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みんなの「ドゥルーズ」ブログ


《シューマンのチェロ・コンチェルト、OP.129》

2017/05/08 04:55
瀬谷こけし

Steven Isserlis - Schumann Cello Concerto Op. 129 Complete
https://youtu.be/7tm45E8kOR0



 ドゥルーズ(とガタリ)は「リトルネロ」の章ないしは地層を”シューマン”の語で終える。彼(ら)が念頭に置いているのは《チェロ・コンチェルト, Op.129》だ。もちろん《トロイメライ》(子供の情景)もだが。

>「ある協奏曲の中で、まるで光が遠ざかり消えていくようにチェロの音をさまよわせるために、シューマンはオーケストラがもつすべてのアレンジメントを動員する」(『千のプラトー』河出文庫。以下同じ)。

 最近はじめてスティーヴン・イッサリスのチェロ演奏を聴いて、シューマンの晩年の難解で危険な場所について取り組みたくなってきた。わたしにはシューマンが晩年に開こうとしていた場所は、ディオニュソス的な、しかも夜の神としての、静謐なニュクテリオスとしてのディオニュソスの世界だったように思えるのだ。そしてそこには途方もない危険がある。

 ドゥルーズがここで「リトルネロの脱領土化」の概念で示そうとしているのもこの同じ危険のことだ。

>「音楽の最終目的である、脱領土化したリトルネロを産み出すこと、つまり音楽を宇宙に解き放つ(lâcher dans le Cosmos)こと。〔…〕アレンジメントを宇宙の力(une force cosmique)に向けて開くこと。一方から他方へ、音のアレンジメントから音をもたらす〈機械〉へ、---つまり音楽家の〈子どもへの生成変化〉から子どもの〈宇宙的なものへの生成変化〉---このとき数多くの危険が生じる。ブラック・ホール、閉塞状態、指の麻痺、幻聴、シューマンの狂気、悪しきものとなった宇宙の力、お前につきまとうひとつの調べ、お前を貫く一つの音」(訳は一部修正)。

 この生成変化はシュトックハウゼンがよりダイナミックな仕方で追究してきたことと同じだ。全身をもってするニュクテリオスの世界の現成化。

 このチェロ協奏曲ではシューマンは悲しみのばしょから、この世への別れのばしょへと移り行き、さらに外へ赴くべく追究し、模索しする。その追求のためにわれわれには幾つかの線といくつかの運動があるばかりなのである。シュトックハウゼンの直観音楽以降われわれにはさらに直観とリズムによるガイドブックがひとつ与えられているとしても。


=====
イッサリス以外の演奏:

Rostropovich Bernstein Schumann cello concerto
https://youtu.be/dn-zZls0kdk


Heinrich Schiff, Schumann Cello Concerto in A minor, Op. 129
https://youtu.be/LqeOw5UBPDI
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《まさにそのことが聞きたかったのだ》

2016/12/06 00:20
瀬谷こけし


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写真はウドのCD『パニックプレジデント』のカヴァー写真


 昔フランス政府の給費留学生試験を受けて、一次試験は何とか通って、東京でその二次試験(最終試験)を受けたのだが、そこでその国の面接官に最初にきかれたのが、「あなたは大学で生物学を勉強している。そして大学院でニーチェを研究しているが、あなたは優生学的な思想を持っていて、そのために留学をしようとしているのではないか」ということだった。わたしはそういうことはないとはっきり答えたのだが。それではなぜドイツではなくフランスでニーチェ研究しようとするのか、と次にきかれた。わたしはこの二人の面接官が、どのくらいニーチェや哲学の知識を持っているのかわからないまま、率直に思っていることを答えた。つまり、ニーチェ哲学の研究はドイツよりもフランスの方が進んでいるから云々とあまり上手でもないフランス語で答えた。そのときわたしはパリ第8大学のドゥルーズ教授の推薦状(というか受入状)をもらい、それを提出していたので、通じないだろうと思いながらも、ドゥルーズのこの解釈の方がハイデガーのこの解釈より正しくより見通しのよい概念である等々を説明していたのだが、多分そんなことは全く要らないことだったのだろうと今になって(ウド・リンデンベルクの『PANIKPRÄSIDENT』を聞きながら)思う。
 彼ら面接官が知りたかったのは、この人物を給費留学生として入国させて大丈夫かどうか。将来テロリストになったり、反フランス政府的な活動をしたりするようにならないだろうか、という点だけだったに違いない。ドゥルーズ自身が、フランス政府からはブラックリスト(リストルージュ)に載せられている人物なので、そのあたりのことを、そしてそれだけを心配していたのだろう。わたしは、留学先の教授からの推薦状(受入状)をもらっていれば、普通に答えていれば間違いなく通ると聞いていて、特に面接の練習もせずにいたが、ドゥルーズのところを留学先にする場合は、疑わしきは通さずの原則が多少厳しかったのかもしれない。
 ともかくわたしは、(いわば哲学の素人である)その二人の面接官に、フランスの方がドイツよりもニーチェ哲学の研究が進んでいるということを理解させることができなかった。彼らの聞きたかったのは、ただ安全な人物かどうかだけだったに違いない。ウドの、(英語ではなくドイツ語で歌って)成功を収めるまでの苦労を聞いていると、なぜかそのことを思い出した。その時試験に通っていたら、わたしの人生もずいぶん違っていただろう。




CDはこちら。
https://www.amazon.de/Panikpr%C3%A4sident-Die-Autobiografie-Udo-Lindenberg/dp/3898306593/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1481110741&sr=8-3&keywords=udo+lindenberg+cd+panikpraesident


Panikpraesident. Die Autobiografie
Random House Entertainm.
Udo Lindenberg

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《ドゥルーズ・ひとつの出来事の哲学》

2015/12/07 22:37
瀬谷こけし

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 小沢秋広氏の訳したこの本は1999年12月9日に買って、そのまま本棚に置きっぱなしにしていたものだ。今日(2015年12月7日)までただの一頁も読んだことがない。いずれ役に立つ日が来るかもしれないと思って買っておいた本だ。そして目さえ通さなかった理由はこの本のタイトルにあった。『ひとつの出来事の哲学』。日本語でこのように書けば「ひとつの」は「出来事」にかかるものとしか読めない。しかしフランス語では「ひとつの」は当然「哲学」にかかる。このタイトルから、わたしには訳者の、流行かぶれの教養の乏しい人物像しか浮かんで来なかったのだ。タイトルはむしろ単に『出来事の哲学』もしくは「ひとつの出来事哲学」とした方がよかっただろう。しかし、そこを我慢して、訳者の序を読みはじめてみると、すぐに一つの洞察を与えられた。それは「と」という方法のこと。そして[intéressant]という語の理解についてだ(p.13)。わたしは私の書いたある映画(フェリーニの作品)についての小論をドゥルーズから[avec grand intérêt](大いにintérêtをもって)読んだ、と言ってもらったことがあった。小沢氏の論に照らしてみると、ドゥルーズはわたしの小論に何らかの大きな「利害」を賭した関心をもってくれたことになるのだ。小沢氏のこのような洞察は、主として『ニーチェと哲学』を読んでドゥルーズと共感しているわたしにとって、大変納得の行くものだった。小沢氏は、少なくとも、歌謡界のスター・システムに似たこの国の「言説装置」(p.26)のスター達とは違った、自分自身の関心をもって思考をしているひとだということは理解できた。
 今わたしはドゥルーズに精通しようとは思っていない(もうその時間がない)。彼の『千のプラトー』の中のシュトックハウゼン論については物足りなさを感じており、生前その点を論じてお伝えしたかったのだが、それをする前に亡くなられてしまった。ともあれ、わたしはドゥルーズの隅々にまで精通したいとは思わず(そんなことは誰もしていない)、その何らかの核心を掴み、それをわたしの戦いに利用したいと思っている。ドゥルーズに対しては、そのような利用の仕方こそふさわしいと思う。この本からも、また使える武器を読み取ってゆきたいと思う。






ドゥルーズ・ひとつの出来事の哲学
河出書房新社
フランソワ ズーラビクヴィリ

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生成変化---強度に、植物に、微塵になること (哲学コラム)

2014/07/04 07:59
瀬谷こけし

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 ひとがある触発を受け、心の奥底のひそかな繋がりに動かされるとき、ひとは何か見知らぬものに生成変化を遂げているのではないだろうか。宮沢賢治の「告別」という詩はこんな言葉からはじまる。
「おまへのバスの三連音…中略…/その純朴さ希みに充ちたたのしさは/ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた」
賢治はこのとき草へと、草葉へと、生成変化したのではないだろうか。こんな振動、こんな顫えを、わたしたちは確かにどこかで知っている。このときひとは家族制度や、国家機構のような組織体から離れて、別の繋がりのなかにいるのだ。別の、異質な、多種多様なものたちとの繋がり。そんな繋がりの中へと、ひとは生成変化してゆくことができるのではないだろうか。
 6月の「哲学への案内」のレポートの中にジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ著の『千のプラトー』に取り組んでくれたものがあった。それはこの科目が始まって以来、初めてのことだった。そのことに私は少なからず感激した。こんな途方もない本に取り組んでくれて……。この本のエッセンスにどのようにしたら近づけるか、それをこのコラムで語りたいと思いながら花巻に来た。「環境文化論・花巻」の授業のためだ。この授業は宮沢賢治の思想の理解を目指して組まれているものだ。その賢治の仕事の中で、詩「告別」は、私には、人の生き方への示唆が最も現実的に美しく示されたものに思える。そしての詩の中に、まさに組織体から離れた知覚され難いものへの生成変化、触発、そして情動が、描きこまれているのではないだろうか。
 花巻の空港に着いた時、大阪とは打って変わって空が晴れ、その空の一か所からひばり鳴き声が聞こえてきた。その節回しが、精魂がこめられていて、一瞬、瑠璃色に輝くように聞こえてきた。私は、詩「告別」の中の「空いっぱいの/光でできたパイプオルガン」を思い出した。まさにそれをひばりは弾いているように思えたのだ。その啼き声によって。賢治の詩は、こう結ばれている。

>みんなが町で暮らしたり
>一日あそんでゐるときに
>おまへはひとりであの石原の草を刈る
>そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
>多くの侮辱や窮乏の
>それらを噛んで歌ふのだ
>もしも楽器がなかったら
>いいかおまへはおれの弟子なのだ
>ちからのかぎり
>そらいっぱいの
>光でできたパイプオルガンを弾くがいい

 ここには私が微塵への生成変化と呼びたいものへの示唆がはっきりと示されている。


(本稿は、京都造形芸術大学通信教育部補助教材『雲母』2014年9/10月号の原稿です)

===================
*註
「示唆」→「指示」へ一語変更しました。
(2014.7.12)

*註
「生成変化と呼びたいものへの指示がある」

「生成変化と呼びたいものへの示唆がはっきりと示されている」
に変更しました。
(2014.07.17)




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ファニー・ドゥルーズさんからいただいた礼状

2014/02/20 02:10
瀬谷こけし
 ドゥルーズ(Gilles Deleuze)の葬儀の後に、ファニー夫人からいただいた礼状を紹介しておきたい。日付は12月28日と読める。


Madame Gilles DELEUZE

Monsieur et Madam Julien DELEUZE

Madame Emilie DELEUZE
Monsieur Laurent GUYOT
et leurrs enfants


vous remercient de tout cœur de l'attention
que vous leur avez témoignée lors du décès
de Gilles DELEUZE.

(ここまでが印刷。以下手書き)
touchée par votre lettre et
votre texte si beau
            fanny deleuze


 前にも紹介したことがあるかもしれない。「師」というものについて考えることがあって、取り出してみた。《lors du décès de Gilles DELEUZE.》(ジル・ドゥルーズの逝去に際して)という言葉、とりけ《décès》(逝去)という言葉に感じる所があって。ドゥルーズは、わたしが自分の存在をもっとも伝えたいひとだった。
 この礼状もうれしかった。こうして書状を下さったことが。そして、わたしの手紙や書き物に、《touchée》(感動した)と、そしてまた《si beau》(かくも美しい)と言って下さったことが。



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戦わないこと(三) 「醜いもの・必然的なもの・美しいもの」 FW. 276.  ――「ニーチェ探検」

2012/04/12 23:59
瀬谷こけし
 もう一度テキストから紹介しよう。『悦ばしい知識』(Die Fröliche Wissenschaft) 276のアフォリズムのからである。

> 事物における必然的なものを美として見ることを、私はもっともっと学びたいと思う、---このようにして私は、事物を美しくする者の一人となるであろう。運命愛 (amor fati)、これを、これからの私の愛としよう! 私は醜いものに対して、戦いをいどむまい。私は責めまい。私は責める者をも責めまい。眼をそむけるということをわが唯一の否定としよう!
(氷上英廣訳、1980年、強調はニーチェ)

ドイツ語原文は以下。

> Ich will immer mehr lernen, das Nothwendige an den Dingen als das Schöne sehen: --- so werde ich Einer von Denen sein, welche die Dinge schön machen. Amor fati: das sei von nun an meine Liebe! Ich will keinen Krig gegen das Hässliche führen. Ich will nicht anklagen, ich will nicht einmal die Ankläger anklagen. W e g s e h e n sei meine einzige Verneinung! (FW. 276)

 戦わないという生き方について堀文子はこう語っていた。

> 人に屈伏しないためには、闘わなければなりませんが、私は闘うのが嫌いです。そうなると、脱走するしかない。こんな子どもじみた解決をする自分を恥じながら、私はその後も、「闘わず屈伏せず」という姿勢で、生きてきてしまいました。(堀文子『ひとりで生きる』p.157.)

 共通するところも多いこの両者の主張の、異なるところをわたしは明確に取り出したいのである。「眼をそむけるということをわが唯一の否定としよう」というニーチェの主張する生き方は堀の「脱走」とそう違いはない。無駄なことをやっている暇はない、ということである。そのとき堀が何を大事なこととしたかについては先に「戦わないこと(一)」で見た。ひたすら「心に響く美しいものを記録すること」(前掲書p.123)に人生を向けてきたのである。ニーチェもまた「眼をそむける」ということをみずからの唯一の否定行為とすると語る。そしてみずからはもっぱら「事物を美しくする者の一人となる」ことを目指すのである。両者がともに「美」をもっとも重要なこととするのも共通している。その美がどういうものであるかについては先に「戦わないこと(二)」で見た。ここではむしろ戦い/闘いの違いについて考察を進めよう。

 ニーチェは今後は行うまいとする「たたかい」に対して "Krieg" の語を使っている。この "Krieg" はヒトラーの『我が闘争』で有名な "Kamp" とは違ったものであり、通常の語義でいえば「戦い」「争い」「戦争」などの意味である。ここで "Kamp" の方をさしあたり「闘争」と訳すことにするが、この語は「戦闘」「争い」「抗争」「格闘」などの意味で使われる。例えばボクシングの試合などは "Kamp" ではあっても、決して "Krieg" ではない。つまり、「闘争」には、それに加わる者たちの間で共通に了解されている価値があり、それは世界チャンピョンとか、名声とか地位とかの既存の社会的価値であり、闘争とはそのような共通に理解されている価値を獲得するための争いなのである。堀文子はあるところで「肩書きを求めず」(p.117)と、自分はそのような既存の価値をめぐる争いには加わらないと宣言している。ニーチェもまた「名声と永遠」(>>Ruhm und Ewigkeit<<)という詩のなかで、自分は名声を唾棄すると宣言している。彼らはともに「闘争」を拒否しているのである。

 しかしニーチェが上に引用したアフォリズムで語っているのは、闘争の拒否についてではない。そうではなく、戦いの拒否、強く表現すれば戦争の拒否なのである。それでは戦争の拒否とは何なのだろうか? 戦争や戦いにおいては、双方の間で共通の価値観が存在しない。目指されているのは勝利であり、みずからの価値観、つまり最高価値と諸価値の序列の押し付けである。そこには闘争においては存在していた共通の価値目標がすでに存在しないのである。そして仮に今ここで戦争や戦いが存在しないとすれば、ここで既に何ものかが勝利しているからである。

 ここでニーチェが「私は醜いものに対して、戦いをいどむまい」と言うとき、彼が「醜いもの」と呼ぶものは何なのだろうか? この問いはきわめて難しい問題にわれわれを導くように思われる。「醜いもの」とは何か。この問いをニーチェは『ツァラトゥストラ』第四部にまで引っ張ってゆくのであるが、そこで示されるしつこい目撃者である神を殺害するという問題には今は触れない。今問題になっているのは「無視する」(Wegsehen、眼をそむける)という態度が、戦争をしないというもひとつの態度と深く結び付いているということである。ニーチェが醜いものと戦争も闘争もしないとすれば、それは彼が肯定者になりたいという切望をもっているからであり、運命愛をわが愛としたいという願望を最も強い願望として彼が懐いているからである。事物における必然的なもの(これは微妙に「必然性」と異なっている)を美しいものとして見ることをさらに学びたいと思っているからである。まず自らが肯定者になることが先決なのであるが、それがまだ十分にできていないというのである。だがしかしここでわれわれは幾つかのまだ問われたことのない問いを問わなければならない。これはおそらくニーチェ自身がはっきりとは気付いていなかった問題である。それは、端的に「醜いものは何か」という問いであり、つまり醜いもののなかに必然的なものは存在していないのか、という問いである。これは道元の幾つかの問いと同じ問題である。つまりすべての有情が仏であるのを知るのは、ただ仏になった者だけだという問題である。これに対する道元の答えはいつも「只管打坐」であり、ただひたすらに修行せよということであるが、ここにおけるニーチェの答えも同じようなものであると見える。恐らく醜いものの中にも必然的なものがあり、その必然的なものを美しいものと見ることができた場合には、醜いものがその中の必然に解消され、必然的なものとなり、醜いものではなくなってしまうのである。ニーチェがいろいろなもの、責める者をさえ責めず、ひたすら眼をそむけるとすれば、それは彼がみずからが肯定者になるという先決的な問題に直面しているからである。

 しかしながら、この問題をこのように解釈することで満足するとすれば、それはこのニーチェの問題を、ドゥルーズ以前の地点に引き戻してしまうことになるように思われる。ドゥルーズはこの問題を、肯定がその前と後とに従える否定と、そして二重の肯定の問題として深めたのである。これはいわばニーチェにおけるディオニュソス的次元の問題であるが、われわれとしてはこれをディオニュソス的芸術創造の問題として探求したいのである。つまり最高の美をどうやって取り押さえるかという問題、まさしく美的作品の創造的創生の問題として考察したいのである。つまり先にわれわれが『悦ばしき知識』399の解釈のなかで示したことである。これはわれわれにとっては、シュトックハウゼンの直観音楽の問題である。そのときわれわれはニーチェがそこで語った一回性の問題と、他方で永遠回帰の思想において語られる反復の問題との会合点の問題として、実践的に直面することになるであろう。
 (2012.4.12)



*20120421 ミスタイプで抜けていた「Wegsehen」の「s」を補足。

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哀悼詩: Deleuze/ドゥルーズ

2008/08/21 23:31
瀬谷こけし
わたしが師と仰ぐジル・ドゥルーズ。その逝去の報を聞いたときに作った詩を紹介します。
ホームページの方では以前から公開していたのですが、最近ではこのブログの方が見に来てくれる方が多いので、こちらでも公開することにしました。
初出は『京都造形芸術大学紀要』[GENESIS]第2号です。
新聞でドゥルーズ逝去の報に接した時、わたしは肺炎に罹っていて、自宅で療養していました。それで紀要の論文を仕上げることができず、代りにこの詩ですませてもらったという経緯があります。
 ドゥルーズ夫人ファニーさんにもお届けしました。それについてはまた後日ブログで触れる予定です。
===============

Deleuze
by Masatsune Nakaji


Paris sans toi,
si douloureuse,
que je ne peux pas rester deux jours.
Hölderlin disait:
Wo nehme ich, wenn
Es Winter ist, die Blumen. *
Le monde semblait entrer dans l'hiver permanent,
avec la funeste mort de toi.
Où puis-je trouver des fleurs?
Nulle part ! ......
(le 25 nov. 1995)


ドゥルーズ

あなたのいないパリは
辛くて、
居られない。
ヘルダーリンは言っていた、
「冬ならば、どこに花を求めよう」 と。
あなたが死んで、
世界中が冬に入ってしまったようだ。
一体どこに花を探せるのだろう、
どこにもない。・・・・・・・
(1995.11.14)
* Hölderlin: Hälfte des Lebens

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ドゥルーズの手紙

2008/08/02 15:30
瀬谷こけし
むかしドゥルーズにもらった手紙を紹介しておこう。

Deleuze



文面をタイプしておけば以下である。

======
Gilles Deleuze 10/12/88


cher monsieur,
je suis très heureux de vos bonnes nouvelles,
et j'ai lu avec grand intérêt votre exellent
texte sur Toby Dammit. Hélas je ne pourrai
pas vous aider, dans votre projet de travail
où vous me faites beaucoup d'honneur,
parce que je ne fais plus le cours, étant à
la retraite et rarement à Paris. Je n'ai
plus guère de contact avec l'Université, et
ne vois pas pour le moment à qui je
pourrais vous recommander. J'en suis navré,
et si j'ai une idée, je vous la proposerai
immediatement. Croyez à mes remerciements
et à mes sentiments les plus sincères,

        ******.  

(******のところは署名)
======

 有り難い手紙である。「あなたのよい知らせ(vos bonnes nouvelles)」とはわたしが郡山女子大学に就職したということである。お送りしたわたしの小論 "Toby Dammit in Histoires extraordinaires" をほめてくれたことも嬉しかった。留学の可能性を尋ねたのだが、パリ大学はもう退職したということだった。推薦できる誰かを思いつけば提案してくれるということだったが。だが好い案は浮かばなかったのだろう、その後提案はなかった。そしてわたしは留学を考えることなく日本で仕事を進めることにした。


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わたしには三人の師と……

2008/05/17 00:58
瀬谷こけし
わたしには三人の師と、一人の先生があった。
三人の師とは、邂逅した順で、山中智恵子と、カールハインツ・シュトックハウゼンと、ジル・ドゥルーズだ。
山中さんはわたしの詩に、「清新な抒情に感動しました」と言ってくれた。
シュトックハウゼンは、私たちの音楽を聴いて「音楽家」と呼んでくれた。
ドゥルーズは、わたしのテクスト(トビー・ダミット論)を読んで「votre excellent texte」と言ってくれた。
この三人の師は、すでに逝去された。

一人の先生とは、山田晶先生だ。先生は常に学問の鑑であった。
山田先生は今年逝去された。


(ご健在の師についてはここでは語らない)

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