一期一会 一座建立

瀬谷こけし
 久しぶりにシノゴを持ち出した。秋に(9/21-9/26)写真の個展を開くことにしたので、そのための準備ということもある。出品作35枚はもう決まっているが、場合によっては差替えなどもあるかもしれない。それと、何だかこのごろの写真の撮り方に自分でも少し安直に感じるところが出て来たからだ。何かを忘れてしまっている。ちなみに出品予定の写真はほとんどすべてがハッセルブラッドで撮ったものだ。その見えの美しさに納得してしまったところが大きい。だがハッセルを使い出して、まだ一年にもならない。使い出した時、ハッセルで写る写真はとても新鮮だった。撮るだけで、美の型にはまって、苦もなく美しい写真が撮れてしまう、という感じだった。だが多分それと同時に、何かを忘れてしまった。それは何だったのか?
 そんな自問もあったのだと思う。
 シノゴで構えていると、どうしても思い出して来るものがある。それは一枚を撮るために掛かる時間の長さ。ピントと構図を決めるだけで、何分もかかる。だがそれはそれだ。ピントと構図を決めて、そしてフィルムと絞りとシャッターをセットして、そしてケーブルレリーズを構えて、それからだ。それからの時間だ。この時間、写真に何が写るかを確認することができない。だからファインダーを通してではなく、なまの目で、なまの空間の中で被写体を見ている。その間の相手(被写体)の振舞いをよーく見ることになる。そしてその振舞いとともに考えることがある。
 撮り方にもよるが、f/45で撮ると、シャッターは1/4秒か、今日のように晴れた日でも1/8秒ぐらいになる。その間、相手はじっとしてくれていない。ずっと、ずっと相手の振舞いを見て、この先1/8秒は静かにしていてくれそうな瞬間を読んで、シャッターを切る。
 大きな景色なら別だが、わたしのように小さな草などを撮っていると、その振舞いをずっと長いこと見守っていることになる。風がそこに当たる寸前の瞬間を読まなければならないのだ。そうして見続けることによって、その草が風とどう付き合っているのか、四六時中どんな風にかかわり続けているのか、そんなことがよく分かって来る。植物は風を読む天才なのだ。
 こんな風にしてわたしも、その草花と長いこと付き合うようになる。それがわたしにはとても大事な時間だったことに気づく。シャッターを押して一枚の写真を撮ること、それは一期一会のようなものだ。だがそれに先立つ長い付き合いの時間、それはまさに一座建立の時なのだ。カメラを構えることから、光や風を読んで、最後にシャッターを押すまで。写真を撮るとは、一座を建立して、ともに同じ時を過すことなのだ。
 ハッセルブラッドを使うようになってわたしが忘れてしまったのは、この、相手とともに過す同じ時間のことなのだ。この時間を、わたしと被写体とはともに過し、そして敢えて言えば、ともに老いてゆくのだ。時の共有。その貴重さ。デジイチを使うようになって、それをわたしはさらに忘れてしまった。

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(どちらもカメラはウィスタ4×5。レンズはアポ・Sジンマー150mm。f/45、1/8sec.、フィルムはアスティア)





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