《たましひの鞘》

瀬谷こけし
ナウムブルクの野で
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 山中智恵子の歌に次のものがある。

> いづくより生れ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘
    『紡錘』「鎮石」

歌集『紡錘』が1962年の刊行であれば、この歌を折口信夫が見た可能性は皆無であろう。もし折口がこの歌を知っていたら、彼は山中智恵子のもとに推参したのではないだろうか。これがわたしの言いたいことである。

 しかしわたしがこの歌に感じるのは何よりも慰藉である。たましいがたましいの鞘にいたたまれず、出てしまうこと、鞘の外にでてしまうこと、その悲痛な経験を知る人は知っている。そしてひとはひそかにその悲痛な、いわばわれを肉体から消失させるような経験を、この歌に読む。「薄きたましひの鞘」と歌う歌人は、みずからそうした経験を生きてゆく上でのふつうの当たり前のような経験としているひとである、ということはおのずから了解される。歌人山中智恵子はそういうひとだ。
 その、日常を悲痛の極みに置いている歌人が、この歌で、その脱魂の、消魂の悲痛を、「われわれの経験」として歌ってくれているのだ。「われらに薄き」と。この慰藉の大きさはまことに語りようもないほどだ。
 そのようにわたしはこの歌を理解し、わたしに対する慰めでもあると諒解していた。

 しかしわたしの理解するところ、折口信夫は、たましいが肉体から消え出てしまう経験について、明確な理解をもてなかったように思う。この、霊やたましいの出入りについて、折口が得た経験は、山中智恵子にいくらか劣っているように思う。それもほんの少しではない。だからこそ、もし生前に折口がこの歌に相会する機会があったならば、彼は間違いなく膝を屈めて山中智恵子のもとに参じたはずだと思うのである。「霊魂の話」(1929年)と「石に出で入るもの」(1932年)とを比べてみれば、そしてこの霊魂理解の大きな転換に着目すれば、折口が霊魂についてほとんどリアルな感覚を持っていなかったことは一目瞭然のことだ。折口はきっと山中智恵子のもとに霊魂のリアルな動きを聞きに参じたことだろう。

 ニ三年前、國學院大學で開かれたの日本宗教学会の研究発表で安藤礼二が折口の霊魂理解の問題について発表をしていて、それを聞いていたのだが、安藤も折口のこの霊魂のリアルな問題、霊魂の出入りの問題の解釈の変遷について、さしたる問題意識をもっていないように思われた。のみならずわたしには、彼は「霊魂の話」については論じるものの、「石に出で入るもの」については、読んでさえいないように思えたのだった。そんなことを感じて、発表の質問で、ささやかな質問をさせていただいたが、「霊魂の話」から「石に出で入るもの」への間の霊魂観の変遷について、何の理解ももっていないと思えたのだった。

 わたしが言いたいのは、霊魂の動きについて、山中智恵子は折口よりも優れた理解をもっていると思えるということだ。霊魂、あるいはたましいについて、折口に耳を傾けても得るところは少ないだろう。むしろ山中智恵子に耳を傾けることが、問題の正しい理解に至る道だ。






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