンは、アンデルシェフスキにおいてはじめて自曲の正しい演奏者を見出したことだろう。シューマンの晩年の楽譜には、アンデルシェフスキのような自然の細部と密着した様々なリズムを聞きわける感覚によってはじめて読み取るとのできるデリケートなさまざまなリズムが書き込まれているに違いない。それらはまだほとんど読み取られていないのだろう。
 (シューマン、op.133)




シューマン:ピアノ作品集(暁の歌 他)
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《アンデルシェフスキのバッハとシューマン》

2017/04/23 02:38
瀬谷こけし

 このパルティータ1番も穏やかさの中に鋭さ激しさ暖かさのある緻密で真っ直ぐな演奏で音色も美しくすばらしいと思うが、アンコールにシューマンの《早朝の歌》(Gesäenge der Frühe)の終曲が、さりげなく弾かれて、それがさらにすばらしい。シューマン晩年のこんな難解な曲がこんなに自然に聴けるのは奇跡的なことと言ってよいのではないか。(試しにポリーニと聴き比べてみればその違いに愕然とすると思う)。

https://youtu.be/Kvhurpp-wDc





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《ウド・リンデンベルクの「アンドレア・ドーリア」》

2017/04/23 02:09
瀬谷こけし

《Udo Lindenberg; Alles klar auf der Andrea Doria》

 ウド・リンデンベルクがこの曲を歌いはじめたのは1973年のことらしい。Youtubeにはその年の演奏が何本かアップされている。そのいわば若造のころに比べれば、最近のウドにはある種の風格が備わってきていると思う。パニックオーケストラのフューチャリングで歌うようになってからは格段に面白くなったと思う。
 歌の意味はよく分からない。ディクシーランド風のものが流行りだしてから20年という時代を歌っているのだろうが、中心にになるのは
>Und ich glaub', dass unser Dampfer bald untergeht.
というところだろう。わしらの乗っとる汽船は間もなく沈没するとわしは確信しとる、というような意味だ。地球の文明を沈没した客船アンドレア・ドーリア号になぞらえているのだ。そこでこんな歌詞が来る。
>Aber sonst ist heute wieder alles klar auf der Andrea Doria.
この[Andrea Doria]は定冠詞がついているので、ジェノヴァの提督アンドレア・ドーリアのことではなく、1951年に進水し1956年に沈没したイタリアの客船アンドレア・ドーリア号のことを言っているに違いない。
 この文明世界の沈没を確信しているという気分のひとびとの歌だ。



https://youtu.be/U14BU33v0wY




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《ジェノヴァの桜》

2017/04/21 11:31
瀬谷こけし


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 去年、オルタの帰りにジェノヴァに寄った時の桜。フェラーリ広場から海の方へ古い町を少し散歩しているときに見つけた花。3月11日。
 シラーの『フィエスコの叛乱』を読んでいると、提督アンドレアス・ドリア公爵の甥のジャネッティーノの乱脈ぶりは、まるで今の日本の政権のありさまを見ているようだ。

 シラーの『フィエスコの叛乱』をニーチェは読んでいると思うが、あのヘルダーリンも読んでいて、詩の中に「ドーリア」の名前が出てくる。去年ジェノヴァにちょっと寄った時、この本を読んでいれば、アンドレア・ドーリア提督の館がどこにあり(多分今の市庁舎)、フィエスコの館がどこにあって、叛乱を企てた時どこを押さえようとしたか、などよくたどれただろうと思う。ジェノヴァのロレンツォ教会は、どこかライプツイッヒのトマス教会と似た印象がある。それがゴチックとういものか。1547年のジェノヴァが舞台。シラーの技(構成の、文章の、そして人間洞察の)に感心しながら読んでいる。



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《日本歌人2017年4月京都歌会》

2017/04/16 03:45
瀬谷こけし

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(構内落葉、2017年4月14日京大構内)


 今日(4月15日)日本歌人京都歌会の歌会があった。わたしが出詠したのは、以前(『日本歌人誌』)「2017年7月号草稿」として掲載したもののひとつを一字だけ変えたものだ。

> 時の中へみづから息を引きとりて去りにしものを掴むすべなし

「夢の中へ」を「時の中へ」に改めた。もともと「時の中へ」の方が本来の形だが、この「時」をどのくらい誤解せずに読んでもらえるかを見たくて歌会に出した。少なくとも三人はこの「時」が現在とかではなく、悠久の時の流れの「時」、過去のことだときちんと理解してくれた。いわば純粋持続としての「今」の時から、「過去」へと逃げ去ってしまった時、もう(なにびとも)改めることができなくなった時だ。ニーチェが「es war]と呼ぶ時。
 歌を「夢」から「時」へ変更すると、見方が一人称から三人称に変わり、少し冷たい物言いになるが、しかし時の問題、死の問題の真相を思考しやすくなる。問題は単純で、身体が息を引き取るとき、それは抵抗の放棄として、「もうここまででいい」という納得として身体自身の能動的行為として最後の息が引き取られるということだ。どんな死に方であれ身体はおのれの能動的な行為として最後の息を引き取るのだ。
 歌会でも、終了後にすこし時間がもらえたので、そのあたりのことを説明した。身体が息を引き取るときの問題として考えてもらうと、理解共感してもらえるひとが増えた。

 今日は、病でしばらく声が出せなかったという人と、名古屋から参加の人が来てくれるので、歌会の後、みなで場所を移してあるフレンチのレストランで会食をした。そこでも、美味しく楽しい談笑の時を過ごした。京都造形での「歌会」の授業が今年からなくなること、京都造形からの日本歌人への何人かの加入希望者の話もした。書道家の会員で、同じく書道家のご主人が、4×9mの鳥子紙に書を書くところの映像もみせてもらった。
 なかなか充実した日だった。
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《シューマン: 懺悔、というよりは悔過》

2017/04/15 02:43
瀬谷こけし

 東大寺二月堂の修二会の悔過(けか)作法のなかでも五体人と呼ばれるひとりの僧が礼堂の五体板に全身を膝から打ち付ける五体投地の行は、わたしにとっては、最も激しく、力強い悔過の行為のひとつだ。そのことを、この行為を近くで体験したひとは、納得してくれるだろう。
 だが、ここでわたしが言いたいのは、もっと違った悔過もあるだろう、ということなのだ。それは耳を澄まし、感覚を澄まし、感受性の限りを尽くして音を聴こうとする行為のことなのだ。例えばシューマンの晩年の《早朝の歌》(Gesänge der Frühe)op.133のような、きわめてデリケートで、きわめて難解な曲を聴こうとすること。ピアニストはそれを、楽譜と自分のピアノの音との何回もの繰り返しから、曲の隠れた秘密、隠れた音楽を引き出してゆく行為をおこなうが、その行為のただなかに、他ならぬ悔過のおこないがあるだろう。しかしその隠れた秘密、隠れた一貫性を引き出しえないとき、ピアニストは解釈をあきらめ、演奏をあきらめることになるだろう。シューマンの晩年の曲は、このようにきわめて難解な作品群になっている。
 このところある縁があって、アンデルシェフスキ(Anderszewski)の《早朝の歌》の演奏を聴いたが、彼はこの曲のきわめて深いところまで、きわめて深い秩序にまで達していて、それを聴き取るためにわたしは、感覚と感受性の深みを呼び覚まし、掘り起こすためにきわめて大きな努力をした。その行為は、わたしには悔過と言えるものだった。それはそれまでの鈍い感受性のまま物事を感じて生きてきたために深くデリケートなものを聞き逃していたという過ちを悔いることだったから。アンデルシェフスキのこのような達成をこれまで知らず、その感覚の深さに達することができていなかったからだ。昨日ようやくその悔過の段階が五段あるとすれば、その三段にまで達することができた。第一曲は、湿気のある朝まだきの林の中の表情。どこかに小さな清らかな湖があり霧が細やかに流れる。第三曲にはある征服感があること。征服する喜びがあるとともに、征服されるものにも征服される喜びがある、そのような征服の達成。馬のギャロップのような歩みのなかで、何かが征服されるのだ。第五曲、終曲は、第一曲と相当よく似た表情だが、ここには泥気があり、清澄な湖あるいは池というよりはむしろ沼で、藻が生え、泥が遊びさまざまな生物が遊ぶ。しかしそれを善しとする微妙な風に包まれて終わる。
 第二曲、第四曲はまだ聴き取れていないが、アンデルシェフスキとシューマンがこの曲で描き示そうとしたものの少なくとも過半は、読み取れたと思う。
 この段階で、わたしはわたしのこの悔過行を一旦終えようと思う。


補足:
そういえば、ここのタイトルの「Gesänge」の中には、ヘルダーリンの「bald sind wir aber Gesang」(ほどなくわたしたちは歌になるのだ)という思想が流れているだろう。そこのところ、長めに引用紹介する。
Viel hat von Morgen an,
Seit ein Gespräch wir sind und hören voneinander,
Erfahren der Mensch; bald sind wir aber Gesang.
(Hölderlin: Friedensfeier,91-93)
 シューマンは、早朝の霧や森や光や色のいろいろなものと、互いを聴こうとし、ひとつの対話となって、この歌になったのではないだろうか。




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《「ドイツ語応用」》

2017/04/13 02:34
瀬谷こけし

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吉島家(高山市)の楢の木


 今年は「ドイツ語応用」の授業を担当させてもらえてどんな学生が受講してくれるかと期待していたのだが、受講の動機を書いてもらうと、「時間の都合で取りやすい」とか「卒業単位に必要なので」とか書いてくる学生が多く、少し気落ちしていた。ヘルマン・ヘッセの『樹木』というエッセーと詩をまとめたものを教材に使う読解中心の授業にしたのだが。それでも受講動機を読んでいると、「読解重点の講義を受けたかった」とか「ドイツ文学を読むことで文学自体の理解を深めたい」とか、「ドイツ文学に興味があって」などと言ってくれる学生もあって、気を取り直している。ほんとはゲーテを読ませてみようと思って教材を探していたのだが、そもそも文学を読ませる教材が最近はほとんどなく、ゲーテですらほぼゼロなのだ。結局、前から時々使っているヘッセのものをまた使うことにしたが、ドイツ文学、ドイツ思想について包括的な視野を得るためには、それはゲーテの方がよく、ゲーテこそが最良ではないかと思う。エッカーマンの『ゲーテとの対話』からいくつかを選んだものがあればそれにしたいと思っていたが。
 ともあれ、この授業に取り組んでくれる学生がいてくれたことをありがたいと思ってやってゆきたい。
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《帰路の残雪》

2017/04/11 00:02
瀬谷こけし

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 高山からの帰路、せせらぎ街道を通ればこういう残雪の道を通ることになる。こういう残り雪にもなつかしい思いがする。穴ごもりしているクマはいつ穴から出てゆくかそろそろ考え出す時期か? 橋本繁蔵さんは、穴の中で土のにおいをかぎつけて、出る時期を決めるのだと言っていた。土のにおいと、それと花粉の臭いもなのだろうか。繁蔵さんが言っているのは、もっと山深いところの穴で冬ごもりをしているクマの話だったが。あたり一面雪の中の木穴でかぎつける風にのって遠くからやってくる土のにおい。そのときそのにおいには花粉のにおいは含まれていないのだろうか?

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《高山の北山》

2017/04/08 16:11
瀬谷こけし

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 高山市の北山は墓地が多いところに見える。義父の親戚たちの墓がここにあって、時々子どもを連れてお参りにいっていた。そこでイチイの赤い実もよく食べていたが。

 墓参りが済むと、その奥の公園によく行った。ブランコやシーソーのある子ども向きの公園だ。そこでもよく遊んだ。

 その児童公園は、北山全体の中からすると、北の奥の方に位置していた。そこからは市内が見下ろせ、また遠方には位山や船山が見えて、しかもその両山の真ん中にピラミッド形の山がピコッと立っていた。西村宏一先生もこの山には注目しているとおっしゃっていたが、それ以後もわたしもこの山について何も調べていない。

 北山は山腹に桜山八幡神社があるので、由緒としては古いものがあるだろう。だからきっとあのぴこピラミッド山についても、昔から関心は持たれてきたに違いない。何山なのだろう? いずれ調べてみたい。

 そして北山。その先述の児童公園のあたりを下から見ると、これもちょっとした別天地に見える。だが下から直徒でその公園に上る道はない。樹木や草は生えているので、登って登れないはずはないが、ともあれ道はできていない。だから遊びに行こうと思ったら、ちょっと南から、北山ホテルの近くを通って、そこから北に進むしかない。それでせっかくの公園だが、散歩や遊びに、行きにくくなっている。ちょっと残念なところだ。


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《梅村堤の跡?》

2017/04/07 12:20
瀬谷こけし

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 昨日(4月6日)はなぜか北の方に歩いてゆきたくなって、結局斐太高校の運動場のわきから大八賀川の右岸(東側)を歩いた。先へ少し進めば宮川との合流点にでるが、そのまま右岸を進む。すると左岸の方で護岸工事をしていて、めずらしいものが見えた。どうやら工事して河岸を掘った下から昔の堤石らしきものが出てきているのだ。これは多分、昨年の福井先生の講義で話のあった、明治初年梅村堤の跡ではないのだろうか? それがその後の護岸工事で埋められていた? 土の中に埋まっていたとしか思えない石や石壁が見えていた。これもこの工事中の一時期しか見られない姿だろう。貴重な写真と言えるかもしれない。


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《日本歌人2017年7月号草稿》

2017/04/06 04:28
瀬谷こけし

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○家々は明かりつましく暮らしたりひとの生くるはさびしきものぞ

○今生の別れとてや差し伸ぶる骨ばかりなる手を握りしことを

○あさましきばかりに細き骨の手を差し伸べる姉のこころの無慚

○父の見る真夜に身まかりにけり姉千代子齢二十九の灯

○夢の中へみづから息を引きとりて去りにしものを掴むすべなし

○峠(たわ)越えて芹生(せりょう)山水もとめ来ぬ春の若水ここにあらずや

○杉の葉のみどりうるはし隠国(こもりく)の春の若水得て帰途につく

○冬の真夜の静謐に立つ寒々し飛騨高山の街の格子戸



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《『短歌研究』勉強帖 2017年1月号》

2017/04/05 21:07
瀬谷こけし


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---加藤治郎の岡井隆論にまなびつつ---

 遅れ馳せだが2017年1月号「『短歌研究』を勉強しよう。巻頭の「12ヶ月の歌」は加藤治郎が「蒼穹は」というタイトルで岡井隆の『人生の視える場所』の中の「一月五日のためのコンポジション」を取り上げている。引用するのは次の三首だ。

>蒼穹(おほぞら)は蜜(みつ)かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶
>戸の外を流るる音のしろがねの気配のごとく寒さきて居り
>日のさせばそこはかとなき青空も巻きたる雲もいのちとぞ思ふ

 一首目の歌を加藤は「信濃路の夕空を遠望している。蒼と蜜の色が鮮やかである」と言う。しかしこの読解の出発点からしてわたしにはよく理解できない。加藤はさらに続ける。「蒼穹は器のようだ。器を傾けると蜜は細く垂れ、雲の流れとともに拡がってゆく。至福の風景である。蜜は甘美だ…」。やはりわからない。蜂蜜のビンを傾ければ細く蜜が垂れ流れてゆっくことは日常の経験からたやすくわかることだが、それが空を舞台に広げられるどのような天然現象を描いているものか、ほとんど掴むことができない。あるいは加藤の説明はやや当を逸していて、岡井の歌はほんとうは一筋糸を引いて流れてゆくような「蜜」のさまを言っているのではなく、青空の端のところから、テーブルの上に蜜が広がってゆくように、西空いっぱいに広がってゆく夕焼けの広がるさまをこう詠んだのではないだろうか? この垂れた蜜液のように広がってゆく空の色の移り変わりは止めることができない。移り変わり過ぎ去ってゆくこの流れこそ時であり、それは、なにものにもとどめることができない。この流れを、抗わず、わたしも肯定しよう、と歌人は歌っているようである。ならばよく理解できる一首だ。しかしこの肯定には、わずかではあるが、コンフォーミズムの、順応主義の、においがする。それは歌から肯定の手前の契機が見えてこないからだ。時は、この歌人にとって、いつから「伴侶」になったのだろうか? いつ伴侶にしたのだろうか? これがおそらくは大きな問題である。

 二首目の「戸の外を」の歌は、冬の夜寒が足元から近づいてくるような気配を「流るる音のしろがねの気配ごとく」と、ひんやりとしたしろがねのイメージを、平仮名の音で示すことによって、実に的確に気配を語ることばとしている。さほどシャープには見えないところに、鋭さを抑えた、妙観の刀のような名工の味わいがある。

 三首目の歌も空を歌っているが、もう一度引いておこう。

>日のさせばそこはかとなき青空も巻きたる雲もいのちとぞ思ふ

雲に隠れていた太陽がそこから現れて、光が青空や巻雲に注がれる。すると、空のその辺りの粒子も、そして巻雲を作る水分などの粒子も、日の光を受けて、何か喜ばしいような表情を見せる。そうなのだ、明るい光に会って、その喜びの表情を見せる空や雲、そのような変化や受け止め、喜ばしい受け止めは、それらのものたちの生命の表現なのだ。われわれは例えば原っぱの草が、日の光を受けると、喜ばしい表情に変わることを日ごろから経験することができる。そしてそこにそれらのいのちを見る。その喜びの表情を、歌人はそこはかとない青空にも、空の上で巻くようにする雲にも見るのである。そこには、本質的に、生命あるものと生命のないものとの違いは存在しない。ひとはそのようなものの感じ方を失ってしまったのだろうか。加藤は「どうといいうこともない青空も雲もいのちと思う。自らの生を風景に託している」と読む。しかしこれは正しい読みだろうか? 歌人はもっと先を、生命一如の感じ方に進み入っているのではないだろうか? わたしにはそう思える。


 他の作品として「新春三十首」を取り上げる。岡井隆「旧友の死そして私の授賞式前後の歌」、そして馬場あき子「眼鏡と夢」である。新春のめでたい作であると思われるが、しかし簡単に見るにとどめよう。
岡井作品では次の二首が気になった。
>わたくしがなんの果実をみのらせしや前のめりに動く烏(からす)みたいだ
>妻とともに壇上にカメラをうくるとき新しい雪をふむ音がした
 一首目。こう言われると、そういえば烏は前のめり風の生き方のスタイルをしているように見えるな、それは何なのだろう、という風に考えさせられる。ここには何かの発見があるのだ。そんなかそやかな発見を歌人は幾つも蓄えているのだ。敏な感覚を開いて生きている人のようだ。
 また二首目では、「うくる」と平仮名で書かれると、これは「受苦」とか「銃弾を受ける」とか、受動性の苦しみを連想させ、また新雪を踏む音をわたしもとても楽しむのだが、彼が壇上で聞いた新雪の音とはどんな音だったのだろうか、あのキュッキュという締まった音なのだろうかなど、これまたいろいろと考えさせられる。人生を、自然の様々な音、様々な形の印象とともに生きる人は、とても豊かな人生を送っているひとだと思う。岡井隆のそんな面を、今号ではとてもよく感じさせられた。

 今号の馬場作品はわたしには苦しい。
>目先のことに飛びつきやすく忘れやすく稀に冴えてるひと日仕事す
 三十首を読んで、この述懐に納得させられたと言うと、たぶんとても失礼なのだろう。だが明澄な意識が稀にしか訪れない日々をすごすということが、歌人としてどのような作を残すことなのか、ということは示してくれたと言えるだろう。以下は黙す。

以上
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《生への讃歌》

2017/04/04 02:33
瀬谷こけし

《生への讃歌》

https://youtu.be/FIOIUlDB5yU




 ルー・ザロメの詩にニーチェが作曲したこの曲、この曲についてルーは「それを彼は、一八八二年の夏、彼が私といっしょにチューリンゲン州のドルンブルクに滞在していた間に、作曲したのだ」と言う(原佑訳『ニーチェ 人と作品』。一語引用者が訂正)。「ドルンブルク」はルーの誤りで、正確にはドルンブルクから3kmあまり離れたタウテンブルクなのだが、それはいい。そのタウテンブルクの牧師館で、夜中、ルーを前にピアノを弾きながらこの曲を作曲していたニーチェの姿が思い浮かぶ。この時ニーチェは37歳のはずだが、曲はまるでこの世を去る間際の作のように聞こえる。もうこれ以上のさとりはなくていいのだ。これを絶頂として死ぬならそれは本望だと、そんな風に。そういうつもりで作曲した曲なのだろう。安らぎもある。
 1882年のタウテンブルクはニーチェにとって生の絶頂と言うべき場所だった。永遠回帰の思想が訪れた1881年のシルス・マリーア以上に。そのときそこタウテンブルクで彼らは多くのことを経験した。それはそこで彼らがひとつの対話であり、たがいを聞くことが成就していたからだ。ヘルダーリンが讃歌「平和の祝い」の核心として表白したことがきっとここでひとつ成就したのだ*。
 そしてルー・ザロメとニーチェの合作になる《生への讃歌》は、ヘルダーリンがつづけて「そしてほどなくわれわれは歌になる」と言う「歌」そのもののひとつではないだろうか?



注*
ヘルダーリンの「平和の祝い」(Friedensfeier)には次のような言葉が読める。
〇Viel hat […] //Erfahren der Mensch;(多くを〔…〕//人間は経験した;)
〇Seit ein Gespräch wir sind und hören voneinander,(われわれがひとつの対話であって、たがいを聞いてよりのち、)
〇bald sind wir aber Gesang.(そしてほどなくわれわれは歌になるのだ。)
とか。ルーとニーチェの《生への讃歌》はヘルダーリンのいう意味での「歌」(Gesang)ではないだろうか?
 そこの箇所つづけて書くと、

Viel hat von Morgen an,
Seit ein Gespräch wir sind und hören voneinender,
Erfahren der Mensch; bald sind wir aber Gesang.
(HÖLDERLIN SÄMTLICHE GEDICHTE, 1992)
多くを朝から、
われわれがひとつの対話でありたがいを聞いてよりのち、
人間は経験した。そしてほどなくわれわれは歌となるのだ。
(拙訳)


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《御岳 1998年8月21日》

2017/04/03 05:11
瀬谷こけし

 写真を整理していたら家族で御岳に登ったときの写真が出てきた。この日甲子園は決勝戦で、横浜高校の松坂投手が投げていたはずだ。長男が時々その実況を聞かせてくれた。その日の写真は家族の貴重な宝物になったが、山頂付近の風景は大きく変わってしまったのだろうか? この日も山体には蒸気をふかせているところもあり、激しい登り風が吹き上がってくる場所もあった。御岳はやっぱり大いなる山だという印象が強かった。巨大な力をひそめた山。その力のゆえに神聖な山と仰がれて当然の山。山は、とりわけ岳と呼ばれる山は、巨大な力をひそめている。油断をしてはならない。
 下までおりた時、あたりはもうすっかり暗くなってしまっていた。だがそんななかでも、8合目当たりの簡単なお堂に籠って、山上で夜を明かそうとしている人もいた。行者さんなのだろう。こうして、人生は豊かだ。翌朝、下の清滝でも行をする人がいた。


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《銅心さん》

2017/03/31 03:01

瀬谷こけし


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 二年前の2015年3月31日にFBに書いたものを再録します。銅心さんはいまどうしておられるやら。お会いしたのはさらに数年前のことだったはずだ。

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《銅細工師》
 その時いずれ必ず店を出すのだと言っていた。銀閣寺の参道が一番の狙いのようだった。半畳ほどの店でいいと。
 植物園南の河原で銅細工を作っていた。珍しいので、話かけていろいろ聞いていた。その河原で商売もしていた。かなり高い値段だった。高いものは一万円ほどはしていた。この器でも三千円以上していた。財布の中の有り金をそっくり出して売ってもらった。(そういえばその時、帰りのバス代はあるのかと聞かれて、自転車できているから大丈夫と答えたのだった)。器を何に使ったわけでもない。こんな生き方をしているひとがいるのが嬉しかったのだった。
 写真も撮らせてもらった。焼けた肌。そして引き締まった強そうな筋肉。どこか鬼気を感じさせるところがあった。
 その後遠くから一度だけ見掛けた。その時も加茂の河原にいた。工人名は「銅心」といった。(2015.3.31)

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《若水汲み 芹生へ》

2017/03/31 01:26
《若水汲み 芹生へ》
瀬谷こけし

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 花背峠を越えて、別所を越え、上黒田、灰屋、一の谷を越えて、芹生の山水を汲みに行った。今日はぜひとも春の若水を汲みたかったので、奥まで行った。途中の道、路上には積雪はなかった。
 汲む時石を動かすと沢蟹が一匹いたので、しばらく逃げてもらった。今日は使い損ねたが、明日はこの水でコーヒーかお茶を飲もう。

 そして新緑の杉の葉の美しさ。
 この辺りは桂川の源流域のはずだが、驚いたのは光が当たる杉の葉の美しさ。いや美しいと言うより、それは麗しかった。
 この京都の中では空気も水もきわめて美しいところなのだろう。杉の新しい葉がこんなに美しいものだということをここに来て初めて知った。

写真12枚。カメラ: Nikon Coolpix S9900


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《宮沢賢治賞に推薦した》

2017/03/28 23:16
瀬谷こけし


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 河合雅雄さんを賢治賞(宮沢賢治学会イーハトーブセンター)に推薦した。ただし郵送でもFAXでもなくホームページのフォームから。

その内容は以下だ。

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第27回宮沢賢治賞推薦 

候補者:
河合雅雄 かわい まさお 

対象となる内容:
『宮沢賢治の心を読む』(I/II/III、2011/2012/2015年、童話屋刊)、及びこれまの宮沢賢治研究および紹介の業績に対して。

推薦の言葉:
宮沢賢治の童話をみずから各地の山野を歩き回った経験と最先端の生態学研究で培った知識教養によって読みとり、賢治童話に隠れている動植物の深く正しい知識を紹介するとともに、同じくそこに隠れている日本の伝統的な感覚(奥山の神聖さ等)を的確に示し、賢治童話を自然への親しみと生態系の知識のもとに読解することの新鮮さ、豊かさを示した。

以上
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 今年は賞選考委員でも理事でもないので、オープンにしてもかまわないだろう。いや、むしろ賞選考の公明正大化にもいくらか役立つだろう。




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《『短歌研究』勉強帖 2017年4月号》

2017/03/26 18:47
瀬谷こけし


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---喜多弘樹の前登志夫論「樹木みな」にまなびつつ---


 少し休んでしまったが「『短歌研究』勉強帖』を再開しよう。2017年4月号から。欠いてしまった号もまた補ってゆくつもりだ。
 2017年4月号巻頭の「12ヶ月の歌」喜多弘樹が前登志夫の歌三首を取り上げて吉野の桜を論じる。引かれる三首の歌は以下だ。

>杉山にとだえもなしにさくら花流るるひと日ひと日を生くる 『樹下集』
>樹木みなある日はゆらぐ行きゆきて乞食(こつじき)の掌に花盛られけり 『霊異記』
>さくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへり 『童子』

 前の歌にはある程度親しんでいたつもりだが、こうして桜歌三首を示されると、とても自然に桜を迎えていた歌人の姿が見えて来る。それは西行の、身と心が添わなくなるような浮かれとはまた少し違うものだ。
 一首目の歌は桜の花の流れるさまを歌うが、私は杉山の中にではなく、それをやや距離を取って眺めやる場所にいるようだ。花は流れ来るのではなく流れつづける、とだえもなしに流れつづけるのだ。喜多が「いったい、どこから花が流れてくるのか」と問うのは正しい。その木々の姿が見えずに花だけが杉山に流れつづけるさまはとても不思議だ。花は風の道を流れてゆくのだ。だからかえって普段は見えない風の道が今はどこにあるのかを桜の花は教えてくれるのだ。だから喜多が「現世から他界へと流れていく一筋の〔…〕河だ」と説くのはとても正しい。普段は見えない道を花は流れてゆく。壮麗な景だ。
 だが、ここまで読んでくると、下の句の措辞がとても気になってくる。僭越を承知で言えば、わたしなら「流るるひと日この日を生くる」とするだろう。つまり、とだえもなしにさくらの花が流れる日は、一日しかない、いや、一日もつづかない、と思うからだ。だから前の「ひと日ひと日を生くる」とは、日ごと日ごとを生きるということではないか。毎日を、日々を生きるということでは。「流るる」の連体形は上の方の「ひと日」にかかるが、言ってみればここまでが非常に長い序詞で、その、この上なく壮麗な一日として、毎日を私は生きる、と、そのような生きる決意を歌った歌ではないだろうか。そのひと日のさくら花の流れつづける光景は、日々こころの奥にあって私を生かせると。
 「流るる」の連体形と「ひと日ひと日」の複数性との間の措辞の破綻をしっかりと受け止める必要があるだろう。それによって、歌は毎日毎日とだえもなしに流れる生死の川を壮麗な現実の日々のまことの姿として見せてくれるのである。

 二首目の歌を再掲しよう。
>樹木みなある日はゆらぐ行きゆきて乞食(こつじき)の掌に花盛られけり 『霊異記』

 この歌の解釈の要点、あるいは難点は「行きゆきて」にあるだろう。どこかに原一男監督の映画《ゆきゆきて 神軍》への連想をさそう措辞だが、この歌では花びらの流れてわたってゆく距離の遠さ、はるかさが言い示されているであろう。なべての樹々がゆらぐほど激しい風の吹くある日のことである。その日はじめて桜の花びらは乞食の掌(て)にまで届く。やっと届くのである。そしてそのことによってはじめて桜の花が荘厳される。桜の花を聖化するのはまさにこの乞食なのである。乞食の掌にいっぱいの花びらが盛られることによって、つまり彼が花たちを美(よ)しとすることによって、桜の花は聖化されるのである。そのような乞食が山の奥のおくのどこかにいる。芭蕉が「こもをきてたれ人います花のはる」と元禄三年の歳旦に問うた問いの、これは前の答えでもあろう。

 三首目は、
>さくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへり 『童子』

である。これはどのような夕べだったのだろう。桜咲く春の季節といっても、西の空が美しく夕焼けに染まることもある。そんなときでも、夕焼けののちに陽が沈んで、光が雲のみを照らし空があわく透明な水色に変わり、さらに色が薄れ沈んでいって、暗くなってゆくことがある。わたしはその夕焼けののちの透明な水いろの空がとても好きなのだが、その暗くなってゆく時の間はそんなに短いものではない。「まで」と区切られる時は、ともあれひとつの死に別れの時だ。そして「めで」と時を区切るのは歌人自身だ。思いを死なしめるのは歌人自らだということだ。その思われびとはすでに歌人のところから去っている。だから歌人がみずから思いを止めるとき、その時ひとつの死が成就する。さくら咲くゆふべの別れと言えるだろうか。鎮魂はこののちは暗くなった空そのものが引き受けてくれるだろう。わたしもこの作を前登志夫のもっとも美しい歌の一つに数えるだろう。


 他の作品を見よう。今号には「特別作品」として十名各二十首の歌が掲載されている。掲載順に、福田龍生「雪の一人旅」、桜井登世子「寒しじみ」、横山岩男「一閃」、野地安伯「睦月きさらぎ」、村木道彦「昏睡」、冬道麻子「ショートステイ」、大辻隆弘「塔の立つ校舎」、荻原裕幸「誰かが平和園で待つてる」、佐藤弓生「誰も見てない」、田中綾「『労働基準法』再読」である。
 目に止まった作を作者別に記そう。
 福田作品
>迢空のたづねし木曽の山里に風船かづらの朱の実あれば和みぬ
(迢空の名を出すことによってふくらみが出て、師の後を追う旅と見えてくる。雪道を歌いながら雪歩きになれてないひとの歌に見える点がそれで納得される)

 桜井作品
>風の匂ひコートにつけて帰宅せし大寒の夜を抱き合ひしか
 (「男のごとき匂ひ」「木材の匂ひ」「風の匂ひ」と「匂い」の歌が多いが、なかでも「風の匂ひ」が新鮮。こういう日常詠をみると古典的仮名遣いの必要があるのか疑問に感じる)

 横山作品
>農家より米買い帰りに十キロを搗くは車にわが乗れるうち
(写生派の日常雑詠集とみえるがこうした自己の限界の自覚には詠嘆につながるものがありホッとする)

 野地作品
>手伝ひのわれら本堂の椅子を置き座布団を敷き 明日節分会
>春早き足柄平野横切りて御殿場線の三輌が行く
 (前の歌は節分会の手伝いを通して歌人のいる社会空間を大変明瞭に語る。後の歌は「三輌が行く」が効いて足柄平野の様を描く。写生派のこれらは達人の技に見える)

 村木作品
>なにげなく見上げし視線のそのさきにきそひあひつつ雲峰ふたつ
>その掌(て)もてわれのまなこをふさぎしか日常と呼ぶ深き昏睡
>旺盛な生命をもつ雑草であることの罪 夏の庭にて
(日常を批判しうる精神の明晰さ、明敏さがが「晩年」にあっても写生派の原理を超えることを示す歌群。日常を維持しようとする力は生命あふれる雑草をその存在から断罪する。道元や山中智恵子が「棄嫌に生ふる夏草」と詠じたレベルを超え、ニーチェ的な権力批判の場に達している)

 冬道作品
>ベッドより救い出されて帰宅せんストレッチャーへの平行移動
 (ショートステイの体験を歌にしたもの)

 大辻作品
>塔の立つ校舎が見えて丘の上は何がなし楽し春が来れば
 (「何がなし楽し」は分析か、分析の放棄か?)

 佐藤作品
>倒れても誰も見ていないところでは樹でも人でもなかった It(それ)は
>人は言う 生んだことばに生かされる存在だから言う 愛してる
>咲くことは傷ひらくこといくたびもさくらの道をゆきかえりして
 (不可視もしくは不可聴の領域にたっぷりと身を置いてこの世を見つ両界のアナロジーを言葉の喩法によってつなぐ。注目すべき認識方法と歌法をもった歌人。三首目はなんと素晴らしい桜歌だろう!)

 田中作品
>セヨ、スベシ、シテトーゼンデショ、ネバナラヌ そういうコトバやめてにブチョー!
>けっこういい給料って耳打ちされたのに残業代込みなんてマジかい
>サイテーのこの金額で生き継いだことないヒトが線引く最低賃金(さいちん)
 (こうした批判が労働基準法の各条への違反だということを教えてくれる。啓蒙歌とうい新しいジャンルが創造される)

感想:
 村木、佐藤、田中の作品が抜群に面白い。ほんとうを言えば、批判がなければ短歌も成立しないのだと勉強した。

 2017年4月号の勉強は以上としたい。


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《さくら咲くゆふべの別れ》

2017/03/25 02:28
瀬谷こけし


《さくら咲くゆふべの別れ》
 ---喜多弘樹の論「樹木みな」にまなびつつ---


 『短歌研究』誌2017年4月号巻頭の「12ヶ月の歌」は喜多弘樹が前登志夫の歌三首を取り上げて吉野の桜を論じる。それについて論じてみよう。


引かれる三首の歌は以下だ。

>杉山にとだえもなしにさくら花流るるひと日ひと日を生くる 『樹下集』
>樹木みなある日はゆらぐ行きゆきて乞食(こつじき)の掌に花盛られけり 『霊異記』
>さくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへり 『童子』

 前の歌にはある程度親しんでいたつもりだが、こうして桜歌三首を示されると、とても自然に桜を迎えていた歌人の姿が見えて来る。それは西行の、身と心が添わなくなるような浮かれとはまた少し違うものだ。
 一首目の歌は桜の花の流れるさまを歌うが、私は杉山の中にではなく、それをやや距離を取って眺めやる場所にいるようだ。花は流れ来るのではなく流れつづける、とだえもなしに流れつづけるのだ。喜多が「いったい、どこから花が流れてくるのか」と問うのは正しい。その木々の姿が見えずに花だけが杉山に流れつづけるさまはとても不思議だ。花は風の道を流れてゆくのだ。だからかえって普段は見えない風の道が今はどこにあるのかを桜の花は教えてくれるのだ。だから喜多が「現世から他界へと流れていく一筋の〔…〕河だ」と説くのはとても正しい。普段は見えない道を花は流れてゆく。壮麗な景だ。
 だが、ここまで読んでくると、下の句の措辞がとても気になってくる。僭越を承知で言えば、わたしなら「流るるひと日この日を生くる」とするだろう。つまり、とだえもなしにさくらの花が流れる日は、一日しかない、いや、一日もつづかない、と思うからだ。だから前の「ひと日ひと日を生くる」とは、日ごと日ごとを生きるということではないか。毎日を、日々を生きるということでは。「流るる」の連体形は上の方の「ひと日」にかかるが、言ってみればここまでが非常に長い序詞で、その、この上なく壮麗な一日として、毎日を私は生きる、と、そのような生きる決意を歌った歌ではないだろうか。そのひと日のさくら花の流れつづける光景は、日々こころの奥にあって私を生かせると。
 「流るる」の連体形と「ひと日ひと日」の複数性との間の措辞の破綻をしっかりと受け止める必要があるだろう。それによって、歌は毎日毎日とだえもなしに流れる生死の川を壮麗な現実の日々のまことの姿として見せてくれるのである。

 二首目の歌を再掲しよう。
>樹木みなある日はゆらぐ行きゆきて乞食(こつじき)の掌に花盛られけり 『霊異記』

 この歌の解釈の要点、あるいは難点は「行きゆきて」にあるだろう。どこかに原一男監督の映画《ゆきゆきて 神軍》への連想をさそう措辞だが、この歌では花びらの流れてわたってゆく距離の遠さ、はるかさが言い示されているであろう。なべての樹々がゆらぐほど激しい風の吹くある日のことである。その日はじめて桜の花びらは乞食の掌(て)にまで届く。やっと届くのである。そしてそのことによってはじめて桜の花が荘厳される。桜の花を聖化するのはまさにこの乞食なのである。乞食の掌にいっぱいの花びらが盛られることによって、つまり彼が花たちを美(よ)しとすることによって、桜の花は聖化されるのである。そのような乞食が山の奥のおくのどこかにいる。芭蕉が「こもをきてたれ人います花のはる」と元禄三年の歳旦に問うた問いの、これは前の答えでもあろう。

 三首目は、
>さくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへり 『童子』

である。これはどのような夕べだったのだろう。桜咲く春の季節といっても、西の空が美しく夕焼けに染まることもある。そんなときでも、夕焼けののちに陽が沈んで、光が雲のみを照らし空があわく透明な水色に変わり、さらに色が薄れ沈んでいって、暗くなってゆくことがある。わたしはその夕焼けののちの透明な水いろの空がとても好きなのだが、その暗くなってゆく時の間はそんなに短いものではない。「まで」と区切られる時は、ともあれひとつの死に別れの時だ。そして「まで」と時を区切るのは歌人自身だ。思いを死なしめるのは歌人自らだということだ。その思われびとはすでに歌人のところから去っている。だから歌人がみずから思いを止めるとき、その時ひとつの死が成就する。さくら咲くゆふべの別れと言えるだろうか。鎮魂はこののちは暗くなった空そのものが引き受けてくれるだろう。わたしもこの作を前登志夫のもっとも美しい歌の一つに数えたい。



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二月堂から大仏殿方面 2017年3月10日



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