「山中智恵子論 七 ---佛眼佛母・不思議・ことはり・最短距離」本日完成

瀬谷こけし
 最終締切と言われていた十五日を過ぎてしまっていたので、肩に重い何かが負ぶさっているようだった。それがやっと消えてくれた。『日本歌人』七月号に掲載される予定です。
 今日、上高野は田植え。書き終えて送ってなどをしていると家を出るのが五時近くになっていた。田植えはその時間にはどこの田でももう終わっていた。田植機の姿も見えなかった。
 去年は田植えの日になぜかカメラをもって近所を歩いていて、宮野さんが忙しく動き回っているのに出会ったり(忙しいのでちょっと挨拶してくれただけだ)、そして宮本さんの散歩をしているのに会ったりした。そこで出会って、そして写真を撮らせてもらったりしたのが切っ掛けで、聞書きをさせてもらうことになったのだった。いつも話してもらっていることを纏めさせてもらいたかった。「京都地域学」のために普通の京都の人のライフ・ストーリーを描きたかったのだ。親が遊び人で、財産をすっかり失い、小さい頃は掘立小屋の家に住んでいて、皆から「小屋スケ」と呼ばれていたんだという。それが頭もよく、要領もよいところがあって、さらに懸命に働いて、やっと自分の家が建てられたというところまで、三ヶ月ぐらいかかって話を聞いた。残念ながらまだ纏めていない。モデルとして念頭に置いていたのは林格男さんの『土座物語』だ。これは知る人ぞ知る隠れた名著だ。小作人になることを夢とも目標ともするような「極難」の生活を強いられた一家の三男が、小学校の校長先生の配慮などもあって、学校の教師になってゆく話が軸になっている。それが林さんのお父さんだ。飛騨の国の骨太の暖かい人々の話。いずれ書評風にまとめてみよう。

 わたしの「山中智恵子論 七」は、歌集『夢之記』の冒頭の一首と、掉尾の一首とを結びつけてその一貫性を示したもの。それぞれ、
  短歌への最短距離を生きてきてとほく日常をとほざかりぬる
  あのともしびを消したまへとよ春の夜はいとしきものの降りくるを待つ
の歌だ。
それとプロローグの富士谷成章の「あめつちの言霊はことはりをもちて静かに立てり」ということばを結びつける。
もちろんその間に数首の歌を引くが、それは一首を除いてさほど重要ではない。重要な一首とはこれだ。
  〈扇とはげにそらごとよ彗星(はうきぼし)〉うらうらとして狂ひに入らむ
これだけのものを骨格にしただけで、よく書けたものだと思う。同じ歌集の中の「雨師すなはち帝王にささぐる誄歌」についての論を先月「山中智恵子論 六」として纏めていたのでできた、ということはある。昭和天皇の大喪への誄歌めぐって、前回は吉本隆明の批判をした。今回は春日井建の批判をした。それがあまりにシビアなものなので、空気が荒みそうになってしまう。しかしだからこそ山中智恵子の「短歌への最短距離」が見えて来るのだ。その姿勢をたもてば、「あめつちの言霊のことわり」から外れることはない。その「ことはり」の内容については『日本歌人』六月号の拙論を見ていただきたい。この一本の論文で、わたしの今年の仕事は終わってもいい、というだけのことはしている。
 今回は原田禹雄さんの思索にも助けられている。『老眼昏華』に歌われ、語られている思想だ。わたし自身が山中智恵子さんにどれだけ支えられてきたか、ということを自覚する原稿書きだった。




林格男 『土座物語』 (日本の古書店 検索ページ)

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