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みんなの「ルー・ザロメ」ブログ


《生への讃歌》

2017/04/04 02:33
瀬谷こけし

《生への讃歌》

https://youtu.be/FIOIUlDB5yU




 ルー・ザロメの詩にニーチェが作曲したこの曲、この曲についてルーは「それを彼は、一八八二年の夏、彼が私といっしょにチューリンゲン州のドルンブルクに滞在していた間に、作曲したのだ」と言う(原佑訳『ニーチェ 人と作品』。一語引用者が訂正)。「ドルンブルク」はルーの誤りで、正確にはドルンブルクから3kmあまり離れたタウテンブルクなのだが、それはいい。そのタウテンブルクの牧師館で、夜中、ルーを前にピアノを弾きながらこの曲を作曲していたニーチェの姿が思い浮かぶ。この時ニーチェは37歳のはずだが、曲はまるでこの世を去る間際の作のように聞こえる。もうこれ以上のさとりはなくていいのだ。これを絶頂として死ぬならそれは本望だと、そんな風に。そういうつもりで作曲した曲なのだろう。安らぎもある。
 1882年のタウテンブルクはニーチェにとって生の絶頂と言うべき場所だった。永遠回帰の思想が訪れた1881年のシルス・マリーア以上に。そのときそこタウテンブルクで彼らは多くのことを経験した。それはそこで彼らがひとつの対話であり、たがいを聞くことが成就していたからだ。ヘルダーリンが讃歌「平和の祝い」の核心として表白したことがきっとここでひとつ成就したのだ*。
 そしてルー・ザロメとニーチェの合作になる《生への讃歌》は、ヘルダーリンがつづけて「そしてほどなくわれわれは歌になる」と言う「歌」そのもののひとつではないだろうか?



注*
ヘルダーリンの「平和の祝い」(Friedensfeier)には次のような言葉が読める。
〇Viel hat […] //Erfahren der Mensch;(多くを〔…〕//人間は経験した;)
〇Seit ein Gespräch wir sind und hören voneinander,(われわれがひとつの対話であって、たがいを聞いてよりのち、)
〇bald sind wir aber Gesang.(そしてほどなくわれわれは歌になるのだ。)
とか。ルーとニーチェの《生への讃歌》はヘルダーリンのいう意味での「歌」(Gesang)ではないだろうか?
 そこの箇所つづけて書くと、

Viel hat von Morgen an,
Seit ein Gespräch wir sind und hören voneinender,
Erfahren der Mensch; bald sind wir aber Gesang.
(HÖLDERLIN SÄMTLICHE GEDICHTE, 1992)
多くを朝から、
われわれがひとつの対話でありたがいを聞いてよりのち、
人間は経験した。そしてほどなくわれわれは歌となるのだ。
(拙訳)


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《ニーチェ研究資料1882年(2)思想家として自立せよ》

2016/09/14 01:51
瀬谷こけし

ナウムブルクのドーム
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このときニーチェはナウムブルクにいた


 ルー・ザロメがニーチェに傾倒しそうになっていたとき、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークはルーに、警告ともとれる次のようなメッセージを送っている。ルーは最終的にはこのマルヴィーダの勧める道に従ったように見える。「研究資料1882年(1)」で少しだけ紹介した「パウル・レーのための日記の1882年8月14,18,21日の記事は、ルーがきわめて公正にニーチェの分析をしていることを示している。ニーチェにおもねることなく、レーにおもねることもなく、である。わたしはルーのこの知的誠実性は感心すべきものだと思うが、その誠実性を最終的にはニーチェも認めたと見える(1884年5月ごろ)。
 ともあれ、上述のマルヴィーダのテキストを紹介する。テキストは今回も『Friedlich Nietzsche Paul Rée Lou von Salomée, Die Dokumente ihrer Begegnung, Insel Verlag 1970』である(以下、特に指示しない場合は同書による)。

(2)Malwida von Meysenbug、an Lou von Salomé in Stibbe, Bologna 18. Juni 1882, S.149、ZZ.11-19.
> Endlch aber möchte ich noch das sehr betonen, daß Sie nicht in der Arbeit N<ietzsche>s aufgehen. Ich hätte es mehr gewünscht, Sie wären Ihren Weg allein gegangen, Ihren geistigen Weg, gerade um einmal zu beweisen, daß die Frau auch auf diesen höchsten Gebieten des Denkens allein stehen und selbständig Resultate erzielen kann. Insofern thut mir diese geistige Abhängigkeit sehr leid. Vor Allem hoffe ich, daß N. selbst eine andere Richtung einschlägt als in seinen letzten Schriften weit ab von der des guten Rée, den ich herzlich grüße.

拙訳:
> けれど最後に次のことを大いに強調しておきます。それは、あなたがニーチェの仕事に吸収されてしまわないようにということです。それ以上にわたしがあなたに望むのは、あなたがあなたの道を、あなたの精神的な道を、ひとりで行くことです。それはまさにそれによって、女性もまたこの思考の最高の領域でひとりで立ち、自立した成果を獲得することができるということを一度しっかりと証明するためなのです。こういう意味で、この精神的な依存性がわたしにはとても残念なのです。とりわけわたしはニーチェ自身が、彼の最近の著書とは違う方向へ、善良なレーとはまったく違う方向へ、進んでいてほしいと思っています。レーはレーでわたしは心から歓迎していますが。

 このマルヴィーダの(1882年6月18日付けの)手紙は、ルーの心にきわめて強く突き刺さったことだろう。ここから読み取れば、マルヴィーダ自身では、ニーチェに最も大きな期待を寄せているが、ルーにも大いに期待するものがあるということになるだろう。そしてレーもまた哲学の道をあきらめて医者への道に転身したとき、マルヴィーダの期待に応えたことになるだろう。


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《ニーチェ研究資料1882年(1)偉大さ》

2016/09/10 03:04
瀬谷こけし

タウテンブルクの森の道(2016年8月18日16:24)
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こんな道を彼らも味わい楽しんだことだろう




(1)Lou Salomé、Tagebuch für Paul Rée, 21.8.1882、S.190、ZZ.19-25

> Für uns Freidenker, welche nichts Heiliges mehr haben, was sie als religiös oder moralisch groß anbeten könnten, giebt es trotzdem noch Größe, welche uns zu Bewunderung, ja zu Ehrfurcht zwingt. Ich ahnte diese Größe an N. schon als ich Dir an den italienischen Seen von ihm sagte: sein Lachen sei seine That.
Es giebt keine Werthschätzung der Richtungen mehr, die der Mensch einschlägt, --- aber es giebt eine Größe der Kraft.

拙訳:
> 宗教的ないしは道徳的に偉大だと示して見せることのできるような聖なるものを何ももたないわれわれ自由思想家にとっても、それにもかかわらず、われわれを驚嘆させ、まさしく畏敬させざるをえない偉大さというものは存在する。イタリアの湖沼めぐりのときにわたしがあなたにニーチェについて、彼の笑いは彼の行為なのよと語った時、わたしはこの偉大さをニーチェに予感しました。
 人間が選び取るさまざまな進路方向のあいだに高い価値というものはもはや存在しない、--- けれど力の偉大さは存在する。


(テキストは『Friedlich Nietzsche Paul Rée Lou von Salomée, Die Dokumente ihrer Begegnung, Insel Verlag 1970』である。以下、特に指示しない場合は同書による)。


===2016.9.13===
(日付の誤りを一文字訂正しました:9→8)
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《タウテンブルクの牧師館案内板より》

2016/09/02 06:39
瀬谷こけし

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 情報提供をしておきます。ただし日本語は拙訳の試訳です。間違えなどお気づきの点があったらお知らせください。

Aufenthalt im Sommer 1882 wohnte hier Lou von Salomé und seine Schwester Elisabeth Nietzsche.
„Er selbst“, erinnerte sich Stölten, „kam fast tâglich auf die Pfarrei, meistens am Abend, um mit der Russin yu arbeiten oder sich mit ihr yu unterhalten, oft mußte meine Frau noch spät abends für einen starken Kaffee sorgen. So liebwürdig Nietzsche yu sein pflegte, so anmaßend war die Russin. Diese hinterließ bei ihrer Abreise yu unserem Erstaunen eine Schnapsflasche, er ein Blechschild mit der Inschrift „Fröhliche Wissenschaft“. Das war der Titel einer Schrift, die von Tautenburg aus zum Druck befördert wurde.“

Nach dem Weggang Stöltens war es Gast- und Logierhaus Paradies. In den 70er Jahren wurde das Gebäude abgetragen.

Tautenburger Verschönerungsverein 1880 e. V.

試訳:

1882年夏の滞在期間中ここにルー・フォン・ザロメと彼の妹のエリーザベト・ニーチェが住んでいた。
「彼自身は」、とシュテルテンは回想する、「ほとんど毎日牧師館に、たいていは夕方に、ロシア娘と仕事をしたり、あるいは彼女と語り合うために、やってきた。しばしば私の妻は晩もおそくに濃いコーヒーを一杯用意してやらねばならなかった。ニーチェは親切にもよくこのようにしていたが、対してロシア娘の方は傲慢だった。私たちが驚いたことにこのロシア娘は旅立ちの際に一瓶の火酒を残していったのだが、彼の方は「Fröhliche Wissenschaft(喜びの学)」と銘の入った板金の盾を残していった。これはある著書のタイトルで、この著書はタウテンブルクから印刷へ送られたものだった。

シュテルテンの退職後ここは「パラダイス旅館・宿泊所」になっていた。70年代にこの建物は撤去された。

      社団法人 タウテンブルク美化協会1880


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《ライプツィッヒ・アウエルンシュトラーセ 26》

2016/08/27 17:27
瀬谷こけし


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《Auenstraße 26》

 8月25日、今日はニーチェの命日だった。ホテルで静かに本を読んでいればいいのだが、読んでいると、その後のニーチェのこともすこし辿っておきたくなった。折角ライプチヒにいるんだから。

 今回の二度目のライプチヒ来訪では、ゲバントハウスやトマス教会にあまり関心が持てなくなっていた。昨日もそれで、前回自転車乗りのおじさんに教えてもらった14番のトラムの終点のPlagwitzのあたりに行って、空爆されていない町のたたずまいや、昔の町の雰囲気を写真に撮っていた。どことなく日本の東北を感じさせる。なぜここに定住したのかという根本的な問題を考えさせる雰囲気があった。例えば化学工場は戦争時代は戦争目的遂行のための化学製品の開発と製造にかかわっていたはずだ。このあたりの化学工場もきっとそういうことをしていたのだろう。(ここでは全く傑作な壁面がをみつけたが。谷岡ヤスジの漫画と北斎の大波と舟の絵とを同時に連想させるような絵)

 ともあれ今日は、部屋が暑くなりだしたころに出かけた。しかし、出かけるといっても目的地がわからない。標記の通りの名前が、二つ持っている地図のどちらの索引にも出ていないのだ。通り名が変更になり現行の名前とは違うのかもしれない。

 受付のおねえさんが(昨日もそうだったのだが)ネットで調べて、それから行き方を非常に丁寧に説明してくれる。ニーチェのことだから(長期滞在の場合)都心のホテルに泊まるはずもないが、果たして地図に載っていない郊外だった。トラムを乗り換えてゆく。トラムを降りてからの道もわかるように地図も印刷して持たせてくれた。ここのホテルはそいう客の尋ねごとにとても熱心に対応してくれる。ともあれ目指す先は西北西のはずれの方だ。

 その家は比較的すぐに見つかった。ああ、こんな遠いところにいたのか、と感心する。宿は今でいうゲストハウスのようだ。今はもう持ち主も変わっているのではないかと思うが。

 ともあれそのアウエンシュトラーセから少し北に入ったところにちょっとした森が見えた。ニーチェはライプチのローゼンタール公園で3時間も座っていたと書いているが、ここは違う場所だろうけれど(名前を知らない)、ベンチのある涼しく本を読んで過ごせる場所はないかと探した。行くと高さ5メートルほどのところで切られた、大きな洞のある木があった。そしてその近くにベンチもある。テーブルもある。遊具もある。その遊具の回転椅子がテーブルもあり丁度よさそうなので、そこで本を読み始めた。

 正確な日を今調べるのはやめるが、27日にタウテンブルクを去ったあと、ニーチェはナウムブルクの実家に戻る(妹はタウテンブルクに残る)。その後、ナウムブルクが居心地が悪いらしくてライプチヒに移る。そこで二か月ほどいて、それからパリでの共同研究をあきらめてイタリアに行く。10月か11月にはルーと会っているはずだが(レーとも)、事態はもう変な感じになっていて、共同研究の構想はもう事実上終わっていた。ライプチヒではそういうことの片づけをしなければならない。そしてニーチェはアウエン通りのこの家で、そういう片づけをしていたということになるだろう。

 私は昼前からいて、五時ごろ、少し涼しくなって立ち去った。少しはニーチェの供養になっただろうか。

 (8月25日にfacebookに書いた記事を再掲しました)


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《ニーチェが死んだ》

2016/08/24 10:06
瀬谷こけし


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 8月23日、ワイマールのニーチェ・アルヒーフに行った。あまり色々なものはないところだという印象だった。ニーチェの死後の出来事にわたしはあまり興味がない。
 展示室に『ニーチェ・クロニーク』という本が置いてあった。最近の研究者ならだれでもが座右に置いている本ではないかと思うが、わたしは持っていない。見せてもらってその死に近い日々を読んでいた。館のおばさんに「今日8月23日はニーチェが最後の処方箋を書いてもらった日ですね?」と尋ねた。「Rezept」の語を繰り返さないと通じなかった。すると、「ニーチェはこの上で亡くなった」とおばさんは上を指しながら教えてくれた。1900年8月25日の午前11時から12時の間に死んだことはクロニークを読んでわかっていた。しかし場所が何処かは、知らなかったし、わからなかった。まさにこの上の部屋だという。途端にこの建物がそれだけで重たい意義を持った建物と感じられるようになった。もうそれだけでいい。そういう場所が残っているだけで。
 そんな目で館の周りをもう一度まわった。あの、窓にツタの絡まるあの部屋だろう。
 1882年の8月25日にニーチェはこんな手紙をルー・ザロメの部屋に差し入れていた。
>Zu Bett. Heftigster
>Anfall. Ich verachte
>das Leben.
> FN.
 こんな重要なテキストを軽々しく翻訳する気はしない。だが、ニーチェがきわめて激しい発作に襲われていたこと、そして床に就いていたことはわかる。しかし次の言葉を、例えば「僕はこの生を軽蔑する」(眞田収一郎訳)などと軽々に訳してしまうわけにはゆかない。むしろ「わたしは生を尊重しない」と訳した方がまだよいのではないだろうか。
 その翌日ルーがタウテンブルクを去るのが初めから決まっていた日程なのかどうかをわたしは知らない。だがほんとは激しい怒りに燃えてルーが突然タウテンブルクを去ったのではないかと思う。ここでの日々で、「生」はルーを、あるいはルー自身の究極の立場を意味していたのだ。「あなたは生を十分に尊重していないわ」というようなやり取りが『ツアラトゥストラ』の「第二の舞踏の歌」の中にある。このクリティカルな、エッジの先端にあるような出来事がニーチェの差し入れたこの手紙だった。『ツアラトゥストラ』ではその次に来るのが真夜中の鐘の歌だ。
 翌26日、発作から回復したニーチェは、差し入れた手紙のお詫びをするとともに、12時にルーをドルンブルクまで送って行った。ルーはタウテンブルクを去った。この26日の、タウテンブルクを去る時にルーが紙に書き付けてニーチェに渡した詩が「生への讃歌」だった。これについては私のブログを参照してほしい。ニーチェはこのルーの生の思想を何度も噛み締めることになるだろう。
 そしてその激しい発作の18年後、ちょうど同じ日に、ニーチェは死去する。この日付がわたしには偶然とは思えない。8月はニーチェにとっては激しすぎる月なのだ。
 すでにワイマールを去り、またタウテンブルクも去って、ライプチヒでわたしはこの8月25日を迎える。非常に重たいものをどこかで感じながら。


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《マルヴィーダがコモ湖への旅で考えたこと》

2016/01/15 03:20
瀬谷こけし

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 1876年6月3日、イタリア北部のコモ湖で、朝8時から四時間の湖上遊覧を楽しんだ後、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークはその日の手紙で若い友人パウル・レーに次のような考えを語っている。この手紙からはマルヴィーダの、沈着冷静に世のすべて、ひとの活動のすべてに眼差しを注いでいる姿がとてもよく伝わってくる。この彼女の意見は今日でも有効なものだ思う。私がふと思うのは、都会の中にも静安の場所というところもあって、創造的な思索のためにはそういう場所が必要ではないかということだ。私にとっては農学部前(京大)の進々堂が、いまでもそういう場所だ。最近は出かけて行けることが少なくなってしまったが。
 この手紙には眞田収一郎氏の優れた日本語訳があるが、ここでは拙訳で紹介したい。原文も付する。誤訳その他お気づきのところがあったらお知らせいただければ幸甚。

> そして私は、何が人間をより満足させるのかということについてじっくりと考えました。つまり芸術なのか、それとも自然なのか。芸術が人間に提供される都市における生活なのか、それともソレントやこの湖(コモ湖)のような周辺環境とともにある生活なのか? 活動が優勢な場面ではひとは都市に、創造的な活動へのさまざまな刺激の近くにいることが必要です。精神集中が最も重要になる場面では、静かな思想の網が織りなされる静安な背景を築くために、このような自然が必要なのです。

> Und ich dachte darüber nach was den Menschen mehr befriedigt: die Kunst oder die Natur, das Leben in einer Stadt wo die Erstere ihm geboten wird, oder mit einer solchen Umgebung wie Sorrent oder dieser See? Wo das Aktive vorwiegt da muß man in die Stadt, in der Nähe der Anregungen zu schöpferlischer Thätigkeit, wo das Contemplative die Hauptsache ist, da ist eine solche Natur nöthig um den ruhigen Hintergrund zu bilden auf welchem sich die stillen Gedankennetze spinnen.


 余談だが、この手紙の中でマルヴィーダはこの湖山のそばで、若いパウル・レーと、そしてもう一人若くて優しい人(ein holdes, junges Wesen)と三人で住んでみたいと願望を漏らしている。そこに彼女の気持ちの真意のいくらかが読み取れるだろう。後に(1882年)レーが、ルー・ザロメとニーチェと三人での研究的な共同生活を構想したとき、マルヴィーダはそれにふしだらだと言って強く反対するのだが、その反対の根には、このコモ湖の畔で漏らしたトリオでの生活構想があったのではないか? マルヴィーダはレーに裏切られたという気持ちを懐いたように見える。




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《ニーチェから賢治へ 資料2 ---ニーチェとルーの聖なる遊び:生への献身》

2015/03/17 00:32
瀬谷こけし

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◇ところでニーチェが遺した彼の考案になる聖なる遊びは何だったのだろう? 文章においても、そうしたものを幾つか上げることができるが、彼が作曲した《生への讃歌》(Hymnus an das Leben)はその最上のものの一つとみなせる。それについて数年後彼はこう語っている。

> 同じくこの中間期〔1881年8月から1883年2月までの間〕に生まれたものとしては『生への讃歌』(混声合唱とオーケストラのための)がある。これの総譜は二年前にライプツィッヒのE・W・フィリッチュ社から出版された。これはこの年〔1882年〕の私の状態を示すおそらくは軽視すべからざる兆候の一つである。なにしろその頃私の中には、私が悲劇的パトスと呼んでいるあのずば抜けた肯定のパトスが最高度に宿っていたのであった。いずれこの歌を歌って私をしのんでくれる人もあろう。---この歌のテキストについては一つの誤解が流布しているのでここではっきりとことわっておくが、あれは私が書いたものではない。あれは当時私が親しくしていた若いロシアの一女性ルー・フォン・ザロメ嬢の驚くべき霊感なのである。あの詩の最後の数句からとにかく一つの意味を聞き取ることのできる人なら、なぜ私が特にあの詩をとりあげて賛嘆したかがわかるはずだ。つまり、あの句には偉大さがあるからだ。苦痛があるからといって生を非難するにはあたらない、という。『なんじ、もはや我に与うべき幸を持たず。さらばよし! なんじ、いまだ苦痛の持てるあり……』おそらく私の作曲もここの所に偉大さがあるだろう。(『この人を見よ』、川原栄峰訳、ちくま学芸文庫。太字強調はニーチェ。〔 〕内は引用者)。

○演奏:
Friedrich Nietzsche - Hymnus an das Leben
http://youtu.be/FIOIUlDB5yU

○歌詞原文(初版の楽譜から読み起したもの)とその拙訳
HYMNUS an das Leben

Gewiss, so liebt ein Freund den Freund,
wie ich dich liebe, räthselvolles Leben !
Ob ich gejauchzt in dir, geweint,
ob du mir Leid, ob du mir Lust gegeben,
ich liebe dich mit deinem Glück und Harme,
und wenn du mich vernichten musst,
entreisse ich mich schmerzvoll deinem Arme,
wie Freund sich reisst von Freundes Brust,
wie Freund sich reisst von Freundes Brust.

Mit ganzer Kraft umfass' ich dich.
Lass deine Flamme meinen Geist entzünden
und in der Gluth des Kampfes,
mich die Räthsellösung deines Wesens finden !
Jahrtausende zu denken und zu leben wirf deinen
Inhalt voll hinein !
Hast du kein Glück mehr übrig mir zu geben,
wohlan ! Noch hast du deine Pein...
wohlan ! Noch hast du deine Pein...

http://www.nietzschesource.org/facsimiles/DFGA/HYM


生への讃歌(拙訳)

きっと、私がお前を愛するように、謎にみちた人生よ!
そのように友は友を愛するのだ ---
私がお前の中で歓声を上げたにせよ、涙したにせよ、
お前が私に苦悩を与えたにせよ、快を与えたにせよ、
私はその幸(さいわ)いと悲嘆とともにお前を愛している、
そしてもしお前が私を破滅させねばならないならば、
私は苦しみいっぱいにみずからをお前の腕から救い出す
友が友の胸から自分をもぎ離すように。
友が友の胸から自分をもぎ離すように。

全力で私はお前を抱擁する!
お前の炎が私の精神を燃え上がらせるにまかせよ、
そして闘争の灼熱の中でわたしが
お前の存在の謎を解き明かすのを許せ!
数千年間生き、考えつづけたい、そうすればおまえの中身を
すっかりとそこに投げ入れることができる!
お前はもはや私に与える幸(さいわい)を何も残していないのか ---
ならばよし --- お前はまだお前の責め苦をもっている。
ならばよし --- お前はまだお前の責め苦をもっている。
(下線は引用者)

◇ルーにとって、生は自分を包摂しつつ、少し間をとることもできるべきもののようだ。抱きしめられて身動きできなくなってしまうのは破滅させられること。そこからは身を離し、自分と灼熱の炎のなかで闘争しあうべきもの。距離の必要性。距離を持ち、そしてその本質の謎を解き認識することによる献身。認識行為を通じた自己贈与。
 みずからの身を傷つけつつ生の本質を認識しようとするこの献身の姿勢はニーチェと共通する。その姿勢を「精神」(Geist)と呼ぶ。

○ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』II、「名声高い賢者たち」より
>しかし、あなたがたは、あなたがたの徳においても、やはり民衆、にぶい眼をした民衆と異なるものではない。---精神とは何か、を知らない民衆でしかない!
 精神とは、みずからの生命(いのち)に切りこむ生命(いのち)であるそれはみずからの苦悩によって、みずからの知を増すのだ。---あなたがたはまだこのことを知らない。
 そして、精神の幸福とは、油を塗られ、涙できよめられて、犠牲(いけにえ)の獣となることである。---あなたがたはまだこのことを知らない。
 そして、たとえ盲目となっても、その模索、その手さぐりがなお、その人が見つめた太陽の力を証(あかし)すべきものなのだ。---あなたがたはまだこのことを知らない。
   [中略]
 あなたがたは、帆が海原(うなばら)を渡って行くところを見たことがないのか? はげしい風に背を丸め、膨らんで、おののきながら渡って行く所を?
 その帆のように、精神の激しい風におののきながら、わたしの知恵は海を渡って行く、わたしの「荒々しい知恵」は!
(氷上訳、岩波文庫。太字強調はニーチェ。下線は引用者)
◇ニーチェにとって精神は炎でもなく、火花でもない。激しい風となって知恵の帆船に海を渡らしめる。

○原典。
>Aber Volk bleibt ihr(=berühmten Weisen) mir auch noch in euren Tugenden, Volk mit blöden Augen, - Volk, das nicht weiss, was Geist ist!
Geist ist das Leben, das selber in's Leben schneidet: an der eignen Qual mehrt es sich das eigne Wissen, - wusstet ihr das schon?
Und des Geistes Glück ist diess: gesalbt zu sein und durch Thränen geweiht zum Opferthier, - wusstet ihr das schon?
Und die Blindheit des Blinden und sein Suchen und Tappen soll noch von der Macht der Sonne zeugen, in die er schaute, - wusstet ihr das schon?
  〔...〕
Saht ihr nie ein Segel über das Meer gehn, geründet und gebläht und zitternd vor dem Ungestüm des Windes?
Dem Segel gleich, zitternd vor dem Ungestüm des Geistes, geht meine Weisheit über das Meer - meine wilde Weisheit!
(下線は引用者)

=====
◇ルーの詩に戻ると、この詩において注目すべきは最初の二行だと思われる。

>Gewiss, so liebt ein Freund den Freund,
>wie ich dich liebe, räthselvolles Leben !

>きっと、私がお前を愛するように、謎にみちた人生よ!
>そのように友は友を愛するのだ ---

 ルーにとっては、自分が(謎にみちた)生を愛することがどういうことかがよく分かっていて、その実感をもとにして、(友が)友を愛するとはどういうことかを推測しているのであって、その逆ではない。ルーは(謎にみちた)生に魅惑されている。個々の友人のだれかれよりも。実際『回想録(Lebensrückblick)』でルーは「räthselvolles Leben」(謎にみちた生)ではなく「Räthselleben」(謎=生)という語による詩をニーチェに呈示したと語っている。「Räthselleben」という語はより直裁だが意味する所を読み解きにくい。「räthselvolles Leben」への書き換えは、そこをともあれ通りやすくするためのニーチェによる修正ではないかと愚考する。
 ともあれこの詩でルーは、自分が生の謎に魅惑されていて、その謎解きに人生のすべて、感受性の最後の一滴までを賭けて進んでゆきたいという思いを語っている。だれかれへの献身ではなく、生への献身、灼熱の中に身を投じる実験によって、幸いと悲嘆、歓喜と苦痛のすべてを認識し、その謎の全てを解き尽くしたいというそのような形での生への献身を語っている。
 (ルーの「生への讃歌」にはさらに別稿もあり、それらを詳細に検討したいところだが、それも別の機会にゆずる)


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秋の日

2013/09/18 14:24
瀬谷こけし
 昨日は久しぶりの休日だった。たいしたことをしていない。「ふたばや」が休業日らしく閉まっていたために、予定が狂った。それで市原野に行った。---透明で穏やかな秋の日差し。どこかで「あと二日の南国のような日差しを彼らに与えて下さい」というリルケの言葉がひびく。ルー・ザロメとJ.H.マッケイ(「モルゲン」の作詞者)の間に交流があることを知ったのは、ルーの『回想録』の中でだった。ニーチェとR.シュトラウスをつなぐ糸の一つだ。「モルゲン」の中にはニーチェの本質的な影が落ちていないか? とりわけその"wieder"の中に。
 今晩、伊豆大島に向かって発つ。お月見のために。(その後花巻)

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《生への讃歌》 拙訳つき

2013/05/09 12:51
瀬谷こけし
 フリードリッヒ・ニーチェ作曲、ルー・ザロメ作詞の《生への讃歌》(Hymnus an das Leben)の、楽譜上の文字テキストを起したものと、その拙訳を紹介します。併せて参考に、ルー・ザロメの《生への祈り》(Lebensgebet)のドイツ語テキスト(『回想録』のもの)と、その市販訳本日本語訳と拙訳を紹介します。
 誤りを含め、お気付きの点があればお知らせいただければ幸いです。


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HYMNUS an das Leben
für
Gemischten Chor und Orchester
Componiert
von
FRIEDRICH NIIETSCE
LEIPZIG
E. W. Fritsch.

HYMNUS an das Leben

Gewiss, so liebt ein Freund den Freund,
wie ich dich liebe, räthselvolles Leben !
Ob ich gejauchzt in dir, geweint,
ob du mir Leid, ob du mir Lust gegeben,
ich liebe dich mit deinem Glück und Harme,
und wenn du mich vernichten musst,
entreisse ich mich schmerzvoll deinem Arme,
wie Freund sich reisst von Freundes Brust,
wie Freund sich reisst von Freundes Brust.

Mit ganzer Kraft umfass' ich dich.
Lass deine Flamme meinen Geist entzünden
und in der Gluth des Kampfes,
mich die Räthsellösung deines Wesens finden !
Jahrtausende zu denken und zu leben wirf deinen
Inhalt voll hinein !
Hast du kein Glück mehr übrig mir zu geben,
wohlan ! Noch hast du deine Pein...
wohlan ! Noch hast du deine Pein...

http://www.nietzschesource.org/facsimiles/DFGA/HYM


生への讃歌(拙訳)

きっと、私がお前を愛するように、謎にみちた人生よ!
そのように友は友を愛するのだ ---
私がお前の中で歓声を上げたにせよ、涙したにせよ、
お前が私に苦悩を与えたにせよ、快を与えたにせよ、
私はその幸(さいわ)いと悲嘆とともにお前を愛している、
そしてもしお前が私を破滅させねばならないならば、
私は苦しみいっぱいにみずからをお前の腕から救い出す
友が友の胸から自分をもぎ離すように。
友が友の胸から自分をもぎ離すように。

全力で私はお前を抱擁する!
お前の炎が私を燃え上がらせるにまかせよ、
そして闘争の灼熱の中でわたしが
お前の存在の謎を解き明かすのを許せ!
数千年間生き、考えつづけたい、そうすればおまえの中身を
すっかりとそこに投げ入れることができる!
お前はもはや私に与える幸(さいわい)を何も残していないのか ---
ならばよし --- お前はまだお前の責め苦をもっている。
ならばよい --- お前はまだお前の責め苦をもっている。


http://youtu.be/FIOIUlDB5yU


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Lou Saloméの<< Lebensgebet (生への祈り)>>

 ルー・ザロメ(Lou Salomé)の《生の祈り》(Lebensgebet)の原文と邦訳と拙訳。まずはルーのテキストから。典拠は、Lou Andreas-Salomé, Lebensrückblick, Verlag tredition GmbH, Hamburg。詩はその32頁。


Lebensgebet 

Gewiß, so liebt ein Freund den Freund,
Wie ich Dich liebe, Räselleben -
Ob ich in Dir gejauchzt, geweint,
Ob Du mir Glück, ob Schmerz gegeben.

Ich liebe Dich samt Deinem Harme;
Und wenn Du mich vernichten mußt,
Entreiße ich mich Deinem Arme
Wie Freund sich reißt von Freundesbrust.

Mit ganzer Kraft umfaß ich Dich!
Laß Deine Flammen mich entzünden,
Laß noch in Glut des Kampfers mich
Dein Rätsel tiefer nur ergründen.

Jahrtausende zu sein! zu denken!
Schließ mich in beide Arme ein:
Hast Du kein Glück mehr mir zu schenken --
Wohlan -- noch hast Du Deine Pein.
(イタリックは原著者)


 次に参考のために、山本尤氏の訳を示す。

生の祈り

確かに、一人の友が友を愛する
私があなたを愛するように、謎の生---
私があなたの中で歓声を上げたか、泣いたかどうか、
あなたが私に幸福を、苦しみをくれたかどうか。

私はあなたを愛する、あなたの深い悲しみともども、
もしあなたが私を滅ぼさねばならないなら、
私はあなたの手から身を振りほどく、
友が友の胸から身をもぎはなすように。

私は全力でもってあなたを抱く!
あなたの炎で私を燃やせ、
戦いの火の中で私に
あなたの謎をもっと深く突き止めさせよ。

何千年でも考えること!
二つの腕の中に私を囲め、
あなたは私に幸福を贈ることはない---
よろしい、あなたは今もあなたの苦しみをもっている。
(山本尤訳、『ルー・ザロメ回想録』、2006年ミネルヴァ書房、pp.33-34)


 次に拙訳を示す。

生への祈り(拙訳)

きっと、私がお前を愛するように、謎である人生よ、
友は友を愛するのだ ---
私がお前の中で歓声を上げたにせよ、涙したにせよ、
お前が私に幸(さいわい)を与えたにせよ、苦痛を与えたにせよ。

私はお前の与えた悲嘆とともにお前を愛している。
そしてもしお前が私を破滅させねばならないならば、
私はみずからをお前の腕から救い出す
友が友の胸から自分をもぎ離すように。

全力で私はお前を抱擁する!
お前の炎が私を燃え上がらせるにまかせよ、
闘争の灼熱の中でわたしが
お前の謎をひたすら深く解き明かすのを許せ。

何千年も生きたい! そして思考したい!
私をお前の両腕の中に閉じ込めよ:
お前はもはや私に贈る幸(さいわい)を何も残していないのか ---
ならばよし --- お前はまだお前の責め苦をもっている。



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タイトル 日 時
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《友情への讃歌》(HYMNUS AN DIE FREUNDSCHAFT)  ルー・ザロメ/ニーチェの《生への讃歌》ないしは《生への祈り》を「友情への讃歌」と解釈する人間がいる。それが誰かを正確には知らないが、そのタイトルの曲を演奏しているのはJOHN BELL YOUNGだ。よい演奏だと思う。  だがそれ以上に、このタイトル《友情への讃歌》(HYMNUS AN DIE FREUNDSCHAFT)という翻案には、一層すばらしい着想があるように思う。少なくとも、ルーが自作の詩「生への祈り」で言おうとしている「生」は、ほぼ友情に近いものに思えるからだ。このことについて... ...続きを見る

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2013/04/07 23:55
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ルー・ザロメの《生への祈り》 拙訳--(《生への讃歌》7) Lou Salom&eacute;の&gt;  ルー・ザロメ(Lou Salom&eacute;)の《生の祈り》(Lebensgebet)の原文と拙訳を示し、若干の解説をする。まずはルーのテキストから。典拠とするテキストは、Lou Andreas-Salom&eacute;, Lebensr&uuml;ckblick, Verlag tredition GmbH, Hamburgである。詩はその32頁にある。 ...続きを見る

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2013/03/25 23:20
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生の全体性 ルー・ザロメ『回想録』のエピグラフから  ルー・アンドレアス-ザロメの『回想録』のエピグラフを訳し、紹介したい。  まずドイツ語から。 ...続きを見る

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《生への讃歌》4 『神をめぐる闘い』の中の《生の祈り》  ルー・ザロメは1885年の著作『神をめぐる闘い』(Im Kampf um Gott …)の第五章の終わりの所で、&gt;(生の祈り)というタイトルの詩を紹介している。これは、彼女が晩年『回想録』の中で提示している同名の詩とかなり違っていて、むしろニーチェが作曲した&gt;(生への讃歌)の歌詞と非常に近いものだ。便宜のためにまずその詩を紹介しておく。 ...続きを見る

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2013/03/11 03:38
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《生への讃歌》3 ルー・ザロメの《生の祈り》と《生への讃歌》  ルー・ザロメの『回想録』(Lebensr&uuml;ckblick)から&gt;&gt;Lebensgebet&gt;Hyumnus an das Leben&gt;LebensgebetLebensgebet ...続きを見る

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《生への讃歌》2 --ルー・ザロメの『ニーチェ 人と作品』から  やはりはじめにドイツ語を上げておく。 > Je h&ouml;her er sich, als Philosoph, zur vollen Exaltation der Lebensverherrlichung erhob, je tiefer litt er, als Menschen, unter seiner eigenen Lebenslehre. Dieser Seelenkampf, die wahre Quelle seiner ganzen letzt... ...続きを見る

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『この人を見よ』の中の《生への讃歌》について  ニーチェの『この人を見よ』の中の《生への讃歌》についての記述を紹介しておく。はじめにドイツ語で。 ...続きを見る

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2013/02/20 01:57
生への讃歌
生への讃歌  「生への讃歌」のテキストを紹介しておきます。意外とこのテキストは手に入れにくいものだと思います。原典はライプツィヒのフリッチュ社から発行された楽譜です。今は注釈も、日本語訳もつけずに、原典の紹介を旨とします。役立てていただければ幸いです。 なお全体を一度見直しましたが、まだ誤りがあるかもしれません。お気付きの方はご指摘いただければ幸いです。 ...続きを見る

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2013/02/10 02:08

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