《Vita femina: 生は女である -–ニーチェを読む(2)》

瀬谷こけし

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 ニーチェの『喜ばしい知の技』(Die Fröhliche Wissenshaft)第四部339番のアフォリズムを一文ずつ原文と拙訳を交互に置いて紹介します。そう長くもない文章なのですが、内容は極めて深く言いにくいものに思えます。ほのめかして言うなら、この文章を引用しているジャック・デリダではなく、ピエール・クロソウスキーの顔が執拗に思い浮かぶのです。彼がここから最初の養分を得ていたことは疑いないように思います。
 このニーチェのアフォリズムの思考の絶頂は強調された「was sich aber uns enthüllt, _das enthüllt sich uns Ein Mal_ ! —
」の ところにあるのは疑いありませんが、「一度だけ姿を現して二度と姿を現さないもの」とは何でしょう? ここでは「die höchsten Höhen alles Guten」(すべての善きものの最高の高み)と言われ、ここではすでに「美」すら退いているのです。---あ、言い過ぎたでしょうか。わかる人にはわかってしまう…。そのとき人は自分の運命を決めなければならないでしょう。
 わざわざこのアフォリズムを対訳風に訳したのは、某大学のドイツ語の期末テストにこの全訳を課したからです。今日の前期最終授業では読解を示し、文法的、構造的な注意点を説明してきたところです。十分健闘した学生、思いのほかよくできていた学生も何人かいました。わたし自身まだクロソウスキーの仏訳を参照していないので、参照すればまた変更すべき点が出てくるかもしれません。新しいウェブリブログでは一度アップした記事の修正ができないようなので、いまも相変わらず改良されていない場合は、コメント欄で変更を示すことになると思います。また訳に関してお気づきの所があったらご連絡いただければ幸いです。
 わたしが今このテキストで何を検討してようとしているかについては今はしばらく伏せておきます。あることは判明すれば新解釈として紹介します。
 では、本文をどうぞ。

◇  ◇

>- Die letzten Schönheiten eines Werkes zu sehen — dazu reicht alles Wissen und aller guter Wille nicht aus; es bedarf der seltensten glücklichen Zufälle, damit einmal der Wolkenschleier von diesen Gipfeln für uns weiche und die Sonne auf ihnen glühe.
>- ある作品の究極の美を見ること---そのためにはすべての知識とよき善い意志をもってきても足りない。われわれに雲のヴェールが美の頂上からひとたび退き、太陽がその上に灼熱するのには、極めてまれな幸福な偶然が必要なのである。

>Nicht nur müssen wi r gerade an der rechten Stelle stehen, diess zu sehen: es muss gerade unsere Seele selber den Schleier von ihren Höhen weggezogen haben und eines äusseren Ausdruckes und Gleichnisses bedürftig sein, wie um einen Halt zu haben und ihrer selber mächtig zu bleiben.
>われわれはこの作品を見るためのまさに正しい位置に立たねばならないばかりではく、われわれの魂そのものがヴェールを頂の高みから取り除いたのでなければならない。そしてまた、いわばひとつの手がかりを掴み、頂上そのものを支配し続けるために、外的な表現と比喩が必要なのである。

>Diess Alles aber kommt so selten gleichzeitig zusammen, dass ich glauben möchte, die höchsten Höhen alles Guten, sei es Werk, That, Mensch, Natur, seien bisher für die Meisten und selbst für die Besten etwas Verborgenes und Verhülltes gewesen: — was sich aber uns enthüllt, _das_ was sich aber uns enthüllt, _das enthüllt sich uns Ein Mal_ ! —
だがこうしたすべてが同時に集まることはめったになく、そのため、作品にせよ、行為にせよ、人間にせよ自然にせよ、すべての善きものの最高の高みはこれまでたいていの人間にとって、いや最上の人間にとってすら、隠匿されたもの、覆い隠されたものであったとわたしは信じたいのである。---そしてわれわれに覆いを解いて姿を見せるものは、ただ一度しか姿を見せない!- 

>Die Griechen beteten wohl: „Zwei und drei Mal alles Schöne!“
>ギリシャ人たちが「すべての美しきものを二度も三度も!」と祈ったのは当然のことだった。

>Ach, sie hatten da einen guten Grund, Götter anzurufen, denn die ungöttliche Wirklichkeit giebt uns das Schöne gar nicht oder Ein Mal! Ich will sagen, dass die Welt übervoll von schönen Dingen ist, aber trotzdem arm, sehr arm an schönen Augenblicken und Enthüllungen dieser Dinge.
>ああ、彼らはそのことで神々に祈り掛けたのには十分な理由があった。とうのも世界は美しいものに満ち溢れているが、にもかかわらず美しい瞬間が訪れ、美しいもが開示される機会は乏しく、きわめて貧しいからだ。

>Aber vielleicht ist diess der stärkste Zauber des Lebens: es liegt ein golddurchwirkter Schleier von schönen Möglichkeiten über ihm, verheissend, widerstrebend, schamhaft, spöttisch, mitleidig, verführerisch. Ja, das Leben ist ein Weib! (eKGWB)
>しかし、もしかするとこのことが生の最も強い魅惑かもしれない。生はみずからの上にさまざまな美しい可能性を金を織り込んだヴェールを掛けているのだ。約束しつつ、抵抗しつつ、恥ずかしがり、嘲笑的に、同情的に、誘惑的に。そう、生はひとつの女なのだ。


===== 2019.0926 =====
*「隔字」による強調表現を、(グーテンベルク・プロジェクトに倣って)強調部分の前後のわきにアンダーバー「_」を置いて示すように変更しました。



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