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zoom RSS 《ポンヌフの恋人---その感覚の命》

<<   作成日時 : 2017/02/18 01:01   >>

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瀬谷こけし

 何年ぐらい前になるだろうか、この映画が一番好きな映画だったことがある。レオス・カラックス監督にも主演女優のジュリエット・ビノシュにも惹かれていた。そのBR版が出ているのを知って、手に入れて、見ていたのだが…。
 どのシーンが一番ショッキングかと言うと、ミシェルがジュリアンの住まいを見つけ出し、そのドアののぞき窓に銃口を当てて、彼にピストルを撃つところ。---後で「撃った」とういのはミシェルの錯覚だということになるが、気持ちの上では撃とうとして引き金を引いた。---その行為で、彼女にとってはジュリアンのことが忘れられるようになる。
 しかしその経緯でもっともよいと思うのは、地下鉄の通路で流れてくるチェロの音をちょっと耳にするだけで、それがジュリアンの演奏だと理解し、追いかけてゆき、そしてその住まいまで突き止めてしまうところ。フレーズをひとつ聞いただけでそれが彼の演奏だとわかる。それは当然のことだが、そうした当然の感覚が映画の中できちんと生きていることだ。主人公たちがその感覚を共有して行動していること。---こんな映画は少ない。
 情報の断片だけでその全体を理解してしまうこと。それは、手術をすれば治る可能性があるということを告げようとするメッセージを、アレックスが彼女の目に触れさせるまいと地下道のポスターすべてに火をつけて燃やしてしまっても、ラジオから流れるほんの少しのメッセージで彼女はそれを理解してしまい、その翌日にはアレックスを捨てて、自分の目の回復に向けた行動に進む彼女の決然とした行動にも同じ鋭さがある。切っ先をつねに鋭く保っているのだ。そして、何かを得るために何を代価として支払えばよいかの計算も鋭い。例えば辛うじて見える右目で最後にレンブラントを見て目に焼き付けておきたいという願望とその代償。そこに生の片鱗があるという認識も現実的できびしいものだ。
 今回BRで見直してみて、ビノシュも(最後のクリスマスのシーンを除けば)それほど美しく撮られてはいない。あのにこっとしたスマイルも一回だけだろうか。---わたしも映画を撮りたいという気持ちがまた湧いてきてしまった。







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