《前川佐美雄短歌抄 1》

瀬谷こけし
マンサクの葉
詩仙堂
(2015.11.7)
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 今日では読む人も少なくなっているであろう前川佐美雄の短歌を、少し纏めてみたい。今は世の中に佐美雄のように、おのれの内のどうしようもない鋭さ、あぶなさと日々対決している人間が少なくなっているように見える。むしろさまざまなお約束ごと、(例えば放送コードなど)があって、それにちょっとでも抵触した者をただちにはじき出し、二度と公共の場に戻れなくするシステムが緻密に張りめぐらされている時代に見える。文学や芸術の分野においても似たような締め出しが進んでいる。---贅言はやめよう。前川佐美雄が短歌という文学の場で示したことを知る人間が生まれれば、何かは変るだろう。その変化は大きいだろう。「この人を見よ!」そんな標語の下に、前川佐美雄の歌を紹介したい。



『植物祭』「故園の星」より

 ○かなしみ
かなしみを締めあげることに人間のちからを尽くし夜もねむれず
人間の世にうまれたる我なればかなしみはそつとしておくものなり
かなしみはつひに遠くにひとすぢの水をながしてうすれて行けり
  *かなしみの解消法。「流してうすれさせる」。前登志夫:かなしみは明るさゆえに……
 ○さびしさ
晴着きて夜ふけの街に出でてをる我のさびしさは誰も知るまじ
ひとの世に深きうらみをもちをれば夜半の涙も堪えゐねばならぬ
床の間に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いてみてゐし
  *わたしがわたしの首を見る。しかも床の間に祭られている素晴らしさ。さびしさの勲章のごときもの。Splendid!
 ○隣住
幾千の鹿がしづかに生きてゐる森の近くに住まふたのしさ
  *鹿。野生の生きものの気配を近くに感じながら生きる素晴らしさ。
百年このかたひと殺しなきわが村が何で自慢になると思へる
何といふこはさまざまの小虫らよ青草の根にかたまりひそむ
幾萬の芽がうつぜんと萌えあがる春を思へば生くるもたのしき
  *生きるたのしさをどこに発見するかという基本的問題。
 ○四角い部屋
なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす
  *角部屋だと隅が出来、隅には暗がりができる。それが恐い。
四角なる室のすみずみの暗がりを恐るるやまひまるき室をつくれ
  *そこで、
丸き家三角の家などの入りまじるむちゃくちゃの世が今に来るべき
 ○研ぎすまされる感応感覚(床下の暗がり)
生きものの憎しみふかき蛇ながらとてもわれには殺すちからなき
床下の暗さにいちづに向いてゆくわが頭なり物をつきつめるなり
眠られぬ夜半におもへば地下ふかく眠りゐる蛇のすがたも見ゆる
どろ沼の泥底ふかくねむりをらむ魚鱗(うろくづ)をおもふ眞夜なかなり
 ○わがするどさ(気ぐるひ・気違ひ)
をさならのうた歌ひゐるなかに来てわがするどさのたまらざりしか
苦しさにのたうりまはる気ぐるひの重なるはてやつひに死ぬべし
  *「気ぐるひ」という正しい呼び名。
足もとの土がおちいつて行くごときかかる不安は消しがたきなり
燈の下(もと)に青き水仙を見つむれどこの氣ぐるひのしづまらぬなり
人の物を盗(と)りてならずと教へられとりてはならずと決めてゐるあはれ
夜半いねず窓うすしらむ朝がたにくるふ身なればいかにかなしき
外に出れば虐(さいな)まれがちのわがいのち押入の中にでも隠れたくなる
むらむらとむごたらしこころ湧くときのわが顔はあはれ気違(きちがひ)ならむ
 ○秋晴れ!
すつぽりと着物着かへて何処となくこの秋晴れに出でて行かましを
どうせこの虫にもおとるわれなれば今日の秋晴れにも寝てゐてあらむ
ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし
秋晴のかかるよき晝は犬も猫もまた豚も馬もあそびにきたれ






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