別れ道

瀬谷こけし
 今日は夕日もすばらしく、また月も細くてカッコよかった。「文学研究」の授業の初日、午前中仲先生、午後からわたしで、短歌についての講義をした。仲先生の話をうけて始め、そして前日に構想していた通りの講義が出来た。塚本邦雄の「袖に玉散る」を導入に使って、山中智恵子の「虚空日月夢邃きかも」の歌とそれに対する応答として塚本の「馬を洗はば」を解釈する、というプランを実行することが出来た。授業をして気付いたのは塚本の「袖に玉散る」の中の歌の読みがかなり粗いということだ。定家の、良経の歌を読み切れていない……。
 今日のこの講義をしたことで、わたしは自分の時間を11年前に戻すことが出来た。その年の授業で、わたしは次回は六百番歌合わせについて語ると予定(予告)しておきながら、実際はその時もっとも関心の厚かった熊狩りの話に変えてしまったのだ。日本文化論の授業だったと思うので、王朝文化と地方の狩猟文化を両方教えることが重要だともとから考えていたのだが、その年の2月、橋本繁蔵さんに熊狩りに連れていってもらって、見事ひとつ獲るところを、ビデオに撮影できていたので、その紹介を多少急ぎたい気持ちがあったのだ。
 今日は、塚本の六百番歌合わせの知識背景のもとの新古今集を読むという試みの点検をしたことになる。歌合わせを背景にして読んでも、雑知識が増えるだけで、何も歌の読みが深くなるわけではない。そうした雑知識ならどこにでも転がっている……。

 わたしは、今日の授業で、短歌史の最も深い深みを語ることが出来たと思う。今後は、歌合わせ(とりわけ六百番歌合わせ)を背景にした新古今の読みを試みて行こうか?
 今日の授業では、永井陽子の歌二首(るるるる……/比叡山お化け屋敷)についても、山中智恵子の「鳥髪」についても、佐々木八郎の「わだつみのこえ」についても、宮沢賢治の「烏の北斗七星」についても、立原道造の「のちのおもいに」「浅き春に寄せて」、伊東静雄「わがひとに与ふる哀歌」についても語った。それらを緊密な問題連関の中に置いて。
 わたしは、もっともっと短歌について語って行かなければならないのかもしれない。馬場あき子に「今後の山中智恵子研究が望まれる」(『現代短歌の鑑賞事典』p.284)などと言わせておきたくないのだ。




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