「世界という大きな書物」  中路正恒ブログ

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help リーダーに追加 RSS 補講 7月24日 『なめとこ山の熊』

<<   作成日時 : 2007/07/29 01:58   >>

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瀬谷こけし
 7月24日に補講をした。普段の授業と同じに、第1講時に「哲学と思想」、第3講時に「地域と文化」の授業だ。この授業科目名はどちらも気に入らないのだがどうしようもない。この科目名のせいで毎年かなり余計なトラブルを抱えなければならなくなるのだが、変えるわけには行かないのだからしょうがない。
 ともあれ補講のことだ。とりわけ「風土と文化」の話をしたい。3講時目の出やすい時間だとはいえ出席者は少ない。正規の講義は二週間前に終了しているのだから当然だろう。それでも26名が出席してくれた。授業では7月4日7月6日のブログに書いたことを配布して、それについて返答の形でわたしの解釈を語った。内容は多少微妙になる。というのも『なめとこ山の熊』は、なぜ小十郎が熊たちに親愛感を抱かれているかについて、熊の側からの明確な論理が示されていないので、そうであれば宮沢賢治が小十郎に、自分の願望を投影しただけだと読む他ないからだ。小十郎:熊たち=賢治:花巻の人々、そういう関係だ。さらには「荒物屋」が何に対応するのかも考えなければならない。また釈迦涅槃像と小十郎半座像との違いも指摘しなければならず、そこにある種の崇敬を求めたいという気持ちも読み取らなければならない。こんなことは、宮沢賢治が好きでこの授業を受講してくれた学生には、あまりうれしくない分析になるだろう。わたし自身は宮沢賢治がとても好きなのだが、それすら誤解されるかもしれない内容なのだ。
 そんな風に7月3日の授業で学生が指摘してくれた『なめとこ山の熊』の問題点に対するわたしの考えを述べた後に、7月10日にほんもののなめとこ山に登って撮ってきたビデオを見せた。金勢神社まで直登して、そこからの稜線はブナの自然林が続く。そしてそのブナにはそこらに熊が木登りした爪痕がついている。また別の形の「アテ」もある。撮ってきたばかりのそんな映像を見せた。その極めつけは熊の糞だ。これこそ正真正銘の「なめとこ山の熊の糞」だ。740m標高の近くで見つけたものと、もう少し下の方で見つけた、行き道にはなかったものと。なめとこやまの熊さんの方では、わたしたちの動向をじっと窺っていたに違いない。そんなビデオを見せたのだった。
 そして最後に10分ぐらいで小さなレポートを書いてもらう。
 後で研究室に戻りレポートを読んだ。学生の反応は素晴らしかった。うれしかった。「補講お疲れさまでした」と書いてくれた学生があった。これはほんとに疲れの取れる言葉だ。そしてたいていの学生が、疑問をもって、立ち止まりながら、考えながら、こだわりながら読んでゆくことの大切さを学んだ、と書いてくれていた。ある学生(KEさん)はこう書いてくれた。
 >今回の地域と文化の授業は、発見、学びの授業であった。
 >先生は数々のテキストを通して、「ギモンの持ち方」なるものを教えて下さったような気がする。
 >そして、「学び」。わたしたちがこの授業を通じて「ひっかかった」ものを自分自身で学び、それを深める。
 >それはきっと、芸術、生活に大きく影響を与えるのではないか? と思っている。
 >かなり濃密な授業だった。先生に感謝したい。
 こうした答えをもらえるのはとても有り難いことだ。登録者が130名ぐらいだったから、補講にまで残ってくれたのは数にして五分の一ぐらいだ。だが今年の授業はわたしにとっても、もっとも手応えの多い授業だった。26名の学生のほとんどすべてが、わたしが教えたかったことを理解してくれた。それはまさに上に引いたレポートが言ってくれていることだ。
 報いられた授業だった。

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授業で「なめとこ山の熊」を読んだ
来週を休講にしたために昨日が一応最後の授業で(後日補講はする)、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を一応最後まで読んだ。  学生から指摘されて気づいたこと二点。どちらも重要だ。 ...続きを見る
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2007/08/01 12:12

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