《ワルターベンヤミンの「隠れ場」 原文・試訳・コメント》

瀬谷こけし

画像



 ワルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)の「隠れ場」を訳してみました。翻訳は浅井健二郎氏のものが『ベンヤミン・コレクション3』(ちくま学芸文庫)に収められているのですが、ベンヤミンのこの文章は大変微妙な経験、大変微妙な問題を語っているところがあって、彼の論述を自分でいちどきちんとたどり直してみたいと思い自分で訳してみました。浅井氏の訳は『1900年頃のベルリンの幼年時代』に収められています。本のタイトルは私なら『1900年ごろのベルリンでの幼年時代』と訳すところです。
 原文としてはKindle提供のものを用いています。タイトルは「Verstecke」、本としては”Berliner Kindheit um Neunzehnhundert”に収められています。
 コメントは今は一カ所についてだけ短くつけます。しかし後日増補する予定です。
 誤りにお気づきの方があったらご教示いただければ幸いです。

Verstecke

> Ich kannte in der Wohnung schon alle Verstecke und kam in sie wie in ein Haus zurück, in dem man sicher ist, alles beim alten zu finden. Mir schlug das Herz, ich hielt den Atem an. Hier war ich in die Stoffwelt eingeschlossen. Sie ward mir ungeheuer deutlich, kam mir sprachlos nah. So wird erst einer, den man aufhängt, inne, was Strick und Holz sind. Das Kind, das hinter der Portiere steht, wird selbst zu etwas Wehendem und Weißem, zum Gespenst. Der Esstisch, unter den es sich gekauert hat, lässt es zum hölzernen Idol des Tempels werden, wo die geschnitzten Beine die vier Säulen sind. Und hinter einer Türe ist es selber Tür, ist mit ihr angetan als schwerer Maske und wird als Zauberpriester alle behexen, die ahnungslos eintreten. Um keinen Preis darf es gefunden werden. Wenn es Gesichter schneidet, sagt man ihm, braucht nur die Uhr zu schlagen und es muss so bleiben. Was Wahres daran ist, erfuhr ich im Versteck. Wer mich entdeckte, konnte mich als Götzen(*) unterm Tisch erstarren machen, für immer als Gespenst in die Gardine mich verweben, auf Lebenszeit mich in die schwere Tür bannen. Ich ließ darum mit einem lauten Schrei den Dämon, der mich so verwandelte, ausfahren, wenn der Suchende mich griff – ja, wartete den Augenblick nicht ab und kam mit einem Schrei der Selbstbefreiung ihm zuvor. Darum wurde ich den Kampf mit dem Dämon nicht müde. Die Wohnung war dabei das Arsenal der Masken. Doch einmal jährlich lagen an geheimnisvollen Stellen, in ihren leeren Augenhöhlen, ihrem starren Mund, Geschenke, die magische Erfahrung wurde Wissenschaft. Die düstere Wohnung entzauberte ich als ihr Ingenieur und suchte Ostereier.  (Kindle版)


隠れ場


> わたしはすでに住居のなかのすべての隠れ場を知っていた。そして、すべてが安心して元のままであることが確認できる家に戻るのと同じように隠れ場所に戻れた。心臓がどきどきするときは息を止めることができた。ここではわたしは物質世界(Stoffwelt)の中にしまい込まれていた。物質世界はわたしには途方もなく明確で、言葉なしでわたしのすぐ近くにやってきていた。そんなわけでひとは誰かに首吊りにされてはじめて何がロープで何が木材かということを意識するようになるのである。仕切りカーテンの後ろに立っている子どもは自分自身が何か風に揺れる白いものになり、幽霊(Gespenst)になっている。その下で子どもがしゃがんでいる食卓は、その子を、その四本の彫刻つきの脚を支柱(Säule)にしている神殿(Tempel)の木製の神像(Idol)に変化させるのである。そして扉の後ろでは子ども自身が扉になり、扉を重たい仮面にして身に着け、魔法の司祭として、うっかりと入ってくる者すべてを魔法にかけるであろう。子どもはどんなことがあっても見つかってはならないのである。顔が痛くなったときには、時計が時を打つだけでいいんだ、そうすればそのまま隠れていられる、と言われている。この件の本当のところをわたしは隠れ場所で経験した。もし誰かがわたしを発見したならば、そのひとはわたしを偶像(Götze)(*)として食卓の下で硬直させることができ、永久にわたしを幽霊(Gespenst)として薄いカーテンのなかで拒絶することができ、死ぬまでわたしを重たい扉のなかに縛り付けておくことができた。そんな場合にはわたしは、探していた人がわたしを掴んだ時に、大きな声で一声叫ぶだけで、わたしをこんな風に変身させていたデーモンを祓い落とす(ausfahren)ことができたのだ。-いや、その瞬間を待っていないで、自分で自分を救出する叫びを一声上げることで探している人の先を越せたのだ。この点でわたしはデーモンとの戦いに疲れることがなかった。このころ住居はいろいろな仮面を収めた兵器庫だった。しかし、年に一度秘密に満ちたこの場所で、その空しい眼窩の中に、その硬直した口の中に、贈り物が置かれていた。魔術的な経験は学問になった。薄暗い住居をわたしは学問の技術者として魔法から解放し、復活祭の玉子を探した。

注:
(*)のところ、[Götze]を浅井健二郎は「木偶」と訳し「でく」とルビまでふっている。「木偶」という訳は[Götze]の語義からかなり外れる。しかし、そこは上に出てくる「木製の神像」の言い換えであり、子どもが不動の物質世界の存在のごときものになっていることを表現としているところなので、「木偶」と訳す気持ちも多少は分かる。しかし「崇拝される偶像の単なる物質に化した存在」を表現するのに「木偶」やはり不向きだろう。「木偶」は崇拝の対象からはずれるのではないだろうか? 



ベンヤミン・コレクション〈3〉記憶への旅 (ちくま学芸文庫)
筑摩書房
ヴァルター ベンヤミン

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック