鶏と快癒の哲学

瀬谷こけし

そういえば(小泉文夫とインドネシアの鶏のつづきだが)、アスクレピオス神殿への供犠も雄鶏を捧げるものだった。この供犠はコス島からはじまったらしいが(ケレーニーによる)、どちらも太陽の来訪、夜明けとつながる。ツァラトゥストラの「序説」の冒頭もそうだ。

(ツァラトゥストラの)太陽による病からの回復というテーマも、ソクラテス-アスクレピオスから繋がっているかもしれない。「病の哲学」の他に「快癒の哲学」も要るということか。私には「快癒の哲学」の方が向いている。

それにしても『病いの哲学』の著者は*、ソクラテスの最後の言葉をどう考えるのだろう。その言葉はわたしには「わたしはアスクレピオスのお陰で、病の一生とはいえ無事一生を終えることができたのだ」という風に聞こえる。彼、ソクラテスは快癒していたようには見えないのだ。「ソクラテスよ、音楽をやれ!」

果たして音楽(ムーシケー)をやらない者に快癒が訪れるだろうか?




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* 『病いの哲学』の著者とは小泉義之さんのこと。


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