こんな質問があった 宮沢賢治『なめとこ山の熊』

瀬谷こけし
 前回報告した京都市立芸大の「日本文化論」の授業の、感想レポートだ。
http://25237720.at.webry.info/200712/article_17.html
 ある学生のレポート。プライバシーに配慮してKAさんとしておく。
 「『人間の方が熊より記憶力が優れているというのをお互いに認めている』というのは、少しひっかかるなと思います。実世界や常識では確かにそうかもしれませんが、この話の中では、熊は二年間の約束を覚えていて実行している。小十郎を特別な存在と思い続けている。この話では熊と小十郎の間に知的能力のギャップはないと思います。」
 鋭いところを衝いてくる。実を言えば、わたしはこの質問にどう答えられるのか、まだまとまった答えを発見していない。だが、ともかく「熊と小十郎の間に知的能力のギャップ」はあるとわたしは考えている。とするとどうなるのか?
 未来に向けた「約束の記憶」と、神のごとき「存在を与える記憶」は違うということになるだろう。約束の記憶は将来への行動計画の中に組み込んでおかなければならない。それに基づいて生活を組み立ててゆくのだ。だから一旦インプットしておけば忘れにくい。こういう記憶ならそう無理なく熊にももたせられるのではないか。だが存在を与える記憶は思い出の記憶だ。その思い出の中に、ある律義さをもって、小十郎は自分が恩恵を受けた熊たち、山の神の変り身の姿を刻み込んでいるのだ。恩恵を感じ、そしてそれを忘れないということ、このことが熊たちに小十郎を受け入れさせ、好かれ、そして最後には哀切な礼拝による送りをもって応えられるところとなるのである。そうではないのだろうか?

 もう一つ、KAさんは「水の変形」というまことに素晴らしい着想を示してくれた。これはKAさん自身の名誉にすべきことだ。だからここでは詳述しない。これについては、今は---「修羅の成仏」---とだけ答えておこう。これもまた宮沢賢治の非常に深い深層を照らし出してくれる質問であり、洞察であり、示唆である。まったく感心している。
 こうして学生たちの新鮮な読みに目を覚まさせられながら、わたしたちの作品読解はより深く、より豊かなものになってゆく。

宮沢賢治全集 (7) (ちくま文庫)

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