F・ニーチェの〈circulus vitiosus deus〉という思想  研究発表資料(1)

瀬谷こけし

 標記の発表で配布した資料を4つに分けて公開します。配布した資料には下線等の強調を付してありますが、ここでは強調の手間を省いています。必要を感じた場合には追々付してゆくかもしれません。ニーチェ研究、クロソウスキー研究、あるいは宗教哲学研究の役に立てていただければ幸いです。


F・ニーチェの〈circulus vitiosus deus〉という思想  研究発表資料(1)
          日本宗教学会 第77回学術大会 2018年9月8日 於 大谷大学

はじめに
ニーチェの『善悪の彼岸』56番の読解を通じて「circulus vitiosus deus」という表現が示すであろう永遠回帰の思想の深い地点について考察したい。考察は以下の要点に従って進められる。
要点:
1) ペシミズムを深みまで考えた者、最も世界否定的な思考法をその中の底まで(hinein und hinunter)見た者にはその逆の(umgekehrt)理想に対する眼が開かれたことがありうる、とニーチェは主張する(JGB 56)。
2) その逆の理想とは最も(やんちゃで活発で)世界肯定的な人間の懐く(des)理想である。
3) 最も世界肯定的な人間は過去にあり現在あることをそのままで永遠にわたって繰り返し持ちたいと望む。
4) その人間はダカーポをおのれと一個の劇の全体に対して叫ぶのみならず、根本においてはみずからこの劇を必要としている神格(Dem)に対して叫ぶ。
5) (この人間がこの神格にダカーポを叫ぶのは)この神格が繰り返し自らを必要とし、必要ならしめているからである。(この神格は世界肯定的な人間が自ら(=神格)を肯定する(=ダカーポを叫ぶ)ことを自らの(瞬間的な)存在のために必要とする)
6) 肯定的人間がこの神格を肯定する瞬間、この神格が姿を示し、円環が輝く。
7) 肯定的人間と肯定的神格との肯定的な必要・存在関係の構造には悪循環の構造がある。(劇の円環が輝くために肯定的人間は円環の肯定的神格性を必要とし、同じく肯定的神格は自身の示現のために(おのれ自身である)劇を肯定する人間を必要とする)
8) 魂の最高の調子ないしは最高の瞬間としてニーチェは「同じきものの永遠回帰」を体験しそれに「悪しき円環・神」という記号を与えた。
9) 「悪しき円環・神」の記号は、『ツァラトゥストラ』に描かれる複数の神々の永遠の追いかけっことしての世界のヴィジョンよりも高く強いものである(Za 3-12-2、11[141]:die verschiedenen erhabenen Zustände, die ich hatte)。(このヴィジョンにおいては1882年7-11月のニーチェ、妹エリーザベト、ルー・フォン・ザロメ、パウル・レー、ジェイコフスキーなどが神格の強さを演じている)
10) 永遠回帰の思想が訪れる最も高い調子において自我(ego)が失効し、宇宙的に感じること(Kosmisch empfinden)が要請されてくる。
11) 自我の失効は、クロソウスキーが解釈するように、永遠回帰の眩暈をニーチェが体験するとき、彼はその最高の強度が、日常的指示作用においてはそれに対応する強度がないものであることをアクチュアルに把握し、同時に自我(私)という記号が空虚なものになる、という経緯によって生じる。
12) ここから一方で、自我(私)という記号の指示作用に基づく世界からの実在する私の不在が普遍化され、そこからディオニュソスの名の下、宇宙的な感受に基づく数多くの私の巡歴の要請が生まれ(11[141]:möglichst aus vielen Augen in die Welt sehen., 11[197]:Die unablässige Verwandlung.)、他方で言語の指示作用に基づかない表現形式による最高の強度の現実化という要請が生まれる。後者は芸術的創造による救済という活動を指し示す。


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