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「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ

プロフィール

ブログ名
「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ
ブログ紹介
世界という大きな書物の中に見出した
かげろうのような一瞬の思い、
ポエジーを、
少しずつまとめてみたいと思っています。
文字による学問の外
 (文書への信奉の外)
デカルトより、さらに兼好に近く
兼好より、さらに芭蕉に近く
愚なること、無学なること、誰にも劣らず。

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Twitterと Facebookをはじめました。
http://twitter.com/mnnakajist
http://www.facebook.com/index.php#!/masatsune.nakaji
これらは私からのメッセージです。わたしからのメッセージにはどれも「瀬谷こけし」のイメージがついています。
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私の「なりすまし」にご注意下さい。そのサイトは以下です。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/tad77/ (「h」省略)
ttp://ameblo.jp/designjimusho/ (「h」省略)。

蠅のような存在です。間違ってメールなどを出さないようにご注意ください。
===
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《試験問題を作った》

2017/07/25 19:38
瀬谷こけし

 明日期末試験を実施するのだが、その問題を作り、大学へ行って印刷をし、そして問題・解答用紙を大学に預けてきた。これでずいぶんとほっとした。
 今まで前日に問題の印刷を終えたようなことは一度もなく、いつも徹夜に近い作業で当日に間に合うように問題を作成し、当日の朝大学の印刷機で印刷をしていた。今年はなぜそうしなかったかというと、明日返してやることにしている宿題の採点と記帳が結構重たいから。それと問題作りとを一晩でこなせる自信がない。問題作りは、結構練度のいる仕事で、問題形式を前年度と同じにする場合も個々の問題はすべて作り直している。授業でこれは覚えておけと言った問題はやっぱり出題してやるし、このくらいの問題はできてほしいと思う問題はずいぶんと工夫して作る。同じドイツ語の三科目の授業だが、それだけでほぼ丸一日かかる。担当している「応用」の一科目は、「訳して鑑賞せよ」という問題形式に決めているので、要は出題する一篇の詩を何にするかという選択と決定だけで、あとはあまり手がかからない。「入門」の二科目は30問のすべてを、どれも一題一題、考えて作る。そうやって作っても期待以上にできてくれたことはほとんどない。まあともあれこれで一段落。明日試験を担当して、それから採点し、評価し、成績評価を出すことだけだ。これでほっとした。そして終わってみると、このためにいろんなことを後回しにしていたのだということが分かってくる。返信やいろいろなお礼もそうだが、スイス旅行の最後の二日の(リルケの「秋の日」のようだ)宿の予約も、やっとこれから手を付けることができる。まあ明日は6時過ぎまで大学にいることになるので、動き出せるのは明後日から。それでも、これでやっと肩の荷が下りた。半分だけ。---採点と評価も結構手間も時間もかかるのだ。
 そして明後日から一週間後にはチューリッヒに向けて出発。
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《京都の散髪屋ビリケンの親爺さんの名言》

2017/07/22 01:20
瀬谷こけし

 今日、7月21日、久しぶりに散髪に行った。行くのは百万遍のビリケンさん。昔は京大教養部の東側の細い通りに「美留軒」という名の散髪屋をやっていて、西田幾多郎も通ったという店だったが、二年ぐらい前にここを閉じて、百万遍の店一本に切り替えた。親父さんは今も元気に散髪をしてくれる。学生時代は生協の床屋に比べて少し高かったのでほとんど行かなかったが、福島の郡山から戻って、滋賀県に住むようになってから25年余り、床屋といえばほぼここにしか行かなくなった。それは、エイズが流行し始めていたころ、ここは刃物を紫外線消毒していて、安心感があったということも大きかった。親爺さんももう80歳を少し過ぎたぐらいになるのか。未だに気力は立派なものだ。色んな話を聞かせてもらってきたが、百万遍に移ってからは、親爺さんの政談があまり聞けなくなったのは残念だ。それでも聞いた名言をどこかにとどめておきたい。
 親爺さんは自分の仕事に「床屋」という言葉を使わない。由緒正しく「散髪屋」と呼ぶ。これは多分非常に大事なことだ。
 それで、今日とどめておきたいのは次の言葉だ。一二年前、美容室で散髪をしてもらう男子が増えたころの話だ。美容室の技術やセンスもそれなりに褒めるのだが、ただ譲れない、誇りとする一線はあるのだ。

> 男の凛々しさは散髪屋でないと出せない。

 この言葉だ。立派な言葉ではないだろうか。男子一生の仕事としての散髪屋、その誇りと技を見事に言い表していると思う。後世に残しておくべき言葉だ、とわたしは確信する。

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《ジェノヴァの天気とタウテンブルクの空気》

2017/07/21 02:02
瀬谷こけし

タウテンブルクの野の草 2016年8月17日
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 1882年1月19日の手紙の中でニーチェは先の月々(つまり1881年11月12月あたり)のジェノヴァの天気を三つの言葉で称賛している<frisch, rein, mild>(新鮮で、純粋で、穏やか)の三語である。この三語で天気ないしは空気のよさを言い表すやり方は1882年8月24日の[KSB, 6, Nr. 287]手紙でタウテンブルクの空気を三語で言い表したやり方と似ているが、タウテンブルクについてニーチェはこう言っていた:<klar, mild, kräftig>。訳せば「透明で、穏やかで、力強い」というところだろうか。もちろん主語となっているのは「天気(Wetter)」と「空気(Luft)」で、言葉こそ違うが、言い当てようとしている対象は同じと言ってよいだろう。その両方の原文を紹介しておきたい。ジェノヴァの天気についての表現はバーゼルのオーヴァーベックに宛てた手紙の中のものだ。他方、タウテンブルクの空気についての表現は、ルー・フォン・ザロメ宛のもので、その時まで約三週間一緒にタウテンブルクにいたルーに、渡したか渡そうとしたものと考えられる。

A:
> Das Wetter der letzten Monate war der Art, daß ich nichits Schöneres und Wohlthätigeres aus meinem ganzen Leben dagegen zu setzen hätte --- frisch, rein, mild: wie viele Stunden habe ich am Meere gelegen! Wie viele Male sah ich die Sonne untergehen! [KSB, 6, Nr. 188]より
(先の月々の天気は、いわばわたしの全生涯を探してみてこれ以上に素晴らしく、元気を与えてくれるようなものがあったかと思わせるようなものでした。新鮮で、純粋で、そして温和でした。何時間もわたしは海岸で横になっていたものです! そしてわたしは何度太陽の沈むところを目にしたことでしょう! [拙訳])

B:
> Wie geht es? --- Es gab nie einen schöneren Tag in Tautenburug als heute. Die Luft klar, mild, kräftig: so wie wir Alle sein sollten. [KSB, 6, Nr. 287]より
(ご機嫌はいかがでしょうか? タウテンブルクでは今日以上に晴れやかな日は一日もありませんでした。空気が透明で、穏やかで、そして力強くありました。わたしたち皆もそうありたいものです。 [拙訳])

 このBの手紙でニーチェはルーの彼に対する「英雄主義(Heroismus)」という重要な批判に応答しているのだがその検討はまた別の機会にしたい。Aの手紙ではニーチェはオーヴァーベックにワグナーから遠ざかる気持ちへの理解を求めていて、その結びの部分でこのジェノヴァの冬の日々への称賛を語っているのである。
 穏やかで力強くそして濁りなく透明なタウテンブルクの空気と、穏やかで新鮮で純粋なジェノヴァの空気(天気)。穏やかさは共通しているが、透明で力強いタウテンブルクの空気と、純粋で新鮮なジェノヴァの空気と、どちらがより深い力をニーチェに与えるのだろうか。ジェノヴァの空気は彼に重たい疲労からの回復を与え、タウテンブルクの空気は新しい道を新たに前進して切り開いてゆく力を与えるように思うのだが、どうだろうか?


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《シューマン革命》

2017/07/19 00:44
瀬谷こけし

ホリガーのシューマンのオーボエ曲は、このブレンデルのピアノ伴奏のもの(1980年)とアントン・ケルニャックピアノ伴奏の《灰の音楽》(2014年)のものとの二つある。私は後者の方がはるかに良いと思っている。何回か聴くとわかるのだが、ブレンデルは曲を「陽」にむかうものとしてしか構成できない(まるでベートーヴェンのように)。だが、晩年のシューマンの音楽の抜きんでた特徴は陰と陽のデリケートな交代の繰り返しとしてしか世界は存在しないという実感を、その陰陽交代のきわめてデリケートな場に身を置いて描き出すことだ。この新しいシューマンの発見は、アンデルシェフスキ(ピアノ、2010年)、イッサーリス(チェロ、1996年)、そしてこのホリガー(オーボエ、2014年)によるものだ。
 このシューマン革命は極めて深いもので、わたしはそのためにグールド(グレン)の演奏を聴く気がしなくなってしまったのだ。
 上記の三名の音楽家の中で、最も感覚の深み(深淵)を感じさせてくれるのはアンデルシェフスキだが、最も安定して鋭く的確なのはホリガーだろう。イッサーリスについてはもっと聴きこんでからものを言いたい。






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《スイスへ、シルス・マリーアへ》

2017/07/14 12:16
瀬谷こけし

トリープシェンのワグナーとコジマの家
いつでも自由に使用できるようにと
この家の二部屋をワグナーはニーチェに提供していた
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写真と解説:ナウムブルクのニーチェハウス


 ほんとはどうやりくりしても海外旅行など無理なところだった。だから今年はほんとはもうあきらめていた。ところがいろいろと思いがけないことが重なって、野田のお祖父さん(清一郎)の遺産の分け前が少し入った。何十万円という程度だ。それで、それがあって、行けるかもしれないという希望が湧いた。しかし調べてみるほどスイスは物価が高い。ローマやベルリンのような節約旅行ができるわけではない。それでかなり絶望的な気持ちになっていた。そしてほぼひと月続いた体調不良。しかし一昨日でその病にもけりをつけるつもりで、晩はアヒージョにした。無理なく、おいしく食べれた。そして昨日は某大学の授業で、今日(体調不良で)一度あきらめてからはじめてネットを探し、フライトと宿を探した。ここ二三日円が高くなっていて、フライトは以前と変わらない値段で手に入れることができた。そしてスイスの物価高に対応するために、滞在日数を減らした。チューリッヒでもまずまず安めの宿が見つかって、予約した。シルス・マリーアでの滞在も5泊間に限ったので、まずまず。ニーチェ・ハウスの近くの宿にこれまで見たこともないような値段で泊まれる宿があって、予約した。十分歩き回れるだろう。
 これで旅行のメインは確保できたが、やはりバーゼルは欠かせない。しかしバーゼルでも、旧市街で、シャワーも共同という古いホテルだが、そこも確保できた。二泊。バーゼル大学も近い。

 だがそこから先はまだ決めていない。ヘルダーリンとの関係でもほんとはボーデン湖をゆったり見てみたいし、また逆にルツェルンの街やトリープシェンのワグナー記念館も見てきたい。帰りのフライトの前日はチューリッヒに泊まるしかないが、この難しい計算を解く解法はあるのだろうか? ともあれ、今回のスイス旅行は、野田のお祖父さんが、「勉強してこい」と言ってプレゼントしてくれたようなものだ。そう思って行ってきたい。



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《今宮神社》

2017/07/06 22:48
瀬谷こけし


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 薬のおかげで午後は少し体調が快復したので、昼食がてら東京から帰郷している下の娘と今宮神社へ行ってきた。娘は本当は南禅寺に行きたいと言っていたのだが、南禅寺は行くべきところが多いので、この暑さでと体調では歩き回りたくなかった。また尋ねると今宮神社のあぶり餅は食べたことがないというので、ぜひとも食べさせておきたくて、今宮に行った。

 今宮神社は以前やすらい祭りを調べていたころに何回も行たが、最近は滅多に行かなくなっていた。今回は病が長く抜けないので、人形(ひとがた)のお払いもしてもらった。阿呆賢石でもお祓いをしたので、これで病が抜けるかもしれない。広くはないがしっかりしたいい神社だと思う。

 それであぶり餅だが、今回は一文字屋の方に入った。庭の良く見える席に案内してくれた。あぶり餅もとてもおいしい。やさしい甘さが一串ごとに軽く疲れを癒してくれる感じだ。庭も、面白い表情のある石をよく集めたものだと思う。中央の立石は三尊佛の中心の石だと思うが、いろいろな石がそれぞれとても面白い。(例えば澄清庭園のような)いわゆる銘石とか(を集めたもの)ではないので、それぞれの石の楽しみ方がよくわかる。こうしたちょっとした庭こそほんとの文化だと思う。

 とてもよい時間を過ごせた。
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《拙詠一首:皇子フォーゲルフライ》

2017/07/03 18:54
瀬谷こけし

メッシーナの港
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 前にも紹介したことがあるかもしれない。
 拙詠一首:

> 海峡を白い鴎が群れて飛ぶ皇子(プリンツ)フォーゲルフライのあれが友たち


 去年の三月初めにシチリアのメッシーナで見た光景を詠んだものだ。シチリアではニーチェの『プリンツ・フォーゲルフライの歌』にまとめられた数編の詩を読み理解すべく力を尽くしていた。
 「皇子フォーゲルフライ」はニーチェが自分自身を象徴させた形象で、「フォーゲルフライ」とはいわばアンタッチャブルな存在、どこかで野垂れ死にをしても誰も手を貸すべからざる存在、鳥が食い尽くすままに放置される存在のことだ。そういう皇子であると、ニーチェは自分のことを考えていた。---こんなことも以前紹介したことがあるかもしれないが。

 しかし、メッシーナにとどまる日々の中で、ニーチェには新しい生き方に賭けてみようという気持ちが生まれて来る。それが、パウル・レーやルー・フォン・ザロメなどの新しい彼の弟子と言える人たちとの関わりの中で自分の思想を伝え、また発展させてゆきたいという気持ちだ。そしてこの気持ちを確認して(これは同時にワグナーと決別するということでもあった)ニーチェはローマに向かい、そこでレーやマルヴィーダ(フォン・マイゼンブルク)の推すルー・ザロメと会おうとする。1882年4月下旬のことだ。

 ニーチェの詩「皇子フォーゲルフライの歌」の中には、最後に若い鳥たちが出てくる。メッシーナではほとんど鴎を見なかったのだが、帰りの電車の中でかろうじて、数羽の鳥を見た。多くは浜にひとりで留まっている鳥だった、一回だけ数羽で舞う鴎を見た。ニーチェの思いが確認できた気がした。


 わたしもまた、ニーチェと同じように、新しい若い友たちを相手に、仕事を進めてゆくべきではないのだろうか?


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《橋本繁蔵》

2017/06/30 01:15
瀬谷こけし

 わたしが、飛騨人の生活と文化を読み取るための窓口として、橋本繁蔵さんに教わったことを最も深い手掛かりにしている、ということは何度も語ってきたことだ。実際2001年から、2011年まで11年間、毎年繁蔵さんにクマ狩りに同行させてもらってきた。そしてそのクマ狩りの期間(決して長くはないが)、毎晩繁蔵さんの家に寝泊まりさせてもらってきた。そして食事も三食とも一緒だ。
 そういう風にしてクマ狩り期間の中の何日かを繁蔵さんと一緒に過ごしてきた。その間に教えてもらってきたことはとてもたやすく語れるようなことではない。民俗にも、言葉にも、繁蔵さん自身の生い立ちにも関わることだ。その間、橋本さんの技や読み取りのの数々について、繁蔵さんの技の卓越については何一つ疑問を抱くようなところはなかった。男の中の男、猟師の中の猟師と呼ぶべき人物だった。
 その間一度だけトラブルがあって、関係が悪くなったことがあった。それは、狩りからの帰り、繁蔵さんが往復に使ったわたしの車(スカイライン)のなかで煙草を吸おうとして、わたしがそれを拒否したことだった。---その事件に含まれている問題については、科研費補助金による研究の報告書の中で書いた。『東アジアにおける人と自然の対抗/親和の諸関係にかんする宗教民俗学的研究』(課題番号 16320011)の中の「飛騨の熊猟から人間と自然の関係を見る」という報告書のことだ。その中でわたしは熊狩りにおけるリーダーの権力はクマ狩りをする山中においては絶対的なものであっても、平地での生活では制限を行う必要がある、という論点を提示したのであった。この論点はこれまで正しく提出されたことがなかったとわたしは考えている。
 その後、この報告論文を書いたこと、そしてわたしの方から和解のしるしのプレゼントをしたことで、わたしと繁蔵さんとの関係は修復された(繁蔵さんはその報告書を大いに喜び、もう一冊姉にもくれとわたしに求めた)。
 だが今ここで語っておきたいのはもう一つのことだ。それは2011年2月に以後修復されることなく橋本さんとの関係が絶たれた理由のことだ。もう猟期も最後になろうという日の夜わたしは繁蔵さんに、飛騨での学問の分野で一番信頼しているのは誰だ、と問われた。わたしは何のためらいもなくある先生の名を上げた。その方の名前も、人物も、評判も知っていて、その人物で間違いないと繁蔵さんは言った。そしてその人物を自分は信用しない、と言った。---繁蔵さんがその人物をほんとうに直接知っていたのかどうか、そして何をもとにその不信感を懐いたのか、その辺のことをわたしは突き止めることができていない。あるいは猟師仲間からの風評にすぎない事だったかもしれない。あるいは実際上の細かな利権に関する問題かもしれない。だから何をもって繁蔵さんはその方への不信をぬぐい難くしたのかを知らない。だが、そのことに関してもう議論の余地はなかった。
 わたしはその時その晩、すべての荷物をまとめて繁蔵さんの家を出て、妻の実家の方に泊めてもらうようにする他はなかった。これまでの恩義に対して礼を言って、わたしは橋本邸を後にした。それ以後、彼に家に行ったことは一度もない。
 それからニ三年ほどして、彼の訃報を聞いた。わたしは京都から車を走らせて彼の葬儀に参加した。


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《ロベルト・シューマンの風景》

2017/06/20 23:00
瀬谷こけし


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 シューマンの風景が最近急に変わりつつあるように思う。演奏で言えば、アンデルシェフスキの《早朝の歌》op.133、イッサーリスの《チェロ協奏曲》op.129、ホリガー解釈の《早朝の歌》、《カノン形式による6つの小品》op.56、《3つのロマンス》op.94、ケルニャック&ロイツィンガー《ヴァイオリンソナタ第1番》op.105など。他にも何曲か上げられるだろう。シューマンの最晩年の(と言っても40代の)曲が理解され、弾かれるようになってきたのだ。---これは驚くべきことだ。それによって、私的に述べさせていただくなら、バッハを聴いて喜びと満足を覚える世界観が崩れてしまうようなことなのだ。---ほとんど鬱病の底とも言うべきメンタリティーが確実に理解され、広がり、そして絶望的な非常に苦しい葛藤の細部にまで光が当たるようになってきたのだ。シューマンの偉大さ…。
 それとともにシューマンが、ヘルダーリンと非常に近いところで発見されてきたのだ。
 ホリガーは、ロベルト・シューマンが1853年11月初旬(エンデニヒの精神病院に入院する4ケ月前)に書いた「チェロのためのロマンス」をクララが1893年にブラームスの助言を受けて焼却してしまったことを重視する。---なんという犯罪! 

 しかし、何にせよ、先述の演奏者たちによって、最晩年のロベルト・シューマンの音楽が理解され、聴きうるようになったことを、わたしは喜びたい。



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《眉山より一首》

2017/06/18 06:39
瀬谷こけし


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 昨日(6月16日)ほぼ二回目の徳島。一回目は徳島大学で関西哲学会があったとき、食事のできるところを探して、先輩二人について町を歩いて、結局いい店が見つからず、ホテルに戻って夕食にしたという話。そのとき眉山が心に沁みついた。
 今回は、京都を出るのが遅くなって、四国村には間に合わなくなったので、まずは眉山を目的に徳島に行った。

 眉山の上から下の街の暮れ行くさまを見ていた。

 拙詠一首

> 眉の山眼下の街の暮れゆくを見つつぞあらむ世の終わりまで


 能因の象潟歌に似ているかもしれない。


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《この夏》

2017/06/12 21:39
瀬谷こけし


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 今年の夏はシルス・マリーア(スイス)に行こうと思っている。ニーチェが『ツァラトゥストラ』第二部を書いたところに、同じ時期に行っておきたいからだ。シルスに一週間ほど泊まりたいと思っている。今年の春はラパッロ(イタリア)を逃してしまった。そこは10日ほどで『ツァラトゥストラ』第一部を書いたところ。去年8月のタウテンブルクから、あるいはローマのサンピエトロ聖堂から、あるいはメッシーナから、あるいはジェノヴァから、オルタ湖畔のモンテサクロを経て、134年前のニーチェの足跡をたどりたいから。とりわけルー・フォン・ザロメとのつながりと距離とをできるだけ的確に押さえたいと思っているからだ。シルス・マリーアは1881年8月はじめの永遠回帰の体験の場所でもある。ルーと共有していた思想(生と大地の思想)を離れ、永遠回帰の体験こそを自分の思想の本源として確認するために、1883年の夏はシルスに行ったのではないだろうか。そこで『ツァラトゥストラ』第二部を書くのだが、それは第三部の永遠回帰の思想を打ち出すための準備でもあり、整理でもあっただろう。
 それで飛行機を探していると、想定していたバーゼル行きのフライトの本数が少なく、そのため割高になってしまう。こうなるとチューリッヒ着・発で動いた方が割安だ。だがバーゼルは是非行っておきたいので、(そしてできればルツェルンも、そしてイタリアのコモ湖のあたりも)いったいどんな風に予定を組めばいいだろう。1882年の5月に、ニーチェはいったんバーゼルに戻って、それからルツェルンで(ルーたちと)再開している。ルツェルンはニーチェにとって、ワグナーと親密に過ごしたいわば彼のアルカディアだ。そうしてニーチェの土地との関係を掴んでゆきたい。ローマのポリベリエラ通りで、サンピエトロで、オルタのモンテサクロで、タウテンブルクで、ライプツィッヒで、そしてベルリンのグリューネヴァルトで、そうした土地に対するニーチェの感覚をわずかなりとも掴んできた。今年はシルス・マリーアで、そしてスイスの幾つかの場所で、掴んできたい。シルスとバーゼル、とりわけこの二か所。



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《ヘルダーリンとシューマン》

2017/06/11 23:01
瀬谷こけし


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 ロベルト・シューマンの曲と同名の《早朝の歌》という曲の第一曲で、ハインツ・ホリガーはシューマンの《早朝の歌》(op.133)の第一曲にヘルダーリンの最晩年(1843年)の「春」の詩を重ねて歌わせ、ひとつの驚くべき音楽世界を作っている。シューマンのその曲はあたかも日の出の時の荘厳さを音楽にしたような曲だが、しかしその日の出のように見えるときはわずかに4小節しか続かず、それは明るい日中につづくことなく、すぐにもとの暗闇に戻ってゆくような趣きの曲なのだ。

 ホリガーの解釈では、その力強い荘厳な日の出の4小節は、ちょうど「Aus Höhen glänzt der Tag」の詩句と重なり、この重なりによって、その「高みから」(Aus Höhen)という異次元の、異世界から与えられる一瞬の特異性を強調し、異界からの輝きのないその後のその余の時間の暗さ、つらさを描いている音楽として、シューマンのこの曲の一貫した解釈を提供している。

 シューマンが晩年ヘルダーリンに惹かれていたことは知られているが、この最晩年の「春」の詩を、《早朝の歌》の解釈に導入したホリガーの鋭さにはまことに驚嘆させられる。
 ここに確かにヘルダーリンとシューマンを結びつけるひとつの碑が築かれている。


 以下、「春」詩の原典とその手塚富雄訳、そして拙訳を上げておく。私にとってはいまだ二か所、文法的な整合性が確認できていない箇所があるので、拙訳については試訳と理解しておいていただきたい。誤りなどご教示いただければ幸いです。


Der Frühling

Die Sonne kehrt zu neuen Freuden wieder,
Der Tag erscheint mit Strahlen, wie die Blüte,
Die Zierde der Natur erscheint sich dem Gemüte,
Als wie entstanden sind Gesang und Lieder.

Die neue Welt ist aus der Tale Grunde,
Und heiter ist des Frühlings Morgenstunde,
Aus Höhen glänzt der Tag, des Abends Leben
Ist der Betrachtung auch des innern Sinns gegeben.

Mit Untertänigkeit
d. 20 Jan. 1758. Scardanelli.

http://www.textlog.de/17887.html




(手塚富雄訳)

太陽は新しい喜びへ立ち帰り
日々は花のように かがやいて出現する、
自然のよそおいは心をたのしませ
あたかも歌声が起こったようだ。

新しい世界は谷々の深みから生まれ出、
春の朝は時ごとに晴れやかだ、
高みからは真昼はかがやく、夕べの生は
内なる思いのためにも与えられている。

                 敬白
1758年1月20日       スカルダネリ
(1843年に成立)



(拙訳・試訳)

太陽が再び戻ってきてうれしい、
日々には陽射しがともない、花咲くように見える、
自然の装(よそお)いは、ひとの心には、あたかも
歌や声が生まれて来たかのようにみえる。

新しい世界は谷々の底から生まれ、
春の朝の刻々はとりわけ晴れやかだ、
昼の日は高みから輝き、夕べの生にも
考察によって内的な意味が与えられる。




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《日本歌人2017年7月号草稿》

2017/06/06 11:39
瀬谷こけし


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ザーレ川、2016年8月15日, at ナウムブルク



○ベルリンにゆく準備にも欠せないジョルジュ・ムスタキ〈異国の人〉

○世の民にニーチェといふは恐しき人昔アリストテレスは豚を黙らす

○Hirschentraum(ヒルシェントラウム)といふ菓子のあり鹿たちの夢ほぼ食べつくす

○啄木とともに遊びに来たかりしはむしろSaale(ザーレ)の川の川柳

○忘れよとNietzsche(ニーチェ・) Bank(バンク)は語り継ぐやさしい風のわたり来るゆゑ

○葉と葉と葉かさなるゆゑの密の絵か描きて森は涼をし賜ぶ

○ザーレ川裏葉を交わす川柳のいま幾たびの夏をたのしむ

○ワイマール何かわびしき地も店もひとさへ老いて夏祭りする



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《みどりに燃える飛騨の山々》

2017/06/05 20:22
瀬谷こけし


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 柳田国男が高山から荘川村まで飛騨の道を歩いたのは明治42年6月2日のことだった。彼が小鳥峠の小梨の花など飛騨の山々の姿を見て「初めて旅に酔う」と記したのがこの時だった。時期の違いは年によって若干の違いはあるだろうが、6月初旬の飛騨の山々はとても美しい。
 橋本繁蔵さんが亡くなって、葬儀に出かけたのもこの同じころだったはずだ。帰り道のせせらぎの道すぎの山々が繁蔵さんを祝福するかのようにとても美しかったことを思い出した。今年6月4日、あまり体調のすぐれぬままよんどころのない用事で高山に出かけ、この日にせせらぎ街道を通って帰った。時間はもう午後四時を回っていたが、傾きかけた陽の光の中に、飛騨の山々はとても美しかった。みどりが燃え立つように。
 こんな美しい緑を見たら、もう一年分の美は十分に味わったことになるだろう。
 飛騨の山のみどりの美しさを味わうなら6月のこのころだ。みどりの強さがしっかりしはじめてくる頃。そのごく短い間を逃すと、緑が強くなって、人が気圧されるようになる。
 飛騨の山々のみどりにも、とりわけ美しい時期がある。柳田もきっとこの美しさに触れたのだ。


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《三上山》

2017/06/05 14:03
瀬谷こけし


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 高山からの帰路、高速を竜王で降りると三上山のシルエットがちょうど美しい時刻だった。
 以前飛騨の猟師の橋本繁蔵さんに特別講義をお願いしたとき、帰路は私が車を運転して高山までお連れした。その時通りかかった三上山の美しさに感心されて、この山の写真をくれと言われた。それで、その後写真を撮りに三上山の麓まで出かけたのだが、そこで撮った写真が、せっかくフジの6×9で撮ったのにカラーバランスがあまりよくなくて、いつまでもお渡しするような写真ができないでいるうちに、繁蔵さんが亡くなってしまわれた。
 昨日は久しぶりに竜王から降りてちょうど美しい三上山に出会えた。車を細道に止めて何枚か写真を撮った。
 この二枚を繁蔵さんに献じよう。



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《5月の日本歌人京都歌会》

2017/05/20 21:25
瀬谷こけし

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 今日歌会があった。私の出詠歌は、

>きみさらにながながし夜を千年の孤独をもちてひとりかもねむ

もちろん本歌の一つは人麻呂だが、この歌自体は次の歌への応答として詠まれている。

>百年の孤独を歩み何が来る ああ迅速の夕焼けの雲

山中智恵子の『風騒思女集』の末尾の歌だ。
 詠んだのは八年前、山中智恵子への挽歌として詠んだ。残酷な歌かもしれないが、私はそれでよいと思っている。それでこそ、時代の深みの底を汲み取り直したことになるだろう。


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《スカルラッティ》

2017/05/16 11:43
瀬谷こけし

 スカルラッティはいつでも知性を取り戻させてくれる。そんな音楽家は他にない。「いやらしく知性を掻き立てる」と評する人もいるかもしれないが。ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』や晩年のシューマンの幽明の境の世界に限界的な想像力で入り込んでいると、時にスカルラッティがとてもありがたくなる。もっともわたしが知っているのはスコット・ロスのスカルラッティだけで、それ以外は特に何も知らないのだが。ともあれロスのスカルラッティは素晴らしい。


Domenico Scarlatti Harpsichord Sonatas K339 - K355 Scott Ross 22
https://youtu.be/MKltybWhnEs






Scarlatti: The Complete Keyboard Sonatas
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《シューマン》

2017/05/13 15:39
瀬谷こけし

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 音の響きを確かめたくて、そしてできるならシューマンのこころを探りたくて、何十年ぶりかにピアノを開けた。郡山で子どもたちのために買ったピアノだが、子どもたちも触らなくなって久しい。
 弾きたかったのは《早朝の歌》Op.133。シューマン自身が出版した最後の曲だという。そして、わたしの感じでは、早朝の霧のそよぎに、宇宙の動き、宇宙のリズムを感じ取っている曲だ。鍵盤を押してみて初めて分かったのは霧の重なり、霧の波の重なりを音符で示す非常に簡単で巧妙な作り方。最初の四小節だけ、ともあれたどれるようになった。
 ヘルダーリンが存在の全一性として語っていることと、非常によく呼応していると思う。これがシューマンの最高の曲ではないだろうか。チェロ協奏曲(Op.129)は、悲しみの場所(I)、この世からの別れの場所(=脱領土化)(II)、まではよいのだが(III)宇宙的な自然の力との呼応のところで、模索にとどまっていると思う。宇宙(自然)との一体性は、この《早朝の歌》のなかでもっともよくとらえられているのではないだろうか。和音のひとつひとつ、そしてその動きに、美を感じる。ヘルダーリン(たとえば『ヒュペーリオン』)の言う美も、このようなものだと思う。

> …そしてわれわれは歌(Gensang)となる。 (ヘルダーリン「平和の祝い」)


Schumann- Gesänge der Frühe, Op. 133: I. Im ruhigen Tempo
ピアノはアンデルシェフスキ。

https://youtu.be/Warv9woLZvY




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《シューマンのチェロ・コンチェルト、OP.129》

2017/05/08 04:55
瀬谷こけし

Steven Isserlis - Schumann Cello Concerto Op. 129 Complete
https://youtu.be/7tm45E8kOR0



 ドゥルーズ(とガタリ)は「リトルネロ」の章ないしは地層を”シューマン”の語で終える。彼(ら)が念頭に置いているのは《チェロ・コンチェルト, Op.129》だ。もちろん《トロイメライ》(子供の情景)もだが。

>「ある協奏曲の中で、まるで光が遠ざかり消えていくようにチェロの音をさまよわせるために、シューマンはオーケストラがもつすべてのアレンジメントを動員する」(『千のプラトー』河出文庫。以下同じ)。

 最近はじめてスティーヴン・イッサリスのチェロ演奏を聴いて、シューマンの晩年の難解で危険な場所について取り組みたくなってきた。わたしにはシューマンが晩年に開こうとしていた場所は、ディオニュソス的な、しかも夜の神としての、静謐なニュクテリオスとしてのディオニュソスの世界だったように思えるのだ。そしてそこには途方もない危険がある。

 ドゥルーズがここで「リトルネロの脱領土化」の概念で示そうとしているのもこの同じ危険のことだ。

>「音楽の最終目的である、脱領土化したリトルネロを産み出すこと、つまり音楽を宇宙に解き放つ(lâcher dans le Cosmos)こと。〔…〕アレンジメントを宇宙の力(une force cosmique)に向けて開くこと。一方から他方へ、音のアレンジメントから音をもたらす〈機械〉へ、---つまり音楽家の〈子どもへの生成変化〉から子どもの〈宇宙的なものへの生成変化〉---このとき数多くの危険が生じる。ブラック・ホール、閉塞状態、指の麻痺、幻聴、シューマンの狂気、悪しきものとなった宇宙の力、お前につきまとうひとつの調べ、お前を貫く一つの音」(訳は一部修正)。

 この生成変化はシュトックハウゼンがよりダイナミックな仕方で追究してきたことと同じだ。全身をもってするニュクテリオスの世界の現成化。

 このチェロ協奏曲ではシューマンは悲しみのばしょから、この世への別れのばしょへと移り行き、さらに外へ赴くべく追究し、模索しする。その追求のためにわれわれには幾つかの線といくつかの運動があるばかりなのである。シュトックハウゼンの直観音楽以降われわれにはさらに直観とリズムによるガイドブックがひとつ与えられているとしても。


=====
イッサリス以外の演奏:

Rostropovich Bernstein Schumann cello concerto
https://youtu.be/dn-zZls0kdk


Heinrich Schiff, Schumann Cello Concerto in A minor, Op. 129
https://youtu.be/LqeOw5UBPDI
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《Brucia La Terra》

2017/05/02 03:22

瀬谷こけし

何でこれを聴きたくなったのか。パレルモ条約などが出てくるからだ(テロ等準備罪)。

それと、月がまた出てほしいと思うから。


https://youtu.be/LW5xCCTXZdU




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