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「世界という大きな書物」  中路正恒ブログ

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「世界という大きな書物」  中路正恒ブログ
ブログ紹介
世界という大きな書物の中に見出した
かげろうのような一瞬の思い、
ポエジーを、
少しずつまとめてみたいと思っています。
文字による学問の外、 (文書への信奉の外)、
デカルトより、さらに兼好に近く
兼好より、さらに芭蕉に近く
愚なること、無学なること、誰にも劣らず。

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無限責任会社

2009/06/28 21:22
瀬谷こけし
哲学者とは何だろう?
知恵の友だ。
友とは何だろう?
その相手に対して無限の責任を負う者のことではないだろうか。
そうであれば、哲学者は知恵に対して無限の責任を負う者のことだ。

そんな因果な人間が、少数だが、大昔から存在した。
そんな因果な宿命が大昔から存在した。



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フランス、トゥルーズ II Le Mirail 大学 ピケ撤去 AFPの記事(2009年6月12日)

2009/06/28 10:59
瀬谷こけし

 トゥルーズ II Le Mirail 大学 ピケ撤去(学生投票による)
AFPの記事(2009年6月12日)
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5jpMd831hgIW1XCEDuaiHsBYSq0xg


Université: levée des piquets de grève votée à Toulouse II-Le Mirail
12 juin 2009
TOULOUSE (AFP) — Les étudiants ont voté la levée des piquets de grève à Toulouse II-Le Mirail (Lettres, langues, histoire...), dernière université mobilisée au niveau national contre les réformes du gouvernement, a-t-on appris vendredi auprès du Comité de lutte.


=====
6月10日の写真2枚

画像



画像



写真:http://jidaiheisokunogenjou.blogspot.com/


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村井紀『南島イデオロギーの誕生』---誤りとむなしさ

2009/06/27 14:40
瀬谷こけし
村井紀の『新版 南島イデオロギーの発生』を見ていたらこんな文句があった。
「近代の規律・訓練社会について、つまりお互いに監視しあい、牽制しあって、よそ者・怠け者・はみだし者を排除する、われわれの社会の身近な権力の生成を述べたものである」。(p.233)
この直前は、
「また、フーコーの『監獄の誕生』はとりたてて「学校」の誕生を述べたものではない。」である。したがって、先に引用した文の主語も、「フーコーの『監獄誕生』」のはずだ。
とするとこれは違う、と言わなければならない。
「とりわけ学校の誕生を述べたものではない」という方はその通りだろうが。

それで、何が悪いかというと、
「お互いに監視しあい、牽制しあって、よそ者・怠け者・はみだし者を排除する、われわれの社会の身近な権力」のところだ。これでは前近代社会ではないか。これでは近代以前の社会としておなじみの村社会そのままだ。何という誤解をしているのだろう?
「監視」は階層化され、「牽制しあう」のではなく組織の中で常時上から(「中継」も見落とされていないが)の視線によって監視がなされ、「排除する」のではなく、賞罰によって規格化し、標準的な作業工程をこなせるようにしてゆく、フーコーが『監獄の誕生』の中で近代の(ディシプリン的)権力として示すのは、そのような権力組織だ。
村井氏は一体何を誤解しているのだろう?

この文言は(本を)めくっていてたまたま見つけたものだ。読んだところについては、あるところ感心はする一方、むなしさに(メタレベルの議論の)飽き飽きしてしまう。上掲の本の中には「(梅原猛の)下働きたち」(p.195)という語が出てくるので、きっとわたしの仕事についても言及してくれている、と考えていいのだろう。
村井氏は、柳田にしろ金田一にしろ、彼が批判する者たちに対して、村井が批判する行動に代えて彼らに実行可能だった選択肢をただの一つでも提案できるのだろうか?
そこがまったく見えない。それが、わたしには、村井氏の仕事そのもののむなしさに見えるところなのだ。







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チャピーが死んだ

2009/06/15 14:42
瀬谷こけし
 犬のチャピーが死んだ。朝、妻に起こされた。急遽妻が電話をかけて、犬の葬儀屋さんに取りにきてもらった。パソコン用の段ボールにごみ袋のビニールを張り、その上にさらにレジャー・シートを張り、その上に死んだチャピーの顔の左側が下になるように入れ(土の上に顔の左側を下にして死んでいたので)、そして掛けておいた毛布をそのままかけ、買ってきた花を入れ、そして餌を入れた。そして一時間ほど葬儀屋さんを待った。葬儀屋さんは数珠まで持ってきて、犬の手にかけろといったが、そんな無理まではしなかった。右の前足の上に置いた。そして葬儀屋の軽ワゴンの中に移し、合掌だけして送った。
 何ともつらい。元気がなくなってからは、毎日声を掛けるようにしていた。「留守番頼むぞ」とか。そしてわたしは昨晩飛騨から帰ってきたばかりだった。起き上がりもしないので、元気がないのはわかっていたが、そのままにして家に入った。

二三週間前から様子がおかしかった。久しぶりに散歩につれてったのだが、途中で坐りこんでしまった。そんなことはそれまで一度もなかった。歩くのも苦しそうで、途中から戻りたがっていた。めずらしいことだった。妻が友人から話を聞くと、「嫌いな餌だと食べなくなるよ」ということで、最近餌を変えたためなのかと思って、しばらくして餌をもとのものに戻した。変えたほうの餌に残留薬品があったということでもないとは思うが、原因は不明だった。爪がまた長くなって、少し歩きにくそうにしていたので、もう少ししたら爪を切ってやろうと思っていたのだが。爪が死因というわけではないようだ。原因は不明だった。あるいはフィラリアのようなものだったかもしれない。結局、医者にもつれてゆけなかった。

わたしが小学生のとき、飼っていたチルという犬が病気になって、兄と姉とわたしと三人で江の電の鵠沼駅の近くの獣医のところまで夜中に交代で肩に負って連れていったことがある。そのときはその医者のおかげで治ったのだが。今回はなぜかはっきりと言えないが、そういうこともできなかった。夜中に行って見てもらえるような獣医がなかったのが大きいかもしれない。

今の家で犬を飼うこと自体無理が多かったのかもしれない。


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ああ! ついにこういう事態が フランスの大学ストライキ闘争

2009/06/03 19:14
画像「ああ!」
Hélas!


瀬谷こけし
フランス(トゥールーズ)からこういう写真が届いた。
Hélas!
の言葉とともに。
「ああ、ついに!」
というところか。

画面上の橋のようなところには方には「ストライキ(GREVE)」の横幕がかかっている。
右の建物には赤字に白抜きで「受け入れ(Accueil)」の文字が見える。
ついに警察(機動隊?)を導入してストを解除することを受け入れたということか?
受け入れるのは誰か?

フランスの大学の「死」はフランスだけの話にとどまらない。
それですべてが終わるわけではないにしても。



追記(6/4)
誤解していた。
CRS(内務省直属のフランス警察機動隊)がトゥルーズ第2大学(Miail)を封鎖したということだ。
何という強行手段!


http://www.auboutduweb.com/poolp/index.php?post/2009/06/03/UTM-%3A-les-CRS-bloquent-le-Mirail

UTM : les CRS bloquent le Mirail
Par Poolp3 le mercredi 3 juin 2009, 07:34 - Ici (ça se passe à l'UTM et dans les établissements toulousains) - Lien permanent
Intervention policière massive ce mercredi matin à l'université Toulouse 2 Le Mirail, après un mardi sous tension : décisions du Conseil d'Administration réuni exceptionnellement au rectorat de Toulouse, sous très haute protection policière, occupation de la Maison de la Recherche de l'UTM par les étudiants, communiqué du Président annonçant la fermeture administrative de l'établissement (pour la 4ème fois depuis le début du mouvement), et, déjà, présence policière massive (une quinzaine de fourgons de gendarmes mobiles et CRS, notamment) autour de l'université, ce qui n'avait pas manqué d'alarmer de nombreux personnels enseignants et non enseignants présents sur les lieux (dissuadant peut-être alors, par cette présence, d'une intervention).
Ce mercredi matin vers 5 heures, ce sont vingt fourgons de différents corps des forces de l'ordre qui ont investi le parking de l'université, avant de se déployer dans l'Arche, et d'en déloger les étudiants qui l'occupaient. Ceux-ci sont sortis de l'université sans violence. En revanche, des portes de bureaux auraient été défoncées par des policiers lors de leur intervention.
On se demande, dans tout ce bleu, si l'Assemblée générale des personnels, appelée ce matin, pourra se tenir, et quelles seront les réactions des personnels et des étudiants face à ce déploiement. Ce à très court terme, car on s'interroge aussi sur les fractures durables qu'une politique "droite dans ses bottes" n'aura pas manqué de creuser parmi les personnels et les étudiants, alors même que rien du "conflit des universités", resté à vif à l'UTM comme ailleurs, n'est réglé, et que cette illusion de "retour à l'ordre", qu'une intervention policière si matinale voudrait créer, risque fort de ne faire rien d'autre que de l'entretenir.



Mirail大学学長の声明はここから:
http://www.univ-tlse2.fr/1244042220860/0/fiche___actualite/&RH=ACCUEIL




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「森の聖者」 "Einsiedler", "Zweisiedler"(ツァラ・ゼミ14)

2009/06/01 13:34
瀬谷こけし
新年度の「ツァラトゥストラ・ゼミ」が始まってもう数回目になる。ここで前々から書いておきたいと思っていた序説2の「森の聖者」のことを記しておく。ちなみに表題の中の”Zweisiedler”の言葉は『ツァラトゥストラ』第4部に出てくる。

はじめに問題にする部分の日本語訳を、いつもの通り岩波文庫、氷上英廣訳で紹介しておく。


@> 「それにしても聖者は、森のなかで何をしておられるのです?」とツァラトゥストラはたずねた。
A> 聖者は答えた。「わしは歌をつくって、それを歌う。歌をつくるとき、わたしは笑い、泣き、唸(うな)る。こうしてわしは神を讃えるのだ。
B> 歌を歌い、泣き、笑い、唸ることによって、わしはわしの神である神を讃える。ところで、あなたはわれわれに何の贈物をしてくれるのかね?」
C> このことばを聞いたとき、ツァラトゥストラは聖者に一礼して言った。「あなたにさしあげるような何物があるでしょう! いまはあなたから何物も取らないように、わたしをさっそく立ち去らせてください!」こうしてこの老者と壮者とは、さながらふたりの少年が笑うように笑いながら、わかれたのであった。
D> しかしツァラトゥストラがひとりになったとき、かれは自分の心にむかってこう言った。「いやはや、とんでもないことだ! この老いた聖者は、のなかにいて、まだ何も聞いていないのだ。神が死んだということを。」
(pp.13-14)(下線は引用者)


同じところの原典を紹介しておく(KSA, Bd. 4)。

@> "Und was macht der Heilige im Walde?" fragte Zarathustra.
A> Der Heilige antwortete: Ich mache Lieder und singe sie, und wenn ich Lieder mache, lache, weine und brumme ich: also lobe ich Gott.
B> Mit Singen, Weinen, Lachen und Brummen lobe ich den Gott, der mein Gott ist. Doch was bringst du uns zum Geschenke?
C> Als Zarathustra diese Worte gehört hatte, grüsste er den Heiligen und sprach: "Was hätte ich euch zu geben! Aber lasst mich schnell davon, dass ich euch Nichts nehme!" --- Und so trennten sie von einander, der Greis und der Mann, lachend, gleichwie zwei Knaben lachen.
D> Als Zarathustra aber allein war, sprach er also zu seinem Herzen: "Sollte es denn möglich sein! Dieser alte Heilige hat in seinem Walde noch Nichts davon gehört, dass G o t t   t o d t ist!" ---


この箇所は『ツァラトゥストラ』の中ではじめて「神の死」が語られるところだけに、それが導かれてくる脈絡を押さえておくことは大変重要である。

ドイツ語が読める方にはあえて言うまでもないことだが、下線を付した氷上氏の訳の「あなたに」「あなたから」のところは、「あなたがたに」「あなたがたから」と訳すべきである。"Du"の複数"ihr"の3格形である"euch"は親称の二人称複数にしか用いられないからである(ちなみに吉沢伝三郎氏はここを「きみたちに」「きみたちから」と訳している)。さらに同じく下線を施した「立ち去らせてください」という命令法は、同じく親称の二人称複数主語に対する命令であって、ここも(あなた)に対してではなく、(あなたたち)に対して命令しているのである。

なぜこのような訳がなされているのだろう? わたしは氷上氏がどうしてそのように訳したかについて説明したものを読んだことがないが、日本語としての通りのよさを重視したものだと思われる。
だが問題は、なぜニーチェがここを「あなたがた」と、複数の人が目の前にいるかのようにツァラトゥストラに言わせているのか、である。
それはツァラトゥストラがこの森の聖者の言動に「一人芝居」のごときものを見ているからである。聖者は、「歌を歌い、泣き、笑い、唸ることによって、わしはわしの神である神を讃える」という生活を送っている。そして聖者自身が「われわれ」と言うようになっているのである。この「われわれ」を、あるいは「わたし」と、「森のなかでともに生活をしている他の隠修士(Einsiedler)」のことだと考える向きもあろうが、テキストにそのような言及や仄めかしがあるわけではない(第4部の”Zweisiedler”!も参照)。「われわれ」とは、「わたし」と「わたしの神である神」のことである。そのような生活のなかに、ツァラトゥストラはある無効になったものを、無効になった生活のスタイルを見ているのである。つまり、そのように、みずからの身に生まれる嘆きや喜びを神の何らかの意志の仕業と見て、それを歌うことによって神を讃えるという生活、そのことの中にひそむ虚偽を、ツァラトゥストラは見て取っているのである。神は死んでいるのである。「わたしの神である神」すらも、もう有効な力をもってはいない。

この森の聖者のする「神を讃える」(loben)ことは、山中の生活でツァラトゥストラがしていた「太陽を祝福する」(segnen)こととまっすぐに対立する。それは太陽が現実的な存在であり、しかも(地上のすべての生物を)祝福する力であるからだ。「わたしの神である神」にまで落ちぶれた神に、いったいどのような実在性があるだろう? この問いは、しかしより深いところでアブラハムの神に差し向けられ、そして「わたしが(内的にだけ見える、わたしだけが理解している)ひとつの秘密を守ることの可能性の名」である「デリダの神」につながる。

 (この議論はとりあえずここまでにする)


補説:
上に記すのを忘れたが、ツァラトゥストラが森の聖者のところを立ち去ってから、振り返って「この老いた聖者は、のなかにいて、まだ何も聞いていないのだ」と言うとき、この「森のなか」は原典では「彼の森のなか」(seinem Walde )であり、「彼らの森のなか」という風に複数にはなっていない。このことはツァラトゥストラがこの森の聖者を、この辺りの森のなかで暮らしているただひとりの隠修士と認識していることを示している。ということは、ツァラトゥストラは、森の聖者に対して「あなたたち」と呼ぶとき、他の隠修士のことを念頭に置いていないことを意味するだろう。そういう者のことを考慮していないのである。それゆえ、先の「あなたたち」についても、これは「森の聖者とその神」を指しているのだと考えるべきである。


参考:
Dieu est le nom de la possibilité pour moi de garder un secret qui est visible à l'intérieur mais non à l'extérieur. ("Donner la mort" p.147)








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積み椅子 フランス大学ストライキの一シーン

2009/05/24 14:13
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椅子積みの愉しみ
(2009.4.22)

瀬谷こけし
人の動きをブロックする役割はあまり果たしていないようだ。





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上高野は今日田植えをしていた

2009/05/22 00:22
画像
上高野 田植えの翌日
(2009.5.22)


瀬谷こけし
上高野のある一枚の田の話。

一昨日、田起こしをやっていた。

昨日は水を張っていた。
代かきをしたのだろう。

今日、田植えをしていた。
二三人で。
高齢(熟年)の男性。

もちろん機械を使っての田植えで、田起こしだ。

(いずれも車で通り過ぎるとき、一瞬見ただけだ)

田植えは、やはり一年の画期だ。
(これからはその実りをまつ日々)

上高野に住んで十数年が経ち、
そう感じるようになった。
  (2009.5.21)

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グレン・グールド

2009/05/21 01:33
瀬谷こけし
 車で聴くためのCDを何枚か用意しているが、ここのところずっと掛けているCDがある。グレン・グールドの弾く、ベートーベンの最後のビアノ・ソナタだ。30番、31番、32番が連続して入っている。このCDが多分一番好きだ。大井浩明さんが「以前はシューマン目線で解釈していた」と批判的に語っているのは、このグールドの解釈のことなのか、と思うが、だがやはりわたしはこのグールドの解釈が好きだ。こんな演奏が一枚残せたら、それでもう、ひとりの人間が生きた証しとして十分だと思う。こういうものを自分は残せたか?
 ともあれ、わたしが聴いた最初のグールドがこれだったし、今も一番好きな一枚を上げろと言われればこれになる。茶色の枠のなかに、疲れ切って、消耗しつくして、指を組んでこちらを見ているひとりの若いピアニストが写っている。そういうカヴァーのレコードだった。この写真もこの上なく好きだった。人間の世界の外に出てしまったひとだった。そうするしかありえない、そうでしかありえない生きることの姿が、そこにあった。同時代では、テレンス・スタンプにも共通のものがあった。それは、時代を少しさかのぼれば、アントナン・アルトーにも共通するものだ。防禦の姿勢がないということ、傷つきやすいものをなまで晒して生きているというところが、痛ましい。

 最近思うのだが、次の世に生まれ変われるとしたら、グレン・グールドになりたい。生まれ変わりたいと思うのは、この人だけだ。



ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ集 II
ソニーレコード
1994-06-22
グールド(グレン)


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先週 フランスの大学で 警察の導入(鉄の腕)

2009/05/19 21:54
瀬谷こけし

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Saint-Étienne
サンティチェンヌ

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Paris
「大学を救おう!」

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Lyon
リヨン

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《いろいろ》


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「知は売るためのものではない」



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「文化は商品ではない」



参考:
http://www.labornetjp.org/Column/20090519pari/

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/4fb1ed4bae3b95f1392d631e1cbd633a


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LA JEUNESSE EST REVOLUTIONAIRE ?

2009/05/10 10:09
画像degradation-au-mirail


ストライキ中のトゥールーズ大学(Mirail)のひとこま







瀬谷こけし

「若さは革命的だ」と言われると、
「?」を付けざるをえない。



椅子の重ね方はちょっと面白い。



右上に書込まれているのは、
NOUS CROIRONS A CETTE
CRISE QUAND LES RICHES
SE SUICIDERONT EN MASSE
の文字。

「われわれが信じる」のは、
「若さは革命的だ」ということだ、
というつながりなのか?



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フランスの大学 闘争中

2009/05/07 01:24
画像ソルボンヌ闘争中





瀬谷こけし
パリ・ソルボンヌ大学の総長の公式声明にを受けて第2セメスターの中間試験を行なうかどうかについて火曜日(5月5日)の全体集会が開かれる/AFP




http://universitesenlutte.wordpress.com/category/dans-les-universites/paris-4-sorbonne/

http://universitesenlutte.wordpress.com/2009/05/06/communique-de-presse-de-la-cnu-en-reaction-a-lactuelle-campagne-mediatique/

http://universitesenlutte.wordpress.com/2009/05/06/communique-de-presse-de-la-cnu-en-reaction-a-lactuelle-campagne-mediatique/

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岡本太郎はほんものである (1)

2009/04/18 21:17
瀬谷こけし
わたしは岡本太郎は「ほんもの」だと思っている。ほんものの鑑識眼を備えた人物、ほんものの趣味をもち、ほんものの見極めのできる人物のことだ。
わたしが彼を本物だと思うのは、二つの点に感心するからである。ひとつは『沖縄文化論』の中の八重山の歌について彼が語るエピソードによってである。もうひとつは東北文化についての洞察にかかわることだが。まずは沖縄文化にかかわる洞察のことから。

あるとき太郎は、石垣島の音楽を、島を代表する大浜津呂氏の歌と音曲によって聴いていた。だが聴いているうちに、ある違和感を感じたというのだ。


>三線をかまえて、眼を半ばとじると、浅黒い謹厳な顔は古典的な匂いをただよわせる。渋くとおる声。
>聴きいっているうちに私は、やがて耳にしている曲が、ふしぎに、二重にずれて響いてくるのに気がついた。多くの人がそうであるように、はじめ私もあるエキゾチックな蛇皮線の、情熱をかきたてる伴奏にひかれ、それが民謡の哀調と情感を支えているように思っていたのだが。
>歌う声はそれだけで純粋に流れている。執拗にまつわって、繰り返される三線の音。まったく、まつわりついているという感じ、媚びているようでさえある。歌と三線とは質的に違うのだ。私はようやく、やりきれなくなってきた。
(「沖縄文化論」『岡本太郎の本3 神秘日本』みすず書房、1999年、p.244)


わたしが感心するのは、ここに違和感を感じる太郎の耳、美的な、鍛えられた感性にである。石垣島の音楽の最高のものを、全身全霊を投げ入れて聴いていたに違いない。そうでなければ、そういうことは感じられなかったであろう。
太郎は、この島を代表する民謡の師匠の三線の音に違和感を感じたのである。そこに何か媚びるものがある。ひとに聴かせるための仕掛け、美しくまた、「聴かせる」ものであるが、しかしそれゆえに歌音楽を不純なものにしてしまう何かを聞き取ったのである。
太郎は大浜師匠に三線なしでやってもらえないか、と注文したのである。
だが師匠はなぜかそれを渋る。
太郎はしかし執拗にその要求を突きつけ、譲らない。
ついに師匠は事情を説明する。これは「ほんとうは男女のかけあいでやるものだ」という。そして明日また出直してくると約束する。

わたしはこの太郎の執拗な追求にも感心するのである。それは自分の(感性的な)判断への絶対的な信頼であるとともに、相手への信頼でもあり、そしてまた八重山の音楽文化への信頼でもあるのだ。八重山の歌にもほんもののものがあるはずだ、という信頼である。あるいは尊敬である。
そこにはいのちの表出としてのほんものの音楽があるはずだ、という確信である。

果たして翌日の晩、中年の女性、男性、二人ずつを伴ってやってくる。そして、その歌本来の、歌だけの歌、三線の伴奏を伴わない歌を聴かせてもらう。


>それは時には男声のモノローグであり、時には女性とのかけあいで歌われる。甲高い女の絶叫。異様に緩慢なリズムで、切々と流れてゆく。それをうける男の方は、渋く、この上すがれることはないだろうと思われる、ほとんど呻き声になってしまう寸前のような、さびきった音声だ。
(p.245)


わたしは想像するのだが、伴奏なく歌われる歌は、ほんとうのやり取りになるのだ。ほんとうの思いのやり取り、いのちのやり取りに。逃げ所がなくなってしまう。逃げるべき第三者のような場所がなくなってしまうのだ。
歌のやり取りは、真剣勝負になってしまう。

太郎は、そのほんとうのやり取りを聴いたのだろう。『沖縄文化論』の自信、この沖縄の文化のほんとうのものを捕えているという自信は、おそらくこの八重山でのやりとりによって得られたものだ。それ以外では有りえないぎりぎりのいのちの表現としての歌、音楽、芸術、文化という沖縄文化の把握は。

わたしはおそらく岡本太郎が八重山で聴いた音曲と同じものをひとつだけ上げることができる。それは大浜安伴、大浜みねの歌う「とぅばらーま」の歌でだ(CD《南海の音楽/八重山・宮古》KICH2026)。

歌詞カードから歌詞を紹介しておく(小島美子監修)。
>1.紺染(くんずみ)や藍(あし)しどぅ染(す)みる
   チィンダサーヨー チィンダサー
   かぬしゃーとう ばんとぅや
   肝(きいむ)しどぅ ばんとぅや
   サーチィンダサーヨー
   ンゾーシーヌー カヌシャーマーヨー
>2.染(す)みてぃ染(す)みらば 花(はな)ぬ紺染(くんずみ)
   チィンダサーヨー マクトゥー
   浅染(あさずみ)や許(ゆる)し給(たぼ)り
   サーマクトゥニー
   ンゾーシーヌー トゥバラーマヨー
>3.川(かーら)ぬ水(みじい)や海(うみ)にどぅ溜(たま)る
   チィンダサーヨー チィンダサー
   ばんが思(うむ)いや うらにどぅ溜(たま)る
   サーマクトゥニー
   ンゾーシーヌー カヌシャーマーヨー

1、3が男歌、2が女歌である。島ことばの歌詞がよく理解できるというわけではないが、紺染や水の溜まることを比喩にして思いを直に相手にぶつけているものとみえる。

この録音物の音楽(この「とぅばらーま」の歌)に対して、これに対してすら、三線の音が邪魔だと感じる感性、それはやはり途方もない。岡本太郎は八重山で民謡を「私は全身に創造に似た緊張をしいながら」聴いたと語っている。

>だからそれ(八重山の文学)は、やはり歌わなければならない。歌われたとたんに、本来の感動が、直接、異様な鋭さで訴えてくるのだ。その鋭さはまた、それがほんとうに歌われる場所において歌われてこそ、音楽というカテゴリー、鑑賞というモメントを乗りこえて、絶対化するであろう。
(p.243)

太郎は歌のなかに「絶対的なもの」を聴き取ったのである。

録音物として、ひとに聴かせる音楽としての音楽以上のものをここに聞き取ろうとする耳に対してしか、それ(上掲のCDの「とぅばらーま」)もその究極の秘密を明かしてはくれないであろう。なまのなまなましいものを。なまのなまなましいものに焦がれる耳に対してしか。
このCDの演奏は、それほどに素晴らしいものだ。おそらく、太郎が石垣島で初日に聴いた音楽よりも、このCDの歌は素晴らしいだろう。三線の音には「過度」なところがなく、歌のこころに「まつわりつく」ような動きはまったくない。しかし、にもかかわらず、この先のところに、ほんとうのいのちの対決としての歌はあるはずだ。いのちのやり取りとしての歌は、確かにこの先のところに存在しているだろう。それは、たとえば動物を仕留めることとそう違わないことのはずだ。




沖縄文化論―忘れられた日本 (中公文庫)
中央公論社
岡本 太郎


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ひとのいのちを助けること

2009/04/12 16:17
瀬谷こけし
藤沢市の鵠沼に住んでいたころのこと、多分小学5年生の頃のことだ。そして母から聞いたことだ。
そのころ家の前には三百坪ほど空き地があった。その前は麦やサツマイモの畑にしていたところだが、あるときから持ち主が畑作りをやめた。それで空き地になっていた。
そのちょうど真中に、井戸があった。数メートルの深さはあった。そして底の方には水も溜まっていた。地上には一メートルほど土管が出ていた。それだけだった。

母から聞いた話だ。近所のクリーニング屋の子供で、リュウボウと呼んでいる子がいた。わたしより二学年下だったはずだ。遊び仲間だ。
あるとき母はその井戸の土管の端に二つの足首だけが出ているのを発見した。声も出ていたのかもしれない。「助けて!」というような叫び声が。ともかく母はそこに走っていって、その子を助けた。足首をつかんで持ち上げたのだろう。

後日その家から、お菓子が届いていた。助けてくれたお礼にということだろう。母が助けなかったら、リュウボウは多分命がなかった。
母はひとの命を助けたことがある。
わたしは誰かの命を救ったことがあるだろうか?
記憶にない。

助けてもらったことならある。
近所の小田急線の踏み切り、江ノ島方面から来ている電車に気付かず、進んでゆこうとしていた。そこはお寺の樹々の陰になって、見通しが悪くなってしまうところがあった。左曲がりにカーブしてくるところだ。
止めてくれたのは姉だった。土筆でも取りに行く途中だったのか、姉と、他に一人二人一緒の子があった。
ともかく、姉が止めてくれた。下の姉だ。
小学一年か二年のことだったと思う。

そんなことは、小さい頃のことなのに、忘れはしない。


宮沢賢治の『貝の火』を読みながら、ふと思い浮かんだことだ。





宮沢賢治全集〈5〉貝の火・よだかの星・カイロ団長ほか (ちくま文庫)
筑摩書房
宮沢 賢治

ユーザレビュー:
疲れて何も読む気がし ...
重要な作品たち「銀河 ...
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西村浩太郎先生の『パンセ』

2009/03/26 02:30
瀬谷こけし
先日ある小論(「鶴見和子 山姥を生きる ---晩期三歌集読解」2009.2.26脱稿)を書いていのだが、そこでわたしの解釈の背景を示しておこうと考えて、注でパスカルの『パンセ』の一文を引いた。有名な、「この無限の諸空間の永遠の沈黙はわたしを恐れさせる」という句である。原文は"Le silence éternel de ces espaces infinis m'effraie" [201-206] である。このテキストの解釈上のミソは "ces espaces" (諸空間)と、空間が複数形で使われているところなのだが、わたしもその解釈に特に妙案があるわけではない。説明が必要になることがあれば、パスカルの自然観から推して纏めてみようと思うぐらいのことだ。
ふと思ったのは、このパスカルの有名な句を西村浩太郎先生はどのように位置づけているのだろうか、ということだった。わたしは、このパスカルの洞察を、単独で、自然観、宇宙観として、むしろ道元とつなげて考えているのだが、しかしパスカルにはパスカル自身の位置づけがあるだろう。それで西村先生の本を開いて見た。『パンセ ---パスカルに倣いて I』(2000年信山社)である。西村先生はこう説いている。

>このことを思うとき、我々は、驚きとともに恐怖と戦慄を感じずにはいられない。そして、この恐怖と戦慄の中から、次のような問いを抱かざるを得ないであろう。いったい誰が我々をこの場に置いたのか。この場とこの時間に我々を運命づけたのはいったい誰の意志と業なのであろうか、と。

見事な解釈だと思う。われわれが今ここにあることを何者かの何らかの意志として問うという問いに招くというのである。

西村先生のこの本は、実は破天荒な本なのである。パンセを、パスカルの身になって、内側から読み解いたものなのである。その読みはきわめて鋭く、その思索はまったく首尾一貫している。稀有な強い読みがここには示されているのである。
『パンセ』はパスカルの死後にテキストの束として発見されたものである。従来は概ねブランシュヴィクの解釈した配列に従って読まれてきたものだが、西村先生の読みは、パスカル自身が分類したテキストの精読にもとづいて、1012篇の断章のすべてを読み解き、位置づけ直したものなのである。この思索を註釈書にすれば一万ページにもなるだろうが、それをコンパクトに、『パンセ』の再構成として纏めたのがこの本だ。使い方を誤らなければ、パスカルの思索を明晰に理解するのに大いに役立つはずだ。

それで、ついでに何ページかを読んでみた。パスカルの恐るべく鋭い人間洞察。
>相手がいない時に人が何を言っているかが分かれば、この世には四人の友もいない。時々告げ口が原因で巻き起こすあの大騒動を見れば、このことは明らかであろう。
(p.91)
四人という数が、実に的確な洞察であると思う。

そして些細なこと(peu de chose)への洞察。
>このように、愛の原因と結果や、その無常をよくよく考えてみると、些細なものが我々を慰め、些細なものが我々を苦しめることがよく判るのである。
(p.18)
これは『パンセ』[43-136](ラフュマ版−ブランシュヴィク版)、 "Peu de chose nous console parce que peu de chose nous afflige" の解説だが、これがあのクレオパトラの鼻の話につなげて解釈される。
>人間がいかに空虚なものであるかを知るためには、愛の原因と結果を考えてみるにこしたことはない。愛の原因は、コルネーユの言うように、「何かわけの分からないもの」である。しかも、その結果は実に恐るべきものである。この「何かわけの分からないもの」、このほとんど認めることもできない些細なものが、全地を、国王たちを、軍隊を、全世界を動かす。ちょうどクレオパトラを原因にギリシア全土が大混乱に陥ったように。クレオパトラの鼻、それがもっと低かったなら、地上の全表面が変っていたことであろう。
(p.17)
参照テキストは『パンセ』[413-162]。「何かわけの分からないもの」("un je ne sais quoi")と「些細なもの」("peu de chose")とを結びつける解釈が卓抜である。

西村先生の『パンセ』の講読は、わたしが大学で受けた授業のなかで最も力が付いた授業のひとつだ。
先生のさらなる御健筆をお祈りしたい。





パンセ―パスカルに倣いて (1)
信山社出版
西村 浩太郎

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歌一首 鶯 (鶴見和子歌を本歌として)

2009/03/20 02:51
瀬谷こけし


花蔭にひとつ鶯たふれゐる目閉ぢしままに永遠(とは)安らかに



==========================
*ポイント;
「たふれゐる」: これが終止形であること。漢字にすれば「弊」。「倒れる」ではない。
「永遠安らかに」: これは「安らかにあれ」という祈願ではなく、「安らかに…たふれゐる」とつながる。「目閉ぢしままに」も同様「たふれゐる」にかかる。

 鶴見和子の本歌は以下である。
声は聞けど姿見ざりし鶯の眼(まなこ)を閉じて我が前にあり
三色すみれの花陰にして鶯は眼(まなこ)を閉じて天を仰げり
小さきものの生命の終りひそやかに崇高(けだか)さたたえ人知れずあり
   『山姥』「二〇〇一年」p. 65

 わたしは小学校のころ、庭に来る鶯を捕まえてもらって、飼っていたことがあるが、「ホーホケキョ」と鳴くようになってからあまり日も経ぬうちに死なせてしまった。その細い脚を思い出す。
 そしてこの歌には義父の死顔も重なる。






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『土佐日記』 三 土佐日記と土佐 異人のいる地域学

2009/03/17 14:37
瀬谷こけし
紀貫之の『土佐日記』を読んで思うことは、土佐という土地と貫之との関係の問題だ。例えば川勝平太氏は鶴見和子の「内発的発展論」を十二の特徴に分けて説明しているが、その中にこんな言い方が出てくる。

>第九に、内発的発展論の分析対象の単位は地域である。内発的に発展するのは人間であるが、人は空中に生れてくるのではない。文化の刻印をおされた地域社会に生れてくる。人間は地域文化の刻印をおされた具体的存在である。
(『「内発的発展」とは何か』藤原書店、p.22)

わたしはここにちょっとした違和感を感じる。たとえば貫之にとって土佐は何だったのか? 貫之は「土佐文化の刻印をおされた具体的存在」なのか?

赴任後の貫之の感覚のなかには、感知することは難しいが、多少は土佐の文化のかおりがあるかもしれない。『土佐日記』の中にも「辺土から京を感じる」という捉え方は当然読み取れる。だがそれは東国であれ西国であれさほど違いのない「辺土から京を」という捉え方だ。そして京で育ったほとんどすべての教養人と同様、貫之の教養はほとんど京的なものだ。そしてその奥底まで国家の刻印を押されている。だが貫之の場合、土佐で娘を失ったということが、激しい慟哭として、その存在の根元までを揺るがしているのだ。

『土佐日記』のなかの貫之の最後の歌は、

みしひとのまつのちとせにみましかばとほくかなしきわかれせましや

というものだ。やや読み取りにくいところはあるが、「まつのちとせにみましかば」というのは、土佐に赴任することなく、京にいられたならばという意味が含まれているのだろう。京にとどまることができて、娘の成長をずっと見守ることができていたならばという、恨みの思いがあるように見える。この思いは、ひとに国家の「外」を感ぜしむるものだ。ひとの魂の底には、国家によって捕捉され切ることのない思いが湧き出す場所があるのだ。その魂の奥底に、貫之の場合、土佐の風土が、死ぬまで広がっていたはずだ。


こういう貫之のような人間は「土佐の内発的発展」には何の関わりもない人間なのだろうか? 多分そうなのだろう。地域の「内発的発展」は、地域に住む人々によって担われるものなのだろう。とすると、ごくわずかな、坊さんの買った簪一本よりも軽微な観光資源としてより他に、貫之の土佐への思いが土佐の「内発的発展」に関わることはないように思える。もっともこれも観光資源として地元が『土佐日記』をどれだけ売り出そうとするかに依るだろうが。まだ勉強していないのだが、貫之は、鶴見和子のいうキー・パーソンにはなりえない気がする。川勝の前掲書には「キー・パーソンはいずれも在地性をもつ。キー・パーソンは…[中略]…つねに固有名詞をもって語られ、固有の地域性を付与されている。…[中略]…不条理な苦痛を担わされている人間が生きる地域には名称があり、固有名詞をもった人間がいる。人間と生態系とを一体としてとらえる地域の理論はどこまでも具体相のもとにとらえられる。それは具体例に徹した南方熊楠の方法を意識的に踏襲したものとみられる。内発的発展論は言葉のすぐれた意味において地域研究である」(pp.22-23)、と言われているが、この性質は貫之にはあてはまらないように思う。貫之の苦痛は「不条理な苦痛」とは言えないものなのかもしれない。また「人間と生態系を一体としてとらえる地域の理論」も貫之の苦痛を特別に照らし出すものには見えない。
だが、そうなると逆に、「固有名」と「固有の地域性」をもつ貫之とその『土佐日記』の苦痛や慟哭の地域性の刻印はいったいどういう考察の対象になるのだろう?
そしてまた、川勝氏の言う「人間と生態系を一体としてとらえる地域の理論」はいったいどうやって国家による捕捉を越える(優れて発展的な)営みを捉えることができるのだろう? 

「地域」という言葉を称えるだけでは、国家を超えて地球の部分として地域を捉える見方を提供することにはならない。その先をどう開いてゆけばよいのか?

わたし自身の問題としては、貫之も、『土佐日記』も、そして貫之がいた延長八(930)年から承平四(934)年の土佐も、土佐という土地の「地域学の問題」と考えたい。
地域にとっては、地域における異人の問題といえるだろう。

「地域学」はこの観点を欠かしてはならないと思う。




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『土佐日記』 二 断腸の思い 土地について語る

2009/03/10 03:46
瀬谷こけし
少し気になることがあって、正月に岩波文庫の『土佐日記』を買って読みはじめていた。だが、数ページだけ読んで、そこで強く心に残ってしまうことがあた。それで読みさしにしていた。

今日、少し時間があったので、残りを全部読み通した。
やはりそうだった。
高校で習った説明では、仮名で日記を書いたことが文学史上の一大事件だということだったのだが、それは著者の貫之にとってはさして重要なことではないのだ。
一番重要なことは、彼が任地の土佐で、ひとりの娘を亡くしたことなのだ。
しかし、任期が終わり、今やその土佐を離れなければならない。
そのつらさ。

身につまされる話だ。

わたしもはじめて大学に職を得て、知る人のいない郡山に赴いたことがある。妻と幼い二人の子供(二歳と零歳)だけを連れての着任だった。
わたしの場合、郡山は大変仕合わせな生活で、誰ひとり失うこともなく、さらに三人目の子を得るという幸福にも恵まれたのだった。
ちょうど五年間暮らして、それから縁あって京都の大学に移った。
だがその五年間の生活もに、もし家族の誰かがひとりでも欠けたら、人生がどれだけ悲痛なものになるだろうかという予感は、いつも悪夢のようにつきまとっていた。
わたしの場合は、まったく幸いに、だれひとり欠けることなく、家族そろって京都圏に戻ってこれたのであるが。

上掲貫之の書の十二月廿七日のところにこんなくだりがある。
>京にて生れたりし女児、国にて俄に失せにしかば、この頃のいでたちいそぎをみれど、
>何言もいはず。京へかへるに、女児の亡きのみぞ悲しびふる。在る人々もえ耐へず。

船で土佐を離れてゆくときのことである。
これを読んで、その先が読めなくなってしまった。

==========
『土佐日記』は、土佐の地との別れを、貫之がみずから書き遺したものだ。
ここには、ひとと土地との関わりの最も本質的なものがあると思う。
別れの視線であること。その土地から永遠に別れる者の視線で描かれていること。
そしてその土地に心を、断つに断ち難い思いを、残していること。

この観点は、ひとがある土地、地域についての語るという営みの最も本質的なものを含んでいるだろう。
ひとは、この世を去る時、おそらくこの観点をもつ。

貫之は、任地の土佐で、ひとりの娘を亡くした。その地で埋葬したのであろう。
しかしやがて年月がすぎ、国守としての任期が終わる。土佐を離れ、京に戻らなければならない。
その辛さ、別れがたさ。

この思いこそ「地域学」のテーマではないか。
「地域学」の最も重要なテーマのひとつがここにあるはずだ。





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『土佐日記』 一 「なくひ」は「名食ひ」?

2009/03/10 03:26
瀬谷こけし
『土佐日記』を読んでいる。読んでいてひとつ思いついたこと。

>おもしろきところに船をよせて、「こゝやいどこ。」と問ひければ、「土佐の泊。」といひけり。
むかし、土佐といひけるところに住みける女、この船にまじれりけり。そが言ひけらく、
「昔、しばしありし所のなくひにぞあなる。あはれ。」といひて、詠めるうた、
  としごろをすみしところのなにしおへばきよるなみをもあはれとぞみる
とぞいへる。
(『土佐日記』岩波文庫pp.44-45。強調は引用者)


この「なくひ」のところ、脚注は
<意味不明。文意から考えると、「同じ名」「似た名」の意と思われる>
と記し、さらに補注を付けている。
その補注も優れた説がないことを記している。

だがわたしの考えだとこれは簡単なことなのだ。
つまり「なくひ」=「名食ひ」なのだ。

女の言ったことは、
<むかし人がしばしばやっていた「名食い」なのだろう>、と訳せるだろうか。
有名な土地の地名を食って、別の土地の名前にしてしまうというやり方だ。今で言えば「田園調布」という名をどこかの町名に付けてしまう、というようなやり方だ。
このことを「なくひ」と言っていたのではないか。

あるいは民俗例があるかもしれない。だが今はそれを探すひまがない。
当っている気がするのだが……。



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山中智恵子忌

2009/03/07 18:57
瀬谷こけし

山中智恵子作歌 三首

水くぐる青き扇をわがことば創りたまへるかの夜へ献(おく)る
  山中智恵子 『みずかありなむ』

青き扇水くぐりゆきわが脳(なづき)に入りゆくと視き夢の夢かも
      『青扇』「頌 アンドロギュノス」

星は医師と誰か言ひけむ こはれゆく銀河を仰ぎとどめむものを
      『青扇』「宇宙(コスモス)昏し」





悼 山中智恵子 三首


大虚(おほぞら)によびたまふにはあらずきみまみ晴れやかに夢に顕ちたり

さらにきみながながし夜を千年の孤独をもちてひとりかもねむ

嘉したまへるや今生のきはに掌(たなごころ)ゆびさすごとくわが言ひしこと






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