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「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ

プロフィール

ブログ名
「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ
ブログ紹介
世界という大きな書物の中に見出した
かげろうのような一瞬の思い、
ポエジーを、
少しずつまとめてみたいと思っています。
文字による学問の外
 (文書への信奉の外)
デカルトより、さらに兼好に近く
兼好より、さらに芭蕉に近く
愚なること、無学なること、誰にも劣らず。

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Twitterと Facebookをはじめました。
http://twitter.com/mnnakajist
http://www.facebook.com/index.php#!/masatsune.nakaji
これらは私からのメッセージです。わたしからのメッセージにはどれも「瀬谷こけし」のイメージがついています。
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私の「なりすまし」にご注意下さい。そのサイトは以下です。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/tad77/ (「h」省略)
ttp://ameblo.jp/designjimusho/ (「h」省略)。

蠅のような存在です。間違ってメールなどを出さないようにご注意ください。
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《もんなし会》

2018/06/20 09:33
瀬谷こけし

 高山のわたしの研究室(飛騨学研究所)で第一回の「もんなし会」を開催した。朝の思わぬ地震で電車が動かなくなり参加できなくなってしまった人がいたのが残念だったが、会はともかく盛会だった。話も何も録音していない。しかし問題はなかなかよく検討されたと思う。時間を30分繰り下げて15時30分からの開催になった。はじめに今回の会を開くに至った経緯と趣旨の説明。次いで各参加者の自己紹介。事情があって会の方に参加できなくなった人の紹介。そして今回の会を「もんなし会」とすることの提案と承認、そんな風に進んだ。「もんなし会」は『無門関』「大道無門」の偈頌からとった。「大道無門、千差路あり」(大きな道には門がなく、千差万別の路が交差する)という思想からとった。しかしそんな偉そうなことを言うのでなく、要するに誰おもんぱかる事なく、自らの路とそこから見える疑問を述べ語り合う場所としての命名だ。それともう一つ、もんなしの「無文」の意味を掛けている。参加するためにはビビッドな問題関心があることが重要で、おかねなどなにもなくてもかまわない(もちろんわれわれももんなしだ)、という姿勢を示す意味もある。
 発表をしてくれたのは:
 1.林格男先生(飛騨を代表して縦横に語る)
 2.嶋田菜穂子さん、(タイトル忘却;神社がほんとうに語っていることを聞き取るためのこと)
 3.柳澤雅之さん「世界単位研究から考える人と自然の関係」
 4.阿部健一さん(「ヴァナキュラーなグローバリズム」;地域に徹底的にこだわることが普遍的な価値を持つという主旨の話)
 ここまでで宴会に行く時間になったので、4.についての質問は宴会でということになった。
 宴会では、天衣無縫なNHKの中林さん、網野善彦を継ぐ福井重治さんも参加されて、さらに盛会になった。もちろん、「会」の方から参加してくれた飛騨の橋本さん、谷倉さん、滋賀から参加の寺村さん、そして東京から遅れて参加してくれた内山さんも積極的に会や議論に参加してくれた。
 その後少し経って、わたしが本日の会で「宮沢賢治の読み直し;高谷好一の仕事から学びながら」という趣旨での発表のために準備した資料3枚を配り、一二分でその主旨を語り、質疑を交わした。
 そんなところで大体宴会も終わった。まずまあそんなところを紹介しておく。


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《さなぎ》

2018/06/15 03:58
瀬谷こけし


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 繭(らしきもの)作りを発見したのが5月19日だからそれからもう20日も経った。中の様子が想像できなかった時期に比べれば色も赤茶色がはっきりしてきているし、表面の張りやつやが目に付くようになっている。二重の幕の内側の細かなものも壊れてきているようにみえるが、これは風などで物理的に破壊されたものか。ほとんど変化もないような存在だが、多分これで生きているのだろう。折口信夫がサナギの観察から霊魂や籠りについての理論を作り出したというのが私の説だが、サナギの中での籠りは人間の睡眠と似ていないこともないのだろう。とりわけ再生を必要とするときの眠りと。
 (Facebookに2018年6月10日に掲載したものの再録です)





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《1853年夏 ニルムスドルフの月夜の晩》

2018/06/10 04:05
瀬谷こけし


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 「1844年から1858年の自伝」の中でニーチェはニルムスドルフ(Niemsdorf)に滞在していたある晩のことを特別に記している。それは1853年の夏休みのことと推定されている。ニルムスドルフは現在のチューリンゲン州の村だが、そこはナウムブルクとワイマールを結んだ線を挟んで、イエーナと対称になるあたりに位置する村で、彼のおじさん、アウグスト・エンゲルベルト・ニーチェ(Augst Engelbert Nietzsche)がそこの牧師をしていた。この滞在にはニーチェの大好きなアウグステおばさん(Augste Nietzsche)も同行していたようだ。
 その月夜の晩のことについてニーチェはこう記している。

> Auch noch des Aufenthaltes in Nirmsdorf errinere ich mich wo der liebe selige Onkel Pastor war. Wohl weiß ich noch, wie der Mond des Abends auf mein Bett strahlte und wie ich die goldene Aue in Silberglanze vor mir; wie dann die Tante Auguste sprach:
„Der Mond ist aufgegangen
Die gold’nen Sternlein prangen usw.
Ach, nie werde ich diese Zeit vergessen. [KGW, I,1, S.295]
> ぼくはニルムスドルフに滞在したことも覚えています。今は亡きやさしい伯父さんはそこの牧師でした。ぼくは今でもよく覚えているのです。夜の月の光がぼくのベッドの上に射しこんでいて、窓の外の金色の草地が銀色に輝き、そしてそのときアウグステおばさんが詠じたのです:
  『月が出た
  金色の星たちは燦然と輝き』……
 ああ、この時のことをぼくは決して忘れない。(拙訳。ちくま文庫版全集15、p.219、川原栄峰訳参照)

 とても感動的な瞬間であったに違いない。月の光に銀色に染まる目の前の神秘的な光景。そしてその光景のエッセンスを捉える言葉、そして朗詠。詩と光景と感動が一致する瞬間をこのとき少年ニーチェは心に刻み付けたのだ。九歳のときのこの経験はニーチェに、留まるべきものを言葉によって打ち立てる詩人の使命を教えたように見える。




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《セガンティーニのWINDIGER TAG》

2018/06/08 15:46
瀬谷こけし


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 去年スイスのシルス・マリーアに滞在していたとき、時間を見つけてサン・モリッツのセガンティーニ美術館に行った。そこで展示していた作品の中でも、この一枚はニーチェが逗留していたころのシルス・マリーア付近の様子をとてもよく示しているように思った。タイトルは「風の強い日/アルペンの中の昼」というもの。1891年の作だという。
 翌日にはシルスからひとつ奥の村に当たるマローヤ(Maloja)にも行ったがその時は時間の都合もあって、セガンティーニ関係のものを見ることはできなかったが、観光地としては今一歩発展していない村に見えた。湖で言えば同じシルス湖の西側(シルスが東側)という位置なので、伝統的な生活スタイルという点では大差のないところだろう。冬の厳しさを感じさせる山岳風景も、ロープウェーなどの施設の有無を除けばよく似ていて、昔の風景はかえってマローヤの方からよく感じ取れるかもしれない。
 セガンティーニは1886年からサン・モリッツ(St.Moritz、現地訓みだとザンクト・モリッツ)の近くに住んでいたので、もしかしたらその付近でニーチェに出会っているかもしれない。マローヤに住みはじめるのは1894年からだという。
 セガンティーニは、伊東静雄も好んでいた作家で、アルプスの農牧民生活を描く画家という印象だったが、今回美術館の作品を見てわかったのは、民俗学的な細部への関心はあまり豊かではなく、むしろ何よりも光の透明感に魅せられた画家だということだった。それと激しい天候の変化か。この絵も、強風が吹いている日の光景というよりは、これから激しい風がやってきそうだと感じ、観察している光景ではないかと思う。青服の女性の顎のふくらみの豊かな顔つきは、この地方の女性の美人の典型ではないかと思う。サン・モリッツあたりでもよく似た(薬のカプセルを短くした顔のラインをした)若い女性をしばしば見かけた。
 この、アルペンの光の中には倖せがとても鋭い形であるのだろう。


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《ナウムブルクのマリーア・マグダレーナ教会》

2018/06/08 05:44
瀬谷こけし


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《ナウムブルクのマリーア・マグダレーナ教会》
Marien-Magdalenen-Kirche in Naumburg (Saale)



 ニーチェは父の死後ナウムブルクに移ってからも何回か引越しをしているようだ。1858年に書いた「自伝I」の中には、1856年におばあさんが亡くなった後、ハールザイム牧師の奥さん(Auguste Harseim)の持ち家の一角を借りて住むことになった旨が記されている[Aus meinem Leben.I. KGW,I,1,S.301](文庫版『ニーチェ全集』15、川原栄峰訳pp.228-229)。そしてそこには、

>Dicht vor der Gartenthür steht die Marien-Magdalenen Kirche, an der H. Pastor Richter Geistlicher ist. Sie ist vor nicht langer Zeit wieder ausgebaut und recht nett mit Wandgemälden geschmückt.
>庭の戸のすぐ前に密接してマリーア・マグダレーナ教会が立っていました。そこはリヒター牧師が聖職者です。この教会は遠くない昔に改造され、壁画によってまことに優しく彩られています。(拙訳)

という記述がみられる(前掲書p.229)。一昨年ナウムブルクを訪れた時、宿を旧市内のマリーエントーアの近くに取っていたので、多分このマリーア・マグダレーナ教会と思われる建物の写真を撮っていた。
 そしてその教会の建物にはプレートがあり、それは次のように読めるものだった。そのプレートの文字の通りに改行して記すと以下だ。


Marien-Magda-
lenen-Kirche

Erst Mals erwähnt 1144.
Neubau als Friedhofs-
Kirche 1727-30.
Restauriert 1901-02.
Gesamtinstandsetzung 1971.
Ausgestattet mit Spiegel-
decke und Stukkaturen
von Brentani 1781.


 建築のことに疎く、まともに訳せないのだが、1856年、子供時代のニーチェが見たのはプレートに「Friedhofs-Kirche」としてと記された、130年ほど前に新築されたこの建物だったと考えられる。
 「自伝I」にはさらにつづいて「マリーア門=塔」についての記述もある。

>Von unsern Fenstern aus hatten wir eine sehr hübsche Aussicht. Die dichte belaubte Allee, weiter hinaus die Weinberge des Spechzart und rechts das alterthümliche Marienthor= und Thur.
>家の窓からはとても感じのよい眺めが見られました。たっぷり葉の繁った並木道。はるか向こうにはシュペッヒツァルトのブドウ山。そして右手には古めかしいマリーア門=塔。(拙訳)

 この時少年ニーチェの一家が住んでいた家は、今日では、『ニーチェ・クローニク』(Friedrich Nietzsche Chronik in Bildern und Texten, HanserVerlag, 2000)によってその住所まで知られている(Hinter der Marienmauer 621、今日のMarienmauer 2)。グーグルマップなどによって、「マリーエンマウアー」がどこかということはすぐわかるが、やや気になるのがドイツ語の「Hinter」だ。しかし町を囲む壁の外側ということは考えにくいので、ここは「壁の裏」と理解しておくのがよいだろう。
 すると、この少年ニーチェの家は南玄関で南北方向を棟として建てられ、その「右手」とは西側、ブドウ山は東側2km弱離れたザーレ川の向こうの丘陵のブドウ畑のことであろう。並木道は、壁の東側すぐ外の通り道(路面電車の走るところも含むか)のことだろう。ここは夏でも快適な木陰が得られる。



マリーア・マグダレーナ教会
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マリーア塔
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壁の外の草地と並木道
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ザーレ川東岸(左岸)の丘陵のブドウ畑 遠望と近映
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《Versuch einer Tieferen Dionysischen Musik》

2018/06/03 03:14
瀬谷こけし

《Versuch einer Tieferen Dionysischen Musik --- Unsere „UNBEGRENZT“ aus „AUS DEN SIEBEN TAGEN“》

Diese Aufführung und Aufnahme von uns mag am höchsten Dionysisch scheinen, im Sinne von jungerem Nietsche, denn alle Töne werden zum Letzten ins Meer der Klänge eindringen gemacht. Das ist richtig. Aber höre mit besseren Ohren, die Töne bleiben da noch einzeln klingen! Das ist wichtig. Sie sind nicht ertrunken. Unsere Auffürung möge noch tiefer Dionysisch sein!

https://youtu.be/uskyNt7vLaQ




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《ヒラリー・ハーンのシャコンヌ(BWV 1004)》

2018/06/02 04:18
瀬谷こけし

 終始漲り緩むことのない力強さに驚く。しかし多声的・重層的な音が弱化することもとぎれることもないためにこの曲の線的な鋭さは陰に隠れてしまう。だからわたしはシェリングの演奏の方が好きだ。とはいえ終わりの弱音化される部分でも感覚の強さは少しも途切れない。最高度にすばらしい演奏のひとつと言うべきだろう。


https://youtu.be/QqA3qQMKueA




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《夕方、上高野散歩》

2018/06/01 23:39
瀬谷こけし


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 買い物がてら夕方上高野を散歩した。高野川の北側、普段は全く歩くことのないところだ。だが山も近く、疎水も流れ、潤いのある街。歩くだけで心地よい。
 今日は疎水に沿って北に進んでいると、右手の山の上に突然多宝塔が見え出した。こんな立派なものが上高野にあるとは思ったこともなかった。多宝塔だし、真言宗の寺だろうかと思っていた。家に戻ってから地図を調べると三明院と云うらしい。多宝塔からの眺めもよいというので、今度は登ってみたい。


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《ニールセンさんとよい時間を》

2018/05/25 09:40
瀬谷こけし

 昨日はニールセンさんととても好い時間をすごした。瀬田駅に迎えにいって、それからシュテルンクランクのスタジオで。何が一番よかったか? われわれIMEの仲間と一緒に演奏したシュトックハウゼン『七つの日より』から「上に向かって」 (Aufwärts, Upward)。これをやろうと言い出したのは彼だった。---その演奏が、昨晩その録音を聴いていたのだが、相当によいものだった。近々Youtubeの方にアップしようと思っている。大事なのは信頼関係ができたこと。この信頼関係が、新たに回転する輪のはじまりになるはずだ。


==== 2018.5.27 追加 ======

YouTubeにアップしました。

https://youtu.be/8wifqnuoSZ8






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《イサム・ノグチの滑り台 札幌・大通公園 2007年8月23日》

2018/05/22 15:09

瀬谷こけし


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 橋本繁蔵さんと千歳に姉崎等さんを訪ね、「猟師の対話」をしてもらった。それはとてもおもしろかったのだが、何よりもヒグマとツキノワグマとの違いがかなりよく分かったことだ。ツキノワグマの方がヒグマよりやんちゃだというのが適切な言い方ではないだろうか。それはそれぞれの猟師の性格にも表れてくる。
 その翌日札幌の大通公園に行って、ぜひ見たかったイサム・ノグチの滑り台を見て、遊んだ。この滑り台には胎内くぐりの趣向があり、さらにのぞき(及位)のような、決意の趣向も備わっている(下りの最初のスロープが急角度に作られている)。
 そしてそれを楽しむ人たちによって完成させられる。
 この滑り台を大いに楽しんできた。

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《森の許し》

2018/05/14 11:43
瀬谷こけし

狼森、後方の山は岩手山
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 宮沢賢治には「狼森と笊森、盗森」という作品があって、四人の百姓が「この森に囲まれた小さな野原に」やってきて森に向かって「ここへ畑起こしてもいいかあ」とか、「ここに家建ててもいいかあ」とか尋ねて、それぞれ「いいぞお」という森の答えを聞きとって定住を始めるという話がある。これはこれで、ひとがある土地を切り開いてそこに定住を始めるときにあって然るべきやりとりだと思うのだが、ひとつ謎が残っていた。それは「いいぞお」という森の答えが、ほんとはどういう声なのかという疑問だった。賢治はここでも問題を突き詰められず観念で終わってしまっているのではないかという疑問だ。ほんとうは「いいぞお」を意味する森のほんとうの答えの徴があるはずだと思うのだ。
 こんな疑問に対して高谷好一さんがこんな実例を記して教えてくれているのに最近気が付いた。それを紹介する。それはインドネシアスラウェシ島ゴロンタロのムサ・イスマイル氏から聞いたという話だ。

> ムサ・イスマイル氏が祖父から聞いた最後の村開きの様子は、次の通りだったらしい。
> まず、村を開く時だが、長老があの辺りが良かろうといって目星を付けた。そして長老たちでそこに向かったのだが、途中で鳥占いをしたそうだ。ブル・ハントゥという特別な鳥がいて、必ず啼いたので、その鳥の鳴き声で吉凶を占ったという。吉だとなると目指す場所に行き、そこに生えている幼木を引き抜く。根まで切れずに引き抜けたら、森の神の許しが出たといって、そこに決めた。三度試みて三度とも根が切れたら、神の許可は得られなかったといってまた別のところを探した、という。
(高谷好一『世界単位論』2010年、p.10)

 お分かりだろうか? 賢治の作品にはこの「森のほんとの声を聞く」というプロセスが欠けているのだ。幼木を引き抜いて、根まで切れずにすっと引き抜けたら、それがほんとうの森の答え、森の声だというわけだ。またその目星を付けた森に行ってよいかどうかということ自体先に然るべき鳥の啼き声で占う必要があったということだ。高谷さんが教えてくれるこういう話は、賢治の考えを否定するものではなく、それを具体性において充実させるものだ。しかし、賢治の書き物に具体性という欠落があることに気づかず、書き物を神聖視してしまうのはよくないことだと思う。賢治の書き物の内容の重要な欠落に気づき、それが修復できるものかどうかを検討すること。この作業を怠れば、賢治の仕事を先へ進めることはできないだろう。

===== 補足 ある質問に答えて(2018.5.17) =====

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 ていねいなご意見有難うございます。
 白老のアイヌ記念館の野本正博さんからビデオを見せてもらい、また話を聞かせてもらったことなのですが、記念館で丸木舟を再現しようという企画をして、まず木を切りに行った時の話です。森の中をいろいろ探し、目当てとする木を見つけて、いざ切る時です。もちろんイナウを捧げたり、酒を捧げ、入念な儀礼をしてからのことだと思いますが、まさに切り倒したとき、その木からシマフクロウが飛び立ったというのです。そのとき皆が大喝采をして、この企画の成功を確信したということです(ビデオにもその様子が写っていました)。2007年のことでしたが、その年に無事に舟づくりが完成して、進水にも成功して、わたしが行った時には舟は記念館に置かれていました。板の隙間に苔を詰めるなど細心に伝統の通りに作った舟だそうです。 宮沢賢治流に言えば「この木もらっていいかあ」と尋ねたのがイナウを捧げてする儀礼で、「いいぞお」という森の答えが切り倒した時シマフクロウが偶然に飛び立ったことになると思います。賢治の「狼森と笊森、盗森」では、「いいぞお」という森の言葉が人間の言葉にとどまり、森自身の異変や反応で示されていません。これは重大な欠点だと思います。そしてこの作品は、森自身の異変や反応が示されていないので、民俗学にとっても意味のある事例にはなりえないと思います。もちろんこの作品に意味がないといいたいわけではまったくありません。最後に岩手山が最高裁のような権威として出てくるのもこの地域の山の精神的地政学として十分納得できるものですが、しかし冒頭部の森の「いいぞお」のやりとりが「おはなし」になってしまっているという欠点に盲目になってしまってはいけません。修復の可能性で言えば、森の言葉がもっとわかる作家が登場すれば、より微分化された精緻な話として作り変えることができると思います。そのように微分化した新しい物語の生産が本来の「修復」になると思います。修復されるべきは(動植物を含む)森とひとの応答の真実だということになるのでしょう(例えば宮崎学さんの写真や説明にはそういう真実がたくさん含まれていると思っています)。





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《アカタテハ 立っちして》

2018/05/11 23:58
瀬谷こけし

 カラムシの葉の上のアカタテハ。立っちして上の方の葉っぱを食べるのかと思ったら、上って行った。いっぱいに広げた手もかわいらしい。


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Zarathustra Variation 1-1-1

2018/05/10 04:40
瀬谷こけし

1-1-1
“Aller Werth ward schon geschaffen, und aller Werthe der Dinge --- das bin ich. Wahrlich, es soll kein “Ich will” mehr geben!” Also spricht der Drache.
Dann fragte ich diesen mächitigsten Drache, “Bin ich ein Ding, oder ein Subjekt? Oder vielleicht ein Wille?”, weil ich es wissen wollte, ob mein Wunsch in seinem Gedanken noch ein Ding oder nicht. Der Drache aber sagte mir nichts, antwortete mir nichts. Dieser grosse hochmütige Drache war kein Denker, kein Spieler, kein Philosoph. Also war es nun klar: wer etwas sich wünscht und tut, der schafft einen neuen Werth. --- Also sprach Zarathustras Freund.


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《アルキュオーネの清明の天》

2018/05/10 03:17
瀬谷こけし

わたしの近詠:

> 翡翠のアルキュオーネの時節とてニースの町の清明の天(そら)

 冬の南仏ニース。ここでニーチェは『ツァラトゥストラ』第三部を書いた。翡翠(アルキュオーネ)が子を孵す冬至のころのこの地の透明な空と光からニーチェがどれほどの恩恵を受けたか、と思う。痛々しいほどに透き通った光。



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《ブランコ》

2018/05/08 04:56
瀬谷こけし


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 今年の連休は宮沢賢治学会のビブリオグラフィーの仕事で忙殺されていて、せっかく来てくれる子たち孫たちにほとんど何もしてやれなかった。やったことといったら一回だけ夕食にカルボナーラを作ってやったことぐらい。そのカルボナーラも、養老のSAで仕入れた松坂のベーコンと、この前高山のキュルノンチュエで買ってきたベーコンとを使って作って、多くは材料がいいせいで美味しいと子どもたちから好評だった。京都の家族には時々作っているのだが、東京から来た家族にははじめてごちそうしたことになった。それでも喜んでもらえてよかった。
 他にはわが家のベランダにブランコが付いたこと。息子が取り付けてくれた。孫たちも結構楽しむようになった。ちょうど「おまけのおまけの汽車ポッポー」の世界だ。孫たちも『ノンタン』で心覚えがあるので、「ポーと鳴ったら代わりましょ。ポー」とやって下ろすと、文句も言わずに代わってくれる。これからはブランコ目当てでも来てくれそうだ。


 
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《第44回春季創画展をみてきた》

2018/05/06 18:59
瀬谷こけし

日々巡る 杉本智美
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第44回春季創画展 2018 絵葉書より



 時間の余裕がないのでごくあっさりと感想を記す。春季展賞の中では岸本智美の「日々巡る」に一番魅力を感じた。それは何よりも左手中央上部に、沼なのか池なのか何にせよ草花のない空いた空間が描かれていること。この空白の効果がすばらしいと思った。一般の部の中では以下のものに感じるところがあった:(あいうえお順)石原貴暉「挽歌」、入江俊平「榕樹」、大森正哉「明けゆく孤高の」、奥村美佳「丘」、菊地将宗「麗らか」、小島憲二郎「忘れもの」、小山大地「旅の行方」、佐伯浩「寂夜・木立を抜ければ」、鈴木夏江「午後の一時」、田口亮一「渓声」、波賀野文子「めざめ」、藤原玲子「鎮魂」、前川祥子「春情の庭」、松井周子「風の錦」、宮田千穂子「眠り」、森田郁子「処−曲がり」、山崎ゆう子「夏咲く」等である。感じたところはそれぞれ違う。とりわけ奥村の「丘」は、何ともない田舎の畑地の丘のそこここにぽつぽつと桜の咲く情景を描いており、田舎に訪れる桜の花のごくごく自然な魅力を描いていて好感を持った。
 会員の部では浅野均「夕照の記憶」、石股昭「葉の詩」、松本祐子「真白き花」、吉川弘「RiverView」などに惹かれた。浅野作品は黒の単色の魅力を感じさせた。石股作品は雑草のような葉のたっぷり感が魅力的だった。松本作品は白い花の際立った清楚さが魅力で、吉川作品は箔を貼った上に墨で描いているのだろうか、川の表情の豊かさに見飽きぬ思いがした。
 
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《霧湧く村 2013年10月9日》

2018/05/02 03:01
瀬谷こけし

 京都にいると、時に見たこともないような自然の景観に驚かされることがあるが、それも、きっと昔の人も驚いたことのある景観に違いないと思い返される。例えば藤原定家の日記をそんなつもりで紐解けばきっと思い当るような景観の記述が見つかるのだろう。こんな空も、昔の人は何の標徴と読み取ったのだろう。何の予兆と読み取ったのだろう。峰に懸かる横雲は重たい。
(横高山や横川に時々横雲が懸かることを、定家も式部も、よく心えていたに違いない)

 写真5枚。



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《ルー・アンドレアス−ザロメのニーチェ把握》

2018/04/29 04:01
瀬谷こけし

《ニーチェの思想石(Denk Stein)》
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スイス・シルスの岬、2017年8月8日撮影


 ルー・アンドレアス-ザロメはその著書『ニーチェ』を次の言葉で閉じる。

> Denn auch uns tönt ein erschütternder Doppelklang aus seinem Lachen entgegen: das Gelächter eines Irrenden – und das Lächeln des Überwinders. (Lou Andreas-Salomé, 1894, S. 263)

ルーはニーチェの笑いのなかに相互に対抗しながら震える二重の響きを聴き取る。そしてこの二つの響きの間に、いわばニーチェの最後の、そして最高の精神の形を捉えるのである。---多くの予備的な説明が必要なことではあろうが、そのルーの聴き取る声、響きは、何とすさまじいものだろう。そしてこの声を聴き取ることは、なんと素晴らしいことだろう。ルーは、きわめてよい耳をもっていたのだ。あの、アリアドネの小さな耳を。

 それは訳せば、次のような響きだ。ひとりの狂いつつある者の哄笑と、そして狂気をも超克した者の微笑と、とルーは言う。この二つの笑い声が二重になって鳴り響いているというのだ。震えながら、振動しながら、互いに拮抗し打ち消し合いながら、と。この二重に響きあう声を残してニーチェの精神は黄昏の中に消えてゆくと。克服した者の微笑と、狂人の哄笑と。---これは何と深く、何と的確な捉え方だろう。没落する者として生を讃え、底なしの生の苦悩を讃え、生に黄金の薔薇の花環の冠を被らせながら、他方ではその生を生々しく呪詛しながら。このような二重の笑いの交響の中にルーはニーチェの最高の思想を聴き取るのである。


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《2018年4月27日 夕焼け》

2018/04/27 20:00
瀬谷こけし

 重たくかかっていた雲の下から夕方不思議な色の光が射し出していた。18時を過ぎたころから。見ると素晴らしい夕焼。
 半島の慶事を祝福するかのように。

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《トリープシェンのルーとニーチェ》

2018/04/27 01:34
瀬谷こけし

トリープシェンの湖畔 (ルツェルン湖)
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 1882年5月のおそらくはじめごろ、ニーチェはおそらくルーと二人きりでトリープシェンに行っている。ルーはその時の記憶を著書の中で次のように書いている。

>> Wenn ich diese kurze Schilderung lese, dann sehe ich ihn selbst vor mir, wie er , wärend einer gemeinsamen Reise von Italien her durch die Schweiz, mit mir das Gut Triebschen bei Luzern besuchte, den Ort, an welchem er mit Wagner unvergessliche Zeiten verlebt hatte. Lange, lange sass er dort schweigend am Seeufer, in schwere Erinnnerungen versunken; dann, mit dem Stock im feuchten Sande zeichnend, sprach er mit leiser Stimme von jenen vergangenen Zeiten. Und als er aufblickte, da weinte er.<< (Lou Andreas-Salomé, 1894, S.87)

 ルーがここで「短い叙述」(kurze Schilderung)と呼んでいるのは、1882年7月16日のタウテンブルクからのニーチェの手紙に書かれているワグナーとの関係についての記述のことである。そこでニーチェは、「上級協会顧問」ワグナーから『パルジファル』の献呈本が届いたその時、自分が送った『人間的なあまりに人間的な』が彼のところに届いたという決定的な出来事について述べ、その時「すべては明らかになった、だがすべては終わった」ことを体験したと記している。その手紙を読んだとき、ルーはこの5月初めにニーチェと二人で行ったトリープシェンでのニーチェの姿をありありと思い出したというのである。この時パウル・レーも母親とともにルツェルンにいたはずなのだが、情景の記述の中ではレーの気配は少しもしない。多分レーはついてきていなかったのだ。

 上に引用した文章を原佑氏の訳を参考にして訳してみよう。

> わたしがこの短い叙述を読むとき、わたしには彼(=ニーチェ)自身の姿が目の前に見えるのだ。つまり、イタリアから出発してスイスを通ったある数人一緒でした旅の間に、わたしと一緒にルツェルンの近くのトリープシェンの宝、つまり彼がワグナーと共に数々の忘れがたい時を過ごした場所、その場所を訪れた時の彼の姿が目の前にありありと見えるのだ。長いこと、長いこと、彼はものを言わずその湖の岸辺に坐って、数々の重たい思い出の中に沈んでいた。それから、ステッキで湿った砂の上に線を描きながら、低い声で彼はあの過ぎ去った時代について語ったのだった。そして彼が目を上げた時、彼の目には涙があふれていた。(拙訳)

 ルー・アンドレアス・ザロメの『ニーチェ』は、彼女のニーチェに対するいろいろな錯誤にもかかわらずそれを補って余りのあるまことに優れた著作であるように見える。ことにこの本の最後に示されるニーチェ理解には、今日に至るまでまだ誰にも凌駕されていない深みがあると思う。ニーチェ自身それを読んだならば、きっと感謝をしたことだろう。

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