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「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ

プロフィール

ブログ名
「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ
ブログ紹介
世界という大きな書物の中に見出した
かげろうのような一瞬の思い、
ポエジーを、
少しずつまとめてみたいと思っています。
文字による学問の外
 (文書への信奉の外)
デカルトより、さらに兼好に近く
兼好より、さらに芭蕉に近く
愚なること、無学なること、誰にも劣らず。

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Twitterと Facebookをはじめました。
http://twitter.com/mnnakajist
http://www.facebook.com/index.php#!/masatsune.nakaji
これらは私からのメッセージです。わたしからのメッセージにはどれも「瀬谷こけし」のイメージがついています。
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私の「なりすまし」にご注意下さい。そのサイトは以下です。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/tad77/ (「h」省略)
ttp://ameblo.jp/designjimusho/ (「h」省略)。

蠅のような存在です。間違ってメールなどを出さないようにご注意ください。
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《恐山・八甲田》

2018/02/23 00:50

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2008年8月31日


 恐山には何度かいっている。最初は郡山に住んでいたとき。それがイタコ日向恵子の恐山デヴューの時だった。それからしばらく続けていっていた。京都に戻ってからも何度かいった。大祭の時に本堂に泊めてもらう風習はなくなってしまっただろうか。それこそが最も恐山らしい泊まり方だった。
 恐山も地域学系演習の授業に組み込みたかったが、それもうまいやり方が浮かばなかった。それに、恐山は一人でいった方がよいのではないかと思う。岡本太郎の体験論はたいへんすばらしいものだ。宇曽利湖はこの世のものと思われないほど美しい。いつ行っても美しかった。アイヌのあの世へのゆき方の考えともつながるだろう。
 大震災の後も一二度行っている。下北半島の横浜のあたりの長い長い浜は、もし地震が来たらどうしようという恐怖をいつも感じさせた。山が遠く、そしてそちらへ入ってゆく道も知らなかったから。
 大祭に学生を連れて行ったのは一度きりだ。いま寺は整備され過ぎてしまっているかもしれない。やはり会いたい人に会いに来るための場所だと思う。亡くなった人にはなかなか会えないのだから。





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《県立美術館の青森犬》

2018/02/22 17:30


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 撮影は2008年8月27日。美術館で撮影できるのはこれだけ。
 この青森犬、やさしそうなだけでなくさびしそうな表情をしている。
 この時は岩井(康ョ)さんの作品も見に行ったのだった。棟方志功の作品の次に展示されていたが、紅葉したミズナラのような色の布を基体にしたきわめて強い作品だった。



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《研究室前の紅葉 2011年12月5日》

2018/02/22 05:16
瀬谷こけし


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 むかし、ツイッターがまだない頃、ネットにペンネームで出した研究室前の紅葉の写真を米流時評さんが褒めてくれたことがあった。あれはこの年だったかそれともその前年だったか、前々年だったか。「わたしは世界中のいろいろな写真を見てきて判断には自信があるのだが」と断ってそのニ三枚の写真を直ちに認め称賛してくれた。カイバル峠が賑わしかったころだ。わたしも彼女のレポートにとても共感していた。今わたしはアフガニスタンに目を向ける習慣をなくしてしまったが。





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《城ヶ倉大橋 2009年9月19日》

2018/02/22 02:43
瀬谷こけし


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 前に同僚の藤村克裕さんと岩木山お山参詣をして、翌日車を借りて十和田湖を周り、紅葉の始まったばかりの酸ヶ湯のあたりを過ぎて、ここの城ヶ倉大橋に連れていったことがある。ここからの景色はまことに雄大で津軽でも最高の景色だと思うからなのだ。連れてゆくと藤村さんは、「オレこの橋どこかで見たことがある」と言うのだ。「この橋もしかしてオレが設計したやつじゃないかな」と、この橋の継ぎやら灯明の間隔やらアーチの形状やらとても専門的な細かいことを言ってくるのだ。彼が某設計会社で時給2000円でバイトの仕事をしていたときに任されて彼が設計したものらしい。彼は控えめに言うが、橋の全長やら太さからして、彼が別のものと取り違えていた可能性はほとんどない。建設物についての彼の目測や記憶はきわめて正確で、そしてこれほど大きな橋の設計がそれほど多くあるはずもないので、彼が別の橋と取り違えていた可能性はまずないとわたしは思っている。ただ、橋そのものを見るのはその時が初めてだったようなのだ。設計が終われば設計図を渡して彼の仕事はそれで終わりなのだ。
 この橋からは、深い谷が海まで続き、振り返れば八甲田の連山が雄大にそびえる。わたしの大好きな景色の一つなのだ。ほんとうはお山参詣の授業にここの観光を組み入れたかったのだが、困難が多く取り入れなかった。わたしじしんは授業の後に津軽を周っているときにしばしば訪れている場所だった。この道を先に行くと黒石のこけし館の近くに出る。わたしの憧れはこのあたりにも漂っている。


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《五味原 2009年8月15日》

2018/02/21 02:05
瀬谷こけし


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 今は丹生川ダムの底に沈んでいると思うが、2009年の8月に橋本繁蔵さんに案内してもらった時の景色。橋のあたり。
 ここからほど近いところに、ここならいつでもクマが獲れるという場所を教えてもらったのだが、橋本さんの生家からごく近いところなので、ひとには教えたがらなかった場所だ(教えてくれるのはスノーモービルで1時間半かけて行き、そこからさらに一二時間入ったところばかりだった)。そのクマ穴から近いところに、その時にも「ミアテの痕」と呼んでいる杉の皮を大きく剥いで、蜜が出るようにしたばかりのものがあって教えてくれた。今はあっちの山に入っているが虫が集まったらまた戻ってくると彼は言っていた。当代最高の熊狩り猟師(のひとり)に教えてもらったこの日々はわたしにはとても貴重なものだ。


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《1TBの内臓ハードディスク》

2018/02/20 19:31

瀬谷こけし

バンコクに向かう機内から
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2017年8月3日


 家で使っているデスクトップPCの動きがのろく、また外付けの2TBのHDもUSB3の端子がかなり不安定で、画像の保存用としても不安感が大きかったので、内臓の1TBのHDをPCに装着して、使えるようにした。これでCドライブの「ピクチャー」に置いて使っていたカメラから取り立ての画像をその新しいFドライブのHDに移動したのでCドライブに空き容量がかなりできて、PCの動きが軽快になった。またそのFドライブには外付けHDの保存しておいたアーカイブ画像もコピーして置くようにしたので、画像保存の安心感も随分増した。----こうしてあたらしいPC を買わなくてはならないかと考えていたところが安上がりに解決した。これからは内臓HDを、いっぱいになったら取り換えて、何年までの画像はこのHDの中に、という風に保存してゆくこともできるはずだ。この新しいHDは音も静かだ。使い勝手も外付けよりずっといい。暑い季節になると熱の問題が出そうだが、PCの通気グリルに外から扇風機の風を当てることで解決できると思う。
 それにしてもUSB3端子の脆弱性は何とかならないものか。






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《クロソウスキーに倣ひて》

2018/02/17 05:45
瀬谷こけし


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ピエール・クロソウスキーは彼のニーチェ論『ニーチェと悪循環』を次の言葉からはじめる:
>Voici un livre qui temognera d’une rare ignorance. 
この言葉はわたしには絶大な励ましになった。自分もそういう本を書いてみよう。自分の書きたいのもそういう本だったのだ、と自覚させ、そして、前にも言ったかもしれないが、ニーチェについてのそういう本を書こうと決断したのだ。タイトルは『ニーチェと迷宮』。このタイトルはとりあえず仮題だ。それはとても変わった本になる。
 すぐに「ニーチェの迷宮とは何か」を規定するための序を書きだしたが、それを説くためにヘルダーリン(「ムネーモシュネー第二稿」)と太宰治(「父」)から概念規定を行い、そしてそれをニーチェと結びつけるためのルー・ザロメのニーチェについての洞察を引用したが、このルーの途轍もないドイツ語(翻訳不可能)をどう扱うかについて迷い、考え、解決策が一応まとまったところで大学の年度末の試験・採点・評価や他の用事で時間を取られ、最近になってやっと思考に必要な集中が出来そうになってきたところなのだ。---解決策は、原文のまま紹介し、ドイツ語がわかる人に向けて説明と読解を行うこと---これもクロソウスキー流だ。---こんなことをすれば引き受けてくれる出版社がごく稀になるだろうけれど。
 それで上掲のクロソウスキーの文、大意は「この本は無知(ignorance)の証明みたいな本だぞ」という意味で、稀な無知の宣言だ。これをまねしたくなった。「ignorance」は普通無知・無学の意味だが、クロソウスキーの意を汲めばその主意は(おびただしいニーチェ研究の堆積に対する)「無視」だ。
 ある国の人文科学系のアカデミズムで繁栄している多知だが無内容なおびただしい量の「研究」、それは大学などのアカデミックな場所で職を得るための必須の専門技術と努力の証明ではあるのだが。
 日本人は、つまらぬ思考や感情や研究を世に出さないという美徳を本気で身に着けるべきではないだろうか。われわれは量の害悪に閉口している。



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《旧暦正月!》

2018/02/16 19:07
瀬谷こけし

今日は旧正月だ。何か正月らしいことをしたい。
 少し寒さが和らいでほっとしたこの頃。これが昔の正月感覚だったのだ。
 陽気は地中から地上に昇りつつあるのだそうだ。

わたしはこれを聴いた。
https://youtu.be/uskyNt7vLaQ






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《ルツェルン(Luzern)をどう発音するか》

2018/02/12 03:54
ルツェルン駅
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トリープシェンのワグナーの館
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トリープシェンから対岸の風景
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 スイスのルツェルンという町を普通は「ルツェルン音楽祭」などの呼び方のように文字通りに、「ツェ」を少し高く、強く、つまりそこにアクセントを置いて(日本人は)発音するように思う。この読み方(音読法)でいいのだろうか? とうのもドイツ語に通じた人だとこの都市名を最初の「ル」にアクセントを置いて発音する人が多いからだ。そこで、ルツェルンの中央駅に着いたときにホームにいた恰幅のよい駅員さんにどう発音するのが正しいのか尋ねてみた。彼はこれが正しい音だとばかりに厳粛に「ルーチェルン」と発音してくれた。その音から、二つのことが確認できた。ひとつは最初の[Lu]が「ルー」と伸ばして発音されることだ。これは思いもかけない事だった。もうひとつは[ze]を「チェ」と発音し、かつそこにアクセントを置いて強く高く発音されたことだった。各地からの訪問者を最初に受け入れる駅の責任ある駅員の責任ある発音であるからにはこの発音をもっとも正統な発音と理解してよいのだろう。
 「ルーチェルン」にはバーゼルからチューリヒに行く途中で、ニーチェがワグナーと最も親密に過ごした「トリープシェンの日々」の姿をうかがうためにただ数時間滞在しただけだったのだが、ワグナーの家が、町の中心とは少し離れて、主要な施設からは対面するような側の湖岸に建っていることは、実際に訪れてみなければわからない事だった。この館にバーゼル大学教授であったニーチェはしばしば呼ばれていた。ニーチェは授業にも、著作にも忙しい日々だったが、ワグナーからの要求にはできる限り応えていたようだ。ただ、ワグナーとコジマの結婚の証人として、はじめニーチェとマルヴィーダ・フォン・マイゼンブークが予定されていたが、病床で治療中のニーチェはその希望に応じることができるはずもなかった(1870年8月25日)。
 (1870年12月25日のコジマの誕生日の朝の)『ジークフリートの牧歌』の演奏など、近代西洋音楽史上に欠かすことのできない出来事もここで行われたことだった。


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《前川佐美雄の大和歌》

2018/02/09 18:40
瀬谷こけし

霞に沈む大和国原
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(若草山より)



◇ はじめに

 大和の歌人前川佐美雄の代表歌を一首挙げるとなれば、それは

> 春がすみいよよ濃くなる眞晝間のなにも見えねば大和と思へ  @
   『大和』「昭和十四年、大和」

の歌になるだろう。これは例えば『短歌研究』2016年12月号の「愛誦される歌」百首の中に、佐美雄の歌としてこの歌が採られていることからも一般的な見解と見ることができる。だがしかしこの歌は難解である。管見この歌が十分に理解されたと思う読解に触れたことがない。昭和十四年の作歌であれば、この歌は折口信夫の眼に触れたのであろうか? この問いはわたしには非常に興味深い問題なのだが、その答えをわたしは知らない。だが逆に佐美雄の方はこの歌の読者として折口を想定していたのではないだろうか? というのもわたしにはこの歌は折口の「やまとなす」という概念を基点にして詠まれた歌に見えるからなのだ。それは「やまと」を、ヤマトタケルの国偲び歌との関わりで捉えなおし、打ち立て直すという試みにみえるということなのだ。もしこの歌が折口信夫の眼に触れていたらならば、折口はたちどころにこの歌の狙いとするところを読み取ったであろう。読み取って---おそらくそのまま打ち捨てておいたことだろう。折口がこの昭和十四年という時代に、やまと概念の根本的な置き換えに同意するとは思えないからである。
 ともあれわたしがここに提示しようとするのは、上記の問題圏のなかで、つまりヤマトタケルの国偲び歌との対比の中でこの歌を読み解くことである。それは具体的にはこの歌を歌集『大和』の「大和」の段の歌群のなかに置いて読み解くことである。それを試みてゆこう。

◇ 難解歌: 諷歌倒語

 先に引いた「春がすみ」の歌は、前川佐美雄の代表作とされるものである。しかし難解である。それは何よりも「見えねば」と順接で記されていることである。これが逆説で「見えねど」と記されていれば、大和アイデンティティーへの観念的な、イデア的な、固執として、たやすく受け取られるものだろう。ひとりの狂信的大和主義者がいる、と冷笑的に見て通り過ぎるというわけである。しかし佐美雄は、そういう受け取りを許容しない。それのできない措辞をしている。それが順接の「ば」である。
 これを解釈することは難しい。しかし、正しい読み取りの方向はすでに示されていると言うべきだろう。一例を上げれば、山中智恵子は、この歌を「この諷歌倒語・鬼拉幽玄の極みの絶唱」と、そして「大和恋の咒言」と読む(1)。「諷歌」はなぞらえ歌、ほのめかし歌のことで、要するに国をいよいよ濃く覆い尽くそうとしている「春がすみ」とは何か、「春がすみ」がほのめかしていることをしっかりと読み取れ、という示唆であろう。また「倒語」はこの場合、なぜ逆説の「ど」ではなく順接の「ば」が使われているのか、その意味をきちんと読み取れと言う示唆に違いない。どちらもわれわれにこの歌を読む正しい見通しを与えてくれる。この方向で読めば、この歌が「大和恋」の「咒言」であることはほとんど自明のこととして見えて来るのは疑いない。

◇ 国家総動員法の時代

「春がすみ」とは何の諷喩か? 三枝昂之は『昭和短歌の精神史』の中で適切に、そのおおよその輪郭を示してくれるだろう。そこのところを全文引用しよう。

 (佐美雄の春がすみの歌)は霞の中に沈む風景に大和の本質を見て、佐美雄の代表歌として特に評判が高い。卓抜の大和論と読めばいいが、時代を超越した美のエキスのような名歌がなぜこの時期に生まれたかは考えてもいいだろう。それはおそらく、時代への失意がバネになった、非在のものを見つめようとする遠望感といったものである。(角川ソフィア文庫、2012年、p.123)

 三枝は、この歌の時代背景を重視している。そして、春がすみに閉ざされ、何も見えなくなった風景の中に「非在のものをみつめよう」と遠望する歌だと解釈する。「春がすみ」が、実際の視覚の上で「大和」を見えなくするものであり、その実景をベースとして歌われたことはその通りであろう。しかしそもそも「大和が見える」とはいったいどういうことなのだろう? ---いやいや、佐実雄はそもそも「大和が見えない」とは言っていない。「何も見えない」と言っているのである。そしてその「なにも見えねば」の順接の接続詞を、その通りに解釈すれば、三枝の言うように、何も見えない風景こそ大和の本質なのだ、と佐美雄は主張していると取るのがまともな解釈だということになるだろう。しかしそれでいいのだろうか? 佐美雄は「なにも見えねば大和なりけり」と断言しているわけではなく、「なにも見えねば大和と思へ」と、少し無理をしてでも、この風景、このかすみにつつまれた景色をこそ大和と思えと、(自分で自分に)命じているのである。何なのだろうか? その無理の中で佐美雄は何と、誰と繋がるのだろう? ここに或る遠望感があるととる解釈・鑑賞は正しいだろう。実際、ほとんど誰とも、何とも繋がることのできない大和感が言われているのである。五里霧中、ゆえにここは大和だと、いったい誰が考えただろう。

> やまとは くにのまほろば たたなづく あをかき やまごもれる やまとし うるはし  

と歌ったとされる『古事記』の歌が、恐らくもっとも近い大和歌いの歌として佐美雄には連想されたことであろう。ヤマトタケルが死の直前に歌ったとされる国を思い偲ぶ歌である。ヤマトタケルも大和を遠望して歌うのであるが、佐美雄はやまとの地にありながら大和を遠望するのである。目に見えず、こころに浮かべ偲ぶ国が大和だということだろうか。そのようにして、佐美雄は大和の、ヤマトタケル的な、正しい思い方に思い到ったのだろうか? こうした解釈は、佐美雄の歌の一部分を明かしはするであろう。しかし、やまとにありつつやまとが視野から閉ざされる絶望感には、まだとても届かない。そしてしかも真昼間のかすみである。いずれは晴れる朝霧とは違う。いよいよ濃くなってゆくかすみ、それが春の大和を覆ってゆく。つまり、さしあたり、いつまでとも知れず、大和の春は覆われてその何も見えなくなるのである。悲壮なる大和、悲壮なる大和の発見である。幾らかはヤマトタケルに似る。

◇ 「大和」歌群の中で

 それを同じ歌集の「大和」の節の歌すべてを引いて確かめて見よう。二首目から:

A白鳥のせめてひとつよ飛び立てと野をいやひろみ祈りたりけむ
Bとこしへに春を惜しみて立てらくはいまの現(うつつ)のおんすがたなる
C何ものも従へざればやまずかも永遠(とこしへ)にひびくこゑとこそ聞け
D天ごもり鳴く鳥もあれ眞昼間の野火燃えつづき太古(むかし)のごとし
E四方山(よもやま)もすでに暮るると下(お)りきたり谷に水のむけものちひさし
Fひもすがら陽に追はれゐる家畜らのはや夕暮とねむるかなしさ
G畜生も石のほとけと刻まれしこころ見るべし春日照りつつ
Hゆふぐれと彼方(かなた)に低く錆(さ)びひかる沼地の水か心(うら)たよりなき
Iかぐはしき思ひのなにも無きながら強(し)ひて象(かたど)る花ひらめかず

Aの歌の過去推量の「けむ」は、「白鳥」から推測されるように、ヤマトタケルの大和の妻たち子供たちの行為を推測している。
Bの「立て」はAの「飛び立て」の略であろう。「飛び立ってゆくようなのは」。それが、つまり今のヤマトなす人の姿だという。
Cは従う者なくただ一人声を上げる姿が自分とヤマトタケルが共通するという。Cの歌が最もストレートに@の歌を受けている。
Dは、天上に籠り鳴く鳥があれと歌うが、山中智恵子の次の歌はこの天上に籠る鳥を受けている。
> 水ゆかば秋草ひたす雲離れ空に陥ちけむ声玲瓏なる  
    『虚空日月』「王+必」
智恵子は佐美雄の示すその場所を自分の場として多くの歌を詠んでいる。
E〜Hは、人間以外の者にも頼りになる者が無いことを歌う。E「けもの」が、FG「家畜」がH「沼地の水」が、それぞれ何の頼りにもならない。
そしてIでは、E〜Hを総括して、「かぐはしきものがなにも見つからない」ので、無理して歌うような花も思いつかない、と言う。これが何もみえない大和の姿である。はるかにもせよ望まれうるのはDの「天上に籠って鳴く鳥」ばかりである。その太古の古代的な風景。

◇ なにも見えねば

 それではここまで読んでくると、あの順接の「ば」はどう解くことができるだろう? かくわしきものが何も見えないのである。だからこそここが大和だと思えと言うのは、どこへ行っても同じく何も見えないだろうからだ。そして時代はヤマトタケルの時代とは違う。昭和12年12月13日、南京陥落。その庁舎には日章旗が揚がる。東京では40万人の提灯行列が行われ、その祝賀の熱狂は全国津々浦々にまで広がる。さらに昭和13年5月の「国家総動員法」の施行以後総動員態勢の締め付けはますますきつくなってゆくだろう。昭和15年2月以降、「京大俳句」のメンバーが多数検挙されてゆく。大和とは何か? 大和心とは何か?

> ばら色の朝日ぞにほふ床のべに老いてののちや何みがきゐむ  
    『大和』「春雷」

 床から起きれなくなった老人の妄想のようなものだろう。何も見えないのが却ってよい。今は地上にかぐわしいものはなにもない。ひとは、かぐわしく、すがすがしいものを、太古の土壌にもどって探さなければならない。いよいよ濃くなる春がすみに覆われ、地上のものの何も見えない大和の地は、そのかぐわしかるべきものの発見の場になるはずだ。ここにいる他ないのだ。翼をもって天上に鳴き籠れるのでないならば。
 「大和」は太古の大地から発見されるべきものなのだ。あるいは、その「がくわしきやまと」の、発見のための場所のことなのである。何も見えないからこそここが「大和」になる。かつての日のタケルのように。強い意志をもってここを掘り続けよ、と。


(1) 山中智恵子「八がしらの猛きすがたは」『存在の扇』(1980年、小沢書店)、pp.200-201。

(本稿は拙ブログにhttp://25237720.at.webry.info/201511/article_2.htmlとして発表したものを一部改稿したものです)
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《悼 須藤廣志禰宜 三首》

2018/02/08 03:49
瀬谷こけし

須藤禰宜の御霊に献ず
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悼 須藤廣志禰宜 三首



>思はずも深き奥にぞきみ在りき津軽に生まれ神主となる

>岩木嶺(ね)の深き思ひにきみは立ち御蔵石にもきみ顕ちたまふ

>岩木山(やま)と深ききづなにきみ生(あ)れてその生も苦もそこにありたり

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《ユジャ・ワンを紹介するならまずこれか》

2018/02/07 03:48
瀬谷こけし

 スカルラッティのこの曲は連打の面白さが大きな魅力のひとつだが、その点ではスコット・ロスに負けていない。

Scarlatti Sonate K.455, Yuja Wang

https://youtu.be/yIAk61xEZ80




Domenico Scarlatti- Scott Ross - K455

https://youtu.be/gK5cjGBg8pw




彼女がリゲティを弾いていることも紹介しておこう。

Yuja Wang plays Ligeti : Études pour piano Livre 2 - "Der Zauberlehrling"

https://youtu.be/aglprO-gNJA


しかし最もおもしろいのはこのカルメンではないだろうか? ビゼーのこの曲の多層的で豊かな魅力がとても楽しい。

Yuja Wang - Bizet/Horowitz : Carmen Fantasy Variations 2017. Yuja Wang Carnegie Hall 2017. Amazon

https://youtu.be/rMhslQpfPvo




ブラームスもおまけに。

Yuja Wang plays Brahms: Ballades Opus 10 - Nos. 1 & 2

https://youtu.be/CkQ7kujoTeU




Glenn Gould - Brahms: Ballades, Op.10

https://youtu.be/gECYL1-BEmc



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《霧》

2018/02/02 16:52
瀬谷こけし


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 今日はいつもとは違うところに横雲が浮かんでいた。比叡山の本体より手前のところ。なぜか、としばらく考えていたが、これは樹冠に積もっていた雪に日が差して、そこから立ち上った蒸気が漂っているからに違いない。
 そう思って大原への買い物から帰ると、横雲は消え、そしてそのあったあたりから霧が立ち昇っていた。幽玄という言葉があるが、これは比叡山が深山幽谷に見えるときのことだ。そしてそんな趣きはこんな霧が見せてくれる。そんな写真少々。


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《大原・雪》

2018/02/01 19:36
瀬谷こけし


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 雪が軽く降っていたが、百井の地玉子を買いに大原に行った。だが、今日の大原里の駅は人がまばらで、それは予想通りなのだが、店に並んでいる野菜もまばらで、どうやら昨日の残り物ばかり並べているようだった。きっと雪のために今日は収穫しなかったに違いない。それでもカブとかトマトとかを買って帰った。百井の地玉子もなかった。午後になって雪が止んでから持ってくるのかもしれないが。
 目当てのものが買えなかったのと、道が工事中で長く待たされるのがいやだったので、帰路は川沿いの病院の方から帰った。写真少々。

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《ギボンズという音楽の星》

2018/01/31 01:27
 こうして二通りの違った演奏を聴くと、天才というのは易しいが、それ以上に、ギボンズという人が、音楽という星座に永遠に輝く星だという言い方の方が正しいように思う。苦闘の跡も残さない。もちろん苦闘や挑戦を見せようともしない。
 (そういえば今日は高島屋に「古稀記念 面屋庄甫の世界」を見に行ってきた)

Franco Banderaの演奏
https://youtu.be/sbVILI4hJ9c



グールドの演奏:
https://youtu.be/IZO4AYErtrQ




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《シューマンの「夜の歌」、Op.96 Goethe EIN GLEICHES》

2018/01/30 02:15
瀬谷こけし

Goethe EIN GLEICHES

Über allen Gipfeln
Ist Ruh,
In allen Wipfeln
Spürest du
Kaum einen Hauch;
Die Vögelein schweigen im Walde.
Warte nur, balde
Ruhest du auch.

 ゲーテのこの詩、前にわたしが学生時代の鷺ノ森神社の上枝のことで話したこととよく似ている(特にkaum einen Hauchのところ)。

 今は、永井陽子の次の一首を、紹介しておきたい。

>  鹿たちも若草の上(へ)にぬむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦楼羅


Schumann - Nachtlied, Op. 96 Nr. 1
https://youtu.be/DOb3YZTk7lo





==== 補足 2018.1.30 /2.9 改訳 ==============
ゲーテの詩に一応訳をつけておきます。

ゲーテ 似たもの
拙訳

山々の上には
安らぎがあり、
こずえの中に
お前はほとんど吐息ひとつ
聴き取ることができない;
小鳥たちは森の中で沈黙している。
しずかに待て、やがてお前にも
安らぎがおとづれる。




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Christpher Hogwood の弾く Gibbons: Italian Ground

2018/01/29 02:23
瀬谷こけし

Christpher Hogwood の弾く
Orlando Gibbons の Italian Ground
19:20 から

https://youtu.be/5DqasFyzeMw




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《日本歌人関西合同新年歌会に行った》

2018/01/28 23:40
瀬谷こけし


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 日本歌人関西合同新年歌会に行ってきた。とても疲れた。さっき風呂に入ってやっと疲れが取れたが。
 その内容のことはあまり言えない。前川佐重郎さんの評は平易な詠み方をという思想に貫かれ的確で、またユーモアもあって面白かった。また前川斎子さんの螳螂の詠歌はカマキリを平知盛と重ねて大変素晴らしかった。
 これだけで十分に実りはあったと言うべきだ。さらに言えば(われらの)仲さんの総評は選んだ数首の歌について大変しっかりした講評をされていた。このしっかりした読みときちんとした評価に支えられて歌は発展してゆく。
 今年の夏行は京都で開かれるということだった。交通費・宿泊費の負担がなくてすむので、今回は参加できるかもしれない。

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《胡桃沢伸さん》

2018/01/28 02:27
瀬谷こけし


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 胡桃沢伸さんはわたしの大事な友人のひとりです。はじめ沖浦ツアーでインドネシアのトラジャで会い、それからずっと彼の演劇に誘ってもらっています。今度テレビで彼の祖父のことをやるそうです。ぜひご覧ください。

http://www.minkyo.or.jp/01/2018/01/sp_32.html

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《採点が終わった》

2018/01/28 01:17
瀬谷こけし


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 秋学期のドイツ語の採点が終わった。追試の3名の分はまだ先だが。ともあれ本来の分の採点は終わり評価も終わり講評も終わった。いつまでたっても要領が悪く、採点に時間のかかりすぎる問題ばかり作っている。今回もっとも時間がかかったのは、会話の教材の方で、問題文を、教科書のドイツ語を日本語に直してだが、それを逆にドイツ語の会話に直せという問題を出した。短い文で、2ー3行のものだが、それを21行分。ちょっと多い。そしてきちんと正確に書けている学生はほとんどないので、部分点を与える形で採点しなければならない。そうすると動詞と名詞が合っていれば名詞の格はどうでもいいにするか、格まであっていなければならないとするか。毎日放送の「ちちんぷいぷい」でロザンの道案内の番組があるが、あれで外国人相手に菅ちゃんが、結構いい加減な英語を使っても、単語さえひどく間違っていなければ結局意図は通じてゆく。あれと同じように、会話を続けてゆけばそのうち話が通じるような、その最初のやり取りになるようなドイツ語になっていればいいという採点を目指したが、そうすると採点基準を一定のものにするのがすこぶる難しい。要となる単語さえ合っていれば、そのうち話が通じてゆくだろうというのが現実のコミュニケーションだと思う。そんな採点を40名分、それぞれ21行ずつの採点を、となるとやっぱりそうとう大変だった。この形式は今回が初めてだったのだが、これから出題に磨きをかけてゆこうと思う。そして気がついたのだが、不変化詞(noch、とかschonとか)が適切に使えればそうとう簡単に簡略化した文ができるのだが、それが分かっていない学生がきわめて多かった。そしてもうひとつ、疑問詞を正しく使える学生が驚くほど少なかった。---今年は授業では聞き取り力と語彙力を重点にして進めたが、これからは適切な簡略化のための不変化詞の使い方も重視して教えてゆこう。去年スイスのベルニナ鉄道で、写真を撮るために別の(指定席)車両に動いていて、車掌にとがめられたのだが、それはただ「Nur fotografieren!」(写真撮るだけ!)の一言で納得してくれたものだった。こういう言葉の使い方を教えてゆきたい。



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