《西ウレ峠》

瀬谷こけし


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 岐阜県の郡上八幡と高山を結ぶ道、通称せせらぎ街道の最高点をなすのがこの西ウレ峠だ。標高1113m。わたしの人生の中でもこの峠は外せない。坂本トンネルが開通してから、そして郡上八幡まで東海北陸自動車道が通るようになってからは、この道を通ることが多くなった。京都から高山までは長い道のりなので、家族で旅行するときは途中何箇所かで休む。往路復路ともこの峠で休むことが多かった。春、つまり5月初めには、帰路よくここでツクシを取った。ツクシはわたしの小学校以来の好物なので、京都に持って帰って、ハカマを取って炒めて食べた。だが一番重たい思い出は、星の降る夜、つまり流星群が訪れていた夜のことだ。家族で流星を見ながら、願を掛けたことがあった。その時は義父の癌の確定診断が出ていて、もう手術日も決まっていた。その時は手術前の見舞いに家族で行ったのだった。手術が成功して、また元気になるようにということが、みなの一番の願いだった。だが開腹してみると、癌は、臓器の癒着がひどく、もう取れない状態だった。義父はその後五年も生きてくれた。洗いなおした仏壇を見ることもなく義父は逝った。
 この峠を、雪の夜中に通ったことも何度かある。連載していた岐阜新聞の記事の取材に、どうしても行かなければならなかった。またクマ狩りに連れて行ってもらう約束を果たすために、無理をしてでも行かなければならないこともあった。まったく一台の対向車にも会わなかったこともある。その頃は坂本トンネルが有料で、ゲートの小父さんに通れるか? と尋ねて、わからないという答えだったこともある。もちろん新雪が30cm以上積もったままということはなかったが。幸いこれまで無事に通ることができた。だが止まってしまった場合にも夜が過ごせるようにガソリンをいっぱいにしておくこと、いざとなった場合はどこまで歩いてゆくかを覚悟して決めておくことは欠かせないことだった。そして実際一度だけだが、ジェネレーターの故障で、車が止まってしまったことがあった。4WDの三菱のダンガンに乗っていた時だ。さいわいもう一度だけエンジンがかかって、そのまま、一度もエンジンを切らずに、コンビニで電話をかけて、閉店寸前に三菱の工場に持ち込んだことがある。かんじきやスパイク付きの長靴を用意していたとしても、30kmもの夜の雪道は歩けなかっただろう。だが最低でも10kmは歩く覚悟をしておかなければならない。そうして何度かは、死の近さを感じながら(車で)走っていた。そんなときはあの「新四郎」(柳田国男の『山の人生』のモデル)が、すぐそばで声をかけてきている感覚がしていた。
 ここはわたしの人生で忘れられない場所になった。
今日は日中の、除雪された帰路で、ほとんど不安はなかった(路面凍結の危険は少しあったが)。


*補注:
白川村出身の義父はこの峠のことを西ウレ」ではなく「西クレ」と呼んでいた。その方が伝統的な呼称かもしれないので追記しておきます。この峠名の由来を知っている方はあるだろうか?



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