《詩はすべて機会詩でなければならない》

瀬谷こけし
ドルンブルクの庭園の鳥の像
画像



 「詩はすべて機会詩でなければならない」(es müssen alles Gelegenheitsgedichte sein)
とゲーテは言う(『対話』1823年9月18日)。現実が詩のきっかけとなり、詩の材料をもたらしてくれていなければならない、ということだ。わたしはこのゲーテの意見に強く共感する。その「現実」(Wirklichkkeit)というのが、例えば夢の深い経験であってもよい。記憶の中で生じた出来事でもいい。そして現実に出会ったひとつのシーンでもよい。何であれ、経験された現実でなければならない、ということだ。そのきっかけにおいて、そして材料において。

 わたしはこのゲーテの経験論にまったく同意する。そしてまた短歌も同じように機会短歌でなければならないと思う。そしてその現実の経験から生まれる憧憬と。

 このゲーテの言葉、全体を紹介するとこうだ:
>つまり現実が詩に動機と材料とを与えなくてはならない。特殊な事件も、詩人が取り扱って普遍的な詩的なものになる。私の詩はすべて機会詩であり、現実に暗示され、現実に基礎を持っている。捏造した詩を私は尊敬しない。(出典等は前出)

>Aber es müssen alles Gelegenhaeitsgedichte sein, das heißt, die Wirklichkkeit muß die Veranlassung und den Stoff dazu hergeben. Allgemain und poetisch wird ein spezieller Fall eben dadurch, daß ihn der Dichter behandelt. Alle meine Gedichte sind Gelegenheitsgedichte, sie sind durch die Wirklichkeit angeregt und haben darin Grund und Boden. Von Gedichten, aus der Luft gegreiffen, halte ich nichts.(強調は原著者)



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック