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みんなの「シューマン」ブログ


《ロベルト・シューマンの風景》

2017/06/20 23:00
瀬谷こけし


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 シューマンの風景が最近急に変わりつつあるように思う。演奏で言えば、アンデルシェフスキの《早朝の歌》op.133、イッサーリスの《チェロ協奏曲》op.129、ホリガー解釈の《早朝の歌》、《カノン形式による6つの小品》op.56、《3つのロマンス》op.94、ケルニャック&ロイツィンガー《ヴァイオリンソナタ第1番》op.105など。他にも何曲か上げられるだろう。シューマンの最晩年の(と言っても40代の)曲が理解され、弾かれるようになってきたのだ。---これは驚くべきことだ。それによって、私的に述べさせていただくなら、バッハを聴いて喜びと満足を覚える世界観が崩れてしまうようなことなのだ。---ほとんど鬱病の底とも言うべきメンタリティーが確実に理解され、広がり、そして絶望的な非常に苦しい葛藤の細部にまで光が当たるようになってきたのだ。シューマンの偉大さ…。
 それとともにシューマンが、ヘルダーリンと非常に近いところで発見されてきたのだ。
 ホリガーは、ロベルト・シューマンが1853年11月初旬(エンデニヒの精神病院に入院する4ケ月前)に書いた「チェロのためのロマンス」をクララが1893年にブラームスの助言を受けて焼却してしまったことを重視する。---なんという犯罪! 

 しかし、何にせよ、先述の演奏者たちによって、最晩年のロベルト・シューマンの音楽が理解され、聴きうるようになったことを、わたしは喜びたい。



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《ヘルダーリンとシューマン》

2017/06/11 23:01
瀬谷こけし


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 ロベルト・シューマンの曲と同名の《早朝の歌》という曲の第一曲で、ハインツ・ホリガーはシューマンの《早朝の歌》(op.133)の第一曲にヘルダーリンの最晩年(1843年)の「春」の詩を重ねて歌わせ、ひとつの驚くべき音楽世界を作っている。シューマンのその曲はあたかも日の出の時の荘厳さを音楽にしたような曲だが、しかしその日の出のように見えるときはわずかに4小節しか続かず、それは明るい日中につづくことなく、すぐにもとの暗闇に戻ってゆくような趣きの曲なのだ。

 ホリガーの解釈では、その力強い荘厳な日の出の4小節は、ちょうど「Aus Höhen glänzt der Tag」の詩句と重なり、この重なりによって、その「高みから」(Aus Höhen)という異次元の、異世界から与えられる一瞬の特異性を強調し、異界からの輝きのないその後のその余の時間の暗さ、つらさを描いている音楽として、シューマンのこの曲の一貫した解釈を提供している。

 シューマンが晩年ヘルダーリンに惹かれていたことは知られているが、この最晩年の「春」の詩を、《早朝の歌》の解釈に導入したホリガーの鋭さにはまことに驚嘆させられる。
 ここに確かにヘルダーリンとシューマンを結びつけるひとつの碑が築かれている。


 以下、「春」詩の原典とその手塚富雄訳、そして拙訳を上げておく。私にとってはいまだ二か所、文法的な整合性が確認できていない箇所があるので、拙訳については試訳と理解しておいていただきたい。誤りなどご教示いただければ幸いです。


Der Frühling

Die Sonne kehrt zu neuen Freuden wieder,
Der Tag erscheint mit Strahlen, wie die Blüte,
Die Zierde der Natur erscheint sich dem Gemüte,
Als wie entstanden sind Gesang und Lieder.

Die neue Welt ist aus der Tale Grunde,
Und heiter ist des Frühlings Morgenstunde,
Aus Höhen glänzt der Tag, des Abends Leben
Ist der Betrachtung auch des innern Sinns gegeben.

Mit Untertänigkeit
d. 20 Jan. 1758. Scardanelli.

http://www.textlog.de/17887.html




(手塚富雄訳)

太陽は新しい喜びへ立ち帰り
日々は花のように かがやいて出現する、
自然のよそおいは心をたのしませ
あたかも歌声が起こったようだ。

新しい世界は谷々の深みから生まれ出、
春の朝は時ごとに晴れやかだ、
高みからは真昼はかがやく、夕べの生は
内なる思いのためにも与えられている。

                 敬白
1758年1月20日       スカルダネリ
(1843年に成立)



(拙訳・試訳)

太陽が再び戻ってきてうれしい、
日々には陽射しがともない、花咲くように見える、
自然の装(よそお)いは、ひとの心には、あたかも
歌や声が生まれて来たかのようにみえる。

新しい世界は谷々の底から生まれ、
春の朝の刻々はとりわけ晴れやかだ、
昼の日は高みから輝き、夕べの生にも
考察によって内的な意味が与えられる。




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《スカルラッティ》

2017/05/16 11:43
瀬谷こけし

 スカルラッティはいつでも知性を取り戻させてくれる。そんな音楽家は他にない。「いやらしく知性を掻き立てる」と評する人もいるかもしれないが。ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』や晩年のシューマンの幽明の境の世界に限界的な想像力で入り込んでいると、時にスカルラッティがとてもありがたくなる。もっともわたしが知っているのはスコット・ロスのスカルラッティだけで、それ以外は特に何も知らないのだが。ともあれロスのスカルラッティは素晴らしい。


Domenico Scarlatti Harpsichord Sonatas K339 - K355 Scott Ross 22
https://youtu.be/MKltybWhnEs






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《シューマン》

2017/05/13 15:39
瀬谷こけし

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 音の響きを確かめたくて、そしてできるならシューマンのこころを探りたくて、何十年ぶりかにピアノを開けた。郡山で子どもたちのために買ったピアノだが、子どもたちも触らなくなって久しい。
 弾きたかったのは《早朝の歌》Op.133。シューマン自身が出版した最後の曲だという。そして、わたしの感じでは、早朝の霧のそよぎに、宇宙の動き、宇宙のリズムを感じ取っている曲だ。鍵盤を押してみて初めて分かったのは霧の重なり、霧の波の重なりを音符で示す非常に簡単で巧妙な作り方。最初の四小節だけ、ともあれたどれるようになった。
 ヘルダーリンが存在の全一性として語っていることと、非常によく呼応していると思う。これがシューマンの最高の曲ではないだろうか。チェロ協奏曲(Op.129)は、悲しみの場所(I)、この世からの別れの場所(=脱領土化)(II)、まではよいのだが(III)宇宙的な自然の力との呼応のところで、模索にとどまっていると思う。宇宙(自然)との一体性は、この《早朝の歌》のなかでもっともよくとらえられているのではないだろうか。和音のひとつひとつ、そしてその動きに、美を感じる。ヘルダーリン(たとえば『ヒュペーリオン』)の言う美も、このようなものだと思う。

> …そしてわれわれは歌(Gensang)となる。 (ヘルダーリン「平和の祝い」)


Schumann- Gesänge der Frühe, Op. 133: I. Im ruhigen Tempo
ピアノはアンデルシェフスキ。

https://youtu.be/Warv9woLZvY




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《シューマンのチェロ・コンチェルト、OP.129》

2017/05/08 04:55
瀬谷こけし

Steven Isserlis - Schumann Cello Concerto Op. 129 Complete
https://youtu.be/7tm45E8kOR0



 ドゥルーズ(とガタリ)は「リトルネロ」の章ないしは地層を”シューマン”の語で終える。彼(ら)が念頭に置いているのは《チェロ・コンチェルト, Op.129》だ。もちろん《トロイメライ》(子供の情景)もだが。

>「ある協奏曲の中で、まるで光が遠ざかり消えていくようにチェロの音をさまよわせるために、シューマンはオーケストラがもつすべてのアレンジメントを動員する」(『千のプラトー』河出文庫。以下同じ)。

 最近はじめてスティーヴン・イッサリスのチェロ演奏を聴いて、シューマンの晩年の難解で危険な場所について取り組みたくなってきた。わたしにはシューマンが晩年に開こうとしていた場所は、ディオニュソス的な、しかも夜の神としての、静謐なニュクテリオスとしてのディオニュソスの世界だったように思えるのだ。そしてそこには途方もない危険がある。

 ドゥルーズがここで「リトルネロの脱領土化」の概念で示そうとしているのもこの同じ危険のことだ。

>「音楽の最終目的である、脱領土化したリトルネロを産み出すこと、つまり音楽を宇宙に解き放つ(lâcher dans le Cosmos)こと。〔…〕アレンジメントを宇宙の力(une force cosmique)に向けて開くこと。一方から他方へ、音のアレンジメントから音をもたらす〈機械〉へ、---つまり音楽家の〈子どもへの生成変化〉から子どもの〈宇宙的なものへの生成変化〉---このとき数多くの危険が生じる。ブラック・ホール、閉塞状態、指の麻痺、幻聴、シューマンの狂気、悪しきものとなった宇宙の力、お前につきまとうひとつの調べ、お前を貫く一つの音」(訳は一部修正)。

 この生成変化はシュトックハウゼンがよりダイナミックな仕方で追究してきたことと同じだ。全身をもってするニュクテリオスの世界の現成化。

 このチェロ協奏曲ではシューマンは悲しみのばしょから、この世への別れのばしょへと移り行き、さらに外へ赴くべく追究し、模索しする。その追求のためにわれわれには幾つかの線といくつかの運動があるばかりなのである。シュトックハウゼンの直観音楽以降われわれにはさらに直観とリズムによるガイドブックがひとつ与えられているとしても。


=====
イッサリス以外の演奏:

Rostropovich Bernstein Schumann cello concerto
https://youtu.be/dn-zZls0kdk


Heinrich Schiff, Schumann Cello Concerto in A minor, Op. 129
https://youtu.be/LqeOw5UBPDI
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《アンデルシェフスキのシューマン《早朝の歌》終曲讃》

2017/04/23 21:28
瀬谷こけし

《アンデルシェフスキのシューマン《早朝の歌》終曲讃》

 アンデルシェフスキの演奏は多種多様な流れのリズムをつかみ取って複合させ、また移行させていっている。霧の流れのリズム、木の葉の細かく震えるリズム、太陽が東の空に近づいてくるリズム、水面のさざ波のリズム、そして木々の梢から雫の引いてゆくリズム、などである。この多様なリズムの把握が、例えばポリーニの演奏とまったく違うところだ。ポリーニの演奏の分析はあえてここではすまい。アンデルシェフスキの演奏は、革命的に新しい。そしてシューマンは、アンデルシェフスキにおいてはじめて自曲の正しい演奏者を見出したことだろう。シューマンの晩年の楽譜には、アンデルシェフスキのような自然の細部と密着した様々なリズムを聞きわける感覚によってはじめて読み取るとのできるデリケートなさまざまなリズムが書き込まれているに違いない。それらはまだほとんど読み取られていないのだろう。
 (シューマン、op.133)




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《アンデルシェフスキのバッハとシューマン》

2017/04/23 02:38
瀬谷こけし

 このパルティータ1番も穏やかさの中に鋭さ激しさ暖かさのある緻密で真っ直ぐな演奏で音色も美しくすばらしいと思うが、アンコールにシューマンの《早朝の歌》(Gesäenge der Frühe)の終曲が、さりげなく弾かれて、それがさらにすばらしい。シューマン晩年のこんな難解な曲がこんなに自然に聴けるのは奇跡的なことと言ってよいのではないか。(試しにポリーニと聴き比べてみればその違いに愕然とすると思う)。

https://youtu.be/Kvhurpp-wDc





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《シューマン: 懺悔、というよりは悔過》

2017/04/15 02:43
瀬谷こけし

 東大寺二月堂の修二会の悔過(けか)作法のなかでも五体人と呼ばれるひとりの僧が礼堂の五体板に全身を膝から打ち付ける五体投地の行は、わたしにとっては、最も激しく、力強い悔過の行為のひとつだ。そのことを、この行為を近くで体験したひとは、納得してくれるだろう。
 だが、ここでわたしが言いたいのは、もっと違った悔過もあるだろう、ということなのだ。それは耳を澄まし、感覚を澄まし、感受性の限りを尽くして音を聴こうとする行為のことなのだ。例えばシューマンの晩年の《早朝の歌》(Gesänge der Frühe)op.133のような、きわめてデリケートで、きわめて難解な曲を聴こうとすること。ピアニストはそれを、楽譜と自分のピアノの音との何回もの繰り返しから、曲の隠れた秘密、隠れた音楽を引き出してゆく行為をおこなうが、その行為のただなかに、他ならぬ悔過のおこないがあるだろう。しかしその隠れた秘密、隠れた一貫性を引き出しえないとき、ピアニストは解釈をあきらめ、演奏をあきらめることになるだろう。シューマンの晩年の曲は、このようにきわめて難解な作品群になっている。
 このところある縁があって、アンデルシェフスキ(Anderszewski)の《早朝の歌》の演奏を聴いたが、彼はこの曲のきわめて深いところまで、きわめて深い秩序にまで達していて、それを聴き取るためにわたしは、感覚と感受性の深みを呼び覚まし、掘り起こすためにきわめて大きな努力をした。その行為は、わたしには悔過と言えるものだった。それはそれまでの鈍い感受性のまま物事を感じて生きてきたために深くデリケートなものを聞き逃していたという過ちを悔いることだったから。アンデルシェフスキのこのような達成をこれまで知らず、その感覚の深さに達することができていなかったからだ。昨日ようやくその悔過の段階が五段あるとすれば、その三段にまで達することができた。第一曲は、湿気のある朝まだきの林の中の表情。どこかに小さな清らかな湖があり霧が細やかに流れる。第三曲にはある征服感があること。征服する喜びがあるとともに、征服されるものにも征服される喜びがある、そのような征服の達成。馬のギャロップのような歩みのなかで、何かが征服されるのだ。第五曲、終曲は、第一曲と相当よく似た表情だが、ここには泥気があり、清澄な湖あるいは池というよりはむしろ沼で、藻が生え、泥が遊びさまざまな生物が遊ぶ。しかしそれを善しとする微妙な風に包まれて終わる。
 第二曲、第四曲はまだ聴き取れていないが、アンデルシェフスキとシューマンがこの曲で描き示そうとしたものの少なくとも過半は、読み取れたと思う。
 この段階で、わたしはわたしのこの悔過行を一旦終えようと思う。


補足:
そういえば、ここのタイトルの「Gesänge」の中には、ヘルダーリンの「bald sind wir aber Gesang」(ほどなくわたしたちは歌になるのだ)という思想が流れているだろう。そこのところ、長めに引用紹介する。
Viel hat von Morgen an,
Seit ein Gespräch wir sind und hören voneinander,
Erfahren der Mensch; bald sind wir aber Gesang.
(Hölderlin: Friedensfeier,91-93)
 シューマンは、早朝の霧や森や光や色のいろいろなものと、互いを聴こうとし、ひとつの対話となって、この歌になったのではないだろうか。




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《旋律 ---ロベルト・シューマンに寄す---》

2016/07/11 21:38
瀬谷こけし


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(写真はオルタのモンテサクロ)


 ロベルト・シューマンのop.14、「オーケストラなしのコンチェルト」(ピアノソナタ第3番)の終楽章を聴いていて思うのだが、ある旋律の発見が解決になる、救済になる、という苦闘の経験を作曲家は持つことがあるのではないか? わたしたちはあまりにもメロディーに慣れ過ぎていて、そうした肝心かなめの旋律を見出さねばならない苦闘を忘れてしまっているのではないだろうか。その旋律だけがもたらすであろう解決。
 この終楽章は、そのような旋律の発見をテーマにして作った作品ではないだろうか。発見へのプロセス、そして発見される僥倖。この曲ではその旋律が展開されることなく、ひそかに姿を見せているそのさまで置かれているように見える。そしてこのような苦闘のうちに、シューマンの人生はあったように思う。---これは、「鬱(病)」というものの本来の形ではないだろうか?


 






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地蔵瞑想 ロベルト・シューマン

2007/10/16 00:39
瀬谷こけし

黙ふかく地中に時のあるごとく重く流れてたましひに逢ふ

 九月二十三日と二十五日、札幌のある喫茶店のカウンターの暗がりの中、ひとり精神を迷走させ、あるいは瞑想をしていて、到りついたのはこういうことではなかったか。時を遡る力が、ようやく、身についてきたようだ。シューマンの音楽が語っている何かだ。交響的練習曲のような若書きの曲にもあるが、むしろ後年の、錯乱にいたる、逃れ難い苦闘のただ中で見出していたものだ。つまり、イ短調のピアノ協奏曲の、自問自答を繰り返す、不安げな第二主題の追究が時々ほのかに見出す光明。
 やっと突きとめられた気がする。
                   (2007.10.15)

シューマン : 交響的変奏曲&ピアノ協奏曲
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