《宮沢賢治の修羅 ノート8 「蜘蛛となめくぢと狸」》

瀬谷こけし
 宮沢賢治の最初期の童話作品を紹介しておきたい。「蜘蛛となめくぢと狸」は賢治の処女作の童話で、大正七(1918)年八月に家族に読んできかせたものであるという。以下のテキストを、天沢退二郎は、このとき家族に読みきかせたものに幾らか推敲を加えたものである、と推定する。しかしともあれわれわれはこのテキストの内に上記の時期における賢治の思索を探ってみたい。ここでは最も典型的なものとして、その第三節「顔を洗わない狸」を取り上げる。
次の様な点が注目される。
1.権力の一形式、仲介者の権力についての洞察。ここで狸は他者の身体に触れ、侵食し破壊する権力をもつが⑥、この権力は超越的な権力と権威をもつ「山猫大明神」の代理人、その「身代り」⑮という資格を称することによって手に入れている。「狸」はその代理人として世俗的、現実的な権力をもつ。
2.現実的な権力を描くためにユーモアという方法を身につけている。賢治は世俗的権力のありさまを描くにあたって、直接的な形象を用いず、「狸」という動物形象を用い、相互の宗教的信仰を純化させる行為に「なまねこ、なまねこ」と唱える「念猫」という行法を創案している⑤。この方法によって、ストレートな対決を回避している。他方「修羅」の形象のもとにおいては、「帝釈天と戦う阿修羅」の図式のもとに、権力とストレートに戦う者の姿が示される。
3.飢渇の共有。登場者が狼以外はすべて飢餓や空腹に直面しており①②、腹黒い狸⑧ですら空腹に苦しみ①、その悪行も「生存のため」として許容される余地を残している。
4.良心の疚しさを突く宗教的説得術。狸がストレートな戦いでは勝ち目がない狼に勝利するのは、狼自身が多くのものの命を奪ってきたことに対して良心の疚しさを感じており⑭、そこに超越的な「山ねこさま」によって加えられる「責苦」の途方もない恐ろしさを予感するからである。良心の疚しさとそれを攻撃する超越的な神格のもたらす恐怖。「懺悔せよ」という処方⑭。それによって狸は狼に勝利する。狼とは誰か? 賢治自身の強者としての自覚であろう。(これはニーチェの「疚しい良心」の理論そのままだ)
5.良心の疚しさの一般性。兎ですらみずからを「悪いもの」と自覚しており、そこに良心の疚しさを感じている⑧。
6.狸のそら涙と、うそ正直⑨⑪。狸も被害者とともにする懺悔において、ボロボロと涙を流し、また自分を「あさましいもの」として懺悔するが、みずからを「あさましい者」とするこの認識・評価は適切なものに見える。そこには狸の偽らぬ自省も幾らかはあると見える。その正直さによる誘惑、説得。
 とりあえず以上のような点を注記しておく。

作品「蜘蛛となめくぢと狸」より 
三、顔を洗わない狸(たぬき)

 狸は顔を洗ひませんでした。
 それもわざと洗はなかったのです。
 ①狸は丁度蜘蛛(くも)が林の入口(いりくち)の楢(なら)の木に、二銭銅貨位の巣をかけた時、すっかりお腹(なか)が空(す)いて一本の松の木によりかかって目をつぶってゐました。すると兎(うさぎ)がやって参りました。
「狸さま。②かうひもじくては全く仕方ございません。もう死ぬだけでございます。」
 狸がきもののえりを掻(か)き合せて云ひました。
「③さうぢゃ。みんな往生ぢゃ。④山猫(やまねこ)大明神さまのおぼしめしどほりぢゃ。な。なまねこ。なまねこ。」
 兎も一緒にに⑤念猫(ねんねこ)をとなへはじめました。
「なまねこ、なまねこ、なまねこ、なまねこ
。」
 ⑥狸は兎の手をとってもっと自分の方へ引きよせました
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどほり、なまねこ。なまねこ。」と云ひながら兎の耳をかじりました。兎はびっくりして叫びました。
「あ痛っ。狸さん。ひどいぢゃありませんか。」
 狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、
なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどほり。なまねこ。」と云ひながら、たうとう兎の両方の耳をたべてしまひました。
 ⑦兎もさうきいてゐると、たいへんうれしくてボロボロ涙をこぼして云ひました
「なまねこ、なまねこ。あゝありがたい、山猫さま。⑧私(わたし)のやうな悪いものでも助かりますなら耳の二つやそこらなんでもございませぬ。なまねこ。」
 ⑨狸もそら涙をボロボロこぼして
「なまねこ、なまねこ、私(わたくし)のやうなあさましいものでも助かりますなら
手でも足でもさしあげまする。あゝありがたい山猫さま。みんなおぼしめしのまゝ。」と云ひながら兎の手をむにゃむにゃ食べました。
 兎はますますよろこんで、
「あゝありがたや、山猫さま。⑧’私(わたくし)のやうないくぢないものでも助かりますなら手の二本やそこらはいとひませぬ。なまねこ、なまねこ。」
 狸はもうなみだで身体(からだ)もふやけさうに泣いたふりをしました。
「なまねこ、なまねこ。⑪私(わたし)のやうなとてもかなはぬあさましいものでも、お役にたてて下されますか。あゝありがたや。なまねこなまねこ。おぼしめしのとほり。むにゃむにゃ。」
 兎はすっかりなくなってしまひました。
 そこで狸のおなかの中で云ひました。
「⑫すっかりだまされた。お前の腹の中はまっくろだ。ああくやしい。」
 狸は怒って云ひました。
「やかましい。はやく消化しろ。」
 そして狸はポンポコポンポンとはらつゞみをうちました。
 それから丁度二ヶ月たちました。ある日、狸は自分の家(うち)で、例のとほりありがたいごきたうをしてゐますと、狼(おほかみ)がお米を三升さげて来て、どうかお説教をねがひますと云ひました。
 そこで狸は云ひました。
「⑬みんな山ねこさまのおぼしめしぢゃ。お前がお米を三升もって来たのも、わしがお前に説教するのもぢゃ。山ねこさまはありがたいお方ぢゃ。兎はおそばに参って、大臣になられたげな。⑭お前もものの命をとったことは、五百や千では利くまいに、早うざんげさっしゃれ。でないと山ねこさまにえらい責苦(せめく)にあはされますぞい。おゝ恐ろしや。なまねこ。なまねこ。」
 狼はおびえあがって、きょろきょろしながらたづねました。
「そんならどうしたら助かりますかな。」
 狸が云ひました。
「⑮わしは山ねこさまのお身代りぢゃで、わしの云ふとほりさっしゃれ。なまねこ。なまねこ。」
「どうしたらようございませう。」と狼があわててききました。狸が云ひました。
「それはな。じっとしてゐさしゃれ。な。⑯わしはお前のきばをぬくぢゃ。な。お前の目をつぶすぢゃ。な。それから。なまねこ、なまねこ、なまねこ。お前のみゝを一寸(ちよつと)かじるぢゃ。なまねこ。なまねこ。こらへなされ。お前のあたまをかじるぢゃ。むにゃ、むにゃ。なまねこ。⑰堪忍が大事ぢゃぞえ。なま……。むにゃむにゃ。お前のあしをたべるぢゃ。⑱うまい。なまねこ。むにゃ。むにゃ。おまへのせなかを食ふぢゃ。⑱うまい。むにゃむにゃむにゃ。」
 狼は狸のはらの中で云ひました。
「こゝはまっくらだ。あゝ、こゝに兎の骨がある。誰(たれ)が殺したらう。殺したやつは狸さまにあとでかじられるだらうに。」
 狸は無理に「ヘン。」と笑ってゐました。
 さて蜘蛛はとけて流れ、なめくぢはペロリとやられ、⑲そして狸は病気にかかりました。
 それはからだの中に泥や水がたまって、無暗(むやみ)にふくれる病気で
、しまひには中に野原や山ができて狸のからだは地球儀のやうにまんまるになりました。
 そしてまっくろになって、熱にうかされて、
「⑳うう、こはいこはい。おれは地獄行きのマラソンをやったのだ。うう、切ない。」といいながらたうとう焦げて死んでしまひました。
        *
 なるほどさうしてみると三人とも地獄行きのマラソン競争をしてゐたのです。
(『文庫版全集』巻5)
(下線及びその番号は引用者)

=====追記(2014.4.21=======

この作品、〔秘事念仏の大師匠〕(『文語詩稿一百篇』)とも関連するか?


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