《シューマンのチェロ・コンチェルト、OP.129》

瀬谷こけし

Steven Isserlis - Schumann Cello Concerto Op. 129 Complete
https://youtu.be/7tm45E8kOR0



 ドゥルーズ(とガタリ)は「リトルネロ」の章ないしは地層を”シューマン”の語で終える。彼(ら)が念頭に置いているのは《チェロ・コンチェルト, Op.129》だ。もちろん《トロイメライ》(子供の情景)もだが。

>「ある協奏曲の中で、まるで光が遠ざかり消えていくようにチェロの音をさまよわせるために、シューマンはオーケストラがもつすべてのアレンジメントを動員する」(『千のプラトー』河出文庫。以下同じ)。

 最近はじめてスティーヴン・イッサリスのチェロ演奏を聴いて、シューマンの晩年の難解で危険な場所について取り組みたくなってきた。わたしにはシューマンが晩年に開こうとしていた場所は、ディオニュソス的な、しかも夜の神としての、静謐なニュクテリオスとしてのディオニュソスの世界だったように思えるのだ。そしてそこには途方もない危険がある。

 ドゥルーズがここで「リトルネロの脱領土化」の概念で示そうとしているのもこの同じ危険のことだ。

>「音楽の最終目的である、脱領土化したリトルネロを産み出すこと、つまり音楽を宇宙に解き放つ(lâcher dans le Cosmos)こと。〔…〕アレンジメントを宇宙の力(une force cosmique)に向けて開くこと。一方から他方へ、音のアレンジメントから音をもたらす〈機械〉へ、---つまり音楽家の〈子どもへの生成変化〉から子どもの〈宇宙的なものへの生成変化〉---このとき数多くの危険が生じる。ブラック・ホール、閉塞状態、指の麻痺、幻聴、シューマンの狂気、悪しきものとなった宇宙の力、お前につきまとうひとつの調べ、お前を貫く一つの音」(訳は一部修正)。

 この生成変化はシュトックハウゼンがよりダイナミックな仕方で追究してきたことと同じだ。全身をもってするニュクテリオスの世界の現成化。

 このチェロ協奏曲ではシューマンは悲しみのばしょから、この世への別れのばしょへと移り行き、さらに外へ赴くべく追究し、模索しする。その追求のためにわれわれには幾つかの線といくつかの運動があるばかりなのである。シュトックハウゼンの直観音楽以降われわれにはさらに直観とリズムによるガイドブックがひとつ与えられているとしても。


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イッサリス以外の演奏:

Rostropovich Bernstein Schumann cello concerto
https://youtu.be/dn-zZls0kdk


Heinrich Schiff, Schumann Cello Concerto in A minor, Op. 129
https://youtu.be/LqeOw5UBPDI

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