《日本歌人2017年4月京都歌会》

瀬谷こけし

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(構内落葉、2017年4月14日京大構内)


 今日(4月15日)日本歌人京都歌会の歌会があった。わたしが出詠したのは、以前(『日本歌人誌』)「2017年7月号草稿」として掲載したもののひとつを一字だけ変えたものだ。

> 時の中へみづから息を引きとりて去りにしものを掴むすべなし

「夢の中へ」を「時の中へ」に改めた。もともと「時の中へ」の方が本来の形だが、この「時」をどのくらい誤解せずに読んでもらえるかを見たくて歌会に出した。少なくとも三人はこの「時」が現在とかではなく、悠久の時の流れの「時」、過去のことだときちんと理解してくれた。いわば純粋持続としての「今」の時から、「過去」へと逃げ去ってしまった時、もう(なにびとも)改めることができなくなった時だ。ニーチェが「es war]と呼ぶ時。
 歌を「夢」から「時」へ変更すると、見方が一人称から三人称に変わり、少し冷たい物言いになるが、しかし時の問題、死の問題の真相を思考しやすくなる。問題は単純で、身体が息を引き取るとき、それは抵抗の放棄として、「もうここまででいい」という納得として身体自身の能動的行為として最後の息が引き取られるということだ。どんな死に方であれ身体はおのれの能動的な行為として最後の息を引き取るのだ。
 歌会でも、終了後にすこし時間がもらえたので、そのあたりのことを説明した。身体が息を引き取るときの問題として考えてもらうと、理解共感してもらえるひとが増えた。

 今日は、病でしばらく声が出せなかったという人と、名古屋から参加の人が来てくれるので、歌会の後、みなで場所を移してあるフレンチのレストランで会食をした。そこでも、美味しく楽しい談笑の時を過ごした。京都造形での「歌会」の授業が今年からなくなること、京都造形からの日本歌人への何人かの加入希望者の話もした。書道家の会員で、同じく書道家のご主人が、4×9mの鳥子紙に書を書くところの映像もみせてもらった。
 なかなか充実した日だった。

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