永井陽子の「みなかみの鶴」

瀬谷こけし
永井陽子の『全歌集』が届いた。探したい歌が一首あったのだ。
歌は『なよたけ拾遺』の中にあった。この歌だ。

  なだらかに明日へとつづく橋を絶つそのみなかみに鶴は燃ゆるも

「みなかみ」と「鶴」が記憶にあった。

鞍馬の下宿でこの歌を最初に目にした時ももうひとつよく分からない歌だった(「みなかみ」は漢字で「水上」だった気がする)。
前後の歌を検討して解釈を定めたい。

思うに、

わたしは燃える鶴として水上に待っています。もうこれまでの人生を続けることはできません。
橋は自分で断ち切りました。

そんな求愛の歌、より正確には相手からの求愛を待っている歌か?
明確な覚悟が語られているだろう。

『全歌集』に引かれている菱川善夫氏の解釈は、
「主題は幼い世界からの別れであろう。『みなかみ』に燃えている一羽の鶴---それは別れの哀しみの純粋燃焼であろう。なにかを断とう、なにかを消そうと彼女は決意しているのだ。青春の時間の中で、盲目的に生きてはいけないという出立の決意がここにはある。こういう鋭い自覚、その悲しみが燃える鶴のイメージを生んだのだと私には思える。」
だ。
だがおそらくそれはこの歌の半面だ。燃える鶴としてあなたを待っている、こういう(心の)向かおうとするものが明確になければ、橋を断ち切ることはできないだろう。
断つということ、断ったということをこの歌は伝えている。

永井の友人で詩人の大西美千代さんはその辺の事情について何かご存知だろうか。ご存知であれば教えてもらいたいと思う。




永井陽子全歌集

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