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「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ

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「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ
ブログ紹介
世界という大きな書物の中に見出した
かげろうのような一瞬の思い、
ポエジーを、
少しずつまとめてみたいと思っています。
文字による学問の外
 (文書への信奉の外)
デカルトより、さらに兼好に近く
兼好より、さらに芭蕉に近く
愚なること、無学なること、誰にも劣らず。

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Twitterと Facebookをはじめました。
http://twitter.com/mnnakajist
http://www.facebook.com/index.php#!/masatsune.nakaji
これらは私からのメッセージです。わたしからのメッセージにはどれも「瀬谷こけし」のイメージがついています。
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私の「なりすまし」にご注意下さい。そのサイトは以下です。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/tad77/ (「h」省略)
ttp://ameblo.jp/designjimusho/ (「h」省略)。

蠅のような存在です。間違ってメールなどを出さないようにご注意ください。
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《トリープシェンのルーとニーチェ》

2018/04/27 01:34
瀬谷こけし

トリープシェンの湖畔 (ルツェルン湖)
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 1882年5月のおそらくはじめごろ、ニーチェはおそらくルーと二人きりでトリープシェンに行っている。ルーはその時の記憶を著書の中で次のように書いている。

>> Wenn ich diese kurze Schilderung lese, dann sehe ich ihn selbst vor mir, wie er , wärend einer gemeinsamen Reise von Italien her durch die Schweiz, mit mir das Gut Triebschen bei Luzern besuchte, den Ort, an welchem er mit Wagner unvergessliche Zeiten verlebt hatte. Lange, lange sass er dort schweigend am Seeufer, in schwere Erinnnerungen versunken; dann, mit dem Stock im feuchten Sande zeichnend, sprach er mit leiser Stimme von jenen vergangenen Zeiten. Und als er aufblickte, da weinte er.<< (Lou Andreas-Salomé, 1894, S.87)

 ルーがここで「短い叙述」(kurze Schilderung)と呼んでいるのは、1882年7月16日のタウテンブルクからのニーチェの手紙に書かれているワグナーとの関係についての記述のことである。そこでニーチェは、「上級協会顧問」ワグナーから『パルジファル』の献呈本が届いたその時、自分が送った『人間的なあまりに人間的な』が彼のところに届いたという決定的な出来事について述べ、その時「すべては明らかになった、だがすべては終わった」ことを体験したと記している。その手紙を読んだとき、ルーはこの5月初めにニーチェと二人で行ったトリープシェンでのニーチェの姿をありありと思い出したというのである。この時パウル・レーも母親とともにルツェルンにいたはずなのだが、情景の記述の中ではレーの気配は少しもしない。多分レーはついてきていなかったのだ。

 上に引用した文章を原佑氏の訳を参考にして訳してみよう。

> わたしがこの短い叙述を読むとき、わたしには彼(=ニーチェ)自身の姿が目の前に見えるのだ。つまり、イタリアから出発してスイスを通ったある数人一緒でした旅の間に、わたしと一緒にルツェルンの近くのトリープシェンの宝、つまり彼がワグナーと共に数々の忘れがたい時を過ごした場所、その場所を訪れた時の彼の姿が目の前にありありと見えるのだ。長いこと、長いこと、彼はものを言わずその湖の岸辺に坐って、数々の重たい思い出の中に沈んでいた。それから、ステッキで湿った砂の上に線を描きながら、低い声で彼はあの過ぎ去った時代について語ったのだった。そして彼が目を上げた時、彼の目には涙があふれていた。(拙訳)

 ルー・アンドレアス・ザロメの『ニーチェ』は、彼女のニーチェに対するいろいろな錯誤にもかかわらずそれを補って余りのあるまことに優れた著作であるように見える。ことにこの本の最後に示されるニーチェ理解には、今日に至るまでまだ誰にも凌駕されていない深みがあると思う。ニーチェ自身それを読んだならば、きっと感謝をしたことだろう。

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《二コラ・プッサンのフローラ女神 「破顔一笑」の心を》

2018/04/23 11:53
瀬谷こけし

 今年の春はこれまでになくさくらの花の花見を楽しんだ。「花見を楽しむ」というのはわたしの場合、気を入れて桜の写真を撮ろうとしたということなのだが。昨日写真の整理をしていると、2013年には4回も芹生の花山の写真を撮りに行っている。4月19、21、25、28日だ。山に浅く薄い色がつきそめたころから、濃厚な日差しの中激しい最期の色合いを示すようになったころまで。その時季その時季に美しい姿というものはあって、どの姿が一番美しいということは言えないが、咲き初めるころというのは独特なものがある。淡い色合いの中つつましく清楚に。こんな咲き方は二コラ・プッサンの春の捉え方とは違うのだろうか? 彼は一瞬にして、花が突然ほころぶような春の到来を描いている、と思う。日本の言葉を探せば「破顔一笑」になるだろうか。突然ゑまひに咲く春の表情だ。こんな笑顔(ゑかほ)というものもあるものだ。

 一昨日の日本歌人京都歌会のわたしの詠草:

> 瞬間に破れて笑みの花と咲くニコラ・プッサン春の女神(フローラ)よ
  *「(フローラ)」は「春の女神」全体のルビ。

 わたしとしては気に入りの一首なのだが、点は入らなかった。



写真は『フォローラの王国』、パブリックドメインから。
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《八丁平にまた行きたくなった》

2018/04/22 19:35
瀬谷こけし

 あのさわやかな空気感。穏やかで滋養があってそして透明感のあるあの空気。写真の整理をしていてそんなことを思う。最初に行ったのが五月の九日だった。その後何回か行ったが、台風の土石流で登り口手前の道がふさがってからは一回しか登っていない。もう四駆でなくても行けるように回復されているのだろうか。四駆が手元にないのでちょっと億劫になる。バイクで行こうか? 連休明けで時間ができたら行ってみたい。(写真は2013年のもの)


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《Ars Apollinaris 楓 2014年12月9日》

2018/04/21 05:02
瀬谷こけし

 これらの写真を見ていて、わたしは思いもかけない芸術理念に思い当ってしまった。それは言うならば「アポロン的芸術」。何ということだろう。わたしはこれまでディオニュソス的な芸術しか考えたことがなかったのだ。美的関心の流れの中で光の中に浮かび来るもの。それがこの芸術性格だ。---ああ、やはりアポロンを理解しなければならない。しかも生の、時間という、かくも不吉なるものたちの《おのれ》へと向かう怒涛なす流れの中で。

「米流時評」さんに献ず
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《黒田百年桜 2018年4月19日》

2018/04/21 00:40
瀬谷こけし


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 芹生花山を見た後で、近くの水汲み場で10リットルだけ若水汲みをしてきた。そしてそれから黒田の百年桜を見に。「おーらい黒田屋」にあまり他所からの客はいなかったが、勧められるままに弁当をもらい、そして草餅とほうれん草を買った。いつもたいていここにいる前田さんの姿はなかった。今年の「桜まつり」は21、22日の土日だと言うが、これは一週間遅かった。
 昼食後百年桜の写真を撮り、それから隣の松月桜(淡いピンクの八重の桜)の写真も少し撮って、駐車場にもどると、懐かしい顔に気づいた。吉田さんだ。お父さんの晴吉さんにはずいぶんお世話になったが、息子さんとも親しくなった。飛騨の小坂の方で5年ほど仕事をしていたということで、飛騨や信州の山のことにも詳しい。そのころ信州の農家ではさすがに農作業には使っていなかったようだがまだ牛を飼っているところもあったと言っていた。黒田でも馬喰がやってきて、昔は田仕事を牛を使ってやっていたという話を(前田さんをはじめ)別のひとたちから聞いていたが、20年程度の年齢の違いで生活の形がずいぶんと変わってしまうものだ。---思い返すと、去年百年桜を見に来た時には、吉田さんと会わなかったのだ。だから二年ぶりのことだったのだ。
 黒田の食べ物はとても美味しいが、今年は草餅の餡が少し少なくなっていた。小豆が不作だったのだろう。

百年桜
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松月桜
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百年桜
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《芹生花山 2018年4月19日》

2018/04/20 00:49
瀬谷こけし

 もう遅すぎだろうなと思いながら貴船から奥へ芹生に行った。まず驚いたのは料亭「芹生の里」の桜が立派に見ごろに咲いていることだ。京都市内と比べて考えればもうすべてが散っていてもおかしくない時期なのだが。山里の花の時間はよく分からない。そしてここがほとんど散りかかっているころに芹生の花山は見ごろを迎える。---そして着いてみると、美しい時季だった!
 今回は画質重視に考えていてきちんと三脚に据えて、感度をISO100の画質が最良になるはずの設定にして撮っていた。--これでもいまいちのところを感じるが、それはレンズの解像力が足りないせいだろう。もっと高解像力のレンズがほしい。あるいはまたシノゴで撮ることを考えた方がいいのだろうか。どちらも簡単ではない。
 写真41枚。


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《五台山 諏訪の和四郎の獅子彫刻》

2018/04/17 23:20
瀬谷こけし


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 この8枚の写真は春の高山祭五台山の車輪隠しの上の和四郎の獅子彫刻。4月14日の撮影。一枚と言えば最初の一枚だけで充分だと思う。この圧迫感、眉、鼻、唇、顎の立体感と、こちらを見て引く気配を微塵も見せない目の表情、体全体の動体感もこの目による圧迫感に加勢している。少しのゆるぎもない。諏訪の立川和四郎を語るためにはこの写真一枚で十分だろう。
 二枚目の写真は顔の下に少しスペースを取ったが、それだけで表情全体がやや和らぐ。わたしが真正面に動きながらほんの少し間を取ったせいだ。この少しの間がほんのすこしだけ安心感、何かができるかもしれないという感覚を生むのだ。
 それにしても恐ろしい気迫だ。この気迫を覚えていれば、谷口与鹿の作物と間違えることはないだろう。---与鹿の本領はこの和四郎の圧迫してくる気迫とはまた違う所にあるのだ。それについてはまた後に語ろう。





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《国府の桜まつり》

2018/04/17 11:25
瀬谷こけし

 今日(4月16日)は京都に戻る日だが、昼前に国府に行って、先日左岸の道を通り過ぎただけで戻れなかった宮川右岸の桜を見ておこうと思った。ここを見ておかないとどうしても心残りになりそうに思ったからだ。飛騨地方はまさに今が桜の見ごろだ。広瀬の交差点から入り右岸の通りを北から下がってゆくと幅50m、長さは400mぐらいに囲まれた区域があり、その外からでも桜が美しい。車を空きスペースに停めて撮影をしていると、前方(南方向)に西に折れて入ってゆく車がある。駐車場があるようなので、そちらにゆくことにする。平日だけに駐車場はまだだいぶ空きがある。近いところに止めて桜園になっている北の方に歩いて行った。ひとも混雑していなくて桜を見るには好適だ。そして、ここの桜は色合いや花の付き方の違うものがいろいろあってわたしにはとてもうれしい。それらのいろいろな重なり方を楽しめるのだ。川側の一部には並んで連翹も花開いている。あるいは桃の花もあるかもしれない。隣接しながら重なり合ってとても美しいのだ。---わたしは、単色に並ぶソメイヨシノの並木が、嫌いと言うわけではないが、そんなに好きではない。揃えるのではなくそれぞれがおのれ自身の色に花開いていってほしいと思うのだ。いろいろな種類のさくら。ここではそれが楽しめる。


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《盗人神社の桜》

2018/04/17 02:13
瀬谷こけし


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 飛騨地方は春のさかりで桜がだいたい満開を迎えている。この神社の桜もちょうど見頃だった。
 この神社、むかし盗みをした男がここに隠れて探索の手を逃れたという。ご利益のある神社だったようだ。京都の下賀茂神社の摂社という。


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《萌えそめる山の木々》

2018/04/17 02:05
瀬谷こけし

 まだほとんどが裸木のなかに、上枝の上の方だけ葉芽を開きだしている木々がある。帰路のせせらぎ街道は飛騨の西ウレ峠から高度が下がってゆき、山々にそんな初々しい色がつきはじめていた。うぶ毛のような若い新芽の色。そこに、そこだけ日の光が当たって、そこだけ浮き立っている樹冠が見えたりする。山襞の形によって、陽光がそこだけ豊かに恵まれるところがあって、そこの木だけが先だって伸びてゆくようだ。その木が照らされて、早く育ってゆくようだ。ぽつりぽつりそんな木が見える山の姿は、その色が淡く薄いだけに、ことのほか美しく見える。山桜もときどき花姿を見せてくれる。この季節、このごく短いこの時、この瑞々しい季節。今ならせせらぎ街道にそんな姿の山をいくつも見出すことができる。
 (フルスクリーンにしてご覧ください)


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《臥龍桜》

2018/04/16 02:13
瀬谷こけし


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 飛騨では有名な桜なのだが、開花しているのを見たのは初めてだ。言葉からすると一体の龍が臥せって長い体をうねらせているというイメージなのだがはじめ少しその名前の由縁がわからなかった。はじめは桜の幹が地を這うようにうねっているさまを想像していたが、この桜は残念ながらそうではない。わたしの見るところでは、桜の二本の幹が枝を伸ばし花をつけたときその花の全体が這いまわる龍の身体のように見えるということなのだ。だから言ってみれば、龍は開花している時にしか姿を現さない。
 しかしとはいえ見事な古木。歳を経た幹の立派さ、枝の屈曲の力強さなど、厳しい年月に打ち勝って生きてきた木の立派さはなかなかのものだ。それが春の開花の日々にはおのれの今年の晴れ姿を示してくれるのだ。---見れてよかった。
 今日は羚羊まで姿を見せていた。


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《キュルノンチュエCurnontue》

2018/04/16 00:21
瀬谷こけし


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 高山に『キュルノンチュエ (Curnontué)』という名のソーセージの店がある。評判の高い店なので、時間をとって行ってみた。写真はその店舗の天井に吊るされた「白カビ熟成乾燥ソーセージ」。試食させてもらった、そのじっくりと、ゆっくりと塩味の効いてくる感じが抜群に美味しかった。他にもサラミとかソーセージとか、肉加工製品がいろいろ。いくつか買って帰った。

 ただ日本語をカタカナで表記すると、「チュエ」が [tuer] なのか [tué] なのか、「キュル」が [cur] なのか [cul] なのか、わたしのような料理に関するフランス語をほとんど知らない人間にはわからなくて、ちょっと誤解気味だった。

 夕食には燻製の鶏肉をサラダに加えていただいたが、肉味のすなおさ、燻製のすなおさが感じられ、オーソドックスな味で、とても美味しかった。

 きっと日本のどこにも負けない店だろう。パンの『トランブルー』とともに、高山市は世界でも高水準な食の楽しめる町になりつつあるようだ。







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《高山祭恵比須台・手長足長》

2018/04/15 04:31
瀬谷こけし


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 春の高山祭はわたしには何よりも年に一度だけ和四郎と与鹿の二人に出会える日だ。こんなにこころ踊る日はそうめったにない。だが今年は午後から雨という予報が出ていて、前日には高山入りしていたものの少なからず不安があった。夜祭は多分中止だと見当がついたが、昼前からの日枝神社前の曳き揃えに屋台がちゃんと出るのかどうか、そこのところが気がかりで、期待がちゃんと膨らまなかった。カメラやレンズの準備ももうひとつすっきりできなかった。もってゆくカメラも一台にしてレンズもメインはマクロも撮れる200mmの単焦点のもの一本にした。このレンズはもともとはスズメバチなどの昆虫用に用意したのだが実際にはあまり使っていなかったので、使い慣れにも不安があった。それに朝から曇天、気持ちがなかなか乗らず、祭囃子の音も聞こえず、事前の情報収集もまったくしないまま、昼食後ともかく見に行くことにした。屋台が出ていなければ散歩でもいいというつもりで。

 行くと、陣屋前はからくりを見ようと集まった人であふれて、規制もされて、とても入れる状態ではなかった。まずは前の時よく見れなかった神楽台の与鹿の彫物を見たかったのだが、それはあきらめた。とするとどうすればよいのか、和四郎の獅子をしっかりと見ておきたいが、その屋台がどこにいるのか。よくわからないまま日枝神社前の曳き揃えを見に行った。屋台がちゃんと出ていて随分とほっとしたものだ。そして、見つけた麒麟台の子どもたちが遊んでいるあの彫物を、少し時間をかけて見ていた。一つ二つ発見があったがそれは別に記そう。今日一番ちゃんと見てやれと思っていたのが与鹿の手長足長の像だった。

 この手長と足長、気になったのはこの二人の関係はどうなのかということだった。手長はなにか憤慨しているように感じる。そして足長は嘲笑的なところがある。これは多分二人の関係がそうなのだ。そして手長の手の伸ばし方。腕の先のなにやら組んでいるような手の表情は、「おれに長い長い弓を与えよ、そうすれば江戸の城下にも矢を射こんでみせる」と言っているようだ。弓があれば弓を引こう、そういう腕の伸ばし方のように見える。そうなればしかし大したことだ。自分のことを上から見下ろしていつも嘲笑している足長など何ほどのこともない。速く走れるとか、高いところに手が届くとか、門や垣根の上を簡単に越えられるとか、その程度のことだ。その程度のことでうまく酒代を稼いで偉そうにしている、それだけの奴にすぎないのだ、と。だが残念なことに手長に弓を与えてくれる者がいない。それが手長の憤懣するところだ。---そのような二人の関係。

 そういう関係を保ったまま、特にたいした解決もなしに、二人を戦わせながら、屋台は町中を運ばれてゆく。晴れやかな春の祭りの空間の中へ。



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《京都大原の枝垂れ桜》

2018/04/13 03:33


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 南から行くと大原の入り口にあたる交差点の少し北にファミマがある。何かと便利で、また駐車場も広いので北へ行くときは時々利用する。今日もここで軽く昼食を取ることにした。おにぎりと飲み物。そして外にはテーブルと椅子がいくつかあるのだが、今日は車の中ではなくそこで食事をすることにした。ちょうど枝垂れ桜の下になる。こんな枝垂れ桜の下で食事なんて、なかなかそんな場所はないと思う。そして食事をしながら、カメラを向けてみる。とても美しい色。美しい姿。ファインダーに映る花の姿は肉眼で見るよりも美しいと思う。

 食事をしながら、そして食事が終わってからも、魅せられて、10枚ほど写真を撮った。ああ美しい。


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《八瀬の新緑》

2018/04/13 02:56
瀬谷こけし


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 昨日今日ととても好い日だった。天地の自然がのたりまったりしていて物事をあわてて進める必要がないという安心感。もうあの寒い季節にもどる危惧はない。野山もそう安心して春のなりわいを始めている。

 今日は車で高山へゆくことに決めていたので、昨日で七分咲きだという黒田百年桜、そして例年それに少し遅れる芹生の花山桜を、もしかしたら今年は見られないかもしれないというおそれはあっても、予定は変更せずに高山に向かった。道中をいろいろ楽しみたかったので、高速には彦根から乗ることにした。

 それでまず車を停めたのが八瀬のさみどりに萌えそめた山々。30年前には五月の初旬に萌え始めていたものだがそれに比べれば今年はニ三週間早い。そしてこの美しさは一週間と続かないものだ。山の木々もこの好き日々をおのづからとてもよろこんでいるに違いない。そんな山々の姿だ。この姿を目に、そしてこころにとどめておかなくてはならない。





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《マイマイ 2012年7月3日》

2018/04/11 02:22
瀬谷こけし


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 造形大構内ではまだ時々見かけたがもうほとんど見ることがなくなったカタツムリ。

 これのことはマイマイと呼ぶし、「まいまいつぶり/ろ/ら」という呼び名もあるようだ。確か『梁塵秘抄』にはマイマイが出ていたから鎌倉初期にはあった呼び名だ。この呼称、ひとがそこに「舞い」を見たからつけられた名であろう。とするとそのどこに「舞い」があるのか? マイマイムシと言えばミズスマシのことでこれはその軽(かる)やかな動きに「舞い」を見たのはわかる。カタツムリは? 殻の回転模様にか? だが彼自身が回転(スピン)するわけではない。マイマイの舞いとは何なのだろう? 多分彼のすり足なのだ。彼は音も立てずにすり足して進む。そしてすり足と同時に傘を持って動く。この姿は傘を回していると見えなくもない。あるいは、手に持つ傘ではなく、藤娘のように頭に載せる笠か? それならばなおのこと笠を手に持ってすり足で動く藤娘はマイマイの動きに似てなくもない。というより、カタツムリこそなかなか見事な舞いを舞っていて、舞踊の方がそのカタツムリの舞いを取り入れたのか? むしろそちらが本当ではないかと思う。今度見つけたらカタツムリの「舞い」をじっくり観察してみよう。

参考:「藤娘」
https://youtu.be/KhE9A-CfDCs



触角(ツノ・ヤリ)のところは藤娘の舞いの手に取る「藤の枝」に似ているように感じます。笠を着けた藤娘の舞いを上から見るような。逆に言えば(藤娘は)藤枝を触角にして舞っているという印象があります。

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《小岩井農場へ 2012年7月8日》

2018/04/11 02:06
瀬谷こけし


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 文化環境演習(花巻)で小岩井農場へ。この科目を始めた時から岡沢敏男先生のご案内で小岩井農場の見学をしていたが、この年はもっとも成功した年の一つだったと思う。天気も良かった。小岩井駅から歩いて、賢治が「小岩井農場」の詩で書いている通りの道を通って農場に入りって旧農場本部から四階建て倉庫や狼(おい)ノ森や賢治碑などを見学して、農場でジンギスカンなどの食事をとって講義。その後鞍掛山の麓まで行ってそこの賢治碑も見てから5時前に盛岡駅に帰りそこで解散。そんな日程だ。希望者はその後花巻に戻り、鉛温泉の藤三旅館自炊部に泊まって翌日なめとこ山に登る。そんなプログラムだ。岡沢先生の案内も毎年工夫を凝らし、説明も豊富な研究成果から、学生の質問に応じて濃淡をつけて説明して下さる。この年は農場に向かう細道の右手に昔はここに競馬用の馬場があったのだと説明してくれたのが新しかった。
 何と言っても小岩井農場の豊かさと、岡沢先生の人柄や豊かさ、そして賢治の格闘や学生の感受性などいろいろな要素が絡むが、毎年その都度こころの満たされる授業だった。



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《雑草と空 2011年10月25日》

2018/04/10 11:06
瀬谷こけし

 ススキの穂が開き始めたこんな瞬間はこの時初めて見た。その後もあまり見た記憶がない。穂の色の赤さが鮮明だ。そしてその出始めた穂に容赦なく絡みつく葛のつる(蔓)。それは無情にして無慈悲なものだ。無明がこの生き物の世界の源にあると釈迦ならずとも感じ取ることができる。時刻は午後の4時過ぎ。空も激しく動く。


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《黒びとの流れ 2011年12月11日》

2018/04/10 10:39
瀬谷こけし


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 この前日夜品川のホテルでIWJ主催の「饗宴」が開かれていた。朝の7時まで徹夜で二次会三次会で話し込んでいた。一次会では矢ケ崎先生と、二次会では名大の小型水力発電の先生と、そして三次会ではIWJのスタッフの方たちと話したのをよく覚えている。他にもお名前を忘れてしまった方何人もと話していた。その夜は皆既日食の日で、朝の5時半ごろ二次会が解散になるとき、帰られる孫崎先生の袖を取ってあの月は皆既月食だった月だよとまだ一部暗くなっている月を指してお教えしたのが強く印象的に残っている。岩上さんをはじめほとんどの参加者が今日までこころざしを曲げることなく、原発のない安心のできる日本をこころの一部に懐いて仕事をしている。亡くなった方もいるが。
 そして翌日(11日)は渋谷に岡本太郎の壁画を見に行った。その右上の川のようなものに流れる人々、宮沢賢治の「青びとの流れ」に近いイメージを感じる。言ってみるなら「黒びとの流れ」か。熱火に焼かれて川に飛び込んで死んだ人々のイメージだろう。東京空襲以上にヒロシマ、ナガサキで焼かれた人々を描いているように見える。人類の恐ろしき未来を暗示するかのように。

◇   ◇   ◇

矢ケ崎先生には、その前の11月に沖縄に行った時、那覇空港の放射線量がかなり高く、空港から離れると数値が下がっていったことをお伝えして、それがなぜなのかということをお尋ねした。先生もそのことはご存じだったようで、被曝した人々が沖縄に多く避難してきていることを理由の一つとして推測されていた。データは多分手帖にメモしていると思うが、那覇空港はおもろまちの3倍近い数値だった。沖縄も放射能の安全地帯ではないことを確認した思いだった。


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《船引に 2011年10月22日》

2018/04/09 02:39
瀬谷こけし


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船引の民画家、故渡辺俊明氏の邸宅《蓮笑庵》の裏にある小山


 船引(福島県田村市)に行った。縁があってのことだ。何か復興に役立てることはないか、何が復興可能かということを見て調べて知って考えたかった。放射能測定器も直前に手に入れて行ったが、それはかなり精度の悪いものだった。船引は山に囲まれていて福島原発には30km程度と近いが、却って郡山市や福島市より放射能汚染は少なかった。発表される値でも約六分の一ぐらい。わたしが考えていたのは、高度な教育によるまちづくりのようなことだったが、市としてはすぐにそちらを向くということはしてくれなかった。まず原発事故によって変化した土地と人の現状を知るための市民大学講座のようなものから始める可能性はあったと思うし今もあると思うのだが、なかなか簡単には進まなかった。引き合わせてくれたひとはみな山に懐かれた場所のおかげということを強く感じているようだった。山はとりわけ片曽根山。
 この船引、あるいは田村という土地はわたしが初めて土着の文化、土着の芸能のすばらしさに目覚めさせられたところだった。祭りが生きていた。郡山に住んでいて、住み始めて三年をすぎてやっと目覚めた内発的な文化だった。片曽根山には何度も登り、京都からの来客があればまず連れてゆきたい場所だった。
 この原発事故の年の訪問でも片曽根山に(車で)連れて行ってもらった。だが山の上(特に東側)は測定してみるときわめて放射線濃度が高く、長居することなく急いで下に降りた。放射能汚染はとても無視や冗談や信心や楽観で片付くものではなかった。そして今もそうだろう。ある農園経営者は福島原発から風の通り道になっているところにだけ大きな異変があって、そこの山茱萸の木が枯れたと言っていた。測定してみるとそのあたりとりわけ数値が高かった。その農園経営者も、そして出会ったどのひとも、放射線計測器をもっておらず、自分で自分の住む土地の汚染の度合いを自分で測定する手段を持っていなかった。そしてそういう測定機器をみずから持とうとすれば持てるのだという認識にも欠けていた。その当時すでに安積女子高校では構内の汚染度を(教師の指導の下)生徒自ら測定し信頼性の高い汚染マップを作り世間に公開していたのだが。田村市ではみずから測定し、認識するという行動の話をまったく聞かなかった。---そういう市民による自己認識のために市民大学を開くことができただろうと思うのだが。わたしの提案はその後役立てられたのだろうか。その結果を聞いていない。
 ひとびとの頑張って生きてゆこうとする強さは感じられたものの、つらいことの多い旅になった。




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